第8話 敵国の弁護人
次の日、朝食を終えたヴィーダは面会室で自分を弁護する予定の法務官を待った。
面会室は、事務机と椅子が二脚置かれた狭い部屋だった。
ドアには見張りの共和国兵が立ち、窓には金属の格子がはめられていて、逃走を防止している。
(もうそろそろ、来てもいい時間だけど……)
ヴィーダは壁に掛けられた時計を見た。針は約束の時間である九時に近づいている。
そうしてすることもなく数分ほど暇を持て余していると、兵士が立っている横のドアが開いて一人の男が入ってきた。
「おはようございます。えっと初めまして、ですよね」
明瞭に響くわりに締まりのない挨拶ともに笑顔で現れたのは、共和国の士官階級の軍服を着た背の高い男だった。年齢はおそらくヴィーダと同じ二十代後半といったところで、楽観的な空気を漂わせている。
だがあまりにもその容姿が整いすぎていたので、親しみを感じることはできなかった。
(これが西方の美男子ってやつ?)
ヴィーダは挨拶を返すのも忘れて、男をじろじろと見回した。
ふわふわと波打つ淡い色合いの茶髪に、無駄に長いまつげの下から覗く透き通るような琥珀の瞳。肌は上質な陶器と同じくらい白く、目鼻立ちは舶来の人形のように細やかに整っている。
表情が能天気なので人間味がないわけではないが、その造り物じみた美貌との落差が奇異で取っつきづらい印象を与えた。
しかし男は、ヴィーダが何も言わないのも気にせず話しかけてきた。
「俺はリオネル・カストネルです。ディヴィンヌ共和国軍所属の法務官やってます。貴方がヴィーダ・ザルトーシュトさんですよね」
リオネルと名乗る男は、手を伸ばし握手を求める。
「そう、私が王女の秘書官をやっていたヴィーダ・ザルトーシュトだよ。どうぞ、よろしく」
そこまでしたくはなかったが、ヴィーダは仕方がなく立ち上がり握手に応じた。
リオネルの手はほっそりとしてなめらかで、軍人然とした感じはまったくない。法務官とは法曹資格を持つ武官として軍隊で法務業務を担当する者のことであるので、軍に所属してはいても戦闘に関わることはないのだろう。
しかしそれはそうとして、リオネルの線の細い長身を包む鶯茶の詰襟の軍服は単純にファッションとして見ればよく似合っている。
(実用的っていうよりは、観賞用の軍人かな。どっちにしろ顔は私の好みじゃないんだけど)
適当にリオネルから手を離し、ヴィーダは再び着席した。
リオネルも、ヴィーダに向かい合って椅子に座る。そして地味な長着を着たヴィーダの姿を興味深げに見つめ、口を開いた。
「今回の大戦では、諸民族の自由のため腐敗した帝国を打ち倒せっていうのがうちの国のスローガンでした。その文脈の中では、あなたは民を虐げ戦を好む邪悪な影の権力者とされています」
憎しみも怒りもなく、リオネルはむしろ面白がるように物騒に話を切り出す。
「ですからどんな恐ろしい女性かと思っていましたが、案外可愛らしい方でほっとしました。新聞での扱いは誇張ですかね。それとも貴方は、猫を被った蛇ですか?」
リオネルの好き勝手な言いように、初対面のわりに結構失礼な男だとヴィーダは思った。
だがリオネルは特別皮肉を言ったつもりではないようで、綺麗な顔でこちらに微笑みかけている。差別的な思想は持っていないようだが、どこかずれた男である。
「私は猫でも蛇でもないよ。悪女っていうのは無理には否定しないけど、積極的に認める気もないから」
「じゃあ裁判では、名誉挽回して死刑回避を目指す予定ってことでしょうか。俺の頑張りも、それによって変わってくるんですけど」
リオネルの言動に遠慮は不要だろうと感じ取ったヴィーダは、本音をそのまま伝えた。
するとリオネルは、身も蓋もないことを臆せず妙にはきはきと言ってきた。
(いやそこは、私の意見がどうであれ頑張るふりくらいはしてよ。被告人が死んでもいいって言っても、弁護人が手を抜いちゃ駄目でしょ)
露骨という程度を超えたリオネルの言動に、ヴィーダは久々に心から驚いた。ヴィーダ自身も建前を避ける方だと思っていたが、上には上がいるものである。
今までは限られた国交の場でしか話したことはなかったが、共和国人ならこれが普通なのだろうかと一瞬考える。だが後ろに立つ見張りの兵士もリオネルの発言に二度見しているので、やはり万国の基準に照らしてもおかしいのだろう。
そのリオネルの正直すぎる態度につられて、ヴィーダもつい饒舌になる。
「そうだね、死刑はなるべく避けたい。なおかつできれば、王女には無罪になってほしいな。あ、あと責任逃れっぽい発言はしたくないから、なしの方向性で」
自分は死刑を回避して、アフシャーネフは無罪に。なおかつ、責任を他に押し付けない。この望みは、今まで人にはっきりと話したことはない。あまりにも夢想的すぎて、言うのがはばかられたからだ。
だがリオネルを前にすると、自然と口をついて出る。
リオネルは自分自身の言動は棚に上げて、ヴィーダの言葉にくすくすと笑った。
「わりと言いたい放題な要求ですね。まあ、勝てる保証はまったくできませんが、仕事ですからご希望にはなるべく添えるよう努力しますよ」
そしてリオネルは持ってきた革のスーツケースの中をがさごそとあさり、ぶ厚い書類の束を取り出し机の上に置いた。
ヴィーダはその書類を手に取り、ぺらぺらと中を見る。
「えっと、これは? 日程表?」
「はい。貴方が受ける裁判についての伝達事項が、それに記されています」
そう言って、リオネルはヴィーダに裁判をめぐる手続きなどについて軽く説明を始めた。
やっと本題だ、とヴィーダは思った。
「あなたの裁判は、三週間後に始まります。いろいろ書いてありますがとりあえず初日にあるのが冒頭陳述と被告人質問で、それまでに提出する書類が……」
とうとう、ヴィーダは三週間後に裁判の初日を迎える。
リオネルの話によれば、冒頭陳述の内容に被告人質問の受け答え用の答えなど、裁判までに考えなければならないことがたくさんあった。課題が少しずつ見えて、ヴィーダのやる気は増していく。
「被告人であるあなたも呼ばれてやってくる証人も、具体的には弁護人である俺か検察官の質問に答える形で話します。だから受け答えの練習が特に大事ですね」
「なるほど。口頭試問みたいな」
「まあ、そんな感じです」
一見すると馬鹿のように見えるリオネルではあるが、話は簡潔でわかりやすい。ヴィーダはそのリオネルの実務能力に一瞬安心しかけた。
だがしばらく話したところで、リオネルは段々説明が面倒になってしまったらしい。早くも腕時計をちらちらと見て、申し訳なさそうに話を中断した。
「……あの、あとは読めばわかると思うんで、省略していいですか? わからないことがあったら、適宜質問してくれればいいですし」
「わかった。後で一通り読んどくよ」
「それじゃもうお昼ですし、こんなところでいいですかね。また明日来るんで、日記とか役に立ちそうなものがあったら用意してきてください」
「うん。古い手帳があるから持って来る」
明るい顔になって次回の話に移るリオネルに、ヴィーダはしぶしぶうなずいた。多少真面目になった雰囲気は、あまり長くは続かない。
(まだ一時間しかたってないし、ここからが大事なんじゃないのって気がするんだけど、帰るって言うなら仕方ないか)
ヴィーダはもう少しきちんと話を詰めたかったのだが、リオネルの集中力が完全に切れたようなのであきらめる。
一人で仕事が終わった気分になっているリオネルは、機嫌が良さそうに立ち上がった。
しかしふと何かを思い出したように、ヴィーダに問いかける。
「ああ、あと最後に聞きたいことがあるんですけど」
そのリオネルの眼差しが妙に真剣だったので、ヴィーダは一瞬身構えた。
リオネルは人形のように整った顔をヴィーダにじっと向けて、前置きの続きを言う。
「ここネスフェの街って、どんな食べ物が美味しいんですか? おすすめのお菓子とかあれば、教えてください。できればこの戦後もちゃんと営業しているお店も一緒に」
もったいぶったわりに間の抜けたその質問内容に、ヴィーダは思わず脱力した。
(重要そうな顔してそんな話か。っていうか今までずっと軟禁されてる私が、店の営業状況知ってるわけないでしょうが)
リオネルの優先事項のあり方に、ヴィーダは呆れかえった。だがわざわざ邪険に扱う理由もないので、親切に恩を売ってあげることにする。
「私のおすすめは、ピスタチオ入りのパイかな。よく食べられるお菓子だから、この情勢でもどこかでは取り扱っていると思う」
「ピスタチオ入りのパイですね。どういう系のパイなんでしょうか」
「えーっと、鳥の巣みたいな形のパイにピスタチオが入ってるって感じ? 生地にレモンシロップをかけて食べるとさっぱりしておいしいよ」
「なるほど。ありがとうございます」
ヴィーダがわざわざ詳しく教えてやると、リオネルは軍服のポケットから手帳を取り出して今日一番の熱心さでメモをとった。どうやら仕事よりも何よりも、食に関する情報収集の方が大事らしい。
「じゃあ、おつかれさまでした」
有力な情報に頬をほころばせて、リオネルはスーツケースを手にいそいそと面会室を出た。きっとピスタチオ入りのパイを探して、街へ繰り出すのであろう。
「おつかれ。また明日ね」
聞こえていないだろうけれども、一応ヴィーダは呼びかける。
一瞬で終わった初の顔合わせに、ヴィーダは不安なようなほっとしたような、複雑な気持ちになった。
裁判はすぐそこであるのに、リオネルのような適当な人間が弁護人で大丈夫であろうかという不安。だが同時に有能そうな部分も感じられ、信頼できないわけではない。
(でもとりあえず、あの男にやってもらうしかないか)
ヴィーダは、リオネルが残した書類の束を手に自答した。
異常に端整な容貌はまったく好きになれる気がしないが、敵国の人間であることを感じさせない性格はある意味良いものなのかもしれない。
何であれ彼は、ヴィーダの味方に選ばれたのだ。
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