第3話 宮殿と王女

 現在ヴィーダと王女アフシャーネフが幽閉されているメフル宮殿は元々はかつての王の住まいであり、近年新しくセターレ宮殿が建造されてからは迎賓館として使用されていた。


 当時の王が国中の優れた職人を集めて造らせたメフル宮殿は大きさはひかえめながら優美な曲線を描くドーム状の屋根がよく目立ち、青を基調とした外観は繊細な文様を構成するタイル装飾が目一杯に施されていて非常に壮麗である。

 特に広場に面した正門の澄み渡るように青い壁面の美しさは、常に内外の芸術家や建築家に賞賛されていた。


 もちろん内部も絢爛豪華に彩られ、ヴィーダの歩いている廊下も鳥や人物の細密画が天井や床にところ狭しと描かれている。壁の高い場所に設けられた透かし彫りの窓から光が入れば、それらの絵は命を得たようにきらめいた。


 このメフル宮殿を華やかにしている建築文化は、共和国のような西の国々とは違う文化圏に属するものである。

 大陸の東に位置し草原の遊牧民族を先祖とする王を天子として戴くリラ帝国は、長きにわたり東方の大帝国として独自の文化を保ち続けてきた。


 しかしその一方で、王女アフシャーネフの父である先代の王によって高度に発展した外国の最新技術や思想を取り入れ国力を増す政策がとられた結果、外来文化の影響を受けた近代的な建築物が増えて衣食住のあり方も大きく変化した。

 現在は共和国の占領軍の拠点となっているセターレ宮殿も、そういった国策の中で建てられた西方風のものである。


(だけどそれでも、この国にはこの国の文化がある。それらは未来に残されなくちゃいけない)


 多少様変わりした部分はあっても、根本のところでは自国らしさというものは失われていないとヴィーダは考えていた。敗戦でそれも変わってしまうかもしれないが、ヴィーダはできる限り祖国の文化を守りたかった。


 そんなことを考えながら歩いているうちに、ヴィーダは廊下の突き当りに辿り着く。

 そこには漆が塗られた重厚な木製の扉があり、共和国の若い兵士二人が見張りとして立っていた。二人は楽しげに雑談にふけっており、あまり真面目に仕事をしていない様子である。


 ヴィーダに気付くと、兵士二人は特に理由を聞くわけでもなく、慌てて扉の前を空けた。厄介事には関わりたくない、という雰囲気の反応である。


「すぐに用は終わるから」


 軽く説明をして、ヴィーダは進んだ。敵国の人間がうろうろしているのは気に入らないが、負けてしまったからには仕方がない。何も政治的主張を持っていなさそうな末端の兵士に悪感情を抱いたところで疲れるだけである。


「アフシャーネフ、入るよ」


 軽く声をかけて扉を開き、中に入る。その足を踏み入れた先にあるのが、王女の執務室だ。唐草模様の絨毯が敷かれた部屋の中央には両袖の立派な机が置かれ、部屋の主はそこで書類の山に向かい合っている。

 彼女こそが、ヴィーダが仕える帝国の王女、国王代理の天子アフシャーネフである。


「おはようございます、ヴィーダ」


 アフシャーネフは書類から顔を上げ、ヴィーダに微笑みかけた。

 涼やかに整った相貌に、宵闇を連想させる深い紫の瞳。きちんと編み上げられた黒髪は上質な絹糸のようになめらかに輝き、まさに生まれ持った地位にふさわしい美しさだ。


 そして起き抜けのヴィーダの姿を見て、アフシャーネフは薄く紅をさしたくちびるでからかった。


「世界は広いと言っても、寝起きでそのまま王女の私に会いに来るのはあなただけですよ」


 冗談っぽく笑っても、清廉という言葉が良く似合う聖人のようなたたずまい。

 なぜ良好な関係が築けているのか不思議になるほどに、ヴィーダとアフシャーネフは内面も外面も異なっている。


 その二人の違いは、服装にもよく現れていた。


 アフシャーネフは赤いサテン地に銀糸でつる草とアザミの刺繍をほどこした長着にゆったりとしたズボンを履き、革製のベルトでまとめていた。女性でもズボンを着るのは、先祖が遊牧民族だったころの名残である。

 長着の裾には両脇にスリットが入っており、隙間からは重ね着した薄手の衣が覗く。この華やかさこそが、リラ帝国の伝統的な女性の正装のあり方である。


 一方ヴィーダが着ているのは、藍染の丈長のワンピースに袖なしの白い上着というほとんど部屋着だ。


 どんなときでも常に王女として正しい装いを保つアフシャーネフの完璧さに、ヴィーダは感心した。ついそのままアフシャーネフの美しさに見惚れて雑談したい気持ちになる。

 しかしこの後入浴する予定であることを思い出し、ヴィーダはアフシャーネフを訪ねた用向きを伝える。


「借りた本が面白かったから、つい夜更かししてそのまま寝ちゃってさ。これ、ありがとう」


 ヴィーダは革紐をとき、持ってきた歴史書を机の上に置いた。

 二人きりの際、ヴィーダはアフシャーネフの名を呼び捨てにして敬語も使わない。かつては女学校の同級生だったというということもあり、それが許される間柄である。


 机の上に置かれた革張りの本の表紙を静かに撫でると、アフシャーネフは自虐的に笑った。


「この本があなたのためになったなら、何よりです。本を貸すくらいしか、今の私があなたにできることはありませんから」


 そう話すアフシャーネフの瞳が、後悔の念にかられて翳る。


 アフシャーネフはヴィーダとは異なり、現状を肯定する思考はほとんどしない。その言動はいつも自省気味で、必要以上に責任を背負ってしまうようなところがある。


 さらに目を伏せて、アフシャーネフは沈鬱な声色でつぶやいた。


「……徳のない私に仕えていたという理由であなたは裁かれるのに、です」


 こうして自分をまず一番の原因に据えることからよくわかるように、アフシャーネフは臣下のヴィーダに対しても罪悪感を持っている。王女であるアフシャーネフにとっては、どんな国民の受難も彼女の罪だ。


 国民の生活に対して責任を負うのが王のあり方の一つだとは思いつつも、ヴィーダにはアフシャーネフのそうした責任感が強すぎるところが少々面倒くさく感じられるときがあった。


(私からすると、臣下の私たちが不甲斐ないから戦争に負けたんだけどな)


 頂点まで上り詰めたというわけではないが、国王代理の王女付きの秘書官としてそれなりに政治に関わったという実感がヴィーダにはある。自分が罪人として裁かれるのはアフシャーネフに仕えたからではなく、自分が政治に携わる者として選択してきた末の結果であるとヴィーダは考えていた。

 戦火の中で下してきた選択が間違っていたとは思わないが、選ぶ余地もなく戦争の犠牲になった民とヴィーダでは立場が違う。


 しかしヴィーダが自分も指導者の一人であったと主張したところで、自らが国を統べる天子であることを誰よりも重く考えるアフシャーネフが納得するわけがないので、やんわりと話題をそらすことで問題をごまかす。


「こうやって自国や世界の歴史を振り返ることができるのは、ある意味楽しいよ。裁判にどれくらい活かせるかはわからないけど」


 部屋の脇に置かれた本棚を眺めて、ヴィーダはなるべく前向きな本音を選んで言った。もともと勉学は好きであるので、きっかけが敗戦であることを考えなければ国のために知識を磨いている現在の状況は悪いことばかりではない。

 だからその言葉はすべての気持ちを表すものでないとしても、まったくの嘘にはならなかった。


 ヴィーダのやや取り繕った意見に、アフシャーネフは何か言いたげな顔になる。だがヴィーダと同様不毛な議論を避けたのか、ほんの少しの沈黙を挟んで消極的な同意を述べた。


「……まあ、私もあなたも、お互いやるべきことをやる以外の道はありませんからね」


 そう言って、アフシャーネフは机の上に並ぶ現在進行中の戦犯の裁判に関する資料を再び手にする。資料の紙上に記されるのは、アフシャーネフに仕えた軍人や官僚の行く末である。


(とりあえずは、こんなところにしておこうかな)


 借りていた歴史書を返却し、そしてついでにアフシャーネフをできる範囲で励ますという用事を済ませたので、ヴィーダは退出することにした。


「じゃあ、私は午後に兄上との面会があるから、それまでにお風呂入らないと」

「そうですか。お兄さんにもよろしくとお伝えください」


 ヴィーダが次の予定を告げると、アフシャーネフは微笑んだ。

 兄ファルハードは財界の権力者でもあるので、アフシャーネフともそれなりに面識がある。


「うん。わかった」


 軽くうなずいて、執務室を後にする。

 少なくとも今のところは、二人の別れは訪れてはいない。

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