第23話 Epilog



エピローグ



私はぴくりとも動かない身体で、優しい色をした月を見ている。


指先だけでもと、力を込めるがやっぱり、ぴくりともしない。


使い慣れないシードを、いきなり解放してしまったせいで、身体まで言う事を聞かないんだ。


鼻先に散る白い花びらの舟は、薄い香りを運んできて、私をまどろませる。


(私は……これで良かったの?)


戦いの中であったのは憎しみだけで、何もかもぶち壊してやりたいという、純粋で陰湿な欲求が全てだった。


涙も想いも自分の考えも、あいつを殺してやるという恐ろしい想いに、全てを支配されていた。手が骨を軋ませる感覚を欲しがって、耳がそれを砕く声が聞きたいと私に命令した。


でも、それだって私というものの一部で、度々忍んで来た破壊のイメージは、どこかでいつも望んでいた、私の可能性だったのかもしれない。報われない全てを壊してしまえという、私の願いみたいなもの。


「しづる……私、本当に約束を果たせたの? あの時、私は全てをどこかに捨てて、拳を振るっていただけよ?」


目の前にいた人間を、産まれて間もない力を見せびらかす為に、壊したいだけだった。


痛みに歪む顔や、どうしようもない絶望に嘆く顔が見たかっただけだ。


「……ご……めん……綾」


やっと涙が滴り、勝手に背中がびくびくと波打つ。冷たいコンクリートには、見えるだけで幾つもの黒い斑点が広がっている。


「約束は果たせたかもしれない……けど、私は負けちゃった……しづる、私弱いね……きっと、自分に勝てないやつが、この世で一番弱いんだ……」


 それでも私がここに帰って来られたのは、しづるや綾、夕夜ちゃんたち……人の温かさを少しでも知っているからだろう。


 だから私は自分のシードに踊っていたことが悔しくてたまらない。


そんな動かない体と心に吹き付けて来る風は、間違いなく冷たいのだろう。


髪や服がはためいているのはわかるけど、風の温度は、よくわからない。


全身が震えているけど、それが悲しいからか、ただ寒いからかは見当がつかない。


震え続ける中で一瞬、何かの影が月を隠して、意識が私の運命だという程の力で、そっちに傾いた。


「…………」


血の粒が付いた手すりの向こうに、逆さまになって、髪をなびかせながら落ちて行く女の子と眼が合った。


「なっ!」


なぜ。


どうして。


そんな疑問文ばかりが日本語や英語、私の知っている言語の形になって頭の中をまわる。


女の子は私と眼を合わせたままで、視界の端に消えて行った。


「あれは…………誰?」


見た事なんかないはずなのに、いつも傍らにいたように思えてならない。


お気に入りだった小さなクマのぬいぐるみ。


母に抱かれ歩き、過ぎて行く世界に、落として無くした私の宝物。


なぜかその女の子の事が、それくらい大切な存在に思えた。


「いか……ないで」


女の子はそんな弱々しい言葉を遮るような、強い眼をして私を見ていた気がする。


でもどこかすごく悲しそうで、何かを私に訴えていた気もする。


「……夢ね……………きっと」


月の見せる幻影だと私は思う事にした。


何せ、今私が見ている風景は、アニメでいいように描かれた物のように、余計なものなんてなくて、とても綺麗だったからだ。


「明後日は火曜日……また見られるのね……想いを巡るお話し……楽しみね……」


都合がいいのは、アニメの中だけじゃないなと思った。


私だって誰かの、いいえ自分の想いに捕らわれて、あいつが舞踏会と呼んだここで、踊っていただけなのかもしれない。


自分自身の都合だけで、死を何度も口にしながら、それを楽しんでいた。


その行為が、また悲しみという深い溝を産むと心のどこかでわかっていながら、私はやめられなかった。


しづるの力はあいつが言う様に、本当に危険なものなのだろうか、それは誰かに与えられて、乗り越えるものじゃいけないのだろうか。


こんな苦しみを無用にしてくれるものが、この世界に無用のものなのだろうか。


「……やっぱり私、負けたんだ……正しいもの……あいつの言っていた事も。悲しい事を想像するためには、悲しい経験だって必要だもの。それなのに、私にあったのは後先考えない、人を憎む想いだった……しづるとは違うもの……しづるの想いは、しづるにしか叶えられないんだよ……」


自分の流す涙に溺れそうだった。


買ったばかりで、ひとかぶりもしていないアイスバーを、道に落っことした時みたいに、自分が情けなくて、涙が止まらない。


あの日からの全てを通してわかったのは、私がどんなにバカかって事ぐらいだ。


「……しづるぅ……しづるぅ……」


鼻水は啜れるけれど、身体は動かない。


それでも、うーうー言いながら、もがく様にじたばたしていると、頭がふわりと軽くなった。


「……あ、夕夜ちゃん……」


淡く見える世界の中で、泣き顔の少女は何かを必死で言っているけれど、私にはいまいち聞こえない。


そればかりか、身体を揺すられると、かなり痛くて、その度に梅雨時の大粒の雨みたいに、生暖かい物が私の頬ではねる。


「いやっ! 先輩、先輩! 死なないでっ! 目をしっかり開けて、夕夜を見てください」


やっと甘ったるい声が、そんな風に言っているとわかった。


大丈夫よと、何とか返してあげたいけれど、言葉にならない。


口がうまく動かないんだ。


その代わり、ぴくりともしなかった手が、自然に紅潮している頬に、吸いつけられた。


すると夕夜ちゃんは、さらに大きく泣いて、私の手をぐちゃぐちゃに崩した顔にこすりつけて、両手でぐっと包んでくれる。


「……お姉ちゃん!」


やっぱり何て言ったかは、よくわからなかったけど、心が満たされていく様な、フカフカした気分になれた。


「いい匂い……」


鼻で大きく、秋の冷めた空気を吸い込むと、夕夜ちゃんのホットミルクの匂いが、私を優しく包む。


「気持ち……いい」


帰り着く母の腕というのは、こういうのを言うのだろうか?


優しくて深く、暖かい。


夕夜ちゃんも綾もしづるも……。


(ねぇ、私ここに居ていい?)


何かを望むという事は、誰かの何かを奪う事なのかもしれない。


生きているだけで、人が誰かを傷つける事と同じ。


私は身勝手とわかっていても、そう願いたかった。せっかく出会えた人達と、お別れするのが苦しくなっていた。


欲張りな私は、そう思いはじめていた。


瞼が重くて閉じかける月夜に、これから見る夢の始まりだろう、幼い私としづるが手を取って駆け出し、遠ざかって行く。


淡い記憶の中の、淡く尊い日が見えた。



……花に恋する事はとても儚い夢の様。輝く月夜を映す水、それを見て泣く少女は誰? こんなにも優しく、想いまで包んでくれるのに……笑って笑って俯かないで。笑って笑って昨日に囚われないで。笑って笑って笑って……紡いで行く夕色の世界で、双子の星粒探すように……


私は浮かんだメロディを拾って、下手な歌をかさかさの唇から漏らした。


「ねぇいい歌でしょ……アニメのだからってバカに出来ないよ? しづる……」


私はもう眼を閉じている。


我慢できないほど眠いんだ。


フカフカと柔らかい夕夜ちゃんの太腿を枕にして、しばらくの間夢を見よう。


遠く月に昇るように、微かになっていく幼い私達の足音を聞きながら。


「バイバイ……しづる……おやすみ……」


私はやっと、


愛しかった妹にお別れを言えた。


 またいつか、会いたいという願いを乗せて。



 私は、私にお帰りなさいと囁いて……。


                                        (了)



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