第24話 免罪と断罪
「被告、リラ帝国国王代理アフシャーネフ・エスファンディアル」
初老の裁判長の無機質な声が、アフシャーネフの名前を呼ぶ。
「はい」
アフシャーネフは被告人席に立ち、返答した。今日は約五回目の、アフシャーネフの審理の日だ。
目の前に広がるのは、もうすっかり見慣れてしまった法廷の景色だ。
正面には、真っ白な壁の前に置かれた重厚な黒檀の長机に腰掛ける漆黒の法服を着た判事たち。
右手にはアフシャーネフの罪状を事細かに追及する検事、左手には裁判に多少の良心を添えてくれる弁護人。
そして後方には、階段状に作られた傍聴席に座る傍聴者たち。
この広大で重々しい空間を、遥か高い天井に設けられたガラスの天窓から差し込む光が明るすぎるほどに照らす。
(だけど前よりも傍聴席に人が増えたわりには、静かです)
黒い詰襟のアフタヌーンドレスにやや暑苦しさを感じながら、アフシャーネフは裁判長が長い前置きを話しているのを聞いていた。
ヴィーダの裁判が打ち切られた直後は新聞もその理由をあれこれと探る記事で溢れており、アフシャーネフの審理も落ち着かない雰囲気があった。しかし今ではそのほとぼりも冷め、残されたアフシャーネフの裁判が今まで以上に注目されている。
(ザルトーシュト家のヴィーダのお兄さんたちの手際は、さすがに素晴らしいものがありました)
ヴィーダの起訴が取り消された裏には彼女の兄の存在があったことを、アフシャーネフは自分の弁護人を通して聞いていた。軽やかに立ち回る民間の実力者の強さというものに、アフシャーネフはただ感心するしかない。
(おかげ様で私は私にふさわしい戦犯としての罪状で、気兼ねなく裁かれることができます)
アフシャーネフは親友であるヴィーダが法廷から永遠に立ち去っても、心細さは感じていなかった。ヴィーダの存在に勇気づけられていなかったわけではないが、彼女が死ぬ可能性がないことで気が楽になる気持ちの方が大きい。
「それでは、これより別の裁判で供述された証言をふまえた被告人質問に入る。被告人は前へ」
前置きを終えた裁判長が、本題に入るための指示を出す。
どうやら今日は、ヴィーダ以外の他の戦犯とアフシャーネフとの間の責任関係をはっきりさせるための裁判であるようだ。
アフシャーネフは裁判長の指示に従い、証言台に立つ。
すると検事が冷たい声でアフシャーネフに質問した。
「現在別の法廷で裁かれているロスタム元将軍は、被告の命令を受けて南部戦線における無差別攻撃に踏み切ったと述べていますが、この件について被告の証言を求めます」
質問に答えるために、アフシャーネフはロスタム将軍について思い出した。
ロスタム将軍は帝国への忠誠心は深いものの血気盛んな軍人で、共和国と通じたパルチザンとの争いの中で焼夷弾を使い、森ごとパルチザンも民間人も焼き殺してしまった人物だ。
アフシャーネフはロスタム将軍を含めた南部戦線を戦う指揮官たちに和睦を前提とした慎重な作戦をとるよう命令したつもりだったが、彼は何をどう受け取ったのか集団殺戮を引き起こした。
(だけどロスタム将軍もこの帝国の勝利につながると信じて森や人を燃やしたわけですから、大勢の人を死なせた罪は君主である私にあります)
そう考えて、アフシャーネフは口を開いた。
「私の命令を受け取ったことで将軍が虐殺を行ったなら、それは私の命令がそうするよう指示していたということです。私は将軍が行った作戦の結果起きた殺戮の、全ての責任を負わなければなりません」
静まり返った法廷に、アフシャーネフの声が響く。
「被無差別攻撃を命令したことを、認めるのですね」
「はい」
検事の重ねる確認にアフシャーネフが頷くと、書記官がこのやりとりを記録に残した。
裁判はこうして手続きとして粛々と進み、アフシャーネフの罪状を着実に固めていった。
検事の確認はさらに続く。
「戦時中に軍需大臣を務めていたサドリ・シマーは、国営工場で行われていた強制労働や虐待についての報告はまず被告のもとへ届けられ、自分には何も知らされていなかったと主張しています」
「開戦直前に外交特使として外務省に勤務していたパルヴィズ・ビジャンは、開戦を回避できたはずだが被告がそれを望まなかったと証言しました」
アフシャーネフの名前を使って自らを正当化する戦犯たちの言い分が、次々に述べられる。
その全てを、アフシャーネフは肯定した。
「私は私に届いた報告を聞き、そして決断を下してきました。その意味で、彼らの証言を否定する事実はありません」
サドリ軍需大臣は温和な人柄で一見すると暴力とは無縁の技術屋だが、実のところは問題を見て見ぬふりをすることが非常に得意な人間だ。国営工場で行われていた強制労働についても把握しながらも目標生産数を達成するために放置していたが、問題が明らかになってからは報告を得ていたことをもみ消した。
パルヴィズという外交特使の方は、外交費を横領し愛人との交際費に使いこんでいたために開戦前に免職された。勤務していた当時は特に役に立っていなかったが、戦争終結後は非常に仕事熱心だったということになっている。
彼らは彼らが主張するような、潔白な人物ではない。
しかし彼らの言う通り、アフシャーネフも強制労働の件を知らなかったわけではないし、実際に開戦の勅令を出したのはアフシャーネフである。
だからアフシャーネフは好んで彼らを重用していなくとも、彼らの罪を暴いたりはしなかった。
罪を認め続けるアフシャーネフの代わりに、弁護人が書類を手にささやかな反論を加える。
「異議があります。ここにサドリ・シマー宛ての国営工場内での虐待の報告書があります。この報告書の存在を被告しか知らなかった可能性は極めて低く……」
しかしそれは裁判の大局には影響を与えず、公平性を演出する効果しかもたらさない。
(おそらくもう判決が決まっているからこそ、この法廷は静かなのでしょう)
判事や検事と言った自らの役割を忠実に果たすだけの人間のやりとりを眺めながら、アフシャーネフは考える。彼らはただひたすらに、アフシャーネフを死刑にするための段取りを進めている。
そしてアフシャーネフ自身もまた、自ら死刑判決を望む被告という役割を演じている。
国を敗戦に導いたアフシャーネフの、民衆からの評判は悪かった。
しかしアフシャーネフは本来静かで謙虚という印象を他者に与えることが多く、質素に黒髪をまとめて粛々と罪を認めれば、その罪状通りの悪女には見えないはずである。
実際アフシャーネフは反抗的な態度をとっていたヴィーダと違って、法廷で罵声を浴びせられたことはない。
傍聴席で裁判の様子を見ている人びとは今このときも、同情的な眼差しをアフシャーネフに向けている。
(ですが責任を押し付けられる不幸な君主だからといって、私は無罪になることを願われるわけではありません)
アフシャーネフは自分の置かれた立場を、冷静に把握する。
本当の民衆はそれほど愚かではないし、素直でもない。この裁判に正義がないことも、この国が敗戦国である限り判決が予め定められていることも最初から気づいている。
それにも関わらず民衆が声を上げないのは、アフシャーネフが死ぬことが人々にとって都合が良いからである。
帝国の民は戦争の被害者として、死と荒廃に苦しめられた。だが命令を下したのが誰であれ、現実に加害者として銃を手に罪なきものを殺戮したのもまた帝国の民である。いくら国家の責任を問題にしたとしても、暴力に加担した人間の存在を消すことはできない。
被害者として振る舞う人々の心の奥底には、自らの手を汚してしまったという良心の呵責が眠っている。
この負い目を誤魔化すために死を望まれるのが、この国の君主であるアフシャーネフだ。
アフシャーネフは敵国による一方的な裁判によって死刑になり、そして殺される。その断罪が人々を免罪し、加害者としての立場を忘れさせる。
こうして生き残った者たちは、過ちを忘却して自分たちで都合の良く偽装した未来を歩む。
だから傍聴席の人々は裁判に正義がないことを理解しながらも、気付かぬふりをして法廷に立つアフシャーネフを見守る。アフシャーネフが死ぬことで、自分自身の罪が帳消しになることを望む。
実際の罪の重さに関わらず死ぬとわかっているから、誰もアフシャーネフを罵ったりしないのだ。
(私は彼らの計算を暴いたりはしません。私自身が死ぬことで得られる免罪を求めているのは、他ならぬ私自身ですから)
そしてアフシャーネフもまた、帝国に生きる一人として自分自身の死を都合のよいものとして考えてた。
人が人として集団を作って生きれば、大なり小なり何かしら不幸な結果について誰かが責任を負わなければならないときがある。
たまたまアフシャーネフは国家の滅亡を背負うことになったが、それはおそらく本質的には、特別なことではないありふれた話であるはずだった。
(死刑判決を受けて死ぬのが私の天命なのならば、それから逃れる必要はありません。私は決断も選択も苦手ですから、むしろ一つだけを与えてくれた方が気が楽です)
アフシャーネフはそう諦めよりも強く納得して、被告として証言台に立ち続ける。
この裁判の判決が変わる未来があるとしたら、それは正義や悪の問題ではなく人々の損得の問題によってしか訪れない。
しかし今のところ、アフシャーネフが死んで損をする人間はこの法廷にはいなかった。
損得抜きでアフシャーネフを救おうとしたヴィーダも敗北し、もうこの裁判に関わることはない。
アフシャーネフの死の意味を覆すことは、誰にもできないはずなのだ。
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