第14話 彼の日常

(さて、今日は何を食べようか)


 ヴィーダの二度目の裁判の次の日、リオネルは首都ネスフェの街の人混みを歩いていた。目的はこの土地ならではの昼食を食べることだ。


 この街には占領軍として多くの共和国人がいるので、共和国人向けに営業している食堂もいくつかはある。

 だがリオネルは食べなれた祖国の味ではなく、未知の異国の味を食べたかった。そのためにわざわざ軍服からネルシャツとスラックスに着替えてハンチング帽を被り、職場から離れたところにいるのである。


(それに昼食の時間くらいは、同僚とじゃなくて一人で過ごしたい)


 知り合いが周囲にいないことに逆に安心感を覚えながら、リオネルは思った。


 寒冷地である母国にはない色とりどりの薄手の服を着た、彫りの深い顔立ちの褐色の肌の人々。

 リオネルは今異邦人としてそうした異国の人ばかりの場所を歩いているわけであるが、同じ共和国の人間と一緒にいる息苦しさに比べるとずっと気が楽な気がする。


 他の戦犯の弁護を担当している同僚の法務官たちは、リオネルと違って法の力を信じている真面目な人間が多い。裁判の正義を信じているからこそ、敵国人の弁護が全力でできるすごい人々だ。


 宗教や王権への崇拝を捨てた共和国が、国を挙げて信仰する対象である理性。同僚たちはその信仰の正しさを迷うことなく信じている。

 リオネルは同僚を嫌う気持ちは無いものの、いまいちそういった国家思想に馴染めないでいた。職場にいる時には天然な性格ということでごまかしてはいるが、心の内では祖国の正義を疑っている。


 ヴィーダが指摘しているように、実際に滅ぼされた国からすれば共和国は排他的な侵略者なのだろうと本当に思う。共和国の指導者たちは自分たちが世界をより良く出来ると信じて疑っていないが、リオネルには彼らは驕っているようにしか見えない。


 しかしそうは言っても、リラ帝国に問題がないとも思えない。理由は何であれ、帝国が国際的に許されない殺戮や弾圧を行ってきたのは事実である。共和国がその歴史の中で罪を犯してきたように、帝国にもまた罪がある。リオネルはそうしたあきらめにも似た歴史観を持っていた。


(でもある意味、これくらいの姿勢だからこそ今までうまくやって来れたのかもしれない)


 リオネルは孤児院出身であり、法務官になったのは養子先の家の意向が大きな理由である。動機は極めて薄く、正義を求める気持ちはない。しかしそんな冷めきった心を持つリオネルだからこそ、可能になる弁護もある。ヴィーダを弁護することも、おそらくその一つの形なのだろう。


(それはそうと、いい感じの食堂を探さないとな)


 適当なところで思考を旅行者に切り替えて、リオネルは街並みを眺めながら歩いた。


 現在リオネルがいるのは庶民の居住区に近い裏町の商店街で、宮殿が見えたり近代的な大建築があったりするきらびやかな中心部とは違い、狭い道にレンガ造りの建物がひしめく雑多な雰囲気の場所である。立ち並ぶ店も細々としており、売っているものも金物や衣類に食料など生活感にあふれていた。


 敗戦直後ということで物資が十分にあるというわけではなさそうだが、店も客も工夫して熱心に売り買いをしている。どうやら共和国の占領はそれなりにはうまくいっていて、人々は活気を取り戻しつつあるようだ。


 もう時間は昼過ぎだが営業している食堂は少なくなく、あちらこちらからよい匂いが漂う。


 それらの店から、リオネルはそこそこすいていてゆっくりできそうな店を選んだ。

 店の前では地元の子供が数人、何かの動物の骨を使って遊び興じている。看板はぼろぼろで文字を判別しづらかったが、そのことが逆に隠れた名店の期待を持たせる。


「こんにちは」

 キイキイと音の鳴る木製のドアを開けて中に入ると、奥の厨房から汗だくの中年男性が現れてリオネルを迎える。

「いらっしゃいませ。おや、共和国の方ですか。こちらにどうぞ」

 リオネルが共和国人であることに気づくと、店主の男性はより一層愛想が良くなった。この街に住んでいる人々の共和国人への反応は敵視か同調かの二種類であるが、ここの店主は後者を選んでいるらしい。


 ほどよく自然光が入る店内には木製の長机が並んでいて、店主が一人で切り盛りしている食堂のわりには席数には余裕がある。床の掃除がやや適当なのは気になったが、香辛料のよい香りには料理への期待が煽られた。


 店主はエプロンで手を拭きながら、リオネルを席に案内した。他にも数人の客が入っているが、彼らもリオネルを一瞥しただけで特に気にしている様子はない。


「ご注文はいかがいたしましょうか」

「じゃあ、定食を一つで」

「かしこまりました」


 リオネルが帽子を脱ぎつつ適当に答えると、店主はうやうやしくお辞儀をして奥の厨房へと引っ込んだ。


(戦争に負けた国……と言っても、どうやら全員が全員何かを大きな背負うものではないらしい。だからこそ、人は生きていけるのだろうが、ちょっとずるくもあるよな)


 辺境よりもずっと豊かで王朝の繁栄の恩恵をもっともうけていたはずの首都ですら共和国の占領を受け入れている者が多いことに、リオネルは少々冷淡な印象を受けた。


 本人たちも自覚している通り、ヴィーダや王女は国を滅亡させた悪女としてなかなか嫌われている。

 しかしそれを差し引いても、自分たちの属していたはずの世界をあっさりと否定する民衆の変わり身の早さには驚かされた。戦争の加害者であると同時に被害者でもあるかよわい民衆は、時折したたかで無責任な顔も見せる。


 リオネルもこの国に生まれていたらきっとこの店主と同じように振る舞っていたに違いなく、それは自己嫌悪に近い感情である。しかしそれでもリオネルは、どうしても大義を持たない人々を蔑んでしまう。


(正しさよりも勝ち負けが大事なのがこの世界。でも世界がそんなものだとしても、何かを信じて死ぬ人生に価値がないとは、俺は言えない)


 この世には本当の真実なんてないと言わんばかりに立場を変える人々の存在を目にしながらも、リオネルは崇高なものを求めて死ぬ人たちの存在について考えた。


 リオネルには、軍人になってわざわざ戦場で戦って死んだ孤児院の幼なじみがいる。彼はどうも、共和国が戦うことが世界の平和に繋がると本気で信じていたようだ。

 しかしリオネルの目には、親友であった彼の求めていたものは映らない。孤児院で同じように育ったはずであるのに、二人は何も分かち合えない。最も親しい相手が生きていた時ですら、リオネルは孤独だった。


 リオネルはそうした自分の生まれ持った性質にむなしくなって、疎外感を強めた。


 何かを信じることもできないのに、完全に割り切ることもできない中途半端な自分の立ち位置。リオネルはどこにも行けないまま、あきらめと憧れを抱えて漂っている。

 そんなことを考えながらペシミスティックな待ち時間を過ごしていたところ、店主が料理を運んできた。


「お待ちどおさま。本日の定食です。ごゆっくりどうぞ」


 店主が料理の載ったトレイをリオネルの前に置いて、笑顔を向けて去る。

 そのトレイの上の内容の充実ぶりに、リオネルは思わず葛藤を忘れて琥珀色の目を輝かせた。


(おお、思ったより品数が多い)


 メニューはヨーグルトの冷製スープ、焼きナス、ピタパン、そして大きめの金属皿にたっぷりと盛られた細切り肉のトマト煮込みである。


 リオネルはさっそくスプーンを手に取り、まずはスープに口にした。冷たいヨーグルトベースのスープは温暖なリラ帝国にぴったりなさわやかさで、中に入っているすりおろしたキュウリの触感がくせになる。


(そしてこの、ヨーグルトのちょっとした塩気が好みだなあ。こっちのメインはどうだろう?)


 ゴマのついたもっちりと香ばしいピタパンに、煮込み料理を載せて食べる。すると羊の肉の独特の風味とトマトの酸味が口いっぱいに広がった。

 味は香辛料が効いていてわりと辛めであるものの、一緒に煮込まれたタマネギや豆の甘みでちょうどよくなっている。


 付け合わせのこんがりと焼かれた焼きナスも、チーズと黒胡椒であえられていてなかなか凝った味付けだ。


 リオネルはそれらの料理をゆっくりと口に運び、心ゆくまで味わった。量も十分すぎるほどで、食べ終わる頃にはベルトがややきつくなっている。


(ヨーグルトのスープが美味。あと羊の肉の臭みが気にならない煮込み料理が良かった……っと)


 リオネルは追加注文したお茶を飲みながら、鞄から出した手帳に料理の感想を書いた。

 小ぶりなガラスのグラスに注がれた緑色のお茶は砂糖がたっぷりと入った熱々のミントティーで、共和国で飲まれている紅茶とはまったく違う甘くて苦い不思議な味がする。


 こうしたひとときが、リオネルのささやかだが最大の幸せだった。


(きっと彼女には、俺は食べることしか考えていない男に見えているだろうな。まあ、否定はしないけれども、この国でも食をもって天と……何とかと言うらしいし、食は大事だ。ことわざの続きは忘れたが)


 満腹になったところで、食事の後に会う予定のヴィーダのことを思い出す。

 ヴィーダはリオネルのことを不可解な人間として見ているようだが、リオネルにとってはヴィーダこそがよくわからなかった。


 戦犯として裁かれているはずなのに、ヴィーダはなぜか妙に生き生きとしている。正直に言ってしまうと、リオネルにはヴィーダが自分にはないものを多く持っているように見えて羨ましかった。


(俺は駄目な弁護人だから、彼女が死刑になったとしてもそれはそれでいい人生なんじゃないかと思ってしまうよ)


 負けた国のために死ぬというのはどんな気持ちなのだろうかと考えながら、リオネルはお茶をもう一口飲む。


 幸せも不幸せも小さな毎日を送っていると、極端な不幸まで欲しくなってしまう気がした。

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