郷愁の道

文野麗

言葉の限界と罪

 昨年のことである。春の日の夕方、私は近所を散歩していた。日は沈みかけていた。暖かさがまだ遠慮するように早々と立ち退いてしまい、夜の寒さが肌に触れ始める、そういう時間帯だった。

 公園で子供たちが遊んでいた。楽しさも佳境に入ったところらしく、夢中になってはしゃぎ声をあげていた。暗くなってきたからには彼らももうすぐ帰らなければならないのだろう。その寂しさを忘れるためか、追い払うためか、より一層無茶を行うらしかった。なぜそう感じるかというと、私にも覚えがあるからだ。同じような場面の繰り返しではなく、ただ一つの実例から記憶がよみがえり、他者の気持ちが想像されるのは不思議であった。

 公園を過ぎ、道を一本挟むとうどん屋がある。個人経営の店で、あまり流行る様子はない。ただ凝った名前だけは近所で有名だ。

 私はこの道を通りながら、思索と共にある感情を抱いていた。あまり楽しくない感情であった。しかしどうしてだか自尊心を満足させるような効果があった。わけもなく苦しく胸が痛み、孤独で、悲しく、にもかかわらずそこに浸っていたいような気持ちだ。私はこの感情は何という名称だろうかと考え、言葉を探した。すると、おそらく「郷愁」だと結論した。

 ところが次の瞬間、こうも考えたのだ。私の抱いていた感情は、本当に「郷愁」であったのか、と。状況と感覚から、なんとなく理性でそう選んだだけではないか。今となってはもう「郷愁」でしかないこの感情を、本当にそう名付けて良かったものかと。

 いくら多くの言葉を尽くしても、真実を表すことはできない。ざるで水を掬うようなもので、真実は、常に網の目と目の隙間にある。だが、それを言葉にしてしまった瞬間に、その事象は言葉通りにしか認識できなくなるのだ。これが言葉の限界と罪である。

この考えを常に思い出すために、私はあの公園とうどん屋の前の道を、「郷愁の道」と名付けた。今年もその季節になった。

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郷愁の道 文野麗 @lei_fumi_zb8

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