第10話 そして軍事法廷へ

 翌日、ヴィーダは護送車に乗せられて裁判所に向かった。


(反感を買わない程度に控えめで、なおかつみすぼらしくはない装いって難しいよね)


 手鏡に映る自分の姿を見ながら、ヴィーダは前髪をもてあそぶ。

 化粧はミヌーに指示された通りに薄く仕上げ、髪はすっきりと団子に編み上げた。服は裾長の民族衣装で、黒が基調で刺繍が控えめな代わりに裏地が赤いのがアクセントになっている。胸元には、花弁を模した金属片が連なる銀の首飾りをつけた。


(どれもわかりやすく値が張るものではないし、大丈夫だとは思うんだけど……)


 緊張の表れなのか何なのか、細かいことが気になった。


 そわそわと眼鏡を拭くなどしているうちに、車は裁判所に到着する。

 車のドアが開いたので降りると、周りには大勢の野次馬がいた。


 新聞記者等が中心だが、裁判を傍聴しに来た市民もいるようだ。顔を一目見てやろうと思っているだけのような人から敵意丸出しの人まで、雑多な人々がヴィーダを一斉に見る。共和国の兵士が制止しているので差し迫った危険は無さそうだが、さすがに少々怖い。


(かち合わないように配慮してくれればいいのに。そりゃ入口はすぐそこだけどさあ)


 ヴィーダは兵士に先導されて、重々しい石細工によって構築された車寄せの屋根の下を歩いた。吊り橋を渡るときは下を見ない方がいいに決まっているので、取り囲む人々とは目を合わせない。ざわついた騒音の中の罵詈雑言も、出来る限り聞き流す。

 だがどうしても頭は向けられた言葉を拾い、ある声がひどく耳についた。


「兄さんと故郷を返してよ、馬鹿女……」


 それはまだ年若い少女の声だった。つぶやきに近いのにも関わらず、妙にはっきりとヴィーダに響く。


 ヴィーダはよせばいいのに、つい反射的に衆人に目を向けてしまった。

 すると人と人の隙間に立つ、色あせた布で頭から全身を覆った十五、六歳くらいの少女と目が合った。少女はもつれた前髪の下の、刺すように憎しみがこもった目でヴィーダを見ている。その瞬間、ヴィーダの胸の奥で心臓が跳ねた。


(あ、駄目だ)


 少女の強い感情に後ろ暗くなって、ヴィーダは慌てて目をそらした。

 好都合なことに、入口はもうすぐそこであった。


 ヴィーダは足早に、兵士の後をついて天秤が描かれたレリーフパネルで飾られた玄関をくぐる。ヴィーダが通り抜けると重厚な金属製の扉は閉ざされ、衆人とヴィーダは分け隔てられた。

 しかしそれでもヴィーダは扉の向こうにいる少女の存在を忘れることができなかった。


(最初からわかってたはずだよね。私が恨まれるってことは)


 ヴィーダは赤い絨毯のひかれた廊下を歩きながら、心を落ち着かせようと努力した。だが速まった鼓動は、なかなか収まってはくれない。


 少女は本来辺境に住んでいる民族の服を着ていた。


 兄と故郷を返せと言っていたということは、おそらく少女は帝国による少数民族の反乱の鎮圧の中で兄を殺され故郷も失い、この土地に流れ着いたのだろう。

 帝国の支配の安定という名目のために、大勢の罪なき命が死を迎えた。その責任の一端は、間違いなく王女の秘書官だったヴィーダにもあった。戦時中は見て見ぬふりで通したことも、今後はそうはいかない。


 ヴィーダは何となく覚悟を決めたつもりでいたが、いざ現実の人の感情をぶつけられると案外自分が何も考えていなかったことに気付かされる。


(気持ちを切り替えないと。こんなにも簡単に動揺してるんじゃ裁判に負ける)


 ヴィーダは少女の残像を振り払うように、自分にそう言い聞かせた。


 向けられた悪意は理不尽なものではなく、正当なものだった。本当ならここでじっくりと罪に向き合うのが、人として正しい道だろう。

 だがヴィーダはそれを弱さと決めつけなければ、前に進めない状況にいた。今までの迷いのなさが間違いであったとしても、今は姿勢を変えているときではない。


 そうしてヴィーダが罪悪感を消し去ろうとしていると、前を歩いていた兵士が突き当りのドアの前で足を止める。


「ここが控え室だ。裁判開始まで、しばらく待つように」


 兵士はドアを開けて、ヴィーダを部屋に入れた。

 中にはかつて帝国の司法の未来を託され厳かに建てられた裁判所にふさわしい、贅を凝らした空間が広がっていた。真っ白な天井の梁には四季折々の花の彫刻で彩られ、板張りの壁は深い色合いに磨きこまれている。


 そしてその部屋の中央に置かれたベルベット地のソファと丸型テーブルの応接セットには、もうすでにリオネルが座っていた。


「あ、おはようございます」


 驚くべきことに、リオネルはテーブルに木のへぎで包まれた弁当を広げて食べていた。

 見ると中身は豆入りの蒸しご飯と鶏の串焼きで、部屋には焼けた鶏肉の匂いが充満している。とても今から軍事法廷で弁護をする人物であるとは思えない様子だ。


「寝坊して朝ご飯食べる暇なかったんで、街で買ってここで食べることにしたんです。この豆ごはん、ほんのりバターの風味がしておいしいですよ」

「……それは良かった。幸せな朝食だね」


 無邪気にヴィーダを見上げ、味の自慢をしてくるリオネル。ヴィーダは脱力し皮肉で笑ったが、おそらく通じていないだろう。


(普通、ここで弁当食べる気になる? っていうか、大切な日なんだから寝坊しないでよ)


 リオネルの緊張感のなさに呆れかえりながら、ヴィーダはリオネルの向かいに座った。

 だがリオネルが食欲に対して素直なおかげで、民の憎しみを知ったことによる不安が少しは薄れたのも事実である。


「そんなに物欲しげに見られても、串焼きは譲れませんので」

「別に、鶏肉が欲しいわけじゃないから」


 ヴィーダはリオネルの予防線をいなし、ボタン留めのソファに深々と座ってやがて来る時を待った。

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