第17話 わかるんだよ
永遠とも思われる時間が流れ、印刷機から終了のアラームが聞こえ、はっと我に返る。
「辞めてもらったって……? どういうことですか」
まだ脳みその中は白で埋め尽くされていて、自分が話している感覚が無い。
「言葉通りだよ」
短く言い放ち。
「俺もプロットの段階では見抜けなかった。だから本文を見てショックを受けたよ。俺としたことが、彼女の力量を完全に見誤っていた。部長の審美眼も完全ではなかったってことだねぇ。彼女のあの作品にはこの会社の名前は使えない」
え。あんなに頑張って書いていたのに。
「そんな、そんなの投稿してみないとわからないじゃないですか」
「うるさい! わかるんだよ!」
突然の怒号。
部屋に瓦来さんの声が反響する。
「……わかるんだよ」
指で瞼を覆い、天を仰ぐ。
「まるで人が変わったようだった。最初に出してきたプロットでは恋人は死に主人公も絶望して生きていくという内容のものだった。けれども本文の途中からまるで別人が書いたかのように作品の雰囲気が変わっていて、最後には恋人も死なず主人公も希望を持って終わるハッピーエンドになっていた」
『そう思ったら今まで救いのない小説しか書けなかった私が、主人公が救われる小説を考えられるようになりました』
僕のせいだ。
幸せになると書けなくなる。
僕と同じタイプの人間だったのだ。
あれほど共通する部分がある人だ。小説を書く原動力が被っていてもなんら不思議はない。
それほどに満たされていて、そのせいで小説が魅力のないものになってしまったに違いない。僕はプロット通りに書き通すタイプだから本文を書いているうちに私生活が満たされても何も問題はないのだが、子頼さんは恐らく本文を書き始めたらプロット通りにはいかないタイプなのだ。そこで差が出てしまった。
あんなに楽しそうに書いていたのに。さぞ辛い思いをしたに違いない。
多分これ面白くないよな。と思って書いた作品と、これは絶対に面白い。と思って書いた作品では、同じ評価でも心へのダメージは全く違うものになる。何しろ覚悟が出来ていないのだから。
そんな思いをして、さらにはクビになったのだ。
自分ならやっていられない。
自暴自棄になってしまう。
「あの子は恋でもしたのだろうか」
不意に呟いた瓦来さん。それは僕に向けられたものではない。頭の中に浮かんだ疑問をそのまま吐き出したのだろう。
「
立ち上がり、首を垂れる瓦来さんに、僕は短く「いえ」とだけ返す。
彼は机に腰をついてコーヒーをすすり、冷めきったコーヒーがとても不味かったのか、顔をしかめ、そのまま苦笑いを浮かべる。
「しかし、悔しいなぁ」
その苦笑いには自嘲も入り混じっているようだった。
本文を書かせ切るまで分からなかった自分の察知能力の無さを悔いているのだろう。
瓦来さんの立場上、この会社から投稿出来得ない作品は見限る他ない。そしてそんな作品しか生み出せないとなれば、必然クビを宣告しなければならない。辛い立場だ。ただでさえつらい立場なのに、切られる側の人間の辛さも瓦来さんは容易に想像できてしまう。自分も小説を書くのだから。これは世に出すに値しない。君には次回も期待できない。そんなことを言わなくてはいけないのだ。身を切るより痛いだろう。瓦来さんは責められない。悪いのは僕だ。僕が彼女に話し掛けさえしなければ彼女は今まで通り小説を書けたのだ。だがしかしどうすればいいのか。もうすでに僕は彼女に話しかけてしまっていて、彼女の筆は折れている。
こんなことになるのなら、僕は彼女と手を繋ぐ未来を選択しなかった。
この部屋の窓から見える景色を睨む。
隣のビルのネオンがパカパカと目障りに輝いていた。
本当に、そう思うのか? と問われているようだった。
この未来が見えていたとして、僕は……。
「瓦来さん。今日はこのまま投稿しに行くので、早退でもいいでしょうか」
「ああ。お疲れ様。あ、コンテスト明日だったよね。頑張ってね」
僕はCTHP社を後に、郵便局へ向かった。
郵便局に着く前も、着いてからも考えるのは子頼さんのことばかりだった。
彼女がいつクビを宣告されたのかわからないが、今でもメールが来ていないのはなぜだろうか。彼女の立場に立って考えてみる。
もしも僕が同じようにクビを宣告されたら。
ああ、そうか。自暴自棄になっている状態で、誰かにクビの報告をするということは、それはつまり愚痴を言うということになり、元凶である人間に向かってそういう愚痴を吐くということは、その人を責め苛み追い詰める事に他ならない。そんなことはしたくない。
では、僕の方から大丈夫かどうかのメールを送るべきか。
今日、瓦来さんに聞いたんだけど、クビになったんだって? 大丈夫? ご飯でも食べに行く?
僕は馬鹿か?
なんだそのデリカシーの欠片も存在しないメールは。殺されたいのか。いや逆だ。彼女を殺したいのか。ただでさえ気分が落ち込んでいるときにそんなメールが来たら絶望する。
ならばどうする。静かにただ待つか。彼女の傷が癒えるのを。
そっとしておくのも悪くない方法だ。だが、それは彼女の現状を打開する手ではない。
ではどうすれば。いったい僕は何がしたいんだ。
そんなことを考えていたら、僕はいつの間にか自分の部屋に戻っていた。
郵便局で原稿を出したのか不安になったが、鞄には原稿はなく、代わりに領収書が入っていた。良かった。
良かった?
こんな時でも自分の作品の心配はしっかりするんだな。僕は。
自分の自己中心ぶりに嫌気がさす。
しかしそう言って自分を責めてみたところで、結局解決策などはなく、足りない脳みそをグチャグチャに掻き雑ぜてみたところで答えは出ない。この汚い脳みそを焼いてみても、きっと不味い卵焼きができるんだろうな。食えたものではない。首の上に無駄につけたこれにもう意味はない。
そんなことを考えながら僕はシャワーを浴びた。
そう言えば瓦来さんが言っていたけれど、明日は歌のコンテストの日だった。
どうでもいいや。
そう思いながらもアラームだけはしっかりセットして眠りにつくのだった。
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