第21話 本当の敗北

 車は旧市街でリオネルを降ろした後、ヴィーダの実家であるザルトーシュト本家の屋敷に向かった。


 今はもう故人である父が宮殿の移転に合わせて建てたその巨大な屋敷は西方風の外観で、切妻屋根の上には港に入る自社の船を眺めることができる八角形の望楼があった。

 中の部屋もすべて近代的な生活様式に即して作られていて、カーテンや壁紙などの内装やコート掛けやテーブルなどの調度品もすべて豪奢な舶来品で揃えられている。長いこと帰っていなかったヴィーダにとっては、もはや異国の住居に近い場所だ。


「オミード様と、ヴィーダ様がお戻りになりました」


 侍従が重々しい玄関の扉を開け、二人の帰宅を告げる。

 玄関ホールの天井は高く、ステンドグラスになっている窓からの光が綺麗な開放感のある空間である。


 しかし久々の実家とはいえヴィーダにうれしさはなく、暗い気持ちでオミードの後をついて家に上がり、絵画や花瓶の飾られた廊下を進む。


 すると屋敷の奥へと続く廊下から、何やら部屋着姿の男がゆっくりとした足取りでやってきた。別に出迎えにやってきたわけではないらしく、手には湯気の上がっているマグカップを持っている。


「あ、オミードだ。数日ぶりか?」


 男はまるで毛玉のように髭と髪が伸び放題で顔が見えず、一瞬誰だかわからなかった。しかし声から察するに、男は二番目の兄のジャムシドであるようだった。


 オミードは、おそらくジャムシドであろう奇怪な姿の男と会話をする。


「さあ、下手したら一週間ぶりくらいじゃないか? ヴィーダとは本当に久しぶりだよな」

「そうか、ヴィーダもいるんだ。そういえばファルハードが、そんなこと言ったな」


 興味が薄めの反応で、ジャムシドはもつれた前髪の奥にあるはずの目でヴィーダを見た。ジャムシドは本来母親譲りの美貌の持ち主だった気がするが、こうも適当な自己管理では美男子でも意味がない。


「ジャムシド兄上、だよね。ファルハード兄上は今どこにいるのかな?」


 いつも部屋に引きこもって兵器の設計図ばかり描いている兄に怒りをぶつけるわけにはいかず、ヴィーダはファルハードの居場所を尋ねた。


 すると二階へと繋がる廻り階段から、偉ぶった声が返事をする。


「私ならここだ、ヴィーダ。兄と妹の感動の再会だな」


 ヴィーダが階段を見上げれば、つややかに磨かれた木の手すりに手を置いてファルハードが立っていた。


「ファルハード兄上……!」


 深い恨みを込めて、ヴィーダは兄の名前を呼んだ。


 父亡き後ザルトーシュト族の頂点に立つ長兄ファルハードは、今日も仕立てのよい背広姿でヴィーダを見下ろしている。


「しかしお前は何を一体怒っているのやら。助けてやったんだから、泣いて感謝するのが普通だろう?」


 ファルハードはヴィーダが自分に憎しみを向けている理由をわかっていたが、あえて知らないふりをして馬鹿にした。


 そうしたファルハードの振る舞いだけで、ヴィーダの怒りは大きくなった。

 さらに加えて、妹の決めたことに口出しする気はないとファルハードが面会時に語っていたことを思い出し、ヴィーダはより兄を許せなくなる。


「私はこんなこと頼んでない。兄上の嘘つき。好きにしろって言ったくせに」

「結末は私が決めるからこそ、お前に自由を許したんだ。お前の人生にはひとかけらも興味はないが、私の妹が処刑されるなんて判決は論外だ」


 ヴィーダが吐き捨てるように言い返すと、ファルハードも同様に攻撃を仕掛ける。

 妹の生き死によりも自分の考えを重視するその言い分はファルハードの本音そのままで、建前などは一切ない。


 ヴィーダとファルハードが口論を始めると、オミードやジャムシドは巻き込まれることを避けてそれぞれ自分の部屋へと去る。


 二人だけになったことで、さらにヴィーダは長兄への怒りを燃やす。


「だけど、何も言わずに決めるなんて」


 何よりも気に入らなかったのは、ヴィーダが何も知らされていなかったことである。自分が中心であるべき問題であるのに蚊帳の外に置かれるのは、耐え難いことだった。


 しかしファルハードは、ヴィーダの嫌悪など気にせず説教を始めた。


「教えたら教えたで、お前は文句を言うに決まっているからな。お前は十分に恵まれているくせに、いつもそれ以上のものを欲しがる。いい加減に自分に見切りをつけて、耐え忍ぶことを覚えろ。今までお前が散々好き勝手やって来れたのも、一族にとってそれが都合良かったからに過ぎない。状況が変われば、都合も変わる。これがお前の本来の身の丈に合った立場だよ」


 ファルハードは容赦なくヴィーダの人生を否定する。

 その硬質で鋭い声は冷たく現実的に響いていた。


「でも……!」


 なかなか口を挟めないほどに断言するファルハードに、ヴィーダは何がなんでも反論しようとする。

 ファルハードの言っていることが間違っているとは思わないが、それでもヴィーダはどこか不当に自分が低く見られているような気がした。


 だがファルハードは、ヴィーダの反論を許さない。

 兄妹揃って顔だけでなく、饒舌になると歯止めがきかないところもよく似ていた。


「でも、は無しだ。私はお前が女だからとかそういうことでこの話をしてるんじゃない。なりたい存在になる難しさは、誰だって同じだ。お前は機会を得た分、夢を見たからつらいんだろう。だけど何事も、いつかは終わりが来るんだ。未来は常に選べるものではないし、どうしても納得できないこともある。駄々をこね続けるのは、子供のすることだ」


 ファルハードの理屈は至極もっともで、ヴィーダは何も言えずに聞いていた。ファルハードの言葉は今も昔も、ヴィーダには覆すのが難しい。

 しかもかつてと違い、ファルハードは妹をある意味では一人の人間として見ているし、ヴィーダもまた感情だけで反発できるほど子供ではなくなっているので、昔以上につらくもある。


 そしてさらに追い討ちをかけるように、ファルハードはヴィーダの浅はかさを指摘した。


「だいたいお前は私たちのしていることを馬鹿にしているようだが、こういう積み重ねがあるから我々は生きてゆけるんだ。帝国の人口に比べれば少ないかもしれないが、私だって社員とその家族の人生には多少の責任を持っている。好き勝手に生きてきたお前に、文句を言われる筋合いはないからな」


 ファルハードは利己的な人物だが一つの企業を背負う社長でなおかつ既婚者でもあるので、内実はどうであれ言葉にはある程度の重みが生まれる。


 確かにヴィーダは兵器開発を巡る敵国との駆け引きを嫌悪し、それによって命が助かったことを恥じていた。

 だがその兵器開発の利権があったからこそ、ヴィーダは夢を追うことができるほどに恵まれたのだ。きっとファルハードから見ればヴィーダは、自分の着ているものや食べているものがどのようにして手に入るのかも知らずに文句を言う、甘い考えの妹なのだろう。


(でも正論だからって、ここまで言うことないじゃん)


 鋭い批判を展開するファルハードを、ヴィーダは目を潤ませてじっとにらんだ。

 何かを言えばぼろを出し泣いてしまいそうな気がして、プライドが高いヴィーダは言い返すことができない。


 ファルハードに言い負かされている今このときは、ヴィーダの人生において何よりも大きな敗北だった。


 たとえ戦争や裁判に負けても、世間では悪女と評価されても、自分のことは自分の意思や気持ちでどうにでもなると思っていた。間違いや誤りを自覚した上での選択だと信じ、何もかもわかったつもりになっていた。


 だがそれらはすべて、大きな驕りだったのだ。ヴィーダは自覚して開き直っていた以上に、ひどく傲慢で愚かだった。


 沈黙するヴィーダを、ファルハードは階段の上から見下ろしせせら笑う。


「黙っているということは、さすがのお前でも反省したか?」

「兄上は多分、正しいことを言っているよ。だけど私、それでも兄上に従う人間にはなれない」


 ヴィーダは自分の非を認めるしかなかったが、素直にファルハードに同意することはやはりできない。


 あまりにもヴィーダが言い負かされても意地を張ろうとし続けるので、ファルハードは飽きた顔になってヴィーダに背を向けた。


「……こいつには冷静になる時間が必要なようだ。ミヌー、部屋へ連れて行け。外出はさせるなよ」


 階段を上がり立ち去るファルハードが声をかけると、ヴィーダの侍女であるミヌーが姿を現す。


「かしこまりました。お帰りなさいませ、ヴィーダ様」


 一応は主人が危機を乗り越え帰ってきたという状況にも関わらず、ミヌーはまったく感動した様子も無く慇懃無礼に挨拶をしてヴィーダを二階へと連れて行った。


 兄の勝ち逃げを許すしかないヴィーダは、しぶしぶミヌーの案内に従う。


「ミヌー。あなたもわざと黙って、私を騙していたんだね」


 ヴィーダは廊下に敷かれた絨毯を踏んで歩きながら、今度はミヌーを責めた。ミヌーの異常な落ち着きぶりは、すべてを知っていたとしか思えなかった。


 するとミヌーは、最小限に取り繕って弁解をする。


「人聞きの悪いこと言わないでください。私だってもろもろの事情に気付いたのはこの館に来てからですし、ファルハード様に口止めもされていたんです」


 ミヌーは面倒そうに自分が置かれていた状況を話し、着いた部屋のドアを開けてヴィーダの方を向いた。


「何にせよ、あなたにはもうこの局面でできることはありません。ここでゆっくり、これからの人生について考えたらどうです?」

「お前に言われなくても、わかっているよ」


 休息を勧めるミヌーに、ヴィーダはそっけなく返事をした。本人は励ましているつもりなのかもしれないが、ミヌーの忠告はヴィーダの感情を逆撫でする。

 ミヌーの辛辣な物言いは普段は好ましいが、今日はあまり聞きたくはなかった。


「そうですか。では、また」


 ヴィーダを一層不機嫌にしたミヌーは小さく微笑んで会釈をして、また一階へと戻って行った。

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