9-1 今から行ってもいいですか
受賞作家として二作目を出すチャンスを自ら投げ出し、投稿サイトでも敗北して、いよいよ追い詰められた。
もう一度公募でやり直そうというファイトは湧いてこない。さりとて、今のままではただのフリーターである。年明けには俺は三十路を迎える。
どうしてきちんと就職しなかったのだろう。学生時代の俺は作家としてプロになれると無邪気に信じていたのだろうか。事実、一瞬だけプロにはなれた。新人賞を取ることより取ってから続けるほうがよほど難しい――理屈としてはわかっていた。書きたいことを書くだけじゃ駄目なんだってことも。自分ならどんな困難も乗り越えられると、根拠もなくどうして思えたんだろう。
(あれ?)
その日、本屋に出勤すると、入り口の鍵が開いていた。
そして、事務所に店長がいた。
「あ、おはようございます」
「ああ、杉原君、おはよう」
店長が朝からいるのは珍しい。彼の顔色が良くないのは一年中だが、その時俺は彼の顔を一目見て嫌な予感がした。
「急なことで申し訳ないんだけど、この店は来年3月でたたむことになりました」
俺と星川さんに対して、店長は淡々と述べた。
「わーお」
と、星川さんが努めて明るく言った。俺も星川さんと同じ気持ちだった。
まったく予想外のことではなかった。毎日ガラガラでよく経営が成り立つなとは常々思っていたのである。
しかし、そうか。いよいよ閉店か。
店長は昼前に去っていった。
「どうする杉原」
と、星川さん。
「どうしましょうね」
と、俺。
「あー、次のバイト探すの面倒くせえなあー。てか、バイトでいいのかな。でもこの歳で就活ってのもなー。今までなんでフリーターだったんですかって面接で訊かれたらどうしよう」
俺も頭で思っていることを、星川さんはバンバン口に出す。心が読まれているかのようだ。
「俺はこの機に就職しようかなと思います」
と、その気は無しに言ってみた。
「え! マジか。でも社畜になっちゃったら小説書く時間なんて取れないんじゃないの?」
「かもですね。でも、色々経験したいなってのもありますし」
「ほえー。やっぱ作家目指してる奴は言うことが違うね」
目指してる、のか? 未だに。
目指せるのか?
険しい山中にあって、俺は登るでも下りるでもなく、一合目あたりを彷徨っている。食糧がもうすぐ底をつくことがわかった。覚悟を決めて頂上を目指すか、食糧確保のために下山するか、早々に決断しなければならない。
(決められない)
フリーターのままなら確かに執筆の時間は十分すぎるほど確保できる。けれど今の俺は自信とモチベーションを失っている。
じゃあ就職しろよ。そうは思うけれど。
30歳・キャリアなし・資格なしで就職できたとして、そこが滅茶苦茶ブラックだったら? 小説を書く時間や体力が確保できるとは限らないならフリーターのままのほうがいいのでは?
でも、いいのか? 30なんだぞ。数字をよく見ろ。四捨五入じゃなくて正真正銘の30。
(逃げ出したい)
現実はクソだ。全然思い通りにならない。
長い間、現実逃避を馬鹿にしていたことを心から反省する。本当にすいませんでした。
冗談抜きで逃げ出したい。
夢破れてやる気なし。店潰れて貯金なし(リアルな話、30万もない)。この現実と向き合いたくない。
マジで行っとけばよかった。美少女に請われるままに異世界に行ってチート能力で無双すればよかった。感謝されるし、俺も気持ちいい。いいことづくめだったはずだ。
たまたま一冊本を出せたからって調子に乗っていた。我ながらザマミロである。
(新しい勇者は見つかったんだろうか)
気が変わった時に備えて連絡手段を聞いておくんだった。あまりに調子のいい話だが、今なら喜んで俺が勇者になる。
バイトが休みの日、俺はとぼとぼと葛井の住んでいた部屋へ向かった。そこに何か手がかりがあるとも思えないが、何か可能性にすがらずにはいられなかったのである。
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