(9)家出

「ねえ、零奈、最近遅くまでどこへ行っているの?」

 普段は全く私の行動に口出しをしてこない、それどころか金だけ置いて飯も作らない親が急にそんなことを聞いてきた。現在時刻は午後十時半である。

「私はあなたを心配していってるの、ねえちゃんと答えて。変な男に身体売ったりしてないでしょうね」

 どうしてそうなる。というかそもそも、なんで私は心配されているのか。別に金には困っていないし、それこそなんで身体を売らなきゃいけないのか。強いて言うなららのさんに上半身は見られたけれど女の人だからノーカンだ。

「ちょっと! 黙ってないでなんとか言いなさい!」

 正直、

「関係ないでしょ」

 どうせ昼間親は家にはいないし、私はただ楽しいから丘陵に行って、ギンギツネと歩いて、神社で本を読んで、時々らのさんと情報交換をして、その程度だ。そもそも、この夏休み男の人と話した記憶がない。

「関係ないとはなによ、ここまであなたを育てたのは誰だと思ってるのッ!」

 まあ見事に押し付け系親のいいそうな台詞で、こんな台詞は小説の中だけなのかと思っていた。そしてこの親に育てられた覚えはない。

 小さいころの記憶といえば近所のお兄さんと遊んでいたり、祖父母の家に行って遊んだり、その祖父母やお父さんに買ってもらった本を読んだり。お父さんは私が小学校4年生のときに死んでしまったけれど、それまでにお父さんに買ってもらった本や、祖父母に買ってもらった本、そして母親が置いていく金から出して買った本。お父さんが死んでからは祖父母と本たちに育てられた。私に母親と遊んだ記憶なんてない、やさしくされた記憶もない。

「何!? あなたに口はついていないの!?」

 おもむろに母親の腕が振りあがる。なんとなく予想はしていたけれど。ヒステリックな女の人にはなりたくないものだなぁ。

 そして母親の腕は振り下ろされる。もちろんその腕は私に向かっていて。手のひらがこちらに向いているのが見えて。その手のひらは私の頬を――


 ……掠めることはなかった。つい目を閉じてしまって、その目を開けたとき、目の前にはいつもの少し赤を帯びた黒の着物を着たらのさんがいた。

「だっ、誰よあんた! 不法侵入よ!!」

 母親がまたヒステリックに喚く。なんとも恥ずかしい限りである。いやまあ、不法侵入は確かにそうなのだが。

「そうですねぇ、野生のくノ一、とでも申しましょうか」

「くっ、くノ一に野生もクソもあるわけないでしょう!? それに、イマドキそんな冗談流行らないわよ!」

 母親はらのさんに食ってかかり始めた。しかしらのさんは動じることもなく、母親の弱弱しいパンチを片手で払って首の後ろをトン、とやった。その首トンを実際に見ることができてラッキー、なんて思ってしまった。らのさんの耳がぴょこんと動く。

「大丈夫ですか? 零奈ちゃん」

 らのさんは心配そうな表情をして振り返った。足元を見ると、ご丁寧に裸足だった。どうやら配慮しているらしい。

「大丈夫なんですけど、あの、くノ一……?」

「冗談に決まってるじゃないですか」

 冗談の身のこなしには見えなかったし、そもそも着物からリアリティがある。胸元にを挟んでいるといわれてもあまりおどろかない。実際挟めそうだし……。

「あの、胸には何も挟んでいませんよ」

 あんまりにも凝視していたものだから心を読まれてしまったらしい。ところで、

「この人どうするんですか?」

 母親の処理、どうせ起きたらまた何か行ってきそうである。

「うーん、あ、思いついた。」

 らのさんはテーブルの上に置いてあったメモを一枚切り取り、近くに置いてあった安いボールペンですらすらと、


『拝啓 立秋とは名ばかりの暑い日が続いておりますが、桜木様に於かれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 さて、昨晩は多大なご無礼を失礼致しました。零奈さんが殴られそうになったものでつい身体が勝手に動いてしまいました。

 そしてご安心ください、零奈さんはほぼ毎日、私の奉仕しております神社に毎日のように通い、本を読んでおります。大丈夫ですよ。

 夏の暑さもまだまだ続きそうです。どうかお体ご自愛ください。          敬具


 追伸 本日零奈さんは神社のほうに泊まっております。神社は丘陵にございますのでお迎えはこちらまで。』


 書いた。いつの間にか私の神社泊まりが決定していたらしい。


 らのさんに手を引かれて夜の真っ暗な丘陵の道をあるく。私は鞄の中から携帯電話のライトを取り出して足元を照らす。

 夜の森はやはり不気味で、お祭りのときはなんとなく明るかったけれど、特に何も無い今日は真っ暗になっている。手をつないでいなければライトなしで黒っぽい着物のらのさんは認識できないだろう。

 神社が見えてきた。境内は淡い光に包まれているように見える。そして、賽銭箱の前でギンギツネがしていた。

 ギンギツネに挨拶したあと、らのさんに連れられて神社裏の倉庫の近くのわき道を通って、そこそこ大きめな家に通された。どうやら、らのさんの家らしい。

「あ、そこ手裏剣落ちてるから気をつけてください」

 いややっぱりくノ一なんじゃないですか……。

 居間だという部屋に通された。が、壁一面がラノベの本棚で埋め尽くされていて、壁の色が全く確認できない。自身が怖くて仕方が無い。

 そして食事をご馳走になり、二階の客室だという和室を貸してもらった。和室には何を置かれておらず、らのさんが中央に布団を強いてくれて、その布団だけがただぽつんとある状態になっている。

「あ、そうだ。お風呂だ」

 らのさんはそういって一階に戻っていった。私も荷物を置いてから一階に戻る。

「零奈ちゃん、お風呂に入りましょう。……せっかくのお泊りだし一緒に入らない?」

 …………。

「ほらほらっ」

 …………?

「えいっ」

「あっ、ちょっ」


――どうしてこうなった。私の目の前には全裸のらのさんがいて、らのさんの向かいには全裸の私がいる。胸囲格差はかくも……。らのさんの耳が、ぴょこぴょこ動いている。


 お風呂から上がって、髪が乾いたら二人ともすぐに寝てしまった。


 翌朝、太陽の光が外から私の顔面めがけて飛んでくる。重たい身体を起こして周りを見渡すと、そこは私と、布団と、私の荷物だけが置かれたただの和室。そういえば、らのさんに泊めてもらっているんだったな、と一階に下りて居間をのぞいてみる。らのさんは朝食を並べていた。

「あ、おはらの~」

「おはらのです。吹っ切れました?」

「吹っ切れましたね」

 なんてどうでもいいような会話を交わして、朝食をとる。

 朝食をとってから、いつものように縁側で読書をする。


「零奈ッ!」

 聞きなれたヒステリックな声とともに、母親が境内に入ってくる。

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