第20話 背後に立つ者

「リオネル、これは一体どういうこと?」

「とりあえず落ち着いてくださいよ。俺だって今ここに来たばっかりで、何も事情を知らないんですから」


 本来ならやや遅刻に近い時間に控え室にやってきたリオネルを、ヴィーダが問いつめる。


 リオネルは情けない顔をして、ヴィーダから逃げるように弁解した。本気で慌てているところを見ると、リオネルはヴィーダと同じように何も知らないらしい。


 しかし、ヴィーダの気持ちは簡単には収まらない。


「でもこれは、あなたの国が決めたことでしょ。少しは知ってたっておかしくないんじゃないの?」


 にじり寄るヴィーダに、リオネルが目をそらして後ずさった。


「そうは言っても、俺も末端寄りの人間ですから。勘弁してくださいよ」


 自分もまた唐突な決定に振り回されていることを、リオネルは訴えかける。

 これ以上追及したところでリオネルから得られる情報はないことを理解しつつも、ヴィーダはさらに口を開いた。


「末端でも何でも、そこは雰囲気とか文脈とかでいろいろ察して考えてよ!」


 ヴィーダが不満をぶちまけていると、そのとき部屋のドアが突然開いた。

 廷吏か誰かがやって来たのだと思い、ヴィーダは静かになってドアの方を向く。


 だが見えたのは、ヴィーダが知っている人の顔だった。


「廊下まで声が聞こえてるぞ、ヴィーダ。混乱しているのはわかるが、もう少し良家の子女らしく話せよ」


 ドアを開けて苦言を呈している男はヴィーダの三番目の兄、オミードである。


「オ、オミード兄上?」


 突然現れた兄の背広姿を見たとき、ヴィーダは誰が自分を違法に無罪にしたのかを理解した。


 ヴィーダの罪を隠蔽することを望み、そうする力を持つ者。それは兵器製造を営む大企業の一族として保身を図る、ヴィーダの兄たちだった。


 ◆


 その後ヴィーダとリオネルは、オミードの用意した車に乗って裁判所を出た。護送車などではない普通の車なので、ヴィーダにはオミードがサングラスを貸してくれた。


 ヴィーダは眼鏡を外して、サングラスをかける。


 カーテンのない窓から光がさんさんと差し込む落ち着いた内装の車内に座ると、自分が罪人ではなくなった実感がわく。

 全開にしたサンルーフから吹き込んでくる外の風は、ヴィーダの憤りに反して爽やかである。こうした新鮮な車内の空気は、被告人として拘束されていたヴィーダには久々だ。


「リオネル・カストネルさん。これまで愚妹がお世話になりました」


 助手席に乗るオミードが、後部座席のリオネルに愛想よく笑ってお礼を言う。

 占領軍との交渉役を勤めているオミードは背が高くわりと精悍な顔立ちで、ヴィーダの三人の兄の中では比較的常識のある振る舞いができる。


「いえいえ、俺は仕事をしただけですから」


 リオネルもまた、外面のよい笑顔で対応する。


「それで、どこまでお送りしましょうか?」

「そうですね。どこかで昼食を食べてから職場に戻ろうと思うので、旧市街のあたりで降ろしてくださると助かります」


 行き先を尋ねるオミードに、リオネルが腰の低い態度で答える。


 するとオミードは、運転手に指示を出した。


「だそうだ、ギゼム。旧市街に寄ってくれ」

「かしこまりました」

「あ、ヴィーダ。彼は最近うちで働き始めた運転手のギゼムだ。お前は今日が初対面だよな?」


 ヴィーダの知らない顔の運転手が返事をすると、オミードが思い出したように紹介を始める。

 運転手は黒い巻き毛を短く刈った、彫りが深く日焼けした顔の男だった。左頬には大きく目立つ傷跡があり、明らかにただ者ではない雰囲気がある。


 だがヴィーダは、わざわざ今その謎の運転手に興味を持つことはできない。


「確かに初めましてだけどさ、新しい運転手の話よりももっと大切なことについて話してよ」


 社交辞令的な表面上のやりとりに耐え切れなくなったヴィーダは、リオネルの隣の後部座席からオミードをせっついた。


 オミードは面倒くさそうに、頬づえをついて窓の外を見る。


「そう急かすなよ。お前とリオネルさんには、ちゃんと説明する気はある」

「その言い方だと、やっぱり私を起訴取り消しにするように圧力をかけたのは兄上たちなんだね」


 すべてを知っているような口ぶりの兄に、ヴィーダは反感を強めた。自分の知らないところで勝手に結末を決められていたのなら、最後まで戦おうとしてきたヴィーダはまるで道化である。

 苛立ちを隠さないヴィーダの視線に、オミードはやっと仕方が無く本題に入った。


「まあ、そういうことになるな。うちの会社が作っている兵器の情報は、結構価値があるものらしいんだ。だからジャムシドが考案した特殊な爆弾の設計図とか、そういうものを共和国に渡すことで、うちの会社はいろいろと見逃してもらうことになっていた」


 オミードが語る共和国との取引は、敗戦したことへの負い目と法廷で向き合い続けてきたヴィーダにとっては卑怯な逃げにしか聞こえない。だがその方針は他人事ではなく、ヴィーダが属するザルトーシュト一族のものだった。


 ヴィーダにはまったく知らされていなかった裏の動きを、オミードはさらに説明する。


「その細かいすり合わせが思ったよりも時間がかかってしまって、裁判が始まるまでにお前への起訴を取り下げられなかった。何とかお前も罪を問われないことにできたのが、ついこの前というわけなんだ」


 そしてオミードは、ほんのささいな問題しかなかったかのような口ぶりで一連の出来事についてまとめる。


「だから少々変則的な歪な形での起訴取り消しになってしまったが、うちもお前も評判が悪いのは昔からだしな。批判があるのは覚悟の上だ」


 ヴィーダの兄たちは、利権を巡る汚い交渉を隠すことをもうあきめたらしい。


 こうしてオミードに洗いざらい話されると、ヴィーダはいよいよ自分が無罪になった理由がくだらないものであるように感じた。こんなにも馬鹿馬鹿しい八百長の世界でアフシャーネフの死が決まるのかと思うと、頭が痛くなってくる。


(ここまで善悪に意味がないのなら、誰も人を裁けないんじゃない?)


 しかしヴィーダがまったく認めることができないオミードの説明に、隣のリオネルはあっさりと納得していた。


「なるほど、そういうことだったんですか。今度はカークランド連合国との戦争があるでしょうし、うちの国も新技術は欲しいでしょうね」


 リオネルは、ヴィーダの起訴取り消しが自分とは関係のないところでの話であったことに安心している。


 ヴィーダを罰することを強く望んでいた検察官あたりは、もしかしたらこの起訴取り消しをひどく悔しがっているのかもしれない。

 一方でリオネルにとっては、法廷では正義と平和を語りながら裏では次の戦争の準備をしている祖国の所業もたいした衝撃ではないようだ。


 政治とはそういうものであると言わんばかりのオミードとリオネルの割り切りが嫌になって、ヴィーダは思わずサングラスを外して握りしめて声を上げた。


「簡単に私の人生を片付けないでよ! こんな卑劣な方法で無罪にして、私にこれからどうしろって言うわけ?」


 ヴィーダの怒鳴り声が、車外にも聞こえそうなほどに響く。


 オミードは妹の剣幕にため息をついて、肩を落とした。


「この件について決定を下したのはファルハード兄上だ。怒るなら、家に帰ってからにしてくれよ」


 長兄の名前を出して、オミードは責任を逃れようとした。さりげなく家族の問題であることを強調し、リオネルという部外者の目があることをヴィーダに思い出させる。


「そりゃ、そうなんだろうけど……」


 その言い分にリオネルの前で兄妹の喧嘩をすることが恥ずかしくなってきたヴィーダは、まだまだ言い足りない罵倒を飲み込んで押し黙る。


「いいじゃないですか。妹想いのお兄さんたちで」


 リオネルが他人事だと思って、適当に笑う。


 だがヴィーダは、兄たちが思いやりなどではなく打算で動いていることをよく理解していた。


 家名を守るとか戦後も商売する都合とかそういったつまらない理由で、ヴィーダの決意は無駄にされたのだ。

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