第15話 文化祭-beforeFestival01

文化祭 ~ビフォア フェスティバル~



   1


教師の声、ホワイトボードに板書する頼りない音、それらだけの独壇場であるはずなのに、どこか空気に落ち着きが無い。


今日の授業は五限目で終わる。皆そのことにそわそわしているし、それには教師も気付いているので、諦めてボードで動く手を止めて生徒たちに向いた。


「……そうね、切りもいいし、今日はここまでにしておきましょうか……いいわよ天住さん」


「は、はい。起立、礼……」


がたがたと机やイスを鳴らす音が終わると同時に、わぁっと声が溢れ出す。終了時間十分前、この日の授業は全て終わった。


すでに文化祭までは一週間を切っており、ここからは、様々な事が時間との闘いになるのだ。


「…………」


ほづみは皆が慌てふためいている中に、窓辺でぼんやりと外を眺めていた。


(ガチャガチャとうるさい……でもこういうのはいいんだよね)


何も考えていないような眼には、中庭を慌しく動き回る生徒たちが映り、耳にも優しい風に紛れて、フォークギターの緩やかな旋律が届きはじめ前髪を揺らして行く。


「この雰囲気だけは好きなのよね……」


中学生の時、しづると二人して主役を演じた演劇を思い出す。あの時も楽しい事だけではなかったが、それなりに想い出として記憶に残っている事も多かった。


「……二人のお姫様ねぇ……」


元あったお話は、とてつもなく恐ろしいものだったが、それを担任教師がかわいらしくアレンジしたものを皆で演じた。


(……けど、片一方のお姫様になちゃったわね……)


原作のように、自分が自分であるためにもうひとりを殺してしまったわけではない。ほづみはしづるになりたいと、願ったわけでもない。


(……そうよ、私が殺したのは……)


そこまで思って、ぶんぶんと頭を振り、考えを消し飛ばした。


「こぉら、しづる。またボーっとして……」


「はへっ?」


そんなほづみに綾は呆れているようだ。


「もう、はへっ? じゃないの。皆、忙しくしているんだからしっかりして……何だかしづる、ぼんやり多いよ。まぁ、そういしづるも悪くないとは思うけど」


ほづみはそう言われて「うっ」と息を呑んだ。綾がそう思うのも仕方がない。


ほづみはあの日以来、具体的には手がかりも無く、何も起きやしないし、ただ普通に生活しているだけなのがもどかしいのだ。


(本当……もう衣替えまでしているのに)


フロントが比翼仕立てのダブルジッパーになっている制服の上着は、丈が腰までしかない。いわゆるフワフワした感じの物では無く、ぴったりと身体に吸い付いているようなデザインだった。袖を通したのは初めてだったが、胸や脇の辺りが立体的に裁断されていたり、ストレッチ素材を使うなど、動きを妨げない努力がしてあって、いたく気に入ってしまった。


(一つを除いて……ね)


フロントのジッパーが襟元まできちんと閉まらないのだ。いくら立体裁断でも、もともとのサイズが違うものは、どうしようもない。


それを思って唸っていると、また綾が呆れた眼をする。


「ほらっ、言ったそばから……」


腰に手を当ててそう話す綾は、世に言うお母さんというイメージだった。


「まあまあ、いいじゃん」


クラスメイトが二人の話に入ってくる。


「そうそう、天住さんはそういうところがいいんだから」


「だね、前はさ、こうミステリアスでちょっと近寄り難しってのがあったけど、今は違うよね。どっちかって言うと天然系?」


そんな意見に、ほづみは顔を上げる。


「……そうかな?」


恐る恐る声を出して聞くと、無言ではあったが綾も皆もそうだ、と言っているように笑っている。


(……こんな事が嬉しいって言うのかな)


それがしづるとしてあった事でも、これだけは素直に受け取ることにした。


「……はいはい、それはそれとして、天住さんの衣装、出来たわよ!」


自分を囲んでいた数人の輪をかき分けて小柄な少女が入ってくる。


「マジ、マジ? 見せて」


少女は言われるまま、後ろ手に持っていた服を差し出す。


「うあっ、かわいい……」


口々にそういう類の賞賛をして、皆しげしげとそれを眺める。当のほづみも「うん、なんか、かわいいね」と口走っていた。そういえばクラスの出し物が、サンドイッチスタンドに決まってから、すぐにこの少女、笹峰愛奈に身体の採寸をされた。


「そっか、これだったんだ……でも皆は制服にエプロンでしょ、どうして私だけ?」


ほづみのどこか抜けた言葉に、一同はまた呆れる。


「……着ればわかるから、こっち来て!」


「うあっと」


愛奈に手を引かれてほづみは更衣室に連れられる。どうやら彼女に今、発言権は無いらしい。



十分後。


「うわっ、ちょ、ちょっとヤバイよ……」


「……か、かわいスギ……」


クラスメイトの反応は一様でそれを聞くと、まるで当然だという風に、愛奈は小さな身体でポーズをとって見せている。


その様、そして自分の姿を見て、ほづみは息をつく。確かにかわいらしい衣装であることに間違いはないのだが、膝よりかなり上で揺れるフレアスカートの裾、ゆったりとたっぷりした袖、対照的に絞られてこれでもかと胸を強調した身ごろ……特にその中の一つがほづみの第一印象で持った、素直な感想を濁しているのだ。


「本当……すごくかわいいよ、しづる……」


と、いつもならたしなめる側にまわる綾でさえ、ぽーっとしてそんな事を言う。


「ははは……ありがと、でもこれは……」


ほづみは唇をむにりと突き出しながら、黒いシャツに包まれた胸に手を当てる。


「何言うの! そこがオシなんじゃないっ」


愛奈は、ほづみを静止して続ける。


「……人達がこう、慎ましやかものでがんばっているのに、そこをアピールしないでどうするのよ!」


するすると自分の胸をさすりながら、熱弁をふるう。


「……は、はい」


うなだれながらも、そこを突かれるとほづみも反論しにくいのだ。


「そうそ、あるものは使わなきゃね。それにしづるがそんなコス着てくれたら、お客なんて呼ばなくても来るわよ……正直、私たちじゃ、着たくても……無理だし」


他のクラスメイトも、そんな言葉に先導されてか、首肯の合唱をする。ほづみはもはや何を言っても無駄そうなので諦めることにした。


「あっそうだ、まだこれで完成じゃないのよね。天住さん、しゃがんで……」


言うようにほづみは姫君に忠誠を誓う騎士よろしく、小さな背をした少女の前にひざまずく。


「はい、これで完成!」


立ち上がると、その風でひらひらとほづみの眼前を長いリボンの端が横切る。


「おおっ」


一同が喝采する。風にそよぐリボンの根元にはバウムクウヘンのように何層も積み重ねられたレースのプリム風カチューシャがあった。


「どう? これ、かわいいでしょ?」


「うん……」


ほづみは頬を少し染めて、自分が動作する度、それにあわせて踊るリボンの双子姉妹が気に入った。


(優しさ……か。私はこういうのが欲しかったのか……)


今し方、更衣室で思った事は、間違いじゃない。ほづみはこの娘とも友達になれそうな気がしていた。もしかしたら自分がしづるではなかったとしても……。




「……ごめんね、この前は……」


突然そう言われたのは、連れてこられた更衣室で、ちょうどスカートのホックに手をかけた時だった。


ほづみはそれをすとんと、カーペットの床に抜いてから向き直る。


「この前って……何だっけ?」


自分が作った服を持って立つ愛奈は、ほづみから眼をそらし俯く。ほづみにしてみれば彼女の謝るという行為が、すでによくわかっていない。


「……その、夏休み明けて……始業式の日にさ……あの……お姉さんの……こと……」


上手く口を動かさずに言う言葉を拾って、ほづみはやっと理解する。


「ああ、あれ? アハハハ……すっかり忘れてた」


事実だった。


確かに女子校があんなに疲れるものだとは、知る由も無かったが。


「……まあ、住めば都って言うし……」


「?」


ほづみの的外れな答えに、愛奈は小首をかしげる。その仕草にほづみは、自分が意味の違う事を口走った事に気付いて「アハハ」と、いつもより大袈裟に笑って収めた。


「ずっと謝りたかったんだ……その、お姉さんの事、私たち茶化すみたいにしちゃって……きっと私達は身近に死っていうものが無くて、実感がわかなかったんだと思うの……」


ほづみはシャツを脱いでロッカーへ入れると着るべき物をと、手を差し出したが、愛奈はまだ俯いたままだった。


そのせいで、愛奈の表情が汲み取れないばかりか、すりガラスから差してくる紅い西日が、ロッカーだらけの単調な世界を赤と黒とに強調させて、何とも言えない空気を作っていた。


「……そんな事ないと思うよ……」


ほづみは一歩踏み出して、震える小さな肩に手を置く。


「死ぬって言うのはさ、すごく近い所にあるんじゃないかな。ほら、人間はいつか死ぬってよく言うでしょ? 明日の我が身はってね……今日の帰り、交通事故に遭うかもしれない、寮までの帰り道、竜巻で飛んできた瓦に頭を割られちゃうかもしれない……」


言葉に愛奈は顔を起こす。


死のイメージは、とても想像し難いもので、一応にある恐怖という感情さえ当てはまらない場合が多い。


「交通事故も不幸な飛来物も、割と低確率。だからわざと知らない振りをして避ける。私だってあんな事が無かったら、ずっと遠いところからその時が来るまで、見てただけだよ。もしくは自分の持っている死と、現実にあった死を比べて、確かめていたかもね」


そう言ってしまえば聞こえは悪く、ただ後学のために、利用しているみたいでしかないと、ほづみは思っていた。だが、


「それは悪い事じゃないと思うんだ。問題はさ、その先を考える事だと思うよ。例えば笹峰さんみたいにね」


言ってパチリと右眼を閉じて見せる。


「……ありがとう……優しいね」


愛奈の礼に「ふぅ」と小さく笑って返した。


(死……生まれるという事は死ぬという事。それだけはきっと誰にも平等に近づいてくる。ただ、時間やタイミングまではそれに含まれていない)


随分と綺麗事を並べたものだと、ほづみは恥じた。何時も近くにあるはずの死から――引き金は紅く熱い液体をこの手ですくった時――自分はここにいる。


差し込む光を掲げた手に集めると、その色は血とはまた違う「あかいろ」をしていた。


「……ふん……矛盾だらけ」


ほづみの言葉がよくわからなかった愛奈は、すぐ近くにあるその顔を見上げる。


「何でもないよ……それよりさ、服をね」


自分が下着だけで、立っているのに気付いてしまう。状況を知らない人間に見られたら、あらぬ想像をされても、言い訳はできない。


更衣室の中は薄暗いくせに、妙な温かさで、それに外の世界とどこか違っていて、音が切り離されている特有の感覚をもたらす。それを思うと、いつまでもこんな姿でいる自分が滑稽になってしまうのだ。


「そうね……はい」


ハンガーに掛かっている、真新しい服を受け取る。


「すごいね。これ笹峰さんがひとりで作ったんでしょ?」


しげしげと見て思う。素材の選び方もいいし、縫製もしっかりとしていて、街のショップで売っているものと、まるで変わらない気がする。


「……まあね……趣味だから」


「へぇ、洋裁かぁ。かっこいいね」


自分も下手ではないが、ここまでのものは作れそうもない。ましてしづるならば、無理をしたらそう見える、雑巾が関の山である。


「……そんな高尚なものでもないかも……」


愛奈は指で鼻先を撫でると俯き、そして誰に言うでもなくつぶやいた。


「…………コスプレだから……」


ほづみはぴたりと動きを止めるが、すぐに動き出す。少し考えれば、たいしたことじゃないと思えるし、自分がやっている事と比べれば、よほど健康的だった。


「やっぱ、かっこいいよ……ねぇねぇ、じゃあさ、アニメとかも見るの?」


「うん!」


「私もさ、好きなやつあるんだっ!」


そんな他愛ない話をしながら、やっと服に袖を通す。着るとどこも突っ張らないし、とても着心地がよく、まるで包んでくれているような感覚を憶える。


(……いい服。これを私のためだけに作ってくれたなんて)


安っぽい感情でも、そんな事でほづみは涙が出そうになった。


クラスメイトは優しい、愛奈もたっぷりと愛をもっている。本当に羨ましく思った。しづるは毎日、こんな中で暮らしていたのだ。


(……私はどうだったの……)


思ったが、それ以上考える事は止めておいた方がいい。もし、もしも自分がしづるの死を間違った受け止め方をしてしまったら……。


(私はここにいてはいけない。世界を愛すると言ったあの娘の敵だ)


背中の首筋にあるボタンを留めながら、ほづみは姿鏡を眺めると、黒いシャツは自分の心かとも思えた。夕陽の赤を受けてなお黒いそれ、そんなものが自分の中に未だある。


それは月を見ても、湯船に浮かんでも消える事はない。


(……そう、それは私。しづるの中にある唯一のほづみ……)


スカートのホックを留めて、もう一度鏡を見る。


「そうそう、下着とニーソックスはまんまでいいからね、黒でも白でも。天住さんセンスいいから」


別にセンスで着ているんじゃないんだけどなと、考えながら軽く回ると、回転に合わせ広がる髪とスカートは、動きを止めれば慣性で巻かれ、不思議な形を作る。


やがて重力に引かれて形を戻すと、ほづみはありきたりのポーズをつける。


「うふふふ」


それを見て、少し機嫌を良くしたほづみは鼻を鳴らす。


完全にしづるになれない事は、どこかでわかっていたのかもしれない。どんなに決意しても、あの感情が出て行かないのは、そういう事だったのだ。


「……それでもいいや……」


すぐ傍にいる愛奈にさえ届かぬ声は、口というより意識から漏れ出したものかもしれない。


「その服もあなたに着てもらって、嬉しそうだよ」


「そうかな?」


もう一度身体をひねり、回って見せる。狭く区切られた世界には、あやふやな夕陽が差して、黒や袖口などポイントポイントに配してある白に新しい色を乗せている。


ただ回っているだけなのに、それは生命の匂いのするステップだった。


(ごめんね、しづる……でも楽しいって、良かったって思ってもいいよね……)


少し乱れた髪もそのままで、鏡に顔を寄せる。


そこに居るのは自分でない自分、それでもいいよと、誰かが鏡の中で言ってくれたような気がした。


ほづみはそう思いたかった。



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