5-2 今回は全文回想だ

 彼女とは大学の文芸サークルで知り合った。

 訂正する。彼女と知り合って、文芸サークルに入った。

 入学当時、俺は教師になりたいと思っていた。古代史を中心に、歴史全般に興味があった。教職課程が始まるのは二回生からで、一般教養を学ぶ一回生では、歴史に関係がありそうな授業や何となく面白そうな授業をてきとうに選択した。

 大学にはおかしな奴がたくさんいた。大二病というのだろうか。顔面金ピカで白タイツとか、目のところに穴を開けた段ボールをかぶってみたりとか、そういう奇抜な格好でうろついている学生が珍しくなかった。しかも、別段それが話題になるでもなく、みんなただ遠巻きに眺めていた。

 文学部である。芸術学部じゃなくてもああいう人たちっているんだな――と、俺は思っていた。また、心のどこかで意地悪く、一体あの中に何人「本物」がいるだろうとも思っていた。

「時代小説の書き方」という授業で、隣に座ったのが八坂玉恵だった。うららかな春の午後、俺は長袖シャツ一枚だったが、彼女は温かそうなニットセーターを着てチェックのマフラーを巻き、頭に青・緑オッドアイの白猫を乗せていた。

 教室に入ってきた学生は、誰もがまず彼女の猫を見た。そして、友達同士で「かわいー」などと言いつつも、声をかけて「どうして頭に猫を乗せているんですか?」という肝心の質問をする人はいなかった。教授も例外ではなかった。

 俺も、白タイツとか段ボールの一種と見ていた。季節外れの厚着に猫というファッションに、意味らしきものは見出せなかったし、見出したいとも感じなかった。

 ただ、猫のおとなしさに驚いた。彼女が教室に入ってきた時から授業の終わりまで一度も鳴かなかった。寝ているのでも死んでいるのでもない証拠に、たまに毛づくろいや背伸びをしていた。

「おとなしいですね」

 授業が終わったあと、俺はそう声をかけた。今でもはっきりと覚えている。「ですね」と「っすね」の中間に位置するような発音だった。

 彼女からの返答はなかった。代わりに、猫が俺に向かって小さく「にゃ」と鳴いた。それから若干の時間差があって、彼女の目が俺を見た。

 頭の中で巨大な鉄球がコンクリートの壁を破壊し、場末の撞球場でプロ並のブレイクショットが炸裂し、9回ウラ満塁で外角高めがジャストミートされ、花火の残像が消えた。


 気づけば俺は彼女と共に学食で担々麺をすすっていた。

 話してみると、わりと普通の人間だということがわかってきた。変な電波は浴びていない。宇宙人でもなければ未来人でもない。

 厚着なのは、寒がりだから。猫を乗せているのは、落ち着くから。

 目立ちたいとか、ファッションによって何か自己主張をしようという意思はないのだった。そもそも「こんな格好をしたら目立つのではないか」という危惧が欠けていた。

 服でもなければ猫でもない。八坂玉恵にとっての表現手段は文章を書くことであった。

 文芸サークル「きりかぶ」。在籍者は15名。部室は西棟の3階。壁一面が奥行きの浅い本棚で埋め尽くされ、中身はジャンルごとにきちんと整理されていた。決まりごとは年に2度、部誌用の原稿を出すことのみ。定例会や感想の交換会などの催しもあったが、基本的に自由参加で、常にいる人もいればたまにしか現れない人もいた。

 俺が生まれて初めて書いた小説は、史実のあらすじを並べただけのもので、とても「小説」とは呼べなかった。けれど、いくつか書いているうちに、だんだんと「小説」を書くことの面白さがわかってきた。

 最初のうち、俺が何か書けば彼女は必ず褒めてくれた。それが嬉しくて、次々と書いた。少しずつ批判が増えていき、かなり辛辣なことも言われたが、彼女の指摘は具体的かつ筋が通っていたので、腹は立たなかった。その代わり「フラグ」とか、ここには書けないがいろいろなものが立ち、人生の短い春が始まった。

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