第09話 愚かな親

 金曜日。土曜日。と、寒い日が続き、結局コートを渡せずに、一周目が終わった。その間も二人でご飯を食べ、一緒に帰るというのが当たり前になっていた。それは週が明けても変わらず、二人の間でその当たり前が日課になっていた。


 二週目の金曜日、本業の方で残業になりそうだったが、無理矢理終わらせて、副業へと向かった。


 その日、僕は全く筆が進まなかった。そんな中、間仕切りの向こうからカタカタカタカタと物凄い音が聞こえてきた。タイピングの音だとすれば1時間あたり何万文字書いているのか。全く集中できなかった僕はせめてカタカタという音を消し去る為備え付けのヘッドホンで音楽を聴きながら執筆作業をした。


 だが、それでも筆が進まないのは変わらない。元より書きたかった内容の話ではある。愛と勇気と希望と努力、それとあと夢。


 ある作家が書いたローファンタジーの世界観が好きで、憧れで小説を書き始めた。現実と異世界の見事なコントラストを真似して描いた。でもそれは所詮真似事でしかなく、まだ若かった時に友達に読んでもらったが、感想は辛辣なものだった。これはあの有名作品のパクリか。と。中傷するための言葉を選んだわけではない。恐らく本当にそう感じたからそう言ったのだろう。より良い作品を産む為には多くの犠牲が必要だ。自分が苦労して産み出した作品をバッサリ切られるという犠牲。身を切るほどに辛い精神的苦痛。


 男は子供を産めないが、言うなれば、お腹を痛めて、吐きながら、脳の血管がブチブチと切れるのにも構わず、もういっそ殺してくれというほどの痛みに耐えてようやく産んだ我が子が作品だ。それを他人が見るなり不細工だのなんだのと誹謗中傷してくる。文字通り必死で産んだのに。辛かったのに。痛かったのに。でもこの子は世界でただ一人の自分の愛の結晶。僕だけは見捨ててはいけない。確かに他人から見れば不細工かもしれない。けれども僕にはただただ愛おしい存在。皆が言うように不細工であったとしても、きっと大きくなれば皆を見返すくらい美人になってくれるに違いない。そう思いただ抱きしめる。我が子の顔も見ずに。ただ抱きしめる。

 幾数年に渡り大切に抱えて来た我が子。ある日その愛しい我が子から鼻を突くほどの強烈な刺激臭が漂い始める。どうしたのかと数年ぶりに顔を見て愕然とする。


 不細工だ。


 いやこれはもう不細工とかそういう問題じゃあなくて、そもそも人なのか。こんなにグチャグチャで目玉も落ちかけていて、これではまるでゾンビ映画に出てくるゾンビじゃあないか。

 そう言えば、今までずっと腕に抱えていたせいでご飯も食べさせていなかった。これでは大きくなるはずがない。それに声を聞いたことさえない。あれがしたいこれがしたいと言う我儘を聞いたこともなければ、僕自身がこの子を怒ったこともなかった。ずっと抱きしめていたから。声も出せないほどにきつく強く。誰にも傷つけられたくなかったから。この子の顔が不細工だというなら見えないようにしてしまえばいい。そうすれば誰もこの子を傷つけない。そうすることが愛の証明になると思ったから。

 そうやって愛情を注いでいたつもりだった。だが、しっかりと注ぐに為には距離を置かねば注げない。自分が本当にこの子に愛情を注ぎたいと思ったのなら、ちゃんと子供の顔を見て、耳を傾けて、手を繋いで歩いてあげなければいけなかった。どんなに不細工でも、どんなに我儘でも、どんなに人に傷つけられても。


 恐らくこの子は生まれた時、不細工だったのだろう。だが、ゾンビにはなっていなかった。僕が殺したのだ。独善的な愛で押し潰して。死体になった我が子が腐り果てるまで気付かなかった。


 愚かな親だ。


 そう。


 僕は我が子を傷つけられたかったのではない。

 僕は自分が傷つきたくなかっただけなのだ。

 必死に抱きしめて守ってきたのは、見えないように隠してきたのは、我が子ではなく、自分。


 もう遅過ぎると言うくらいのタイミングでようやくそれに気付いた。だがもう遅すぎるのだ。もう産めない。もう痛い思いはしたくない。

 それにもう二度と殺したくない。


 そう思って筆を置いた。


 だが、十数年の時を経て、僕は正しい愛し方を学び、もう一度産む決心をしたのだ。

 産む覚悟を持つということは、同時に殺す覚悟を持つということであり、更に殺す覚悟を持つということは、殺される覚悟をも持つということである。

 軽々に覚悟を口にしてはいけない。

 口にしてはまた愚かな親へと逆戻りだ。

 だから僕は作品を産むと同時に殺し殺される覚悟をしている。


 と、思考の狭間に肩をポンと叩かれ、びっくりして後ろを振り返った。そこには瓦来かわらいさんが居た。ヘッドホンを取り外し、向き直る。


「なんでしょうか?」

「いや、なんかすごく怖い顔して画面と睨めっこしていたから。筆が乗らないなら、気晴らしもたまにはいいんじゃあないかな」

「気晴らし?」

多楽多たらくた君、初日以外向こうに顔出してないだろう? トミーが会いたがっていたから。もしも君がこれから書こうってところだったのなら集中力を切ってしまって申し訳ないのだけれども、俺の経験則の上では、ただひたすらに筆が乗らないってだけに見えたからさ」


 本当に全くその通りであり、先程の思考回路は作品とは全く別の次元にあるものであったので、言われた通り歌の部屋に行くことにした。

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