第21話 対峙-Flower01

対峙 ~フラワー~



   1


戦場と呼ばれる所に、足を踏み入れたことはおそらく無い。


もしも、人と人が闘う場所をいうのならば、あの秋桜畑も、そして今ここもそうなのだろう。


ほづみは足を止める事無く、カツカツと靴を鳴らして、カフェエリアへサンドイッチやらドリンクやらを運んでいる。


文化祭当日、模擬店のサンドイッチスタンドは大盛況で、クラスメイトの予想通り、ほづみもその一端を担っていた。


(……もうっ、だから休めもしないし、どこにも何も見に行けないじゃない)


お待たせしましたと、笑顔の裏に不満をこぼす。このまま文化祭が忙しいだけで過ぎてしまうのは、いまさらながら何か空しい気がする。


「あー、忙しいだけで、楽しいって何かわからないわ……」


「そうでもないでしょ? 甘酸っぱいだけが想い出とは限らないんじゃないかな? こういうわたわたした時間だって、終わって過ぎたら、案外いい想い出になってるかもしれないじゃない。あの時は、あんな大胆な服も着れたのに、とか」


愛奈は小さな背中を揺らして、ケラケラと笑っている。そんなものなのかなと、顔に浮かべて、ほづみはスカートを翻してカウンターを出る。


「いらっしゃいませ」「お待たせしました」「ありがとうございます」と、ありきたりな言葉のクラスメイトたちも、その顔にはほづみが思っている事など何もなく、人と人の間を縫って、せわしなく動き回っている姿は生き生きとしている。


(……喜びの花が咲いているみたいね。私は一人で何考えているんだろ……)


自分もあんな風になれるのだろうかと、不安になる。


ほづみにとっては、今ここにいる事も自分の想い出かどうか自信がないのだ。


(ただ流れて行く時間も、自分がいるとわかれば、特別なものになって行く……ねぇ本当? 本当にそうなの、しづる)


迷いを隠すように、お待たせしましたと、サンドイッチをテーブルに置き、踵を返す。


「先輩、来ましたよっ」


そこへ夕夜の顔が、急に現れる。今しがたクラスのステージが終わり、その表情はやっと肩の荷が降りたという安堵に包まれていた。


「あ……ええ……じゃあこっちに」


心ここにあらずという風に、肩に手をかけて促す。普段使っている学習机に、クロスをかけただけのテーブルへ着くと、夕夜はカツサンドとミルクティーの注文を告げてきた。


(……先輩どうしたんだろ? 何だか変)


「……先輩、どうかしたのかな……なんだか変……」


「何が? 夕夜ちゃん。はい、おまたせしました」


「ありがとうございます……あの先輩、休憩まだですか……ちょっとお話ししません?」


言い終わると、待ちきれなかった様に、夕夜はぱくりとカツサンドをかぶる。


その声に気が付いたのか、愛奈がコクコクと首を縦に振っている。


「じゃ、ちょっと」


夕夜の隣に座ると、彼女はもう二つ目のカツサンドを、口に全て押し込んでいた。


「ちょっ! 夕夜ちゃん、ちゃんと噛んでるの?」


「もんなほとにゃい……むぅむぐぐっ」


何と言っているか、いまいち汲み取れない間に、夕夜はミルクティーをこぼすほどの勢いで、詰まりかけた喉に流し込む。


「あははっ、大丈夫? 急いでいっぱい頬張るからよっ、はははっ」


ほづみは眼鏡を外して、笑いで溜まった涙の粒を目尻から払う。


「……はぁはぁはぁ……やっと笑いましたね先輩、それが本当の顔ですよ」


忘れてはだめよと、母が子を諭す様に、夕夜は立てた人差し指を振る。


「先輩はどんな事があったって、先輩ですよ」


言葉には笑顔が乗っていた。


「……本当にそう思う? 私が天住しづるで、それも私の記憶や想い出なの?」


「……それは違うと思います。私、あんまり難しく考えないのかもしれませんけど、大事なのは、ここにいるのが先輩だって事だと思います。例えば名前なんて、たいした理由じゃないんじゃないかなぁ」


夕夜は手をそっと出して、ほづみの胸へ重ねる。


「ほらっ……トクントクンって、命のリズムを打っているのは、ここにいる先輩の胸ですよ。温かいのもの、柔らかいのも……きっと私が先輩と、こうしているのも喜んでくれてると思いますよ」


「……で、でもっ」


ほづみの薄い桃色の唇に白い指が重なって遮った。


「想い出って、誰のものでもないのかもしれませんね。だって自分だけの記憶って思ってても、そこに誰かが居れば、それはその人の記憶にも残っちゃうじゃないですか。いい物か悪い物かまではわかんないですけどね。結局、それはみんなの共有財産で、それが誰のものかなんて、決められないんですよ」


だから夕夜の力で見られる物は、傍観したようなものなのかもしれないと、ほづみは思った。


「……そう、そうね」


言ってポカリと自分の頭を打つ。


「私ったら、夕夜ちゃんのお姉さんになんなくちゃいけないのに、これじゃ夕夜ちゃんの方がよっぽどお姉さんね」


言っている意味がわかったのか、夕夜は顔を赤くして俯く。


「……もうっ何を言ってるんですか、先輩はエッチなんだからぁ……」


垂れている自分のテイルをいじりながら、それに私は、本当に妹がいるからお姉さんなんですよと言う夕夜に驚く。結局、何がどうエッチなのかはわからなかった。


「うん、じゃあ私もしっかり想い出刻むことにするわ。夕夜ちゃんも回ってない所いっぱいあるんでしょ?」


「はいっ! ガンガン行っちゃいますよ。まあ一人ってトコが悲しいですけど、それはそれですしねっ」


二人で笑いを重ねて立ち上がる。


行ってきますと、手を千切れるほど振って遠ざかって行く夕夜の背中を、静かに見つめる。


真似できそうもない元気に押されながらも、感慨が胸に満たされていく。それなのに表情はまた堅さを宿した。


「私にはまだまだ花が咲きそうもないね」


「こぉら! うちの看板娘がそんな顔じゃ、来てくれる人だって戸惑うでしょ?」


手に完成品のサンドイッチを持って、長い髪を一つに結った少女が立っている。


綾は調理班として、家庭科室で作業していて、こうして完成した商品を、時々教室へ運んでくる。


「ああっ、会いたかったぁ」


ほづみは、泣き出しそうと言っても遜色ない顔で走り寄り抱きつく。


「まぁまぁ、この娘は甘えん坊さんねぇ、私がいないと寂しいの?」


 ほづみは答えなかった。


「……ほぉらっ」


綾が頬を指でつついてきた。


「どうしたの? 忙しくて疲れているの?」


首を振る。


「……うん。じゃあ、ひとついい事教えてあげる。しづるがね、嬉しそうに笑っていると、こっちも穏やかになるの。本当よ、花が咲いた様に笑う顔……魔法みたいなものかもね……すぅーっと、心に溜まった、疲れみたいなのがなくなっていくの……しづるはね、私の魔法」


言うと紅葉を散らして、綾はそそくさと教室へ入った。


行き交う人の波が作る風にさえ、そよぐほど軽いプリム風カチューシャから伸びる双子リボンが、止まったままの視界へ気まぐれに入っては消える。


(ありがとう……綾、夕夜ちゃん、皆……これで何とかなるわ。私がここに居られなくなったとしても、想い出は私のものになる。しづる、幸せだったよね? あんなにいい娘達に囲まれていたんだもの。今日行って来る……あなたの言葉通り救ってみせる!)


考える度に矛盾し、葛藤してきた想いにけりをつけた。


もう迷わないと息を呑む少女の顔は、不思議な笑みに溢れていて、どこかこの世では夢である様に、言い知れぬ儚さに包まれていた。


踊るリボンは一層影が細く、何かの終わりを告げているかのように、そよぎに揺らぎを育んでいた。




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