第28話 彼らの理由
ヴィーダがリオネルの手紙を受け取った二日後。
ギゼムはミヌーに頼まれ、リオネルを乗せて夕闇の首都を走っていた。
車は屋敷のものではなくミヌーが手配したごく普通の乗用車で、どこかで借りたものであるらしい。予定ではミヌーと家を忍び出たヴィーダの二人を待ち合わせ場所となっている路地裏で拾い、メフル宮殿へと向かうことになっている。
ヴィーダがアフシャーネフのいる宮殿に忍び込もうとしているとミヌーから聞いたとき、ギゼムはなぜそんなことをする必要があるのかまったくわからないと思った。
だが断る理由もないので、雇われた者として黙って従い運転する。日の暮れかけたネスフェの街の道路は交通量が多く、無数の車のライトが連なり進みは遅い。
一方助手席に座っているリオネルは、屋台で買ったと思われる紙に包まれたパンケーキを手づかみで食べていた。この地方特有の、刻んだ香味野菜の入った具沢山のパンケーキである。
(緊張感のない男だな……)
ギゼムはハンドルを握りながら、助手席のリオネルを横目で見た。
リオネルが着ている焦げ茶の軍服は戦場で戦った敵と同じ服装ではあるが、戦争が終わった今そこに敵愾心を抱くことはない。だがその造り物のような美貌や軍人らしくない不可解な行動は、ギゼムを理由もなく不安にさせる。
「この車ってもしかして飲食禁止?」
自分が見られていることに気づいたリオネルが、口いっぱいに頬張ったパンケーキを飲み込み尋ねる。
ギゼムはリオネルへの不信をなるべく隠して、普通の疑問しか持っていないふりをして答えた。
「いや、何でこんなことに付き合ってくれるのが気になって。あなたは共和国の人なのに」
社交辞令のつもりで、ギゼムは無難な質問をする。
するとリオネルは他人事のように笑って、パンケーキを包んでいた紙を折ってもてあそんだ。
「さあ、どうしてだろうね。逆に外国人だからこそ、好奇心で動けるのかもしれない。そういう君はヴィーダと王女について、どんな考えを持っているのかな? 元軍人みたいだし、何かしら思うところはあるような気がするのだけど」
リオネルは一応自分の答えを話したが、すぐに鏡のように質問を質問で返してくる。
自分の話をふられるとは思っていなかったがギゼムは、考えがまとまらず言葉を濁した。
「俺はただ、あの家に仕える者として行動しているだけです。あの人たちの人生にわざわざ価値判断を下す気はありませんよ。できるだけ幸せになってほしい、くらいは思いますけど」
「じゃあ君は、あの戦争に疑問はないってこと?」
ギゼムが本音と建前をごまかすと、リオネルはその境界を見極めるようにじっとこちらを見つめる。
自分の話は適当に終わらせたくせに他人のことは細かく聞いてくるリオネルは、本当に面倒な男だとギゼムは思った。適当に答えれば答えるほど質問され続けそうなので、ギゼムは仕方がなく本音を話す。
「終わってからあれこれと言うことは誰にでもできます。俺は俺なりに答えを出していますから、わざわざ文句をつける気はないですよ」
正しいのか間違っているのか、そんな議論はギゼムには馬鹿馬鹿しいことのように思えた。ギゼムにとっての戦争は、行って戦い、帰ってきたことがすべてだ。
そして渋滞気味の道のなかなか進まない前方の車を眺めながら、ギゼムは何となく気分でつけたした。
「それに、勝って正しければ幸せになれるってものでもないでしょう。どこのどんな人間に生まれたって、戦場で銃を持つことの本当の意味は変わらないはずです」
ギゼムは極貧の農家に生まれ、仕方がなく志願し兵士になった。末端の歩兵だったので、消耗品のように扱われたこともある。だがギゼムは敵を殺して、死を回避し生き残った。
恵まれた家に生まれた人間は、戦場でも少しよい場所にいることができる。だけどそれでも、死ぬときは死ぬ。正義や悪もそれと同じで、本当のところは戦場では意味がない。問題はただ、殺されるのか殺すのか、ということだけだった。
そんな暴論を提示したギゼムの言葉に、リオネルは琥珀色の目を興味深そうに輝かせる。
「君も何だか、強い人だね」
リオネルの声には、なぜかうらやましげな響きもあった。
君も、というのは誰と並べられているのだろうと思いつつ、ギゼムはリオネルの評価を否定しようとした。リオネルのような常識からはややずれた者が相手であったとしても、ほめられるのは何かが違うと思った。
「言っておきますが、俺は善人じゃないですよ。望んだ結果ではないですが、人を殺した自分が嫌じゃありません。俺はそういう人間です」
初めて殺した相手は、塹壕で銃を撃っていた自分と同じ年頃の共和国兵だった。引き金を引いてその青年を撃ったとき、怖くもあったが一人前になれた気もした。
人を殺したことがない人よりも一つは多くのものを知っているという事実は、ギゼムに少なからず優越感を与える。ギゼムはそんなモラルの欠けた自分が嫌いではなかったが、世間でこの感情を吐露すれば人でなし扱いされることはわかっていた。
だからギゼムはリオネルに、悪い評価を下すなり茶化すなりしてほしかった。そうした扱いの方が予想していた分、安心できる気がした。
しかしリオネルはやはり、ギゼムの期待を優しげに裏切る。
「自分を肯定できるのは良いことだと思うよ」
リオネルは遠く窓の外を見つめて、無意味に美しい横顔で微笑んでいた。
そのリオネルの表情からは、彼には彼の考えというものがあることがよくわかる。
だがそれがどういったものなのかはよくわからないので、ギゼムはあまりリオネルの近くにいたくはなかった。ギゼムにとっては、リオネルの隣の運転席よりも戦場の方がずっと居心地が良い。
だが渋滞はまだまだ続き、目的地には未だ着きそうにない。ギゼムはため息をついて、クラッチを離してギアをニュートラルに入れた。
ヴィーダや王女という雲の上の人たちの友情がどうなろうと知ったことではないが、ギゼムは運転手として働かなくてはならないのだ。
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