第10話 接触-contact04
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エントランスに着くと、もう夕夜が待っていた。エントランスといっても要するにげた箱が集まっているだけの場所なのだが、この学校のどこもがそうであるように、無駄に豪華なのだ。
「あーっ先輩。遅いですよっ」
ほづみを見つけて、夕夜がいやいやをするように左右へ頭を振ると、それに連れて長いフワフワしたツインテイルが、ぴしぴしと音を立ててまわる。ほぐれたそれは安っぽい蛍光灯の明かりにでも、高尚な輝きを産み出す。よほど上手く手入れをしているのだろうが、ミルクティー色の髪は光をよく灯す。
「夕夜ちゃん、髪、綺麗だね……」
心の底からそう言うと、夕夜はぼうっと赤くなって下を向いてしまう。
「も、もう。そんなお世辞言ったってダメですからね……」
声を震わせて言うと、両手で自分の結わいた尻尾を一つずつ掴み、夕夜は歩き出してしまった。
「あっちょっ……夕夜ちゃん!」
ほづみは慌てて履物を変えると、その後を追った。
陽の落ちかけた土の道は、残暑の厳しい昼間からは想像も出来ないほど冷たい。ほづみはそれを自分の履くハイテクスニーカーの硬いソール越しにも感じられて、驚いていた。
「すいませんね、先輩……」
「えっ別にいいわよ……」
園芸部の花畑が続く校舎裏の道。匂いなどほとんどない秋桜でも、見渡す限りのその中に入ってしまえば、身体さえ隠されてしまい、どこからか甘い香りがほづみの鼻先をくすぐっていた。
やわらかい風が吹くたびにこうべを揺らす色とりどりの花房は、ほづみに暗示をかけるように緩やかな動きを続けている。
(これだけあると、綺麗っていうより、気味が悪いわね……)
畑と畑の間にある細いあぜ道を、夕夜は後ろに手を組んだまま、ほづみを先行してひょこひょこと歩いている。
「……いい所ね、ねぇ夕夜ちゃん? 寮に帰るんだったら生徒会棟裏って遠回りじゃないの?」
何の気なしに聞いていた。あるいは本当に秋桜の暗示にでも、かかってしまっていたのかもしれない。ほづみは何も考えていなかった。きっとケラケラ笑いながら、夕夜が話をふってくると思っていたからだ。
“先輩っ”
と、甘ったるい声で……。
しかし、それはほづみの子ども染みた妄想でしかなかった。
その言葉で全てが止まった。風も音も時さえも……。
「…………」
夕夜は大きく眼を見開いて、ほづみを真っ直ぐに振り返り、止まっていた。
「夕……夜ちゃん?」
恐る恐る開いた口にも、夕夜は何か言いたげに、薄い唇の端を震わせているだけだった。
近づくと、一歩ゆらりと後ずさる。
「どうしたの?」
もう一歩ほづみが近づこうとした時、ゆっくりと夕夜の腕が上がり、指と視線が刺した。眼は驚きよりも恐怖の色が濃い事が、度の合っていない眼鏡越しにもわかった。
「……あ、あなた誰ですかっ!」
夕夜の声は、残り少ない歯磨き粉を無理矢理絞り出したものより悲痛だ。
「どうしたの夕夜ちゃん? いきなり」
状況が飲み込めず、ほづみは慌てる。
「この場所を……私としづる先輩が始めてあったここを、そんな風に言うなんて……」
夕夜はもうガタガタと震えて、両手を顔にはわせながら、やっと喋っているようだ。
「おかしいとは思っていたんです……でも違うと思ってた……先輩だから、どんな事も信じたいと思った……けど、何となく違うところもあるし……ム、ムネだって、一ヶ月やそこらで、そこまで大きくなるわけないでしょ!」
(くっ……しまった……)
日記にも書かれていない事が、二人の間にあったなんて思いもよらなかった。
「ハハッ……胸ぐらい急に大きくなることあるわよ」
ごまかしようなら、いくらでもありそうなのに、口から出たのはそんな事で、実際自分がそうだったのだから、間違いはない。しかし、今こんな事を言っても夕夜に通じるわけがないのだ。外見に幼さを残す少女は一番の核心に足を踏み入れている。
「先輩は……私の好きなしづる先輩はどこなの……どこへやったの! あなたは……あなたは誰なの!」
夕夜は頬を伝う涙を、空中に散り飛ばしながら、ほづみに強く突きつけてくる。
「あ……う……」
また吹き始めた風が、ほづみの髪を揺らす。
額にはねっとりとした汗が、吹き出していた。何か口に出したとしても、急に渇いた喉からは、言葉として機能しないただの音が漏れていくだけだ。
夕夜はぽたぽたと、丸みを帯びた柔らかなラインの顎から、涙を足先に落としながら、ほづみの答えをじっと待っている。
風がやみ、秋桜の細い葉が作るざわめきも遠くへ流されて、静寂が辺りを包み始めた。
「……アハッははははっ! あえて言うなら、安メッキの模造品ってところかしらねっ!」
止まりかけた世界を、聞き覚えのない少女の罵声が引き裂いた。
つるんとした黒髪を風で宙にはわせながら、少女は背の高い秋桜の中からほづみの背後へ姿を現した。
「!」
ほづみも夕夜も、自分たちの間に割って入った少女に驚く。
「……誰なの? それにメッキって……?」
夕夜は眼を踊らせながら、その少女に問い返す。
「うふふふ……言った通りの意味よ」
耳元で囁くように、声が頭の奥に響いてくる。ほづみの後ろにあったその身は、いつのまにか自分の真後ろへ来ていた。
「まあ、それをあなたが知る必要はないわ……」
少女は手をすっと夕夜の頭の後ろで、数字の一を書くようになぞったように見えた。
「えっ……何っ……」
チッという小さな音がしたかと思うと、夕夜は全身から力が抜けて操り人形の糸を切ったように、そのまま膝は折れて、秋桜の中へ身を倒した。
「夕夜ちゃん!」
ほづみが駆け寄ろうとするのを、少女は手で静止する。
「安心しなさい。ちょっと眠ってもらっただけよ……」
声はあざ笑いバカにしているようにも聞こえ、長い前髪で隠された表情は、暗がりを作りよくわからない。
「あなたっ、何なの!」
「ふふ……何とはご挨拶よねぇ……もう何度か会っているし、体育の時だけとはいえ、一応クラスメイトよ?」
少女はその顔が見えるように、少し前髪をはらう。
「……あなた、端ヶ谷さん、端ヶ谷佳梨さん?」
だが、ほづみには、その佳梨が今ここにいて、なぜ自分をメッキと罵るのか、まして夕夜に何をしたのかが、頭の中でどうしても繋がらなかった。
「ああ、そうね。あなたには、こっちのほうがいいかしら?」
言うと佳梨はスカートのポケットから銀の大きなバレッタと、ピンクのプラスチック製のピンを二つ取り出した。
腰辺りまである長い髪をつまむと、器用に丸めて頭の上方で留める。長く垂れた前髪もピンで両サイドにまとめる。
「……くっ! その顔……あなただったのね!」
ほづみの記憶が風景を眼前に生み出す。
出来あがった佳梨の顔は、あの時の少女だった。
冷たすぎる眼をして、唇だけでほづみを笑った、探し求めていた少女だった。
「知っていたのね、私が私でないことを……」
「ええ、楽しかったわ。無様に立ちまわるあなたを見て……とてもね」
佳梨は氷の笑みを灯して、笑っている。
「やめなさいっ。それを見ると虫唾が走るのよっ」
ほづみは心の中から湧き上がる感情をそのまま言葉にする。
「あらあら、しづるさんはそんな汚い言葉は使わなかったわよ……この娘も眠ってもらって正解だったわ」
佳梨はやれやれと、長い人差し指を頬にあてて続ける。
「可能性っていうのは、人ならば何らかの形で誰しもの中にある……一生のウチにいつ開花するかはわからないけどね」
秋桜の中で、手足を縮めて眠る夕夜を、佳梨は見ている。視線を追うと、眠る夕夜は、その唇からスースーと微かな吐息を漏らし、糸車に指を刺された寓話の姫のように、安らかな悪夢でも見ているのかもしれない。
「当然、この娘の中にもあるものよね……だったら」
「だったらどうなのよっ」
ほづみはゆっくりと、どうでもいいような事を続ける口調にイライラして佳梨を睨みつける。
「その覚醒の妨げになりうるものは、取り除かなくちゃ……この娘は私たちに賛同してくれるかもしれないしね。あなたは結局、どこまで行っても、誰になっても邪魔なのよっ」
じりじりと足先にある砂を鳴らして、佳梨は見据えてくると、右手をゆっくりと後ろにして動きを止める。
(ちっ、あの手つき……何か用意しているわね……)
全身を緊張が走る。それは幾度となく経験してきた、立ち合いと同じ感覚を連れてくる。
(すぅはぁ、すぅはぁ……)
それを越えてほづみは、意識して呼吸を整えると、全身から余分な力を抜き、だらりとする。
そうしておいて、ゆっくりと足を開き左手を顔の前に、右手を腰に据える。耳には静かな風の音が入り込み、何も乱すことなくまた季節の音と同化していく。千を超える秋桜のざわめきもどこか遠くに聞こえる。
「アハハッ……少しは楽しませてくれるのかしら? 今日はこっちだけで正解だったわ!」
佳梨が後ろ手にしていた右手を振り抜く。冷たい金属音とともに、銀色の護身用に使われる、折り畳みスティックが伸び上がり、手に姿を現した。
いつの間にか、暮れた空に姿を出した月の光を映し出して掲げられたそれは、きらきらと輝く冷気を多分に纏った氷の刃だ。
「格闘能力のあまりなかったしづるさんは、歯ごたえなかったからねぇ……あら、それとも妹さんと同じものがよかったのかしら? ここならどんなに血で汚したっていいものねぇ」
佳梨はニタニタしながら、手に触る白い花を千切って暗い空気の中へ捨てる。
バラバラと漂いながら泳ぐ白い花の小舟は、月明かりのハイライトを乗せる。
一枚、また一枚とその姿はどこかへ消え、最後の一艘が、ほづみの視界から消えてしまう前に、佳梨が一歩目を踏んできた。
鋭い風切音とともに、白い花びらが砕ける。
「ちぃ!」
舌を鳴らして、ほづみはぎりぎりの所でかわした、つもりだった。
だが、かけていた眼鏡のつるを巻き込み、佳梨の一撃はこめかみをかすめていた。
飛ばされた眼鏡が、スローモーションで舞い、月光を反射する。
地面に落ちた音がしない。秋桜の葉にでも拾われたらしい。
(ちっ、私にしたら高いのよ……あれ……)
そうしている間に、眼のすぐ脇を赤く熱いものが通り過ぎて行った。
(あながち、嬉しそうなのは、嘘じゃないみたいね……闘いを楽しめるレベルか……)
額を伝う血の路をそのままに、ほづみは一歩引いて間合いをあけた。
「よくかわしたわね……と言いたいところだけど、こうでなくっちゃね。しづるさんみたく、何もなく刺されちゃうのは、つまんないのよ。私の大切な場所を奪おうとしておいてねぇ」
佳梨はバトンでもまわすよう、しなやかにスティックを操って見せる。自分の言った事などまるで気に留めず、教室でクラスメイトとだべっているのと、何ら変わらない口振りだった。
「………………」
「んん? 何とか言ったらどうなの。これでおしまいですなんて、言わせはしないわよ」
「…………ハハッハハハッ!」
ほづみはいきなり笑って返した。
「何っ! 何がおかしいのっ」
突然の奇行にさすがの佳梨も驚く。
だが、ふっと顔を上げたほづみに、佳梨は驚く事さえやめてしまった。
そこにはどんな正義を持ち込んでも一瞬で燃やし尽くされてしまう業火が渦巻いている。おそろしく綺麗で、何者より醜い笑顔は、佳梨を絵画に止めた。
「ハハハッ……正直、確信ってのがなかったのよ。あなたとこうして向き合っていても……」
「どういう意味よ?」
ほづみは身体を戦闘状態へかまえながら続ける。
「あの娘を殺したのが誰かってね……でも、ありがとう。勝手にぺらぺら喋ってくれて……おかげで、疑心が確信になったわ……アハッ! ハハハッ!」
ほづみは嬉しくてたまらなかった。こらえてもこらえても、胸の奥から笑いが込み上げてくる。
「黙りなさいっ!」
佳梨もスティックをかまえ直した。
「あんたなんて、魔法使いの力がなかったらステージにも上がれない灰かぶりなのよっ! 身の程をわきまえなさいっ!」
佳梨は靴先の土を蹴り上げて強く踏み込み、間合いを詰めてくる。見るからに長い腕とスティックの合わせ技、佳梨はほづみのリーチ外のところから仕掛けてこられる。
佳梨は腰にスティックをかまえると、腕のしなりを加え、躊躇なく顎へと下から上へ振り上げてきた。
(そう、何度もっ)
ほづみは身を開くことなく、冷静に眼下から迫るスティックを見据えてかわす。
「ハンッ!」
それはわかっていた事のように、佳梨は身体の動きから生じた上への慣性に従い、地面から足を離すと、そのまま宙返りして、身体に新たな回転の力を加えて、今度は上から下へスティックを振り込んできた。
狙いはどこだと、ほずみは自身をイメージする。
「頂きよっ!」
一撃必殺、頭頂部への攻撃などもっとも警戒するべきもので、佳梨のスティックが狙うのが、そんな安直な場所ではないと、ほづみは見極めた。
佳梨の狙いは、常に皮下でもっとも見えやすい、鎖骨だ。
「何っ!」
完璧にヒットしたはずなのに、佳梨のスティックは秋桜の花を刈り取っていた。
ほづみはやってくる力の方向とポイントを見極め、腕先でひょいとずらしたのだ。
「あなたっ何をしたの! これがあなたの可能性なの!」
「いいえ、これはシードじゃない……私自身の積み上げてきた経験と鍛錬よ。私のシードはまだ使うべき時ではないのよ……」
「どういう意味!」
「あなたはそれが限界かもしれないけど、私はまだまだってことよ。それにその意味を知った時、あなたはどうなっているのかしらね」
ほづみが指摘した限界と、まだその力を隠しているという宣言に、佳梨は憎悪を眉間に集めて見返してくる。
「言ってなさい!」
佳梨は向き直り、呼吸を置くことなく、もう脅しのような大振りはないと、的確に手を出してきた。
攻撃は単発のものから、コンビネーションに切りかえられ、上段へのものは誰でもかわせるようなフェイント主体にし、本撃を執拗に中段へ集めてくる。
上段から中段、中段への連撃、下段から上段へふり、さらに中段へ折る。
佳梨からのラッシュを、ほづみは華麗にさばき続け、攻防は秋桜の観戦者をゆらし散らし、続く。
拳や脚でもだが、いくらガードをきっちりとしていても、当たれば当然ダメージは蓄積されていく。しかも佳梨が使っているのは金属のスティックだ。
ガードしているといえど、身体に触れれば相当のダメージを与えられる。
佳梨の狙いはそれのようだ。
だが、かわす事が困難である、腰という身体のポイントを狙ってこようが、ほづみは一度もガードさえしない。
「ハンッ、かわすのは上手みたいねっ」
佳梨はもどかしさを口に、煽ってくる。
「でも、そっちのリーチ外にいる以上、攻撃を食らう事もないっ!」
また上段へのフェイントを仕掛けてきた時、ほづみのシャツをスティックが引っ掛けて、縦に裂いた。
「ぐうっ! がぁっ……な、なんで……リーチは」
「そうとも限らないわよ。私は腕より、こっちの方が得意なんだから」
すらりと短いスカートから覗く脚をさすってみせる。
ほづみは佳梨が焦るのを待っていたのだ。それまではきっちりとしたコンビネーションの為、反撃の隙を見出せないでいたが、佳梨の気の迷いと、リーチの有利からなる心理的余裕が膨れ、その機会が訪れたのだ。
ほづみの鋭い蹴りは佳梨の左肩を貫いた。
(単に叩きのめせるほど弱くない……この佳梨って娘は)
続けてほづみは、痛みで低くなっている佳梨の頭部へ脚を出すが、佳梨は左肩を重そうにだらりと垂らしながらも、素早く身を起こし、間合いを取る。
「まぁ、この服の御代だと思いなよ」
ほづみは指を立てて、ぴらぴらと破かれた部分をなぞる。
「くっ……私が当てたんじゃなく、ほづみが身を開いたせいで、当たっただけだっていうの!」
そう思っている間にも、ほづみは蹴りに風を巻き込み、佳梨に迫る。
「これでガードは出来ないでしょっ! っっっ?」
だが、ほづみは小さな悲鳴を上げて、脚を引き戻す。
「……これには、こういう使い方もあるのよ……やっとかかってくれたわね」
佳梨はスティックで蹴りを防いだのだ。苦しそうに、息を吐きながらも笑顔を作り、両手で構えていたスティックを、軽く宙に跳ね上げて右手に握り直してみせた。
「これで振り出しか……ジャグリングも得意そうだし、大道芸人になったらどう?」
脚にはスティックの痕がはっきりと浮き出て、じんじんと火傷のような痛みが下から這い上がってくる。
ほづみは砂を噛んだ表情を浮かべながらも、攻め続ける為、コンビネーションの一撃目である水面蹴りを放ち、その回転力を殺さぬように上段へと蹴りの追撃を運ぶ。
ほづみは少々ダメージを食らっても、これ以上何も進まないよりは、マシだと考えたのだ。
だが、本命である上段攻撃の手応えがやけに軽く、ヒットしたにせよガードされたにせよ、あるはずのものがなく、外れたのならば全く無いはずのものが足先に触る。
佳梨の顔があるはずのそこには、ただ秋桜が揺れているだけだった。
「いちいちこの花は私をっ……キャッ!」
突如残してあった軸足が刈られ、ほづみは秋桜畑の中に転がった。
「しまっ!」
立ち上がろうと身体をひねったが動かない。まるで自分の物ではないように身動きがとれない。下半身がドロを吸ったように重いのだ。
「……この時を待っていたわよ……」
最後まで冷静でいたのは彼女だった。
月から伸びる緩やかな光線を背にして、佳梨が自分の真上に立っていた。その眼はあの時と同じく、氷よりも冷ややかに光っている。
自分が動けない理由も、脚と脚の隙間に残るわずかなスカートの裾を、佳梨が思いきり踏みつけているためとわかった。
「ううっ!」
ほづみの胸に佳梨のローファーの踵が落ちてくる。
「……さようなら……灰被り姫」
佳梨は何もない平坦な表情を灯し、ゆっくりと振り上げた、銀のスティックに月光を纏わせ、ためらい無く振り下ろしてくる。
光跡が、長い死神の鎌となり、ほづみの顔へ落ちてきた。
「くううぅっ!」
ほづみの両腕に激痛が走る。唯一自由だった腕を交差させて、スティックを受け止めたのだ。
「まあ、そうする事はわかっていたわ……」
ほづみの行動こそが、自分の思惑だったように、月を背にした佳梨の表情は塗りつぶされて、わからない。だが、きっと笑っていたのだ。
スティックを握った右手の親指だけが、小さく動いた。
マグネシウムの小片を熱したような強い光、それなのに線香花火から散る火の尾の様に細い火花。それがスティック全身から放たれる。
「きぃゃっ!」
ほづみは無意識に身を跳ねさせる。交差していた腕が、生きていないような速度で、重力に引かれるまま、なぎ倒された秋桜の上へ落ち、かさりと頼りない音を立てた。
「……ふー……」
息をつくと、佳梨は頭上でスティックを畳んで腰に戻した。慌ただしさが無くなり、秋の虫たちの声が、小さくも気持ち悪いぐらいに、はっきりと耳へ運ばれてきていた。
「特製スタンスティックの味はどうだったかしら? これが、あなたが限界だと言った私の電気信号を操る能力よ。一瞬だから、それもわからなかったかしら……」
佳梨は月を背負い、冷たい色に身体の縁を光らせて、見下ろしてくる。
「……シンデレラというよりも眠り姫かしら? 花に埋もれて逝けるなんてロマンティックじゃない。イバラじゃないだけマシよね……ふふふ……でも一生、王子様に口付けされることはない愚かでかわいそうなお姫様……いいざまね、いいざまね、いいざまねっ!!」
佳梨は屈み込み、ぐにりとほづみの胸を掴み、頬に顔を寄せてくる。
「……本当に憎い……あなたが悪いのよ……私の大切な人、あの場所を奪おうとするから……やっと見つけた、この世界で、私が居てもいい場所を……」
それは正当性を主張する呟きだった。
どこにいても自分という存在が、誰からもどうでもいい存在だった時間を溶かし、そこから解き放ってくれた、炎のような人との場所を汚そうとした報いだと、冷たい瞳が語る。
「だから……許せなかった……双子で私を壊そうとするからっ。私の一番大切なものを奪おうとするか……」
まだ柔らかな弾力の残る、ほづみの胸から手を離そうとする。
「えっ! まだ動いて…」
「それが、理由ってわけ? 悲しいね……」
目を見開き、息を大きく吸うとほづみは胸を触る佳梨の腕を獲ると、逆に冷たい茎の絨毯に転ばせた。
「なっどうして……生きてる、のっ!」
「へへ、トレーニングの足しにとでも思ってね、これ」
長袖の袖口を佳梨に見せつける。
ゴムの外皮に、中は鉛が仕込まれた手甲、兼、重りが腕に巻きつけてある。
「完璧な絶縁じゃないにしても、役に立ったよ。バンドが天然ゴム製って、なかなかお目にかかれないんだよ?」
それは祖父に貰った物で、知人にワンオフでつくらせたらしい。
「まぁ、これも一種の特別製ってやつよ」
ほづみは「にやり」と、誇らしげに笑って見せる。下では、じたばたとこの拘束を解こうと、佳梨が暴れている。
「無駄よ。あなたの力じゃ抜け出せないわ」
「……どうするつもり? まあ、想像はつくけどね」
吐き捨て、佳梨は顔を背けた。
随分と、諦めができているものだ。
「……さあ、どうかしらね? 私はあなたと違って、血は嫌いなの。それにあの娘からは、救ってって言われてる。最終的な事は自分で決めようと思っていたけど、どうやらあの娘は正しかったみたいね……」
言うとほづみは、ゆっくりと佳梨の顔に自分の顔を近づけ、薄い色の唇を奪った。
軽く振れる程度ではなく、長くしっかりと唇を押し当てる。
(……だから眠りなさい。大切な何かがあったとしても、今のままじゃそれは偽りでしかないわ……だから力を捨てて……本当の可能性が目醒めるその時まで……)
唇を剥がすと、佳梨はビクンと身体を跳ねさせる。その拍子に長い髪をまとめていた銀のバレッタが飛び、なぎ倒された秋桜の上に髪の黒が解けて扇のように散った。
「あ……ああ……いやぁ……失いたくな……い、大切なもの……あの尊い時間を……私を包んでくれていた大切な……」
月を掴むように手を掲げ、佳梨は眼を閉じた。
瞼が落ちる時、溢れた涙の雫が頬を伝い落ち、秋桜の茎に弾けた。その粒を追うように力の抜けた腕がゆっくりと垂れていく。
「……もう、なんてファーストキスなのよ……ったく。こんなの当然ノーカウントよ」
ほづみが唇をむにりと突き出して、頬をかくと、かさかさと渇いた血の道が音を立てた。
「……このままでもいいわよね、端ヶ谷さん? 風邪くらいは引くかもだけど、我慢してね」
色とりどりの花に囲まれて、死んだように眠っている少女は、再び起き上がった時には、そこらにいるただの女子高校生に戻っているだろう。
「さてと、夕夜ちゃんね……」
運良くひびが入っただけの眼鏡を拾い、もうひとりの眠り姫の所へ急いだ。
夕夜は草籠の中で身を縮めて、仔猫のようにすぅすぅと、微かな息を立てていた。
「……しかたないわね……夕夜ちゃん、夕夜ちゃん……」
軽く乳白色の頬をつつきながら、ねぼすけな姫の名を呼ぶ。
「んん……あぁ先輩、どうしたんですかぁ?」
本当に何も憶えてないらしい、その反応に安心して、ほづみは夕夜の薄い身体を抱き起こす。
「さあ、帰りましょ……」
「えっ……はい」
夕夜は自分の置かれていた状況もよくわからないまま、肩を引き寄せられて歩き出す。
(……しづる、これでよかったんだよね……あいつを救ったよ……終わったんだよね……これで……)
そう思いたかった。
けれど見上げた月は、それを掻き消すように強く眼に跳び込こんできて、佳梨の残したあの人、あの場所という言葉を耳から離さない。
(いったい何なのよ……もう……)
募る不安の中、肩を抱いて歩くと、夕夜の体温がつかの間の安らぎを与えてくれている気がした。
髪を秋風に揺らしながら、そのまま歩調を合わせて、女子寮へと続く近道の校舎脇へ進んだ。
*
「……っふ、佳梨にしては、よくやったほうだね……」
秋桜の揺れる遥か上、生活棟第二会議室の窓際で、少年は両手をだるそうにポケットに突っ込み、柱に寄りかかって言葉を吐いていた。
「……可能性を解放する力と、それを器へ押し戻す力か……」
それがしづるから受け、変化を持ったほづみのシードだった。
いつもの位置から少しずれた眼鏡を人差し指で直す。それは彼の癖だ。
「なるほど、一つにあるべきものを、わざわざ二つにわけた可能性……か」
少年が窓から離れ、出口に向かおうとした時、声が訪れる。
「まこと? まだいたの……」
照明が落ちた暗がりから、ロングヘアーの少女が身を現す。
「……何だ、綾か。君こそまだいたのかい?」
「えっ……だって……」
綾は恥ずかしそうに俯く。
「何、しているのかなってね」
「ああ。今、下で知り合いが、女の子に告白して、こっぴどく振られたのを見て笑っていたんだよ……よくやるなって」
片目を閉じて口元を緩める。
「そんな……ダメじゃない……生徒会長がそんなことしたら……」
「いいんだ、それよりも帰ろう。もう暗いし、駅まで送るよ」
何か言いたげな綾の肩を押して、高城真は会議室のドアを閉めた。
綾と二人並んで歩く廊下は、窓から月光が差し込み、複雑なカットを施した宝石のように、床を輝かせて見える。
(……ふっ、面白いじゃないか……ほづみさん。幸い僕をお探しのようだしね)
眼を伏せて、唇の端だけを緩めて、笑みを含める。
「どうしたの真? ニヤニヤして……」
「……何でも無いよ……明日、告白失敗した奴に、なんて言ってやろうか考えていたんだ」
また笑って、真は綾へ返す。囁き声に、綾は慌てて窓の外へ眼を向けてしまった。
雲の無い夜空に、ぽっかりと口を開けたように月が佇んでいるのが、眼に映る。
「綺麗ね……」
「そうだね……さあ綾、急ごう。電車が行ってしまうよ」
柔らかな物腰で綾の手を掴むと、真は足早に廊下を滑る。「あっ」とこぼす綾の声を無視して、月の光だけが住む渡り廊下を振り返る。
(……残念ながら、僕はガラスの靴を持って城下をまわる、馬鹿正直な王子とは違うんでね……)
月に眼を移すと、眼鏡から外れた乱視の眼はその輝きを倍に写す。
(……だから気長にお待ちしていますよ……シンデレラが僕の舞台に上がってくる時をね……それは遠い話じゃないでしょうが……)
真はいつの間にか、綾に引っ張られる形になっていた態勢を直して、低い綾の肩口に並んで階段を降りた。
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