第7話 男はいそぐ。

 朝日が浮かぶ前にバードンは出発した。

 背に荷物を殆ど置いてきた鞄を背負い、母親が赤子を抱っこするように、千夏を首からぶら下げた布で抱きしめている。

 千夏は汗を流しつくし幾分か呼吸を取り戻しているが、顔色は青く、ずっと呻き声を上げている。

 もはやなりふり構わず山を越えていく。バードンの足で全力で進むことができればまる一日かからずに開拓村に辿り着くだろう。


 だが、魔境の森は当然のようにそれを許さない。




 開拓村の周囲は広大な平原になっている。その平原の小山となった場所に開拓村はあり、その四方には平原を監視する見張り台がある。

 その北側の見張り台で救援を告げる煙玉が森の奥から打ちあがったのが見えた。


「おい、救援要請だ。報告しろ」


 そう告げたのは見張り台にいた開拓団の兵士だ。


「しかし北側からの救援要請とは珍しいな。今北側にいるのは誰だ?」


 北側は魔獣の数は多いが他に比べて比較的に弱め―それでも十分に脅威だが―の魔獣の住処だ。特に集団で襲い掛かってくる魔獣はいないため逃げるだけならそう難しいことでもない。


「まだ確認しています。ここ数日の大雨で魔獣も腹を空かせていますからね。十分に危険な状況です」


「北に行った奴は昨日ほとんど帰ってきたからな、大方雨で足を止められた新人とかじゃないか?」


 と、団員同士で意見を交わしていると北側に向かった人名リストを調べていた若い団員が悲鳴に近い声を上げる。


「バ、バードンさんです!今北にいるのはバードンさんだけです!!」


 そう告げた兵士の声に皆がギョッとすると、警戒を最大限に引き上げ、四方八方に飛び散っていった。




「団長ぉ!緊急事態だ!バードンから救援要請だ!」


 その言葉にちょうど執務室にいた開拓団団長ヴォイス・リゼルベルクと2人の副団長が驚愕する。


「バードンから?何があった?」


 あの一人で魔境をうろつく大バカが救援要請を出すとはどんな魔獣が出現したのかと、団長は部屋にノックもせず入ってきた古参の仲間のバルキリムに問いただす。


「それが分からねぇ。森は少し騒がしいが、いつもと変わりねぇし、信号が上がったのは北の山外れだ。それにバードン以外の北に行った奴らは皆帰って来てる」


「すると怪我人を拾ったわけじゃなさそうだな。北の山外れとなると、何しに行ったんだ?」 


 以前バードンが救援信号を上げたのは、怪我した団員を見つけたときだ。


「どぉも蜥蜴の皮を獲りに行ったみてぇだ。あそこら辺の魔獣にバードンがやられるとは思えねぇな。それに北の山外れじゃぁ遠回りだろ、しかも随分と時間がかかってやがる」


「あぁ、となるとやはり流れの魔獣か?バードンが怪我して逃げてるってことか?あいつが逃げきれもしないのか!?」


 そう心の底から驚いた声を出すと、眉を寄せて考え込み、言葉を続ける。


「救援部隊の指揮は俺が執る。奴が救援を呼ぶほどの事態だ。魔獣だとしたら奴がただでやられる訳がない、確実に仕留める!それに遠回りまでして追われてるとはどうにも腑に落ちん。不測の事態に備えたい。セレス、お前もついてこい。アオジロは留守を頼む」


「分かったわ」


 副団長のセレス・シャルノールが長い耳を揺らしながら返事をする。


「あい分かった」


 同じく副団長のアオジロ・マグマスタが鬼のような顔に僅かばかりの不満を浮かべながら答える。

 そう二人の副団長が返事をすると、さっそく部隊の編制に取り掛かるため部屋を後にした。




 ハァハァハァと息を荒げバードンが走っている。

 救援信号は無事に受理され、了解を示す返事が打ち上げられた。

 このまま真っ直ぐ進めば何処かで合流できるだろうが、魔獣は常にないほど腹を空かせて殺気立っており、執拗にバードンを攻め立てている。

 バードンは早い段階で森の異変を察知しており、辺り一帯が長い雨に打たれたことに気が付いたが、自分に取れる手段が限られていることも十分に分かっていた。

 腹に抱えている千夏を何とか守っているが、これもいつまで続けられるか分からない。魔獣はそここそが弱点だと全力を持って主張し、千夏をめがけて襲い掛かって来る。

 魔獣の放つ火や、爪の斬撃なら障壁で防げる。

 だが、魔獣の突撃は防げない。

 この周辺の魔獣は物理攻撃を主としている。つまり、躱すか受け止めるかしなければならない。

 ただ、バードンは千夏へのダメージを防ぐため身を挺して魔獣の攻撃からかばっている。

 だからこそ背後からの攻撃は防ぎようがない。


 背後を取られぬよう止まることの出来ない一方的な鬼ごっこが始まった。




 ひたすら走る。

 後ろの魔獣に追いつかれないようにジグザグに、方向を変え、ターンをし、けれども一向に撒ける気配がない。



(そんなに俺が隙だらけに見えるのか)


 追ってくる魔獣が数を増やす。


(いや、違う。何か原因があるはずだ)


 バードンはこの異常に魔獣が集まって来る原因を考え始めた。

 答えが出る前に、頭上から落ちてきた深隠蛇の一撃を食らった。

 この鬼ごっこは完膚なきまでにバードンの負けであった。




 頭から血が噴き出すが、それでもただ走り続ける。

 既に道は大分逸れており、今は当初の予定と別の場所に向かっている。

 バードンはなおも冷静な頭で、いつだか誰かが言っていた話を思い出した。


―洗礼を受けている人間は魔獣を引き寄せる―


 てっきりホラ話だと思っていたが、どうやら本当だったらしい。

 洗礼を受けたって常なら簡単に治せる話で、こんな事態が起こるとは夢にも思っていなかった。


(どうすりゃいいのか聞いときゃよかった)


 もちろんそれを聞いていたとしても役に立つとは思えないが。

 バードンは岩に囲まれた行き止まりに追い詰められた。だが、こここそが役に立つ場所だ。




 行き止まり先の岩の合間から一本の木が生えている。そこの人一人が入れる程度の木のうろの安全を確保すると、ずっと呻き声を上げ続け、苦しそうに呼吸をしている千夏を押し込み鞄で蓋をする。

 千夏の症状が想像よりも遥かに悪化しているように見える。

 思ったよりも時間がないのかもしれない。

 だが、これ以上は逃げきれない。



 不甲斐なく、腸が煮えくり返る思いでバードンが自分を追ってきた魔獣の方を振り返る。

 左右を岩に囲まれた一本道になっており、唯一の道には魔獣がひしめいていて、もう逃げ道はない。



 さて、ここからは籠城戦。体力はまだあるが、頭と左足から血が出ていて背中には血牙兎の突撃を受けている。

 さらに自慢の大鎚は何処かに落としてきた。

 だが、気力は研ぎ澄まされている。腰から大鉈剣を抜くと前方の魔獣を威圧する。


 さぁ、こいつが欲しければ俺を倒して見せろ!!


 このうろの中には何者も入れさせないと、魂で吠える。

 バードンはこれから命がけで守ろうとしている女のことをよくは知らない。

 だが、他人ではない。ここまで共に旅をして昨日は共に笑いあった。バードンにとってはそれで十分だし、それに、女に名前を求めたのは初めてだった。




 魔獣がいよいよ襲い掛かってくると、バードンは難なく切り返す。

 今の俺に弱点など無いと、飛び出した魔獣を剣で、拳で、蹴りで打倒し、自らの武威を示す。だが、それでも魔獣の数は減らずさらに数を増やしていく。

 これは籠城戦。勝利条件はただ仲間が見つけてくれることを信じて、ここを死守することのみである。

 顔を上げて獣のように笑う。


 赤い空から、この戦いを見ているかの様に大きな月が覗いていた。




 迫りくる魔獣はいつの間にか奇妙な秩序を持ち始める。

 バードンに突っ込んでくるもの、倒れた魔獣に食いつくもの、虎視眈々と隙を狙うもの。

 この関係が薄氷のバランスの上に成立しており、今バードンは死にものぐるいでこの関係を保とうとしている。

 敵を倒すことにあまり意味はない。

 打ち捨てられた死体は足場を崩し、敵を隠す。敵の数を増やしたところで全員一斉に攻撃してくることは不可能だから、この場を支配するように時間を稼ぐ。

 また、血牙兎が飛び込んできた。

 これを大鉈剣の腹で受け流すように跳ね返すと、血牙兎は別の魔獣に当たり血を撒き散らす。

 そうすれば、別の魔獣がこれを食い、別の魔獣は注意をそらす。

 さらに一歩踏み込む。

 別の魔獣の胴体を一刀両断し、半分に分かれた死体を蹴り飛ばす。

 魔獣の注意をさらに分散させる。

 見るものが見れば目を疑うだろう、まさしく熟練の戦士の、神業であった。




 この見事な技の数々を称賛するように狼の遠吠えが辺りに響いた。



 中天の月が、陰を落とす。



 仲間の気配は、未だない。



 ここは人類未踏破領域。人に有利な状況など、許されない。



 バードンは自分を鼓舞するように、仲間に呼びかけるように、月に向かって咆哮した。









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