第19話 会食-CryForTheMoon01



会食 ~クライ フォー ザ ムーン~



   1



ここの所、天気は穏やかそのもので、雨が降る気配さえ感じさせない。


「秋晴れってやつよねぇ……」


夕夜はいつものように、窓辺で柔らかなテイルを風にそよがせている。自分の背中越しの世界では、クラスメイト達が熱気に包まれているが、無理も無い。


さきほど、本番さながらのステージ練習を終えたばかりなのだ。


「ふぅ……」


それを横目で、気だるく息を吐く夕夜には、やはり出番も無ければ感動も無い。


はしゃぐ皆を遠くに、これ以上沈み込んでしまわないよう努力するだけだ。


(委員会も終わったし、私って本当に意味の無いものになっちゃったのかな)


寂しかった。


人に必要とされない事は、どんな拷問よりも苦しかった。夕夜にとって何かをしようとする時、それは他人から与えらるもので、自分から獲得するような事ではなかったから、また、自分からそれに飛び込んでいく事を最近まで知らなかった。


(あーあ、こんな事だったら、立候補までして、委員なんかやるんじゃなかったな)


初めて勇気を出して、自分から動いた事だったのに、何もかもがうまく行っていない様に思える。


「失敗……しちゃったかな……んっ?」


屋外の渡り廊下で、手を振っている人影がある。


今日はあのコスチュームを着ていないが、短いスカートをはためかせて「こっちに来て」と、手を必死にぱたぱたと呼ぶ。


「もうっ……先輩ったらエッチねぇ。見えてるってば」


呆れた風でも、夕夜は頬を紅くして、そよいでいた二つのテイルを掴むと、首をちぢ込めて、いやいやをするように振りながら小走りに教室を抜け出した。


誰かの声を聞かない様にと、雑踏をかわして、たいして早くもない足で、必死に道をたどる。


間違いだろうと何だろうと、今自分が居るべき……いや、居たいのはここではない。


「今、行きますね」


夕夜は一つ一つ階段を降るのが面倒なように、最後の三段だけを飛び越した。



「お待たせです、先輩」


肩で大きく息をしながら、夕夜はほづみの前で中腰のまま、とびきりの笑顔というやつを向けていた。


「いや……そんなにたいした事じゃないのよ?」


ほづみはその様に呆れるが、夕夜がどうしてこんな自分を、こうも慕ってくれるのか、逆に不安になるぐらいだった。


「へへへ、いいんですよ。私なんてあそこに居たって、どうせお荷物ですし、先輩といるほうが嬉しいです」


夕夜の眼の奥が少し濁ってみえた。


「……そう? ならいいんだけど……クラスで何かあるの?」


もしかしたら夕夜はクラスや、何かから浮いているのかもしれない。たまに校内で見かける彼女は、いつも今日のように空ばかり見ている。


(前に聞いた、あの娘達のせいかしら?)


ほづみの見当は多く見積もり半分だけ的を射ているかもしれないが、もう半分は、夕夜の中にしかないのだろう。


「でぇ~何ですかぁ?」


甘ったるい声で、夕夜はねだる様に聞いてくるが、ほづみにはそれがまた、悲しみでも繕う為のものなんじゃないかと思えて、苦い表情しかできなかった。


「……?」


「ああっ、何でも無いの。そうだ、夕夜ちゃん、今日はもう空いているの?」


取って付けた様だったが、夕夜は気にしていないようだ。


「はぁい、ヒマヒマですよぉ。ステージ練習もおわりましたし、本番まで用なしですよ♪」


「そう! 綾がね、家でバーベキューするから来てって言われているんだけど、夕夜ちゃんもどうかなってね」


にこやかに笑っていた顔を一層に崩して、夕夜は必死に首を縦に振り、返してくる。


「嬉しいです! 寮の食事って、おいしくないわけじゃないけど、なんだかなぁって思ってたので、誰かと一緒にわいわいできるの、いいです!」


「よかった……うふっ、ふふ……」


ほづみは手を口元にして笑う。


夕夜が首を振るのについて、頭の尻尾が生きている様に、想像のつかない動きをしているのが、たまらなかった。


昔、お祭りの露店で、珍しく父親にねだって、しづると二人して買った、変な動物の玩具にもよく似ている。


「ふふっ、あはははっ」


それを思い出すと、また余計におかしくなる。結局、ヤワなそれを二人ともすぐに壊してしまい、たいした時間、遊ぶ事ができなかった。


「もうっ先輩! 一人で笑って、プンプンですよぉっ」


「ちっ、違うのよ。夕夜ちゃんがかわいくって……」


聞いて瞬間、夕夜は顔を伏せて、テイルを一方ずつ掴むと歩き始める。


「……いったん寮に帰って、私服に着替えてきますから、校門で待っててくださいよぉ」


 その姿に弁明を加えようとしたところを、夕夜は綺麗なターンを決めて、寮へと急いで行った。




「あれっ?」


煌びやか過ぎる校門へやってきた、夕夜の第一声は疑問だった。


「ああ、綾なら一本先に帰ったわよ。何か色々用意があるんだって」


そう告げてきた放課後の綾は、嬉しそうに跳ねる度、長い髪が笹の葉擦れのように、涼やかに風をさらっていた。しづるの日記にも無かったので、今日はしづるとして友人として、綾の家に招かれるのは初めてだ。


(それが嬉しいの?)


河辺を歩くだけで、そこから吹き上げてくる風の冷たさがよくわかる。


心情との対比のようで、夕風がくすぐったい。


秋という季節は、所々色付く山の木々と同じく、それを深めているのだろう。並んで歩く夕夜も、さらりとした素材の丈が長いコートを羽織っている。


元々育ちもいいのだろうが、彼女の選ぶ服は、ほづみから見るとどことなく高尚なものだった。


「どうしたんですか? じろじりみちゃってぇ、先輩は♪」


「あはは……夕夜ちゃん、センスいいの着ているから」


「別にどうって事ないですよ。昔から親に連れて行かれてたお店で選んでもらっただけですし。私のセンスっていうよりは、そのお店の人の、ですね。そんなのより、私は先輩の私服姿とかの方が気になりますよ」


悪戯っぽいというか、夕夜はこの手の表情がぴったりくる。


妹といっても、しづるは自分と同じで、本当に年下の存在があれば、こんな風に甘えてばかりいるのだろうかと考えると、心の奥がくすぐったくなってくるのだ。


「それこそ……ね。どっちかって言うと普通よりダサイかもよ?」


「そんな事ありませんっ!」


なぜか断言的に返した夕夜の顔は紅潮していて、拗ねた様に唇の下に力がこもっている。


「ふにゃぁっ!」


「基本がいい人は何着ても似合うんですっ、ジャージだろうが、にゃんこプリントのパンツだろうが!」


ほづみの豊かな胸を掴んだまま、夕夜は悔しく宣言する。


「そ、そんな事……」


「あるんですっ! 現にあのコスチュームだって似合い過ぎです。知りませんよぉ、一般公開なんだから、男の子とかにもじろじろ見られちゃうんだから、それで、色々……」


ヒヒヒという笑いを潜めて、夕夜は肩を揺らしながら歩き出した。


ほづみはその事に今更気付き固まり、立像と化した髪を吹き抜けて行く風が包み、撫でては消える。


「ど、どうしよ……」


たいして人目は気にしていなかったが「そうだ」と言われては、意識せずにいられなくなってしまいそうだ。


「あ……あっ、あーっ!」


小さく叫んで駆け出す。


クラスメイトや愛奈が言っていた事がやっとほづみにも理解できた。


空にはとうに、紙の様に薄っぺらい月が顔を覗けている。望月と呼ばれるには幾分、歳が足りないそれは、弱々しくも透明な光で二人の少女が行く道を照らしていた。



電車に揺られていた時間それ自体は、長くも短くもないもので、多分ほのかな眠りを誘うのに、ちょうどいい距離だったのだろう。


現に夕夜は、ほづみの肩に力の抜けた顔を寄せて、電車の揺れにあらがう事無く、身体を揺らしている。


(……気持ちいいもんね)


静かな車内はそれだけで揺り篭の様で、レールの継ぎ目を越える度にする音さえも、一つのアクセントに過ぎない。


何かに疲れたのか、夕夜は電車に乗ると二分もしない内に、今のようになっていた。頼りなく響く寝息は、何かのメロディにも似て、ほづみに安堵を届けていた。


(……私はこの娘も守りたい)


それはしづるの為だけではなく、自分自身失いたくないのだ。


腰から緩やかにふくらんだデザインのトレンチコート越しでも、薄い身体がわかる。強く抱きしめれば、ガラスの風鈴の様に砕けてしまうかもしれない。


(これが私の傲慢だとしても構わない……私はきっと、人の何倍も欲張りなんだから)


ほづみは安らかな寝顔を眺め、強く唇を噛んだ。


電車のスピードが緩やかになったので、ほづみは幸せそうに、こくりこくりと頷いている眠り姫を横目で見て、肩を揺すった。


「ほら夕夜ちゃん、もう着くよ」


「はへ? 何か早いですねぇ……」


語尾がはっきりしていないし、眼も同じで、そんなだから電車を下りても、ホームの階段を踏み外しそうになっていた。


ほづみはふらふらして、危なっかしいやじろべえの様な夕夜に溜息をつく。


「おぉい、こっちよ!」


駅舎を出ると、暗がりから知った声がしたので、さすがの夕夜も普通に反応する。


街灯の下でやっと姿を結ぶ綾は、自転車のリムが回転する軽い音を連れて、こちらに歩いてきた。


「いらっしゃい」


と、挨拶する綾を置いて、ほづみの眼はその乗り物に吸いついていた。


「何か高そうで、いいやつね。それ?」


「ちょっ、ちょっと夜の挨拶にしては酷いわよ?」


まあいいんだけど、という風に綾は手を振っておいて、時間がないように歩き始めてしまった。


「綾先輩、何かここって……静かですよね」


「まあね、はっきり言って、ド田舎ってやつだから。というわけで、家までは三キロぐらいあるからしっかり歩いてね」


横でげんなりとする夕夜を置いて、ほづみは綾を見ると、何もない草だけが茂る道なのに、その一歩一歩が喜びであるように、頬を綻ばせている。


「ねぇ、どうして今日なの?」


「ううん、別に理由なんて無いんじゃないかな? 伯父さんこういう事が大好きだから」


伯父さん――その単語がこの会話の中では一番気に掛かった。よく考えてみたら、綾の家庭の事など、何一つ知らない。


だが、ほづみはその事を聞いていいか迷っていた。もしかしたらあまり触れて欲しくない事なのかもと、自問していたら、道の小突起につまずいてしまった。


「あははっ、しづる先輩、何してるんですか……そっか、綾先輩は伯父さんの家に下宿ですかぁ」


天衣無縫というか、夕夜は靴紐が解けていますよと忠告するぐらいのトーンで綾に禁忌としたことを訪ねてしまった。


「そうそう。夕夜ちゃんや真みたいに寮に入るほど、お金無いのよ」


緩く意地の悪い顔をして綾は見返す。


「そんな事……って言うか、真って誰ですか?」


その切り返しに、綾は堪らず「うっ」と息を呑み、表情を一変させた。


「ああっ! 生徒会長だぁ。そういえば委員会の時、いつもぼぉーっとしてますよね。ふぅーん、へぇーそうなのかぁ、そういう関係なんですねぇ、いやらしいなぁ」


ニタニタしながら、夕夜は綾の肩をつついている。


されている本人も、言い返す言葉が無いらしく、もぞもぞとしているだけだった。


「そんな事無いんだから。それを言うならしづるよ、しづる! 文化祭であんなコス着るんだから」


「へっ?」


急に話しをふられる程度でよかったと思った。


(……どんな風にフォローしようかなんて考えていた私は、浅ましいんだ)


それは綾が弱いだとか、それを傷に思っていると決め付け、そこには当然触れて欲しくないと考えていた。


(私はそうなる事を望んでいた? 私はそこで何か言って、場を取り繕うのが、私の役割だと思っていたんだ)


楽しく足は皆と一緒に歩き続けているが、ほづみはその内で、自分というものを酷く恥じていた。


誰かを守ろう、誰かを守っている、そんな物は全て嘘っぱちで、自分が本当に置かれている立場を隠しているだけだった。


(……そうよ。私は誰よりも守られているんだ)


それ以上は考えたくなかった。


考えを続ける程に、自分というものが薄氷で作ったクリスタルの様に、この地上では脆いものだという確信が忍んで来る。


実際、その系譜は生活の至る所に散らばっていて、苦しくなる……今進んでいる一歩さえ、それを拾い集める行為かもしれないと思うと、ぞっとしたものが込み上げてくる。


薄く雲のかかる月を見上げると、星たちも輝きを共にする様に、一枚の絵画かと思う程の姿を夜空に映していた。


「…………」


人工光が少ないという、単純な理由だけではないのかもしれない。自分の家から見たそれとは、どこか違う様に思える。空なんてどこから見たとしても、たった一つしかないというのに。


「アニメもあながち間違ってないって事なのね」


ほづみは唇をむにりとやって、遅れていた二つの肩口に並び、また暗い道へ進んだ。




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