第四節:マナの湧き出る場所と三人の魔女
4-1
マナの泉。
再び訪れたこの泉には、依然として大きな翼が存在しています。
また、風も変わらず強く吹き付けています。
私たちは風除けのネックレスを身に着けているので、特に困ることはありませんが。
キャロルさんは、私から翼がまだ存在することを聞いて、頷いてから言いました。
「時間経過でなんとかなるのが手間いらずで有難かったんだけど、そんな甘くはいかないか。じゃあ、明日のための準備をしなくちゃね」
「明日、ですか? 今日では終わらないんですね」
「うん、準備に一日掛かると思うからね」
キャロルさんは鞄から無数の羽ペンを取り出し、地面にばら撒きました。
すると、勝手にその羽ペンたちは踊るように動き出し、「マナの泉」の周囲に文字を彫り始めます。
「わっ、凄いです! 勝手に羽ペンが動いてます!」
「私一人だけじゃ到底終わらないからね。こうやって自動で筆記させて準備するの」
「なるほど。でも、準備って具体的に何をするんですか?」
「一時的に『マナの世界』に通じる門を拡張するの。『マナの泉』に翼が引っかかっている生物を抜け出させるためにね。だけど、そのためには結構大規模な魔法陣を書く必要があるんだよね」
そう言って、キャロルさんも地面に術式を書く作業に入ります。
私はそれをしばらく見ていましたが、どうにも手持ち無沙汰で仕方ありませんでした。
堪らず、キャロルさんに話しかけます。
「あのっ、私全然魔術はできませんけど、少しでも手伝える事とかないのでしょうか!」
「あー、ごめん。暇だよね。そっかそっか。んーと、じゃあ、私と一緒に散歩しよっか?」
「えっ、あの、お手伝いは!?」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと手伝ってもらうから」
キャロルさんは鞄から薄い木の板を数枚取り出して、笑うのでした。
◇◇◇
「わぁー、凄い。凄いですよこれは! 私でも魔法陣が刻めます!」
私は今、キャロルさんと散歩をしながら明日の準備を手伝いをしていました。
なぜ魔術を習ってない私でも手伝いができるのか。その答えは、靴底に結び付けられた木の板にありました。
キャロルさんが木の板に文字を彫って、板を地面に押し付けるだけで特定の文字が刻まれるようにしたのです。
つまり、歩くだけで魔法陣がどんどん作られていきます。
相変わらずキャロルさんは便利な魔術を持っているものだと感激するばかりでした。
「ふふっ、これだけ感動してもらえると私も嬉しいなぁ。どう? そろそろ私を本物の”本の魔女”だって認めてくれた?」
「あっ、そのこと気にしてたんですね。もうとっくにその実力は認めてますよ」
「そっか。良かった良かった」
キャロルさんは同じく靴に取り付けた板で魔法陣を刻みながら、自動筆記している羽ペンに魔力を補給してまわります。
「そういえば、アヤカとの破片探しで無事にあの子と仲良くなったみたいだね。補修作業に忙しくて『遠見の鏡』で見守ることができなかったから、ちょっと心配してたんだけど」
「実際にあったときの第一印象は最悪だったんですけど、素直じゃないだけで良い人だということが分かったので」
「あの子、素直じゃないよね」
「はい」
ふふっ、と私たちは笑い合います。どうやら私の認識は合っていたようです。
私はアヤカさんの素直じゃない言動を振り返って、言います。
「アヤカさん、子供嫌いと言う割にはすぐに優しくなりましたよ」
「そうなんだ。あの子、結構人見知りするタイプだから時間かかってもおかしくないのだけど。きっと、ユエちゃんが良い子だから気に入ったのね」
「そうでしょうか。そうだと、嬉しいです」
良い子だと褒められて、ちょっと頬が上気するのを感じます。
私は照れ隠しに視線を落とし、尋ねます。
「あの人、なんで子供が嫌いなんですか?」
「んー、直接理由を聞いたわけじゃないけど、多分昔の自分を見ているような気がするからなんじゃないかな」
「昔のアヤカさん、どんな風だったのですか?」
「なんていうか、子供っぽくってね。よく泣くし、すぐ思ったことを行動に移していた。それはそれで微笑ましい部分もあったのだけど、力だけはあるものだから、時々困る事も起こったんだ」
「そうなんですか」
確かに、力のある子供というものは厄介かもしれません。
でも、過去の自分を重ねてしまうような子供が嫌いというのは、そうであった自分を恥じているということではないでしょうか。
キャロルさんは、人差し指を立てて口にあてる仕草をします。
「今言ったことは内緒だよ。あの子も、ちゃんと昔の自分を省みて成長してるみたいだから。ただ黙ってその成長を見守ってあげて欲しいんだ」
「わかりました。でも、なんだかそれじゃあ私の方が大人扱いされてるみたいですね」
「あっ、そういえばユエちゃんの方がずっと年下か。なんかユエちゃん、実年齢よりも大人っぽく見えるからさ。つい、ね」
「そ、それは老けて見えるってことですか!?」
「あはは。違うって。褒めたつもりなんだけどなぁ」
散歩は続きます。
一歩ずつ、地面を踏みしめて歩いて、文字を刻んで。
そして「マナの泉」の周りを丁度半周したときのことでした。
キャロルさんは、ふと足を止めました。
何事かと彼女の方を見ると、何故か緊張した面持ちでした。それはキャロルさんらしくない表情で、どうしたのだろうと戸惑いました。
「あの、さ。一つだけ心配してることがあるんだ。聞いてもいいかな?」
「なんでしょうか」
「私、出会ってからユエちゃんに頼ることが多くて、ユエちゃんのことはレイやアヤカに任せることが多くて、ちょっと思ったんだ。――私は、ユエちゃんに何か良い事をしてあげられたかな?」
一瞬、周囲の木々や草花が一際大きく揺れました。
泉から伸びた翼が大きく羽ばたき、強い風を起こしたのです。
私たちは風除けに守られて髪一本さえ揺らがないはずですが、キャロルさんの瞳は揺らいでいました。
暴風が凪ぐよりも前に、私は口を開きました。少しでも、一瞬でも早く彼女を安心させたかったからです。
「勿論です! 私は旅の道中で、沢山優しくしてもらいました。旅に連れて行ってくれたことも当然嬉しかったですが、それ以上にキャロルさんに優しくしてもらったことが、私の大切な、宝物のような思い出です!」
「本当に? それはどうして?」
「だって、『魔眼保持者』としての私が必要なだけなら、優しくする必要はなかったじゃないですか。事務的に接していてもなんら問題なかったはずです。だけどキャロルさんは幾度も優しくしてくれて、『魔眼保持者』の力ではなく、私個人を大切にしてくれているのを強く感じました。それがとても嬉しかったんです」
それから私は、今まで優しくしてもらったことを挙げていきました。
魔術や「マナの泉」に関することを、私にも分かりやすいよう平易な言葉で説明してくれたこと。
出会った日の夜、就寝前に頭を撫でてくれたこと。
風除けのネックレス、冷気除けの指輪をくれたこと。
レイさんに婚約を迫られた時、守るように抱き寄せてくれたこと。
スライム退治の時、体調が悪いのに「遠見の鏡」で見守ってくれたこと。
アヤカさんに頬をつねられたとき、怒ってくれたこと。
――それから。
「今こうして、私のために何かしたかと悩んでくれていること。それが、私を大切にしてくれてる証拠です! キャロルさんは私に沢山の優しさを与えてくれてますよ!」
「ユエちゃん……」
「でも、もしまだ私に嬉しいことをしてくれるなら――」
そして私は、出来る限りの笑顔を彼女に向けます。
「笑ってください。似合わないですよ、そんな顔」
キャロルさんは、驚いた表情を見せます。しかしそれも一瞬のことで。
「うん!」
とびっきりの笑顔を、私に見せてくれたのでした。
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