第4話 悪女という肩書
その後ヴィーダはミヌーに勝手にいなくなるなと怒られた後、浴場へ向かい入浴した。
浴場では洗髪から脱毛までの一切を侍女のミヌーが行ってくれるので、ヴィーダがぼんやりとまどろんでいるうちにすべてが終わる。
帝国でも指折りの美女だった母親譲りの金髪と緑色の瞳はヴィーダの地味な顔立ちと寸胴体型とは不釣り合いで悪目立ちするのだが、ミヌーの美容技術のおかげでその差は埋まり、外見の優劣の度合いはかなり底上げされた。
ミヌーが手順を一通り行った後は、浴場の中心にある浴槽でお湯に浸かる。
「湯加減はいかかでしょうか」
「完璧なお湯だよ」
ヴィーダは熱めのお湯の中で足を伸ばし、ほかほかと気持ちがよくなった。
浴場はかつて宮殿に王がいたころはその寵姫が使用していたものだったということもあり、かなり凝った造りとなっている。その美しさは、眼鏡をとって物をはっきりとは見えなくなっているヴィーダにもある程度はわかるほどだ。
なめらかな曲線を描く陶製の浴槽の縁に頭を預けて湯気の行く先を見上げれば、大理石の柱に支えられた丸みを帯びた天井が見える。天井にはすりガラスがはめ込まれた丸く小さい窓がいくつか空けられ、広々とした浴場を薄明かりで照らしていた。
白と青のタイルがモザイク状に貼られた壁に設けられた給水盤は、金細工によって見事に装飾されている。
(正式な起訴はまだとは言え、この状況でこんなに良いお風呂に入れるのは、やっぱり私が王女と距離が近い存在であるおかげだよね)
ミヌーが焚いてくれているいただきものの沈香の甘い香りに一息つきながら、ヴィーダはアフシャーネフの側近となった理由、そして自分が悪女と評価されるようになった過程を振り返った。
◆
アフシャーネフの父である先代フーシュヤール王は、この国の近代化を成功させた英雄的な存在である。フーシュヤール王の治世には優れた臣下が多く、産業も商業も発展し、政治も憲法制定と議会設置により絶対王政から立憲君主制へと一応は移行した。
しかしフーシュヤール王は跡継ぎにはなかなか恵まれず子供は長い間アフシャーネフ一人であり、男児が生まれたのは病で崩御する数年前であった。
そのためアフシャーネフは先王崩御後、幼い異母弟に代わって国王代理として玉璽を受け継ぎ政務を執った。ほとんど中継ぎで即位したような形である。
次期国王となる予定だったアフシャーネフの異母弟は共和国との開戦を控えた半年ほど前に留学と称して外国に亡命したのだが、戦争が敗戦に終わってしまったので帰国の目途は立っていない。こうしてリラ帝国の王族の直系で国内に残っているのは、アフシャーネフしかいなくなった。
ヴィーダが秘書官としてアフシャーネフに仕えはじめたのは、彼女が国王代理となったのとほぼ同時期のことである。
ヴィーダもアフシャーネフも、共にフーシュヤール王が改革の一環として設立した女学校の卒業生であり、かつては同級生として同じ教室で学んでいた。良家の子女や成績優秀な女子を集めて高等教育を行うことを目的としていたその学校に王女であるアフシャーネフが通ったのは、自国の近代化を内外に宣伝する意図があったと思われる。
王女付きの秘書官という役職は国王代理となる年若い王女を補佐する存在として新たに作られたものであり、ヴィーダは王女と同じ教育を受けた政治に明るい良家の娘であるということでそれに選ばれた。
しかし同じ学校に通っていたとはいえ、ヴィーダはアフシャーネフと特別に親密だったわけではなかった。そんなヴィーダがアフシャーネフの秘書官になったのは、ひとえにヴィーダ自身の野心と実家の後ろ盾の結果である。
帝国建国の古から兵站を担い国を支えてきた歴史があり財界と政界に強い影響力を持つ一族の出身であるヴィーダは、幼いころから祖先と同じように歴史に名を残すことを夢としていた。
しかし女子教育が行われるようになったとはいえ学んだ先の進路はそう広いわけではなく、ヴィーダは女学校卒業後は地方の幼年学校の教師として不本意な日々を送っていた。女子はどんなに勉学に励んだとしても男子と同じようには扱われず、なれるのはせいぜい学校の先生くらいだったのである。
教職にやりがいがまったくなかったわけではないし、少々学のある平凡な女としての人生に満足できるなら田舎の先生で十分だっただろう。しかしヴィーダはより広い世界で自分の力を試したいという欲を捨てることはできなかった。
だから長兄ファルハードが王女付きの秘書官という役職の話を持ってきたとき、ヴィーダは二つ返事で承諾した。学生時代にアフシャーネフと言葉を交わした記憶はほんのわずかにしかなかったが、政治に関わる絶好の機会を前にすればそんなことは些細な問題だった。
それが六年前、ヴィーダとアフシャーネフがお互いに二十歳を過ぎたころのことである。
アフシャーネフは自らとは異質な願望を持ったヴィーダを信頼した。少なくともヴィーダはそう感じていた。
こうしてアフシャーネフの秘書官として官吏になったヴィーダは、王女の側近という立場を活かして権力を握った。ヴィーダが得た地位は位としてはそう高くはないが、国家元首であるアフシャーネフを補佐するという役割上、やりようによってはかなりの発言力を持つことができたのだ。
ヴィーダが政治的な力を得たことは、権限が未知数の新設の役職に妹をねじ込んだ兄ファルハードの狙い通りの結果であったと言える。元々の勢力に加えてヴィーダの存在が加わることで、ヴィーダの一族とそれを取り囲む派閥はより強固な政治集団となった。
ヴィーダは自身が属する勢力の大きさを利用しながら、自らの夢をかなえるために王女に仕え国家に尽くした。
しかしリラ帝国には以前から、政治に関わる女性が悪い印象を持たれがちな風潮があった。かつて王の母や妻が権力を争い、内紛により政治が腐敗した時代があったためである。
地位を守るために実の孫さえも殺した王太后や、異民族を虐げ戦乱を招いた王妃、美術品の収集のため国庫を傾けるほどに浪費した王妹など、リラ帝国の歴史には様々な悪女が登場する。
そのためこの国ではおとぎ話の継母や魔女が悪として描かれるように、権力を持った女性は悪女として扱われる。アフシャーネフとヴィーダも例外ではなく、真面目に生きていても民衆からの評判は悪い。
さらに戦争前には勢力圏の拡大のための侵略を重ねる共和国の息がかかった新聞が、アフシャーネフを封建的な旧体制の独裁者として中傷した。人格者とは言い難い性格であり出自が陰謀論に繋がりやすいヴィーダも、並んで攻撃の対象とされた。
またリラ帝国は広大な領土に複雑に分布する多民族を統治しており、民族自決や民主主義を掲げた共和国の周到な煽動によって地方の反乱が相次いだ。この鎮圧に多くの血が流れたことも、アフシャーネフの治世が批判される原因の一つとなった。
そして極めつけに、多くの犠牲を出しあらゆる面で疲弊しきった末のこの度の敗戦である。もともと嫌われていたアフシャーネフとヴィーダはもちろんのこと、軍部から議会まで帝国の支配を形成していたものほとんどすべてを民衆は嫌悪した。
そうした何重にも原因が重なった状況であるので、アフシャーネフとヴィーダはそれなりに若い婦女であるが、二人が共和国に裁かれることに心を痛める者はごく少数なのだ。
◆
(私は恵まれた身分に生まれ、自分の野心で道を選択し、国家権力に関わる者の一人として他の人には見えない景色を見た。そしてその先に待っていた敗北に、私は裁かれる)
ヴィーダは熱めのお湯の張られた浴槽に身を預けて目を閉じた。
(今もこうして国民よりもずっと良い暮らしをしているわけだし、代償は何かしらの形で支払わなくちゃいけないんだろう。だけど、アフシャーネフは……)
共和国に屈する気はまったくないが、自分が裁判を受ける必要があることは認めている。
だがそれでも主君であるアフシャーネフのことは、自分と同じようには割り切れなかった。欲望に忠実な自分が悪女だと思われるのは平気でも、アフシャーネフまで悪い評価が下されるのは腑に落ちない。
(王女として真っ当に生きたはずのアフシャーネフが、国民に憎まれたうえに敵国に一方的に裁かれるのは、間違ってる)
アフシャーネフにしてみれば、国家元首である彼女が責任を取ることは当たり前のことであると思われた。しかしアフシャーネフの名を利用して成り上がったヴィーダにとっては、そう簡単に受け入れられる話ではなかった。
(そうならないために、私がこれからするべきことは……)
ヴィーダはこの先に待つ軍事裁判を受ける未来について考えた。今も昔も名目上の敵は共和国であるが、戦いはそう簡単なものではない。
しかし自分にとって何が大切なのか、ヴィーダはその答えを知っているつもりだ。
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