第4話 潜入-dive01

潜入~ダイヴ~


   1


「あいつを、そして世界を救って……か」


それがあの娘の最後の言葉だった。


しづるがいなくなり、もう一ヶ月が過ぎた。


私は私の部屋になった場所を見まわす。別にどこもいじってはいないけれど、やっぱり落ち着く気がする。こういうところは、つくづく一卵性双生児だと思えてしまう。けれど、あの娘の危機に何も通じ合う事が出来なかったのは悔しい。テレビでよくある双子ならではの奇跡というものが羨ましかった。


そして、私はあの日からしづるになった。


したがって天住ほづみという十七歳の少女はもうこの世にいない。私の姉だった彼女は夏休みの終業式の日、通り魔に襲われて死んでしまった。犯人の目的は、妹だったのか、悪戯心から妹の制服を着て出かけた彼女は、髪の毛を刈り取られるという猟奇的殺人事件に巻き込まれた。


警察は今も犯人を必死に追っているらしいけど、この事件は迷宮入りだろう。何せそんな通り魔など始めから存在しないのだ。


「……けど、まだその方が踏ん切りがついたかもね」


私は鏡の前で制服のシャツを着ているのだけど、胸の所がパツパツで大きく息をしただけで、ボタンがはじけそうでげんなりしていた。


「…………」


もう一度鏡を見てみた。そこにいるのは、この一ヶ月で見なれた自分だ。髪が長くて、毎朝その寝癖にいらいらして、それでもそんな髪を気に入っていた少女が懐かしい。


「さて、行こうかしら」


楕円の縁なし眼鏡を顔に引っ掛けて黒いディーバッグを担ぐと、私は部屋のドアを閉めた。廊下を歩いて階段を降りると、今日も母のすすり泣く声が聞こえてくる。


「……そんなに悲しいの?」


何も感じなかった。


私がこの家を出るとき眉のひとつも動かさなかったくせに、なんて身勝手なんだろう。他にすることが無いのだろうし、それはそれでしかたないと思っていた。だが、私は今泣いてはいられない。そんな事はこれが終わってからで十分だ。


「行ってきます」


返事が無いとわかっているけど、そう残して真っ白なハイテクスニーカーに足を押し込んだ。玄関の重いドアを開けると、まだ空に残る夏の煌きが光線になって私の頬をさしてくる。朝だというのにその強さはいっぱしで、思わず眼を細めてしまった。


そのまま私は二キロ半ほどの通学路に出た。高校へは通っていた小、中学校とは道が逆方向なので行き交う人影は無いに等しい。そのかわりというわけでもないが、あちらこちらから、がぁあん、がぁあんという高い音が響いてくる。


油圧やらで動く重機が出す、工事現場特有の作業音なのだけれど、不揃いのようでいて私の耳にはなぜかリズミカルに、ひとつの音楽のように届いてくる。


私の通う高校、私立美雪野学園高等部は二年の私達が最高学年という新設校だ。何でも代議士だか何だかという方々が出資したもので、というのは表沙汰にはなってないが、生徒達はその子息や令嬢、縁者達の子どもが主であるので暗黙の了解というやつなのだろう。


私はといえば、そんなものではない。いわゆる特待生というやつで、言ってしまえば学校の下手な体裁のために使われる学業やスポーツの秀でた生徒というものだ。


歩きながら私は周りを改めて眺める。幼い頃から馴染んでいるはずの景色でも工事が行われているせいで、その記憶は乳歯が生え替わるみたいに、失われていくようだった。


「そういうものかな……」


ただ、ものが無くなるだけなのに、どうしてそう感じるかわからなかった。想い出なんてものはいつも心にある。それでも関るものが消えるだけで、それは再生しにくいものになってしまうのかもしれない。


私は、今はもう無い曲がり角のカーブミラーを思い出す。


「よく二人で見ながら笑ったっけ、何もかも同じだって……」


しかしこれでもかというほど至る所で工事が行われている。というのも、私の学校にあわせてこの街すべてが、ついでに再開発されているのだ。それはそれでいい。道が綺麗になったりするのはいい事だ。


「歩きやすいしね」


そんな事を考えながら私はひたすら歩いている。登校の時間にはおかしなタイミングでないにしろ、同じ学校の生徒に出くわさないのには理由がある。


私の高等部は個設されていて、その内部に男子部と女子部がある。要するにひとつの校内に男子校と女子校が共立しているみたいなもので、その九割以上の生徒が、併設されている寮で生活しているからだ。


「そのほうが私にとっては好都合だけどね」


誰に向けたわけじゃないけど、私は眼を斜に構えて吐いた。


工事音が重奏になって、耳にへと届く。


時折吹き付けてくる風に軽くなった髪を乱されながら歩を進めていると、一層大きな音が響いてくる。これは他のものと違い、低く篭っていて心を震わせるような音で、立ち位置より下の方で奏でられているような感じがする。


そして歩を進めれば、眼前にその音の主が現れる。


巨大な橋が、完成へと向けて工事を急いでいるのだ。


「これが一番大掛かりかな」


大きな工場のために、学校の前にある河に架けられようとしている橋は、どこか無駄に巨大な気がした。遠くから見てもそれなりなのに、こうして近くへ来ると余計に際立つ。


 いつかどこかで見た――こういうものは、公共工事として、大きなお金が動くのだ。それが善か悪か、まだ子どもという範疇にいる私にはわからない。


けれど私は、その大きさに恐怖していたのかもしれない。


「……ふふふ……関係無いわね、そんな事」


私は橋をいちべつして、かなりの遠回りになる古い徒橋へと足を向けた。河に沿って歩くと、その水で冷やされた風が、制服の袖を揺らす。きっと気持ちのいいものなのだろう。


私の中にはそれを素直に受け止めようとする心と、どこかそんな綺麗なものを拒まなければならないという想いがせめぎあっていた。学校まで、あと五〇〇メートル――最後の一息をつける時間だ。


「また、来たわね……」


私が夏休みを費やしてしてきたことは、主に情報の収集だったが、スパイ映画よろしくのたいしたことはしていない。


それはあの娘が残した日記のおかげだった。


日記として扱うならば異常とも言えたその中身には、学校でのことが事細かに記してあった。そう、まるで自分がこうなる事を知っていたかのように、そして私のために残したようでさえあった。だから夏休み中、部活の生徒に混じって学校に何度か足を運んだのは、その構造を知るためだった。それでも今日は何か今までとは明らかに違う気持ちが私の中にある。


「そうよ……」


私は手を胸の前でぐっと握る。


私の中心に、揺るぎない物がたぎっている。


あの娘に渡されたものは力だ。あの娘の持っていた力。


「種……シードか」


あの娘はそう名前をつけて呼んでいた。初めてその力に気付いたのは小学生、あの娘の初潮の訪れと同じ頃だから、確か六年生に成り立てだったと思う。ちなみに私はもっと遅かった。


放課後、私達は鉄棒で逆上がりができないという友人の練習に付き合っていた。友達は何度挑戦してもダメだと、もう泣き出す寸でだった。私はひとり面倒な事になりそうで、見たかったテレビ番組にも間に合いそうになく、お腹はすくわで嫌になっていた。


そんな時だった。


「……大丈夫、きっとできるから。あきらめないで」


そう言ってあの娘が友達の肩に触れたとき、小さな光が走ったのを私は見た。


「本当に……本当にそう思う?」


「うん」


涙の混じった声にも動じず、力強く頷いていた。


「……じゃあ、やってみるね」


あれだけダメで、逆上がりが出来る感覚を知っていた私が見る限り、どう考えても今日中に完成される事は無いと思っていた。


「……えいっ……」


だが、友人はステップを踏み地面を蹴って鉄棒にまとわりつき、回転して宙へ昇った。


「う……そ」


私の口はそんな言葉を割り出していた。


その帰り道、どうしても納得できずに聞いてみた。


「……へへ、やっぱり見えたよね。私達同じだもんね」


言うと笑っていたけれど、私は驚くしかなかった。つばを飲み込んだ喉の音を今でもしっかりと憶えている。


「……シードって名前つけたんだ。まぁわかりやすく言うと、人の可能性を解放する力ってとこかな」


「?」


「……だってね、この力は世界を愛するためのものなんだよ。こうやって、こんな気持ちを世界中に飛ばして花を咲かせるの。優しさの花を、愛する事の花を。それで世界をいっぱいにするの。だから種……大丈夫だよ、私達同じなんだから、ちゃんとほづみにもあるよ。安心して、その目醒めがただ、速いか遅いかだけだから……」


どうして私にはないのと聞いたとき、しづるはこんな話をしてくれた。


でも、そのせいであの娘は死んだのかもしれない。そう思うとやっぱり複雑だった。


今、私はあの娘にもらった力を確認している。ただ、その力は私の秘めたるものの影響か、多少変質してしまっていた。


「……でも、これからのためには最も望ましい形でだけれどね」


河辺の草の上に二人並んで座って話した思い出の中、もういないあの笑顔を弄る。夕焼けのオレンジに染まった頬や綺麗な瞳が頭から離れない。姿形は自分とどこも変わらないのに、今考えればとても儚かった。


「……っ」


私は浮かんできそうになる感情を無理やりに奥歯で噛み千切ってこらえた。


「……何を考えているの……私は、天住しづるは、ここにいるじゃない」


足を止めた通用門から、醜い顔をして、奥にそびえるレンガをあしらった洒落た校舎を睨みつける。


「……し、しづるなの?」


どさり、と不意に何かを落とした整っていない物音とともに、聞こえてきた声に息を呑んだ。私はゆっくりと吸いすぎた空気を吐きながら振り返る。


「…………」


言葉らしい言葉が見当たらないように黒いロングヘアーが河風に揺れていた。


「な、なんだ、綾じゃない……おどかさないでよ」


私は照れたように口元を吊り上げてクラスメイトであり、親友でもあるところの、九重綾に返した。


けれど、綾は身体を小さく、まるで何かに凍えるように震わせているだけで、言葉をくれない。


「ねぇ、綾ったら……」


私が手を差し出そうとすると、それを振り払うかのように大きく被り、ばっと顔を上げた。長い髪がその力で空間へ広く羽を広げる。


「ほんとに、ほんとにしづるなんだね?」


「あ、綾、そんな……」


彼女の頬には涙が伝ったあとが生々しい。


「だって、だって! 心配したんだよっ」


綾は髪を振り乱して私に訴えてくる。


「だって! お姉さん死んだって言うしっ」


その言葉に私は胸がチクリと痛むのを感じる。


「夏休みの間だって全然、会えないし」


放っておいたら何をしだすかわからないほど、綾は激しく言葉を吐き続けている。


その度に私の心は軋む。


でもそれがこの娘の想いに共感したためなのか、それとも別の罪悪感かは、はっきりしなかった。


それでも私は……。


「もういいよ、綾……」


一歩踏み出して私と同じ位の位置にある小さな肩をとって背中へ腕をからめた。


「もう……いいから」


まだ蒸し暑さの残る外気と違って綾の体は、とてもあたたかだった。


この手で、この腕で受け止めた妹の身体ともまた違っていて、私は余計に強く、生きている事を確かめるため力をゆだねていた。


「……しづる……」


許せない。こんな悲しい想いを振りまいた人間が……。


私の中にひとつの感情が生まれてきた。「あいつを救って」と言われたのに、果たしてその人物が眼前に立ったとき、私はそんないいかげんな言葉を実行できるのだろうか? そんな事を考えていたからかどうかわからないけど、自分が今どういう状態なのか忘れていた。


「……ちょ、痛いよ、しづる」


「あっ、ごめん」


 微かな声にびっくりして、慌てて腕を広げ、ハハハと笑いを付け加えた。


綾は苦悶の表情を灯しているけれど、どこか嬉しそうだ。私はぽりぽりと頬を掻いて唇をむにりと平たくして尖らせる。


それを見ると綾は、余計に安心したようだ。無理も無い、これは私――しづるの癖なのだ。私もこの表情を見るのが好きだった。微妙な表情と唇がかわいらしくてたまらなかった。別に真似ようとはしていないけど、いつのまにか同じ顔をしていたらしい。


これは私達の唯一と言ってもいいような共通点だった。


「んっ? ということは私、自分と同じ顔見てかわいいとか思ってるの?」


「……えっ? 何か言ったの、しづる」


「あははははは……何でもない、何でもないの」


私は綾の疑問をオーバーアクションで、何とかごまかした。


「そう……?」


かなり不思議そうな顔をしていたけれど、綾も納得してくれたらしい。


「ま、まあいいじゃない。さぁ早く教室行こうよ」


言い終わるかどうかで、ホームルームの予鈴が響いてきた。


「そうだね、行こっ、しづる」


手を取られて通用門をすり抜ける。綾もまだ半袖の夏服を着ているのに、私は秋用の長袖シャツで、それは足早に歩を継ぐとふわふわと風を受け、その度にクリーム色の布が泳ぐ。同じ風で頭の上では軽く、短くなった髪が四方に散らばる。眼鏡は顔に当たる風の流れを複雑にするのだと最近知った。


(やっぱり許せない。この生活を奪ったあいつが……)


心の中で深く強く思った。救ってと言われたけれど、本当にそれに値するかどうかは、私自身が決めなければならないと思った。


見上げる空には雲も無く、いい青をしている。もったいない気もするけれど、それを置き去りにして、私は綾と共にエントランスホールへ体を滑り込ませた。




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