第5話 潜入-dive02
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「ふぅ……」
息をひとつつくと、私は背中にあるバッグをフローリングに投げ出した。そのまま、薄い水色のマットがかけてあるベッドの端に、腰を下ろす。
「……女子校ってあんなに疲れるの?」
今日は一日中きゃあきゃあと騒がれた。あまり変わり映えのしない日常を暮らしている彼女らにとっても、身近におきた殺人事件は暇つぶしの種にはなるんだろう。それでも私は一学期に、クラス委員なんかをやっていた手前、皆を邪険にすることもままならない。そんなだから、
「やっぱり、そういうのは天住さんが適任だと思います」
なんていう無責任な推薦で、クラス委員には再任するは、おまけに文化祭の実行委員までやるはめになってしまった。救いと言えばその実行委員には気心の知れているらしい、綾も一緒ということだろうか。
みんなからしてみれば、落ち込んでいるだろうから、仕事を与えて忙しさで紛らわせてやろうという、親切心と面倒だからという、投げやりな態度が半々ぐらいなんだろう。
「きついよね……実際さ……」
頭を倒してベッドに横になりながら呟く。見上げた白い天井の所々には、小さく切った蛍光テープが張りつけてある。あの娘のこういうところは、けっこう好きだった。
「星か……ううん、これもニセモノよね。私も同じ……か」
寝るときに現れる小さな星空は、それこそ小さな安らぎをくれたりする。色々調べたい事は山積みだったけれど、いきなり全てがうまくいくはずなかった。
あいつとはいったい誰なんだろう。今の私には、それが男か女かさえわからないのだ。
「よっと」
ベッドから跳ねて机へ向かい、引出しから日記帳を引っ張り出した。
「手がかり、手がかり……」
全てを読んではいるけど、それでも何か見落としはないだろうかという期待を持って、参考書と同じく読み返すのを日課にしていた。
でも、赤いハードカバーのそれからは何一つ新事実は浮かんでこない。もっとあの娘として生活していかなければ気づけないのかもしれない。
「もうっ肝心な所が無いじゃない」
よく童話にでも出てくる魔法書に似た装丁のそれには、都合よく浮き出す文字なんてない。ふてくされて机の上に日記帳を放り出すと、私はまたベッドに横になった。すぐそばにある窓からは、レースのカーテンを揺るがせながら、夕闇の風と色が部屋に忍び込んでくる。もう今日の工事は作業が終わったのか、耳を澄ませてもあの音は響いてこない。
「ご飯よー」
その代わり、段下から母の声が聞こえてきた。それに従い、私は制服を脱いで部屋着に着替え始める。
「ああ、何かすっきりした感じ……」
窮屈なシャツから胸を解放してあげると、つっかえていたものが、すぅっとなくなった気がした。
青いロングTシャツに袖を通して、下はお気に入りのスポーツ用ストレッチショーツをはいた。
「うーん、制服何とかしなくちゃいけないなぁ。明日、購買部に行こう」
と思ったけど、そういえば肝心なものが無かった。
「しかたない。お母さんに言うか」
ペタペタと素足で階段を降りているとトイレから出てきた母とぶつかった。
「しづるちゃん、ご飯できているわよ」
「うん、わかってるって……」
「その前に、ちゃんとほづみに顔あわせて来るのよ」
「うん……」
はっきり言うと、うっとうしかった。あまりあの仏壇の前には座りたくない。自分自身宗教的な事に関心もないわけだし、何よりあそこへは今行くべきではないのだ。だから、こう言われると、適当に時間をつぶしてからキッチンへ入る事にしていた。
「いただきます」
聞こえるかどうかもわからないほどの声でぼそぼそと言って、母と二人きりのテーブルにつき、ご飯を喉へ押し込む。
父はいつものように帰っていない。私が子どものころから、こんな時間に家にいた事などなかった。仕事熱心なのはいいけれど、その替わりに家のことは何もしない人だ。
それでこの家は成り立っているし、父も娯楽で息抜きをしたいのだろう。いずれのタイミングで困ることはあるだろうけど、それはまだまだ先の事だろう。
別に会話もないまま、私は黙々と夕食をお腹へ収めていく。ご飯自体は美味しいし、申し分ないけれど、あの娘のときも日々の食卓はこんなものだったのだろうかと思うと辛かった。
私がいたときは、まだマシだったからだ。家を出て、祖父の家で食べたものはとても大雑把な味だったのに、今までにないくらい美味しく感じた。道場の人たちとわいわい囲む食卓は、それだけでひと味ついていたように思う。
だが、今はどうだろう。
カチカチとクォーツ時計の時を刻む秒針のリズムだけが、この空間を支配しているようにさえ感じる。
「……あのさ、お母さん。ちょっと制服のシャツがきつくって、それでさ新しいやつが欲しいんだけど」
「そう、じゃあお金ね……」
意を決して口に出したことだったけれど、意外にあっさりしていた。
箸を止めて母は、財布を取りに行く。何の役にも立たないと思っていたけれど、目の前からいきなり人が消えてしまうのは、やっぱり気持ちのいいものじゃなかった。
「はい、これ。しづるちゃん、お釣りはあげるから、お小遣いの足しにしなさい」
「うん、ありがとう」
渡された一万円札をTシャツの袖についているポケットにしまうと私は残りのおかずを平らげた。
「ごちそうさま……」
自分の食器をシンクに置くと、私はその足で、アコーディオンカーテンでつながっている居間へ入り、あのソファーに身体を埋めた。
お尻に何か当たると思ったらテレビのリモコンの角だった。私は何の気なしにボタンを押す。他にする事もなかったし、こうして過ごすのも悪くないと思ったからだ。
初期型の薄型テレビだから、なかなか画面がつかない。やっと見えてきた番組は、アニメーションだった。別に何でもよかったので、私はそれを見始めた。
「…………」
それは食後のひとときに見るのには、ちょうどいいものだったように思う。
田舎で夏を暮らす少年や少女の淡い物語。登場するキャラクターたちは皆、私と同じ位の年齢で、嫌でも自分に重ねてしまう。それは少しだけ、本当に少しだけうらやましかった。
大切な幼馴染や友人と、綺麗な星や月を見てすごす時間はどんなにかいいだろうと、私の胸を締め付けてくる。
「……所詮作り物よ、こんなの……私には関係ないのよ」
ひとりテレビに意見する様は自分自身空しかった。
「それとも、違うのかな」
私はもしかしたら普通にあるはずの高校生の生活が、欲しかったのかもしれない。両親の元を離れていたとしても、私がこうなるまでは、普通にあったように。
「だからこそ、こんのものはテレビの中だけでいいのよ」
口に出して自分を納得させた。私にはそんな風に誰かを好きになったりするよりも、大切な事があるんだ。
「それが復讐だなんていうのは、悲しすぎるかもだけど」
ブツブツ言いながら、ひとりほくそえんでいると、やっぱり気持ち悪かった。
綺麗な感情であるはずがないのに頬が緩むのは、やろうとしている事が綾や他の友人のためにもなるんじゃないかという、自分で発行した免罪符からだった。
「ははは……本物よりよっぽど、ちっぽけで浅ましいもんだわ」
また渇いた笑いを浮かべていると、テレビからエンディングソングが耳に届いてきた。
「ふーん」
耳を疑うほどいい曲だった。ボーカルとメロディはとても甘い感覚で私の心を揺らす。それに詞がよかった。なんていうか、本当に自分をその世界へ誘うような力を持っていたと思う。私はそれが終わるまで静かに聞き入っていた。
「……」
番組が終わるとソファーから立ちあがり、リモコンを手にした。
「……っと」
そうして、録画予約を入れた。
「なんか、毎週ちゃんと見たくなっちゃったじゃない…………」
何か理由を探したかったけれど、適当なものがなかった。ただ、続きが気になるっていう感覚だ。
私はテレビを消して、大きな居間の窓の前に立ち、カララという軽い音をたてて、そこを開ける。
空は明日も晴れだと思わせてくれる、紅と青を混ぜた面白い色をしていた。
小学生のとき描いた夏休みの宿題だった水彩。その空をこんな風に、パレットで好き勝手に混ぜた色で塗ったのを思い出した。
この空を見ていると、郷愁や旅愁、ここが故郷なのに、どこか別のところへ帰る場所があるんじゃないかと思えた。
「さてと、日課なんだし、トレーニングしなきゃ」
アニメーションの空のようにはいかなかったけど、それなりの気持ちになれた外との扉を静かにしめた。
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