第9話 裁判準備

 そしてそれから三週間、ヴィーダはリオネルとほぼ毎日面会し、共に裁判の準備を進めた。


 ヴィーダの主張の方向性は、この度の戦乱は共和国の侵略的行為から始まったものであり、帝国には戦争を遂行する正当な理由があったというものだ。

 ヴィーダは帝国の政治に関わり敗戦を避けられなかった人間として国民に対して責任は負うが、正義の裁きを標榜する共和国の言うような世界に死と破壊をもたらした罪とやらを認める気はない。


 今回の戦争の戦勝国であるディヴィンヌ共和国は、市民や農民が革命を起こして王を処刑し、人民によって選ばれた者たちの集まる議会によって政治が行われるようになったという歴史を持つ。

 しかしその結果生まれたのは急進的な思想を持った者たちによる政権で、彼らはそれまで国の根幹にあった信仰や文化を破壊し、理性や真理への崇拝を新たな道徳規範とした。独裁政権を打倒し身分に差のない平等な社会を実現させたと言えば聞こえはいいが、結局は理想とされる国の枠組みに邪魔な存在を粛清し排除しただけである。


 革命の生んだ暴力は君主制を敷いていた周辺諸国にも向けられ、共和国は自由や平等の名の下に侵略を重ねた。敗北し滅ぼされた国々は、共和国に支配された傀儡国家となったり、共和国の一部として吸収されたりした。理性による新しい秩序を広めることは、共和国にとって明白なる使命だった。そうやって共和国が膨張した結果、帝国は共和国と国境を接し、勢力圏を争うことになった。


 そしてその対立の先に待ち受けていた戦争で、リラ帝国は共和国に負けた。帝国を東方の野蛮国家と蔑む共和国は、帝国を速やかに解体した。帝国を滅ぼすことで、共和国は勢力圏を大きく東に広げた。

 だがそれで世界に平和が訪れるわけではない。おそらくこれからは海の向こうにある、広大な植民地を持った海洋国家・カークランド連合国と共和国の対立が深まるのだろう。


(一つの戦争が終われば、また次の戦争が始まる。きっとそれはどの国が勝ったとしても同じで、変わることのない法則なんだ)


 こうした歴史の中で、帝国に対してだけ戦争についての責任を問うのは馬鹿馬鹿しいことだとヴィーダは思った。


「これが貴方の主張ですか。それなら共和国は帝国を侵略したって根拠を具体的に明示するところから話を始めるのがよさそうですね」

「じゃあ冒頭ではそこらへんの話をするとして、次の検察側の質問の論点になりそうなのはどこだろう」


 リオネルがヴィーダの主張の要点を書いた紙を見ながら、弁護の方針を組み立てる。リオネルとのそうしたやりとりを通して、ヴィーダは自分の考えを裁判で話せる形にまとめた。お互い率直に意見を言う性格であるので、話し合いは楽と言えば楽である。


 ヴィーダの主張はリオネルの祖国である共和国に対して批判的だが、リオネルは気にせず常に裁判の準備を進めることを一番に話をする。それは弁護人としての中立的な姿勢というよりは、リオネルは元々政治に対して冷めているところがあるように感じられた。


(思想統制のある共和国の中でエリートとして生きているということは、リオネルもそれなりに愛国心のあるふりはできるのだろうけど、変な人ってだけじゃない何かがあるよね)


 しかしヴィーダにとってはその立場の複雑さよりも、時折発揮されるリオネルの避ける気のない失言の方が問題であった。そういう性格であるということをわかってはいても、神経を逆なでするリオネルの言動には忍耐が試される。

 ヴィーダへの裁判官の心証を良くする方法について半ば雑談していたときの言いようなどは、特にひどかった。


「参考までに聞きたいんですけど、貴方の人柄について良い感じの話をしてくれる人はいないんですか?」


 もしも任意の人物を証人として呼ぶことができるなら、と仮定しリオネルはヴィーダに尋ねる。


「それって。友達とかってこと?」

「はい。あとは女学校の恩師とか教師時代の同僚とか、恋人とか……。あ、すみません。恋人はいないですよね」


 聞き返すヴィーダに、リオネルは爽やかな笑顔で地雷を踏みにきた。

 確かにヴィーダは男性経験がないが、最初からないこと前提で話を進められると言われると腹が立つ。


(いや、兄が三人もいるせいで異性に夢がないだけで、別に欲しくてもできなかったわけじゃないんだけどさあ。こんなふうに言われると、馬鹿にしてるとしか思えないよね)


 嫌う気はないのであえて言及はしない。だがリオネルのこういったわざわざ人を苛立たせるところは苦手だった。


 そうして二人で裁判の準備に取り組み囚人としての生活を送っているうちに、いつの間にか三週間は過ぎ去っていた。

 目の前のことに集中しようと思って過ごせば、気付けば明日が裁判の初日である。


 代わり映えもなく面会室で書類をめくっているリオネルを前にして、ヴィーダは果たして本当に自分は明日裁かれているのだろうかと不思議に思った。陳述書などはすべて予定通りに出来上がっているのだが、現実感はまったくわかない。


(この新聞には明日開廷って書いてあるけど、これって私のことなんだよな)


 ヴィーダはいまいちぴんとこない気持ちで、リオネルが参考資料として持ってきた新聞を読んだ。ヴィーダの裁判が始まることを報じたその記事に載るモノクロの顔写真は、まるで自分の顔ではないようによそよそしく写っていた。

 記事文の内容もやたらヴィーダが好んで異民族を蔑み虐げ戦乱を招いたように書かれていて、非常に悪意を感じる。


 こうした報道の情報操作によって、ヴィーダやアフシャーネフは悪女と呼ばれるようになったのだ。


(世間での評判はともかく、アフシャーネフは私の裁判での供述を聞いたらどんな顔をするんだろう)


 読み終えた新聞を折りたたみ、ヴィーダは宮殿に残ったアフシャーネフのことを考えた。融通が利かないくらい真面目なアフシャーネフが、ヴィーダの選択に何と言うのか反応をあれこれと想像する。

 そうしているうちにアフシャーネフの現在の様子が知りたくなって、ヴィーダは机に身を乗り出してリオネルに尋ねた。


「ねえ、私が裁判初日ってことは、王女の裁判もすぐ始まるってことだよね。あっちの様子は、どうなのかな」


 主君でもある親友のことなので、ヴィーダは本当にアフシャーネフの様子について気になっていた。

 しかしリオネルにとってのアフシャーフは他人に過ぎないので、書類から目を上げることもなく関心が無さそうである。


「王女の弁護を担当する人とは普段あんまり話さないんで詳しいことは知りませんが、目立つ噂がないってことは無難にやってるんじゃないですか?」

「もうちょっと真面目にさあ……。いやでも普通ならそれが、一番なのか」


 あっさりしすぎたリオネルの返答に、ヴィーダは文句をつきかけた。だがアフシャーネフが一切の弁護も受け付けないというような極端な選択をしていないらしいことは、安心すべきだと思い直す。


(きっと私はアフシャーネフの意思に反したことばかり話すだろうけど、それでも許してほしいな)


 ヴィーダは机に頬づえをついて、明日法廷に立っている自分の姿を思い浮かべる。

 戦いは長いが、一瞬だって後悔しないものにしたかった。

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