第19話 バーとシガー

 気分の高揚と言うのは恐ろしいものである。


 ショッピングパークに来てハンカチのみを購入して帰る。ただそれだけの行為がこれほどまでに困難であるのかと思い知らされる。僕はセールに掛かっていた春のアウターをなぜか3着も購入していた。いつ着るのだろう。こんなに。救いなのは、セール品だったから金額的な損失は少なくて済んだということだ。


 火倉もショッピングを満喫したようで、いろんな服を試着しては買っていた。一通り巡ったので、ショッピングパーク内にあるカフェで休むことにした。


「しかしたくさん買ったな」

「だってしゅいっつぁんが似合うって言ってくれるんだもん」

「人のせいにするなよ」

「えへへー」


 大人になってからこの屈託のない笑顔ができるのは本当に羨ましい。彼女も彼女なりの苦労があって今があるはずだが、そういうものが全く匂ってこない。

 それは素晴らしい事だ。が、同時に悲しい事でもある。彼女の笑顔からは邪気や邪念が微塵も感じられない。それはつまり、少女の様に純朴で純粋であるということであるが、二十歳を過ぎて世間の在り様を知らない人間はいない。まして学生ではなく、社会人なのだ。会社が犯した罪、隠ぺい、経営理念と言う名のパワーハラスメント。会社内での派閥、人付き合い、行き過ぎた上下関係。不倫、風俗、借金、賭博。社会の掃き溜めのようなものが会社の中に当たり前にある事実。

 僕は23歳の頃に会社のデータ改竄かいざんに気付いたが、摘発しなかった。摘発すれば会社は潰れる。会社が潰れるということは自分の生活にも大きな影響を与えるということ。まして、それは僕一人の事ではなく、その会社で働く全ての人を巻き込むことになる。その責任の一切合財の帳尻を僕の人生で合わせる事ができるのかと問われれば答えはノーだ。だから見て見ぬふりをするしかない。わかっていながらに、反吐が出ると思いながら、その吐き出したものを胃にまた戻すのだ。自分の生活と、その他大勢の人の生活の為。


 そうしてどんどん汚れていき、社会に蝕まれていって、ある日後輩ができる。どす黒く汚れきった僕は、真っ白な後輩に改竄されたデータを渡して処理させる。処理した後輩も当然気付く。気付くが、会社の、社会の、引いては世界の在り様と言うのはこういうことなのだと解釈し、結論付け、目を瞑り処理をする。知らないふりをして。真っ白だった後輩はややグレーがかる。そうして誰もがこう思うのだ。自分は悪くない。と。会社が、社会が、世界が自分をそうさせているのだ。だってそうしないと採算が取れない。儲からない。虚偽記載はどこの会社だってやっていることだ。うちの会社だけが正真正銘の正義を貫く必要はない。もし貫いても、その結果、赤字になれば倒産。そうなれば必然僕らは恨む。会社を。ならば会社は社員から恨まれない為に悪事を行っているとも言える。


 であるのならば、本当に汚れているのは僕らの方か。わからない。悪い事はしてはいけない。それはわかる。でもとにかく助かりたい。その気持ちは正しいのか、正しくないのか。どちらとも言えないその気持ちは一体どこへ寄せれば良いのであろうか。


 一生隠しておかなければいけない罪。だが誰か、誰でもいいからその罪を暴かずに僕の事を死なない程度に罰してくれないだろうか。わかってくれないだろうか。苦しみを。苦しみを分かったうえで優しく罰してくれないだろうか。そういう人間としての甘さが、笑顔にも露呈するのだ。その結果、


 僕は苦労しています。


 という笑顔を作り上げるのだ。だから彼女の笑顔は清々しいが、それゆえ悲しい。もう既にわかって欲しいという領域には居ないのだ。苦労もしてきた。悪いこともさせられてきた。だがそれをいくらわからない様に訴えても、わからない様にしているのは自分なのだから、誰にも気付いて貰えない。だからわかって欲しいと思わない。どうでもいい。そうやって一周した笑顔とも取れるのだ。そう思う。思うが。

 彼女はそれさえも杞憂であるようにすら感じさせる。

 浮世離れ、ファンタジーの世界の笑顔なのだ。でもこれを本人に言ったら絶対に調子づいて適当な事を言い出しかねないので、言う気はない。


 彼女がアイスカフェオレを飲み干す頃、僕らのテーブルの上に影が落ちた。ふと見上げるとそこには見知らぬ人の顔があった。


「初めまして」


 そう言って恭しく頭を下げた彼は30代前半くらいの男性だった。僕は座っているので正しく測定できないが、僕よりやや長身のように思える。目元を覆い隠すように伸ばされた前髪とそこから覗く切れ長の双眸、全体的に黒くまとめられた服装が、彼を怪しげな印象にさせている。

 ただ不思議と怖いと感じないのは、曇りのない瞳の所為だと思う。その目の輝きが怪しさを軽減している。


「さっきの歌、とても素晴らしかった」

「あ、ありがとうございます」


 彼は黒のバルマカーンコートのポケットからメモ用紙のようなものを取り出し、テーブルにすっと出した。


「君の歌声には魂が揺さぶられた。他の人には聞こえなかったかもしれないが、俺には君の魂の叫びが聞こえたように思えた。これは俺の連絡先。良かったら持っておいてくれないか。君とゆっくり話がしたい」

「え。あの」


 状況がいまいち飲み込めていない僕を置き去りに、彼はくるっと踵を返して歩き出した。


「君が今疑問に思っている事にも答えられるよ。例えばなぜ鎌富は5位を狙っていたのか」


 その言葉を聞き、すぐさま呼び止めたくなる衝動に駆られたが、彼は雑踏の中に消えて行ってしまった。目の前に火倉も居るので今から追いかけるわけにもいかない。


雫間しずくま

「え」

「メモに書いてあるよ」


 確かにそのメモには連絡先の他にそう書かれていた。恐らく彼の名前と思われる。


「超絶怪しげな人だったけど、スカウトの人かな。魂が揺さぶられたとか言ってたし」

「いやそれはないだろ。ならこんなメモじゃなくてちゃんとした名刺をくれるはずだ」

「そっか。じゃあしゅいっつぁん気をつけなきゃ。詐欺かもよ。宗教かもよ」

「ああ、大丈夫」


 大丈夫。電話なんかしたりしない。と、いつもの僕ならそう思うのだが、鎌富さんの名前を知っている雫間さんがいったい何者なのか、気になって仕方ないので火倉と別れた後連絡をする気は満々だった。


 その後、ショッピングパーク内のオムライス屋で火倉と夕ご飯を食べた。彼女と別れた後、さっそく僕は電話を掛けた。


「はい」

「あ、先程連絡先を頂いた多楽多と申しますが、雫間さんですか」

「そうだ。ありがとう。電話を掛けてきてくれて」

「あ、いえ」

「電話でのやり取りもいささか不便だ。どこかで落ち合えないか。今はまださっきのショッピングパークから動いてないか?」

「はい。友達と先程別れたばかりです」

「ならそのショッピングパークの西口の方まで来てくれないか。ゲートの前で待つよ」

「わかりました」


 電話での会話を終了し、言われた場所へと歩いて行く。


 そこには先程と変わらぬ姿の彼が立っていた。黒のバルマカーンコート。黒のスキニ―フィットの綿パンツ。黒のエンジニアブーツ。

 壁に寄り掛からず、直立不動で空を眺めている。


 いつの間にか曇り始めた空が月を隠し、辺りは異様に暗く、パーク内の明かりもまばらで、雫間さんは逆光によりただのシルエットになっていた。

 すらっと縦に長いそれは、人影と言うよりは短めの電柱のようであった。


「やあ、わざわざ来てもらってすまない。どこかゆっくり話ができる場所に行きたいのだが、夕食はもう食べたか?」

「はい」

「では、バーはどうだろう。不慣れか?」

「行ったことはあまりないですが、問題ないです」

「では行くとしよう」


 ふっと一瞬、目だけが穏やかに笑った。口角を上げないので、見た目にはすごくわかりづらかったが、それだけで分かったことがある。この人は優しい人だ。もしも仮にこの人が詐欺師でも僕が騙されそうになる直前に種明かしをしてなんとか引っかからない様に仕向けてくれそうな、そんな変則的な優しさではあるが、絶対に僕を騙し切ることはしないように思えた。


 雫間さんに案内されて入ったバーは閑散としていて、寂寥せきりょうの感があったが、それがまた味わいがあって良かった。木でできた分厚いドアが閉まると、ドアの上に設置された鐘からカランカランと冷たく乾いた音が鳴り、来客を知らせる。店内も壁から柱、テーブルまですべて木製で、そのどれもがあめ色に鈍く光っており、経年変化による味わいを醸し出していた。また、お客さんも居ないのに店内には煙草のフレバーが満ちていて、煙たくないのに煙草を吸っているようにさえ感じた。


「いらっしゃい」


 マスターの声。雫間さんは歩きながら


「奥を使いたいのだが」

「どうぞ」


 とやり取りを交わして奥へと僕を案内する。

 オレンジ色の間接照明が目に優しい。一番明るい所でさえそう感じるのに、僕が座った場所はそこから遠い所で、薄暗かった。深く腰掛けると、体中を包み込むように撓るレザー張りのソファ。使い込まれたレザー特有の匂いと煙草のフレバーが混ざり合い、それがまるで鎮静剤のように血中に深く染み込んで、気分を落ち着かせる。

 その匂いを深く吸おうとしたときには既に目が慣れていて、薄暗さは感じなくなっていた。


「君、シガーは?」


 雫間さんは自分の煙草に火を点け、煙を吐きながら言う。


「あ、僕は吸わないです。昔吸っていたんですけど、増税の時にやめました」

「そうか。すまないな。そうとは知らず」

「いえいえ。もし僕が今でも煙草を吸っていたら、毎日通いたくなりますね。ここは」

「ありがとうございます」


 いつの間に現れたのか。音も立てずに水を置いたマスターがにこやかに笑う。


「ご注文は? お決まりで無いのなら、後程伺いますね」


 落ち着きのある深みのある声。男ならいつかはこんな声になりたいと憧れる声だ。


「俺は、ハムエッグ定食」

「え!? そんなのあるんですか!?」


 僕は急いでフードメニューに目をやるがそんなものは書かれていなかった。


「雫間さん。初めての人が居るのに説明なしに裏メニューは勘弁してください」


 勘弁してくださいと言いながら顔は笑っていて、声も穏やかである。


「ああ、すまない。だがマスター。俺はここに来るとマスターが作るハムエッグが食べたくて仕方なくなるんだ。仕方ない。あ、今回は意地悪なしで燻製した方を使ってくれよ」

「意地悪をしているのはどちらなのやら」


 二人が話している隙に僕もドリンクメニューからカルーアミルクを選び、注文する。


「最近はどこもかしこも禁煙だ。こうして深々と腰を据えて煙草を吸ってひと時を過ごせる場所がどんどんなくなって行く。そういった時代の流れに、愛煙家としては寂しいものを感じていたが、ここはまるで時が止まったようでな。ここが唯一心安らげる場所だ」


 程無くしてカルーアミルクが運ばれてくる。


「雫間さん。今日は先に出した方が良かったですかな」

「いや、問題ない。食後に頼む」

「いつも通りマンデリンのナシナシですか」

「ああ」


 そのやり取りを聞き、ドリンクメニューの方に目をやる。

 やはり。コーヒーも置いている。しかも本格的に原産国と焙煎度合と抽出方法まで細かく記載されている。どうせバーだからお酒しかないだろうと考えていたが、こんなにも美味しそうなコーヒーがあるならぜひ飲んでみたかったな。


「君も飲むか? カルーアの後に」

「はい」

「マスター。二つにしてくれ」


 奥からマスターの承諾の声が聞こえる。


「ここは、昼は喫茶店をやっていてな。コーヒーも美味いんだ。全体的に価格が高めだが、まあ落ち着いて一服できると思えば、安いものだ」


 コーヒー一杯800円からか。確かに高い。高いが、席料と思えば安い。先程雫間さんが言った通りだ。


 カルーアミルクを飲んだ瞬間、リキュールの割合の多さに咽そうになる。普段居酒屋で飲むそれとは全く違う。こんなに度数の強いカルーアミルクを飲んだのは初めてかもしれない。これはちびちび飲むしかないな。

 カルーアミルクを飲んでまったりしていると、時を忘れる。


 雫間さんは煙草を燻らせているだけで、他の事は一切しない。

 スマフォを触ったり、雑誌をめくったりなどと言った『ながら作業』はこの空間には似つかわしくなかった。ただ呑む。ただ吸う。それが正しい流儀のように思えた。


 僕は深く深呼吸をして天井を見つめた。

 時折向かい側から吐き出される白煙が空間を歪ませ、ただその様を目で追っているだけで、退屈なことなど何もなかった。これほどまでに満ち足りた“何もしない”時間があっただろうか。これでは雑踏を忙しく駆け回り、上司に頭を下げ、ランチの隙間にスマフォゲームをやる毎日が何ともバカバカしいではないか。だがそんなバカバカしい毎日を生きているからこそ、このぽっかりと空いた時間がとても充実している様に感じるのかもしれない。


 そんなことを考えていると、美味しそうな匂いが鼻腔を擽った。


「お待たせいたしました」


 雫間さんは手を合わせ、割り箸を割り、ハムエッグをつついた。まず半熟の卵黄を割いて、全体に馴染ませていく。白と茶が黄金色に包まれていく。醤油をかけないのは彼の流儀か。いや、違う。どうやら全ての塩味はこの厚く切られたハムに委ねているらしい。卵は卵として分けず、ハムと卵を一緒に頬張った。それが何よりの証拠。食べていない僕にまで香ってくる燻製されたハムの匂い。ハムから放たれるエッジの効いた塩味。それを濃厚でトロトロな半熟卵が包み込み、後にはスモーキーな薫りが残り、やがて鼻から抜けていく。舌先から鼻の奥まで美味いという至福。こんな贅沢をハムと卵だけでやってのけるこのマスターは天才か。いや、違う。そうではない。人は食と言うものにあれこれ求めすぎているだけなのだ。本来食と言うのは到ってシンプル。味と香り。それと触感。それをいかに満たすかのみ。その味と香りを満たすには燻製されたハムと半熟の卵のみで事足りるということなのだ。それを知っているかいないかだけの話。作る側と食べる側がそれをしっかりわかっていれば、それ以上の技を積み重ねる必要はない。無粋なのだ。


 途中から、特に味の部分については完全に僕の妄想だったが、どうやら当たっているようだ。それは雫間さんの表情を見ればわかる。先程口角を上げなかった微笑みも、今はもう満面の笑みだ。


 雫間さんが腹を満たし終わる頃、僕のカルーアミルクもなくなっていた。


 気付けば辺りにはコーヒーを挽いた時に出る香りが充満していた。先程、カウンター奥からゴリゴリとコーヒー豆を削る音は聞こえてきたが、ミルの機械音がしていなかったのは、恐らくマスターがハンドミルで挽いたためであろう。彼のコーヒーに対する並々ならぬエスプリを感じる。


「コーヒーが出てくるのが遅くても、悪く思わないでくれ」

「いえ、時間が掛かるのはわかります。ハンドミルですよね。きっと。それに時間が掛かるのを見越して、雫間さんが食べ終わるよりも前にミルの音が聞こえ始めましたから、十分な心遣いが感じられます」

「やはり君はわかる男だ。これはマスターの拘りでな。そのせいでランチタイムに客足が遠のき、今は味のわかる常連しか来なくなってしまった。いくら時間を掛けて拘り抜いても受け手がそれを理解できなければ意味がない。仕方のない事だが、物事の本質を分からない人間がそれほどに多いということだな。俺はいくら早く出てきても、不味いコーヒーを飲むくらいなら、自販機で甘ったるいコーヒーを買って飲んだ方がマシだと感じる。本当に美味しい本物を飲みたい時に、喫茶店を訪れるべきだと思う。今はバーだがな」


 雫間さんは深々と腰掛け直し、背もたれに身を委ね、煙草に火を点けた。


「まあマスターには悪いが、これくらいこの店が静かな方が俺にはありがたい」


 噂のマスターがコーヒーカップをソーサーに乗せ、雫間さんと僕の前にそれぞれ置く。


「寂しい事言わないでください。大盛況してくれていた方がやりがいがあるのですから」

「開店してすぐは確かに賑わいがあったな。まあ、いくら客が多くて大変とはいえコーヒー30分待ちは、普通の客なら怒って帰るだろうな」

「雫間さんは、次々にお客さんが帰られる中、待っていてくださいましたね。30分どころか1時間近く待たせてしまったように思うのですが」

「確かに腹が減っている時ならば、もっと早く提供してくれる店に行っただろう。だが、そもそも疲れを癒しに、もしくは休日の暇つぶしに来たのだ。もう既に店内には入っていて、自分の席は確保されている。煙草をたのしんでただ座して待てばいい。それを時間がないだのと怒り出す輩の気が知れん。時間がないのならそもそもここに来なければよいだけの話だからな。それにこのコーヒーにありつけるなら、時間など些末な事だ」


 雫間さんのこれ以上ない褒め言葉に、マスターは返す言葉もなく黙したまま、ただ深々と首を垂れた。


 僕はコーヒーカップを鼻の直ぐ傍まで持っていき、香りを愉しんだ。マンデリン特有のスモーキーな香りが鼻の中いっぱいに広がり、肺を満たし、やがて口から吐き出される。その時にはもう既に一口飲んでしまったのかと疑うほどに、口内にコーヒーのフレバーが満ち満ちていた。カップに口を付け、ゆっくりと傾け、啜る。

 柔らかな苦みが舌先から走りだし、口内に広がり、やがて咽喉の奥へと滑って行く。口の中に残る酸味があくまで僅かなのは、深煎りの為であろう。その所為でフルーティさは全くないが、コクと苦みが強い。だが決してエグみの類は感じさせない。抽出の際に、お湯を細く、ゆっくり目に出したのか。


 コーヒーは結局のところ、最後は好みによるところになってしまう。

 豆の産地、焙煎具合、抽出方法によって、苦みが強かったり弱かったり、酸味があったりなかったり、コクがあったりキレがあったり。

 今飲んだコーヒーは僕の好みにぴたりと一致していて、それはつまり雫間さんの好みとも一致しているということだ。

 同じコーヒーが好きと言う、ただそれだけでこの一体感。不思議なものである。


「感想遅れましたが、とても美味しいです」

「それは良かった。好みの押し付けはしたくなかったのだが、君はこの店が初めてだろう? 仮に君の好みに合わなかったとしても、俺がこういうコーヒーが好きだという自己紹介にはなるからな。薦めさせて貰ったよ」


 このコーヒーはここがいいだろ? とか、ここが俺は好きなんだよ。とは語らない。このコーヒーを本物だと確信できるほどの舌と鼻を持っていながら、饒舌じょうぜつに語り出さない。全てはコーヒーが代わりに語ってくれたと言わんばかりだ。


「そういえば、お話があるんですよね。僕の質問にも答えられるって」


 雫間さんは煙草を灰皿に押し付け、火を消す。


「そう言えばそうだった。君にこの店を紹介して、すっかり得意になってしまっていたようだ。すまない」

「いえ、人に薦めたくなるのもわかります。実際好きになりましたし」

「そうか。それは良かった。それで、話なのだが」


 彼は膝に肘を立てて、組んだ手の上に鼻が掛かるような姿勢で僕を見つめた。


「君は今すぐCTHPを辞めるべきだ」

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