第一章
第2話 軟禁生活
「ヴィーダ様、こんなところで何をされているのですか。本日は予定がありますから、もうそろそろ起きてください」
眠りこけた意識の外側から、侍女のミヌーの慇懃無礼な声が響く。
「あと……もう少しだけ……」
ヴィーダは重い眠気の中でその声から逃れようと寝返りを打とうとして、寝ている場所が寝台ではなく机の上であることに気がついた。
ぼんやりとした記憶を辿ってみると、どうやら書斎で本を読んでいてそのまま眠ってしまったらしい。
「もう昼ですよ。いい加減にしてください」
反応の鈍さに苛立ったミヌーが、ヴィーダの肩を揺さぶる。
「わかった、わかったから……」
観念したヴィーダは、仕方がなく顔を上げた。
目覚めてみると、金の飾り枠にはめ込まれた窓から太陽の光が黒檀の机の天板に降り注ぐ、非常に天気の良い日であった。
そしてその明るさの中で、ミヌーがしかめっ面でヴィーダを見下ろしている。
髪をひっつめて質素なエプロンドレスを着たミヌーは本来ならそれなりに美人な顔立ちのはずなのだが、ヴィーダのせいなのか何なのか、いつも不機嫌な表情をしている。
ヴィーダは閉じた本の上に置いた赤縁の眼鏡をかけながら、半ば寝ぼけたままミヌーに尋ねた。
「えっと……今、何時?」
「十時です」
「じゃあまだ朝だね」
「あと二時間もすれば正午ですが」
「私としては、昼は十二時からだから」
どう言っても屁理屈をこねるヴィーダに、ミヌーは深いため息をついた。
「……監獄にいるわけではないとはいえ、ヴィーダ様はほぼ囚人のような身の上なのですから、もう少し人に知られても恥にならないように過ごしましょうよ。そんな適当な生活を送っていると、ばれたときにまた新聞に悪く書かれます」
寝坊したことだけではなく普段の暮らしぶりも含めて責め、ミヌーは呆れた様子で注意する。
ミヌーがうっすらと指摘する通り、人に好かれる努力をしてこなかった秘書官のヴィーダの側近としての世間の評判は良くはなく、現在はいずれ裁きを受ける敗戦国の罪人として、戦勝国が接収した古い宮殿に軟禁されている。
ヴィーダもヴィーダの国も、何もかもが敗北したのだ。
しかし、ヴィーダの人生を取り巻くものすべてが完全に終わってしまったというわけではない。
「恥にならない、ねぇ……。王女は今日も修行みたいな生活してるの?」
ヴィーダはこの宮殿に捕らえられているもう一人の囚人について、ミヌーに尋ねる。
このリラ帝国で王女と言えば、ヴィーダの仕える国王代理の王女アフシャーネフのことを指す。今いるメフル宮殿が牢として使われるのも、まず一番にアフシャーネフを捕らえるためである。
ミヌーはヴィーダのことを話すときよりもずっとかしこまった口調になって、アフシャーネフの様子について答えた。
「王女様は早朝にご起床され、今は現在行われている外務大臣の裁判の報告書を執務室で読んでおられます」
人の目がないのをよいことに気を抜いて過ごすヴィーダと違い、アフシャーネフは規律正しい生活を崩すことなく日々責務に向かい合っている。
王女であるのだから当然であると言う人もいるが、何事も見返りを求めてしまうヴィーダは、常に国のために自分を律するアフシャーネフを少しも真似できない存在として尊敬していた。
「さすが、王女は毎日すごいなあ」
「あなたはあなたで別の義務があるのですから、感心して終わらないでくださいよ。あちらの女官の方々と話していて、恥ずかしいのは私です」
浅い言葉で褒め称えるヴィーダに、ミヌーは冷たい目で言い放った。
使用人同士の交流の場でも、ヴィーダは話の種にされているのであろう。
ヴィーダは他人事のように笑ってごまかし、曲げ木でできた椅子の背にもたれた。
無条件降伏したリラ帝国は共和国の支配下に置かれ、多くの軍や政府の関係者の多くが軍事裁判にかけられる被告人として収容施設に送りになった。
中枢に近かったヴィーダもまた、最初はどんな扱いを受けるのかと身構えていた。しかし性別が配慮された結果なのか、今後はともかく今のところはアフシャーネフと共にこの古い宮殿に軟禁されるだけで済んでいる。外出が禁じられ人と会うことを制限されている他はかなりの自由が許されており、何かを強いられることもない。
(とはいえ私だって、一応今後受けることになる軍事裁判に備えて法とか歴史のおさらいをしているわけだけど。でもミヌーの言う通り、はたから見れば印象は悪いだろうね)
真面目なふりをしろというミヌーの要求はもっともであるが、ヴィーダにはヴィーダの意図があった。
そのためヴィーダは、必要以上に敵に対してしおらしい振る舞いをしたくはなかった。しかし一方で、敵の施しは受けないという形で誇りを表す気にもなれなかった。
敗戦国の人間らしく無難に振る舞うのは簡単なことである。
だがたとえ他者に批判されたとしても何をするべきか決めるのは自分であるし、与えられた境遇が自らのためになるのならただ受け入れるべきだとヴィーダは考えた。
幼いころからヴィーダに仕えているミヌーも主人の考え方をわかっていないわけではないので、不服そうな顔をしつつも適当なところであきらめて次の話に移った。
「それではこれからのご予定ですが、本日は午後一時にファルハード様との面会の許可が下りています。ご朝食はいかがいたしましょうか」
ファルハードというのは、ヴィーダの一番上の兄の名前である。
実家の兵器製造会社を継いだファルハードとは、兄妹としてはともかく政治的には協力する仲だ。
ヴィーダは壁に掛けられた柄入りの陶製の時計を眺め、身だしなみを整える算段を考えながら答えた。
「うーん、ま、朝食はいいや。そのかわりにお風呂入ろうかな」
「かしこまりました。女学校時代のご学友のサミラ様から香木が届いていましたが、使用されますか?」
「そうだね。兄上が相手とはいえせっかくの面会だし、使っとくよ」
ありがたいことに、ヴィーダは外部からの差し入れを受け取ることも許されていた。
戦後も変わらず裕福な友人から届く品物は、軟禁されている人間に贈るにしては呑気な選択が多かったが、妙に配慮されるよりは気が楽ではある。
「ではそのように、ご用意いたします」
ミヌーは仏頂面で返事をすると、浴室の準備のために書斎から出て行った。
残されたヴィーダは椅子から立ち上がり、眠気覚ましに両手を上げて背を伸ばした。
(お風呂入ってからお昼を食べて、兄上に会ってその後は適当にっていうのが今日の予定ってところか)
ゆるく編んだ金髪を指でもてあそび、軽く一日の見通しを考える。
ミヌーが戻ってくるまでには、少し時間があった。
ヴィーダはその間に机の上に出しっ放しになっていた本を棚に戻そうとして、いくつかの本は借り物であることを思い出した。
それはアフシャーネフから借りた上下巻に分冊されたリラ帝国の建国についてまとめられた歴史書で、部数の少ないなかなか貴重なものである。
(これはもう読み終わったし、早めに返しに行こう)
本を革紐でまとめて、ヴィーダはアフシャーネフのいる部屋に本を返しに行くことにした。外部の人間と会うのには許可が必要だが、宮殿にいるアフシャーネフに会うのは自由である。
(もしかしたら先にミヌーが戻ってくるかもしれないけど……。ま、そのときはそのときか)
細かいことを一瞬考えかけたが、ヴィーダは結局は気にせずに部屋を出た。
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