第二章
第7話 後宮を後にして
終戦からちょうど半年たったころ、とうとうアフシャーネフとヴィーダは正式に起訴されて、被告人となった。
ヴィーダは別の場所に移され、アフシャーネフはそのまましばらくこのメフル宮殿に残ることになる。
共和国の兵士が見張る中、宮殿の中庭でヴィーダは見送られる。
水の止まった噴水を取り囲む中庭は手入れが行き届いておらず荒れていたが、往時を偲ばせるように水仙の花が咲いていた。
荷物をまとめたトランクを手渡しながら、ミヌーが口やかましく言い含める。
「私は起訴後はもうついて行けないので、ザルトーシュト家のお屋敷の方で働かせていただきます。ですが私がいないからって、身だしなみをさぼらないでくださいよ。妙な姿で裁判受けていたら、許しませんから」
「それはちゃんと努力するよ。私だって格好悪いのは嫌だからね」
ヴィーダはトランクを手に、胸を張って答えた。湿っぽいことを嫌うヴィーダにとってミヌーはまさに理想的で、照れ隠しなどではない本当に素っ気ない別れを実現してくれる。
だがもう一人の別れる相手、アフシャーネフはそうはいかなかった。アフシャーネフは悲しげな顔をして、口を閉ざして立っている。
(別にまだ、死ぬと決まったわけじゃないし……)
それほど憂鬱な気持ちにはなれないヴィーダは、明るい声を作ってアフシャーネフの肩を軽く叩いた。
「じゃあね、アフシャーネフ。また裁判所とか、どこかでは会うだろうけど」
自由に会えなくなるとしても、まったく会う機会がなくなるということではない。ヴィーダはアフシャーネフに、離れ離れになることをそこまで重く捉えてほしくはなかった。
普段通りに振る舞うヴィーダにアフシャーネフは目を細め、あきらめたように肩をすくめて無理に笑う。
「あなたがそう言うのなら、それくらいの別れってことにしておきましょうか」
とはいえやはり、アフシャーネフの柔らかな声はさびしげに響いた。
一応別れは別れであるので、ヴィーダは一応きちんとアフシャーネフに向き合う。常に自分を律するアフシャーネフの気高い美貌は、彼女の孤独を隠してただ静かにヴィーダのすぐ目の前にあった。
「そうしておいてくれると、嬉しいよ。それじゃ、元気でね」
「ええ。ヴィーダも、体に気をつけて」
「ありがとう。じゃあ、もう行くね」
ヴィーダはアフシャーネフとミヌーに別れを告げ、共和国の兵士に連行されて中庭を去った。
途中で少しだけ振り返ると、晴れた空の下でヴィーダを見つめ続けるアフシャーネフが見えた。真っ青な御服を身にまとったその姿は、廃園に咲く白い水仙に囲まれ一枚の絵のように美しく映えて、妙に印象に残る。
この短いやりとりが、二人の一応の離別だった。数年にわたる主従関係に反して、別れは一瞬で過ぎ去った。
◆
宮殿を出た後は、共和国の用意した車両に乗って移動する。
黒い護送車の窓にはカーテンが取り付けられていたが、隙間からは少しだけ外を覗くことができた。車は市街地を通る広々と整備された道を走っている。
(街の様子を見るのは何時ぶりだろう。わかってはいたけど、やっぱり戦争の影響は大きいな……)
窓から見える首都の姿は、もはやヴィーダが見知った街ではなかった。
攻められる前に降伏したので、この首都ネスフェは戦場にはならなかった。だから西方の影響を受けた近代建築と古い都市建築が調和したレトロモダンな街並みは、今も変わらない。
銅板葺きのドームが輝く重厚な石造の大建築に、連続したアーチや柱の石材に施された動植物のレリーフが華やかなビルディング。そうした近代的な建物がいくつもそびえる一方で古代の水路や城壁があちこちに残り、長い年月を経て重なる煉瓦の色合いが悠久の歴史を感じさせる。
しかしそこにいる住民の生活はすっかり変わってしまっており、道行く人々は身なりも表情も疲弊しきっていた。
道端には路上生活者や浮浪児が増え、中には傷痍軍人の物乞いもいる。戦火により流通網が麻痺しているためだろう、闇市とおぼしき場所を形成している露天商の姿も見えた。直接破壊されたわけではなくとも、街は死の臭いに満ちて病んでいた。
その荒廃した街の雰囲気にヴィーダは、敗戦後の数か月間の中でもっとも深く戦争に負けたことを実感した。戦場になったわけではないこの首都がこれだけひどい状況なのだから、戦場になった場所はさらに悲惨なのだと思われる。
(この惨状が、私たちの選んだ戦争がもたらした結末か……)
ヴィーダはかつて、共和国との戦争は避けられないと信じて行動した。正当性は自分たちにあると確信していた。
しかし今この路上に降り立ち、戦争で親を失った子や傷を負った兵士を前にしても同じことが言えるかどうかはわからない。
(だけど私はやっぱり、アフシャーネフみたいにすべての非がこの帝国にあるとは思えない。正しいと信じた理由を、完全には捨てられない。こんなふうに自分の過ちを認めきれないまま大勢の人の死を正当化するからまた、人の命を軽く扱う悪女だって言われるんだろうか)
ヴィーダは割り切れない気持ちで、カーテンの隙間を閉じる。
犠牲を目の前にしても考えを改めることができない融通の利かなさを、普段なら自分の強さだと信じることができた。
だが自分の下した決断の結果不幸になった人々を目撃した今日は、自分がひどく利己的で冷たい人間であるような気がする。
ヴィーダは重苦しさに息をついて、車に揺られた。もう少し注意深く生きて来ればこうした死や破壊の影響を感じる機会はもっと多かったのかもしれないが、ヴィーダは良くも悪くも今まで鈍感に生きてきた。
しばらくすると、目的地に着いたらしく車が停車する。
「着きました。降りなさい」
若い女性の兵士がドアを開ける。
共和国は市民や農民の起こした革命によって建てられた国であり、男女の性差のない平等をうたう社会が出来上がっているので、女性の兵士がいることもめずらしくはない。
女性兵士の言葉に従って外に出ると、そこは共和国の占領軍が接収した地区にある建物の裏口の前だった。道を通る車に一般のものはなく、周辺にいるのは占領軍と彼らとともに仕事する人間だけである。
建物は小さな宿泊施設のような造りで、占領軍が何らかの施設として使っているようだ。
数名の兵士に囲まれて、建物の中に入る。非常階段のような場所を上がって廊下を歩き、いくつかのドアを通り過ぎると、ヴィーダは一つの部屋に案内された。
「ここがあなたの次の収容場所です」
女性兵士はそう言って、ドアを開けた。
中に入ってみると、ベッドや机などの最低限の簡素な家具が置かれた殺風景な部屋であった。築浅でそれなりに小奇麗ではあるが、生活感がなく寒々しい。そこまで狭くはないのに家具が少ないのも、冷たい雰囲気を強めている。
しかしそれでもまだヴィーダは女性として優遇されているのであり、男として普通の収容所に送られればもっと悪い環境なのだろうとは思った。
「ふーん。まあ、清潔感があるのは良いことだね。ありがたく使わせてもらうよ」
さっそく用意された棚を開けたりしてみながら、ヴィーダはお礼を言った。
まるで賃貸物件の下見をしているような調子のヴィーダに少々面食らったのか、女性兵士は困り顔になる。
「……それなら汚さず、綺麗に使いなさい。明日はあなたを弁護する法務官がやってきますから、荷解きは今日中に済ませた方が良いでしょう。くれぐれも、妙な気は起こさないように」
女性兵士はヴィーダの今後の予定を軽く説明した。そして必要最低限のことだけを言うと、さっさとドアに鍵をかけて立ち去ってしまった。
おそらく彼女は真面目な人で、不可解な敵国人であるヴィーダとあまり接していたくはないのだろう。
部屋に一人になったので、ヴィーダはベッドに座り、そのまま寝転んで寝心地を試してみた。白いシーツをかけられたベッドはかためであるが、そう品質の悪いものではない。
(えーと、私を弁護する法務官が来るのが明日だっけ。優秀な人だといいなあ。あんまりにも馬鹿を用意してきたら、それはもう嫌がらせだよね)
ヴィーダは女性兵士のした説明について考える。
今回の軍事裁判では、一方的な印象にならないように裁かれる帝国の人間にも共和国人の弁護が付けられることがあった。案外よく働いてくれる人たちであるとは聞いているが、それでも敵国の人間であることは事実なので不安は残った。
(あと、さっきの女兵士の人、妙な気を起こさないようにって言ってたな。妙な気って……ああ、自殺のことか)
見上げてみると、天井は家具を積み上げても手が届かなさそうなほどに高い。おそらく、首を吊らせないためだろう。窓も小さな採光窓しかないので飛び降りも不可である。まさに、罪人として収容されているといえる状況だ。
(そこまで気を遣ってもらわなくても、私はそんなことしないけどね)
疲れて寝転んだわけではないので、ヴィーダはすぐに起き上がって、荷解きを始めた。
自分の持ち物を置いてみれば、この何もない部屋にも愛着がわくだろう。
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