第20話 会食-CryForTheMoon02

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辺りは墨色なのに、ここだけは昼の様に明るい。


拳二つ分程の大きなライトがウッドデッキの上から垂れていて、水銀灯のように強い白を届けてくれているからだ。


「いやー、肉が多かったかな?」


綾の伯父は、ふんわりとしたカットの髪を恥ずかしそうに掻く。手にはまだ焼いていない肉が、トレーからはみ出している。


(……ちょっとイメージと違ったわね)


ほづみが、綾にあの自転車を贈ったという情報から描いていた像とかけ離れ、がっちりともしていないし、アウトドアを好みそうな日の焼け方もしていない。


どちらかというと、デスクワーク中心の人物に見える。


その伯父が焼いている柔らかい肉からのぼる香ばしい匂いに混じって、時々炭が弾ける音が、耳にこだまする。


夕夜はやけにがっついていて、育ちの良さがどこかに行ってしまっているようだ。


綾は伯父夫婦に囲まれて、学校で見かけるものとはまた違う種類の笑顔をうかべ、何とも言えないほど幸せに見えた。


(今の私じゃ、とてもだけど手に入らない)


肉を頬張り、ゆっくりと咀嚼する。


(……無いものねだりだっていいわ)


おいしいんだからと言う言葉も、雰囲気を一層に盛り上げてくれる匂いと、甘い肉汁と柔らかな舌触りで、どこかへ消えてしまう。


「どうしたんですか先輩? お箸が止まってますよ」


言い終わるかどうかで、夕夜は次の肉をサニーレタスに包んでかぶる。


「夕夜ちゃん食べ過ぎじゃないの? そんなに急がなくてもいいでしょ」


「だって、楽しいじゃないですか。こんなのなかったし……私、実家でもご飯って厳しいおばあちゃんとふたりで、びりびり緊張する中でしかなかったから、いい想い出ないんですもん、味なんかよくわからなかったですよぉ」


また肉を含んで夕夜は申し訳にゆっくりと噛んでる姿をみせてくる。


「……そうね、私にもそう思えるよ……よーし、私も行っちゃいますか!」


ほづみはまた自分を上手く言いくるめると、夕夜に負けじと箸を伸ばす。


焼きあがったばかりで、黄金色に脂を乗せている肉を、薄くタレに潜らせて口に運ぶ。


「あーっそれ、私が狙ってたんですよっ。一杯食べて先輩みたく、でっかくなるんだから」


それが背丈でない事ぐらいはわかったので「むぐぐ」と味わっている途中で、不意に肉を飲み込んでしまった。


匂いが移るよと、貸してくれた綾の服は、やはり胸のところがきつく思えたが、それ以上に、厚手のカットソーから香ってくる、母やしづる、夕夜のものとも違うそれが、心地よかった。


いつも近くに居るはずなのに、なかなか感じられなかった、綾のものが手の内にある。


石鹸か何かハーブ系の、微かなものに混じって、頬に優しく触れて、包んでくれるような不思議な匂いだった。


(…………)


ほづみはその香りを上手い言葉で飾りたかったが、浮かんだのは広がる青い空のカーテンの下、裸足で刈り揃えられた芝生を踏んで、走り抜けるという、いつかテレビのCMで見た、イメージだけで、言葉にはなり得なかった。


それでもと、袖口をくんくんやっていると、気付いてか綾は、口に運ぼうとしていた肉を止めたままで、こちらを向いていた。


「あっ……」


言うと同じに綾は、肩を揺らして笑い始める。


(……そりゃ面白いでしょ……)


拗ねて、ほづみはソーセージを網から上げてかぶると、相変わらず笑っている綾を見た。


(……ふんっだ)


舌でも出してやろうかと思った時、不意に煙の向こうで綾の表情が固まり、そして瞬く間に破顔する。


「いい匂いだね、走ってきて良かったよ」


背中の暗闇からした声は、女の子のように細かったが、足からライトの光に入ってくるその姿は、どこにでもいる少年のもので、濃い色のコーデュロイシャツに薄いレザーを着て、細身のチノスラックスにスニーカーを合わせている。


ほづみはその姿に、かぶっていたソーセージを足元に落としてしまう。


綾ではないが、びたりと固まってしまって動けなかった。


メドゥーサに見つめられると石になるというが、それと同じなのか危うく思考までが遠のいて行く所だった。


(ど、どうしてここに?)


ぶあっと額に汗が溢れる。


ゆっくりと近づき、目の前を通り過ぎて行く少年には、走って来たというわりに、少しの乱れも無い。


「真君、よく来てくれたね」


「はい、お言葉に甘えて……」


肉しかないけどと冗談めかして言う、綾の伯父に促されて、真はにこやかな顔の少女から、受け皿を受け取る。


「よかった……」


「ああ、ちょっと仕事が残っていてね、遅れてごめんよ」


焼きあがった肉を冷ましてから口に運び、笑顔を浮かべる。


そのさわやかな一挙手一投足が、イライラとほづみの心を波立たせる。


「なんで、なんで、なんで、なんで?」


声にならない声で口を動かし、食べる事もやめて、ただ立っている。


「なぁーんか、あっちだけ世界が違いますねぇ……」


夕夜の指摘通り、確かに彼女らに流れているものは、異様ともとれる。


友人も幼なじみも恋人も家族をも越えて、知りえない何かが、あの二人――伯父夫婦を含め四人にはあるかのようだ。


(それが手に入らないものだとして、何だって言うの?)


自分にない温かなそれが妬ましく、胸が痛んだ。


「あっ、こっち来た……」


夕夜は耳打ちしていた声を戻す。


「やあ、沖崎夕夜さん……と天住しづるさんだね」


明るく軽い口調、およそ人に不快感を与えるものがない口ぶり。ほづみにとってはそれが余計に気にかかる。


夕夜は何かを感じたのか、少し怪訝な表情になり、すぐにそれを消す。


ほづみは真と話さないように、くっと身を折って会釈すると、肉を頬張った。


(……わざとらしい。私が何か知っているくせに、いったい何がしたいのよっ)


遥かにある月と、近くにある光に照らされた顔を、薄く睨みつける。


態度に気づいたのか、真はそれ以上何かを求めるわけでなく、綾の元へ帰って行った。


「ちぇっ」


舌を小さく鳴らして、今までは控えめに動かしていた口を、むさぼる様に噛み合わせる。


「先輩……なんだかあの人、冷たいですね……」


「態度が?」


「いいえ、そうじゃないんですけど……なんだろ……見つめられるとですね、あの人の後ろに、荒れ果てて凍った枯れ木の森が見えて、すぐに吹雪でそれも隠れちゃう、みたいな……うーん」


 夕夜は、そんな感想をもらすと、また取り皿に残る肉を頬張りはじめた。


(くそっ、くそっ、くそっ、夕夜ちゃんにも、こんな思いさせてっ!)


行き場の無いものを、肉にあてつけながら、ほづみは自分と関係無い所で、楽しくまわる会食が早く終わらないかと、本気で思っていた。



「ふうぅーっもう、無理ですぅ」


夕夜は調子に乗って食べ過ぎた様で、ソファーに身体を埋めて、垂れ下がっている。


綾もその横に座って、呆れたように笑いながら、テレビを見ている。


食後の一時はとても緩やかで、ほづみはここに居ていいと安心できた。


「綾……本当に楽しいのね」


ほづみは、綾の伯母が入れてくれた紅茶のカップを持って、窓辺に立っている。手のミルクティーは、別に特別な種類でも高価な銘柄でもなく、彼女の愛する安物のティーバッグだ。


(まぁ、これしか飲んだ事ないし……)


一人、夜に誘われて庭に出ると、趣味だろう綺麗にガーデニングされて、花たちはステージで歌っているようだ。


もうバーベキューの匂いも消えて、炭だけがチカチカと残り火の赤い色を闇に浮かべていた。


「んっ? 何だろ」


さっきは気に留まらなかったが、香水のような香りが漂ってくる。


虫達の声よりも強い力で、ほづみはそれに引き寄せられた先には、腰よりも少し低い位置に白い花が咲いている。この庭にあって、これだけは別の存在のようにここにある。花の香りもミルクティーをすすると心地よくなり、フレーバーティーというのはこういう物なのかとも思った。


(……それこそ飲んだ事ないけど)


湯気で曇ったレンズがはれる間、そんな風に思う自分が妙に可笑しくて肩をすぼめた。


「……それは夜来香っていう珍種なんですよ、綺麗でしょう?」


 背後からした声に、カップから唇を剥がした。


曇らした表情をよそに、高城真はほづみに並んで白い花の房を撫でる。


「夕方、夜になると香水のような香りが強くなるんですよ」


「…………」


柔らかい物腰にも、ほづみは硬く唇を結んだままだ。


「……気に入りませんか?」


「……わざとらしいのよ。下手な演技は御免だわ」


やっと開く口からこぼれる声には、好意など微塵も含まれていない。


ほづみは湧き上がる何かを、必死に食い止めているだけだ。


「なるほどね。さすがに気付きましたか。そうでなくちゃね……しかし、僕も結局お人よしの王子って事か……」


表情を変えず、真は向き合う。


「で? どうするつもりだい、シンデレラ。今ここでやるのかい?」


「……まさか」


もう巻き込みたくない、特に綾は何も知らないのだ。彼女やその大切な場所を壊したくない。


「それにはお礼を言うよ。僕だって、綾に心配はかけたくないし、泣く顔も見たくないんでね」


恥かしい事をさらりと言う。


ほづみはこの男が、綾をどれだけ大切にしているか、すぐに読み取れたが、それ以上にむかむかした。


(その為にしづるは消されたとでも?)


考えている内に真は、振り返って家の中へ消えようとしている。


「そうそう、僕もけっこう忙しくてね。そうだ……文化祭、後夜祭の後ならお相手してあげられるよ。その時には、もう少し実りのあるお話しができるといいね」


月光を灯す真の眼には、限りない冷たさと底知れぬ優しさが同居している。


ほづみと闘うと約束したというのに、姿には焦りも戸惑いも感じられない。


窓の閉まる音がして、ほづみのまわりには、闇と虫音の静寂が満たされる。


(……ふんっ、元よりそのつもりよ。それにしても舐められたものねぇ、私はあなたが考えているほど簡単にはいかないわよ)


カップに残るミルクティーを喉に押し込んで、唇を舌先で舐め上げる。


空気が震えた様に迫る風に髪を撫でられ、顔に被さったそれを払うと、レンズに映る月を見ながら、ほづみは一人で拳を強く握りこんだ。





薄暗く感じる世界で、視界はあやふやになり、物という物がはっきりとした形であらわせない。その中で細い少女の腕が、止まるように掲げられている。


そして空気の厚みが見えるように、ゆっくりと下へと引かれていく。


「……ふにゃぁっ!」


ほづみは小さく声を上げて、胸の上を見ると手が乗っかっている。


「……ううぅん……先輩ったらぁ……だめですよぉ、こんな所でそんな所を……にゅふ……」


どんな夢を見ているかは、想像しない様にして、蒲団から飛び出ている夕夜の腕をしまい、かけ直す。


「案外、寝相が悪いのね……」


結局、綾の家に全員お泊まりに預かってしまった。その為に明日の朝は、早起きになるというのに、さっきからこの調子で、ほづみはなかなか寝つけずにいた。


(……夕夜ちゃんのせいだけにするのは、おこがましいか……)


ほづみは身をよじって、蒲団から抜け出す。


すぐ傍らのベッドには、綾も寝息をたてている。


(ふふ……かわいい寝顔)


その幸せを壊さぬように、気配を殺して部屋を出る。フローリングの廊下の突き当りには、十字の枠がはめられた窓があり、その四つのスクウェアから届く切られた月光が、床板の一枚一枚に冷たい色を乗せている。


辺りが暗いので、それはより強調されていて、ただの廊下を言い難い存在に変えていた。


(学校の渡り廊下みたいね)


他人の家で夜中に一人、こんな風景に出会う事が、なぜか悪い事をしている様で、妙に高揚する。その理由がトイレに行く事だとしても、冒険のようだ。


「ん?」


トイレの帰り、ほづみは一枚のドアの前で足を止め、揚々としていた表情をしかめる。その一階の客間には「あいつ」が寝ているのだ。


(そうよ……今、今やってしまえば全て終わるじゃない……面倒な事をする必要なんて無い……消せ……消してしまえばいいんだ)


息が急に荒くなり、顔は一層険しくなって、やがて醜い笑みを浮かべ、瞳の色も冷たく成り果てて、何かが消えかかる。


――泣き顔は見たくないんでね――


 頭に浮かんできた言葉が大声になりかけ、ほづみは口を両手で覆うと足早に階段を蹴った。


そして突き当たりの窓へとへばりつき、やっと大きく息を吸う。


「……はぁはぁはぁ……また……私はどうしたって言うの?」


自分の想いが、自分の中で別々の人格を持ってせめぎあっているように、ある時大波が訪れて、全てがさらわれそうになる。


しようとしている事とそれがバラバラで、まとめたはずの考えさえ、壊しそうになるのだ。


ほづみは項垂れて、背中越しに頭上の月を見上げる。


「……ルナティックか……」


狂気という意味を掲げ、手を広げて降る月光をすくう。光るコケのように、眼に淡い輝きをくれるそれは、やはり人の気さえどうにかしそうに思える。


ほづみはゆっくりと光から眼を背け、瞼を被せて闇を作る。


(……安心なさい私……日付はもう変わったわ。明日、明日になれば、あいつをぶっ飛ばせるのよ。焦る必要なんてないわ……ふふふ……手、足の一本ぐらいは構わないわよね……それぐらいなら……)


しばし闇の揺り篭に身を委ね、ほづみはその時を思い浮かべる。


引きつった笑顔からこぼれる「クククッ」という裏山で鳴く名も知らぬ獣のような吐息が、磨き上げられたフローリングを滑って月夜に紛れた。



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