7-1 おなかのおにくが気になった

 机に向かって原稿を書いていると、ふと気になるものがあった。

 何か、ある。自分の腹の周りに何かが存在している。

 正体は明らかだ。脂肪である。手で、ぐにっと、つかむことができる。

 原因も明らかだ。運動不足である。書き物は完全にデスクワークだし、本屋のバイトは一応立ち仕事だが大して動くものではない。

「くっ……」

 気になり始めるとどんどん気になる。意味もなくぐにぐにとつかんでしまう。

 むしろ今まで気にしていなかったのは何故だろう?

(歳、か)

 そういうことだろう。代謝が落ちてきたのだ。

 体が資本の仕事だから、これまでも食事には一応気をつけていた。しかし、三十路を前にして運動不足が如実に現れてきたということだ。

 ぐにっ。ぐにっ。

 これ、ちぎって捨てることはできないか。どうにかならんか。

「……」

 集中力が急激に衰えていくのを感じる。あたかも腹でなく脳に脂肪がまとわりついてしまったかのように。

 このままではだめだ。自分の肉に内側から取り込まれてしまう。

 腹筋をしよう!

 床に散らばっていたコンビニ袋や本などを隅に追いやり、スペースを作る。仰向けになって、膝を……

 どうするんだっけ。伸ばすべきか立てるべきか。わからん。とりあえず立ててやってみよう。

 せーの。

「いっ……ち」

 ……

「にっ……」

 ……足が浮いてしまう。あまり効いている気がしない。

 どこかに固定できないか? 見渡しても部屋の中に適当な場所は見当たらない。

 かくなる上は、意を決して行ってみよう。「スポーツジム」というやつに。

 青年社長とか成功者の多くは筋トレを習慣にしていると、以前テレビか何かで聞いたことがある。ジムに行ってみたいなとは以前から思っていたのだ。

 よし、行くぞ。俺はジムへ行くぞ! こういうのはすぐ行動に移さないと億劫になってしまう。

 急げ急げ――と、部屋を出ようとして、着替えを持っていないことに気づく。慌てすぎである。それから、運動をするのにちょうどいい服を一切持っていなかったことを知る。

「買おう」

 俺は道すがらユニクロに寄って適当なTシャツとハーフパンツを買い、勇んで区営のジムへ向かった。


 ちーん。エレベーターのドアが開く。

 揃いのポロシャツを着た快活そうな男女の係員がうろうろしていて、早くも怖気づく。陰キャは本能的に陽キャを怖れているのである。

 券売機の前でもたもたしていると、

「こんにちは! ご利用は初めてですか?」

 声をかけられた。

 ううう。こんな29歳世間知らずの面倒を見てくださってありがとうございます。

 ご案内に従って2時間のチケットと貸し靴券を買い(屋内用の運動靴を持っていないことにはここで気づいた)、更衣室へ進む。

 と、全裸のおじいさんがいきなり目の前に現れ、面食らった。俺は銭湯などに行かないから他人の裸体を見たのは久しぶりだった。

 ジムというのは下着まで履き替えるものなのか?

 壁に「シャワー室↑」と書かれているのを見て、理解した。更衣室とシャワー実は隣接しており、常連は平気で全裸で行き来しているらしい。

 ロッカーを開き、買ってきたばかりの運動着のタグを引きちぎり、着用する。ロッカーを閉め、バンド付きの鍵を腕に巻きつけ、借用した靴を履く。

 不意に、これはどう表示されるのだろうと思って、ステータス画面を開いてみた。


  E ユニクロの服

  E 借り物の運動靴


 うむ。そのまんまだった。


 いざ、トレーニングルームへ。

「……!」

 多種多様なマシンが所狭しと並んでいる。なんというスポーティーな空間なのだろう。運動音痴の俺には場違いな気がしてならない。進め進めと自分をシッタしていないと足が止まりそうだ。

「こんにちはー!」

 受付と同じポロシャツを着た、体操のおにいさんおねえさんみたいな男女。彼らが太陽ならこちらはドラキュラである。相対しただけで溶けそうになる。

 俺は会釈しながらギクシャクと歩み寄り、受付で指示された通り、今日が初めてである旨を告げた。

 おにいさんの説明によると、

①最初にマットのコーナーで体をよくほぐすこと。

②ランニングマシンやエアロバイクは最長30分、その他のマシンは10~20回程度で次の人に交替すること。

③その都度、備えつけのタオルでマシンに付いた汗を拭くこと。

④何かわからないことがあれば何でも訊いてください。

 とのことであった。

 俺は全てのマシンの使い方がよくわからなかったので、何なら片っ端から全部説明してほしかったが、さすがにそんなことは頼めず、お礼を述べておにいさんの庇護下を離れた。

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