3-4
◇◇◇
引いては寄せる波の音、独特の匂いを運ぶ潮風。
魔界の赤い空に照らされて朱に染まった海が眼前に広がっています。
私たちは今、魔界の海に面した砂浜に居ます。
アヤカさんが、カエルの入ったケースを見ながら言います。
「そのカエル、ケースを開けてしばらくすればクラーケンの姿に戻るって話だったよね?」
「はい」
「じゃあ、そのケース貸して」
私は言われた通りに、ケースを手渡します。
するとアヤカさんはいきなりケースを開けて、中のカエルを海へ投げ入れたではありませんか。
「ちょ、ちょっとアヤカさん! クラーケンさんが魔界の海に帰りたがっているか分からないから、どうしようって話じゃなかったんですか?」
「まぁ、見てなって。それって要するに、クラーケンが魔界の海に帰りたがっているかどうか分かれば良いんでしょ?」
何か考えがある様子のアヤカさんの発言に、私は黙って成り行きを見守ることにします。
ごく僅かな時間を経て、海から水柱が立ちました。
カエルがクラーケンに戻ったのです。
「キューキュー!」
クラーケンさんの方から、鳴き声と思われる甲高い音が聞こえます。
突然元の姿に戻ったことに驚いたのか、クラーケンさんは水面を触手で叩いて暴れます。
「キューキュー!」
今度はすぐ隣から、鳴き声が聞こえてきました。
驚いて隣を見ると、アヤカさんがクラーケンさんの鳴き声を真似て声を発していたのです。
アヤカさんの鳴き真似に呼応するように、クラーケンさんの方から再び甲高い声が発せられます。
「キュー? キューキュー」
それからしばらく、鳴き声の応酬が始まりました。
「キューキュー?」
「キュ~。キューキュー」
「キューキュー」
「キュー!」
そしてクラーケンさんは一際大きく鳴くと、大きな触手で海面を一度叩き、海の深い方へと進んで行ってしまいました。
呆然とその様子を見ていた私に、アヤカさんが言います。
「あのクラーケン、魔界の海に戻れて嬉しかったそうよ。自分の家族の居る辺りに今から帰るって。最後に伝えたいことはある?」
「えっと、じゃあ、『元気でね!』って伝えたいです!」
「わかった。――キュー!」
アヤカさんが鳴き真似を大きな声で発すると、「キュー!」と声が返ってきました。
「ふふっ、『ありがとう』だってさ。良かったじゃない」
「はい! というか、アヤカさんクラーケンの言葉が話せたんですね! 凄いです!」
「別にクラーケンに限った話じゃないけどね。ある程度知能を有する魔物なら話せるわよ。魔王を務めてるんだから、それくらいできないとね」
「ま、魔王ってそんな凄い技術を要求されるんですか。とにかく凄いです!」
私はあまりの感激に、「凄い」としか言えなくなっていました。
とてもじゃないですが、私はできる気はしないです。
そこで、ふと気になったことがあったので尋ねてみました。
「そういえば、もし『魔界の海に帰りたくない』ってクラーケンさんが言ったらどうするつもりだったんですか?」
「私の配下の魔物に連絡して、魔王城に連れて行ってそこで飼うつもりだった。魔王城の敷地にクラーケンが自由に泳ぎ回れるくらい大きな湖があるからね」
「な、なるほど……」
魔王城の敷地に湖があることを知らなかったとはいえ、そういう考えは思いつきませんでした。
それから私は、アヤカさんに謝罪と感謝を述べました。
「アヤカさん、ごめんなさい。そしてありがとうございました」
「ん? 何が?」
「私の我儘のために、回り道をしてもらったことについてです。それから、相手のためになるかちゃんと考えるべきだと教えてくれたことも」
「あぁ、そのことか。ふふっ、そっかそっか。只の子供かと思ってたら、意外としっかりした使い魔ね。『ありがとう』と『ごめんなさい』を素直に言える子供は、私の嫌いな子供の中でもかなりマシな部類ね」
「アヤカさんこそ、そこで素直に『そういう子供は好き』とか言えばいいものを……」なんて思いますが、わざわざ口に出したりはしません。
アヤカさんは、わざと嫌味っぽくしているであろう表現で、私のためにしてくれたことの理由を説明してくれました。
「まず、回り道をしたことについては、子供の為にお姉ちゃんと会う時間が遅くなるのは死ぬほど嫌だったけど、話を聞いたらクラーケンに関する話だったじゃない。魔界の海に生息する魔物も魔王の管轄だから、そこはしっかり仕事しないとって思ったわけ」
「意外とお仕事熱心なんですね……」
「『意外と』は余計よ。で、本当に相手の為になることを考えろって教えたのは、私の嫌いな子供が少なくなればいいなって思っただけ」
「どういうことですか?」
「私が子供の嫌いなところは自己中心的で人にすぐ頼ろうとする部分。貴方が自分で考えて人の為に行動する奴に成長したなら、それはもう嫌いな子供じゃなくなる。要は、嫌いな奴を良い奴にして、私を取り巻く環境を良くしようと考えただけのことよ」
言外に「決して嫌いな子供に優しくしたわけではない」と語っているつもりらしいアヤカさん。
アヤカさんはそうした偽悪的に振る舞う部分がありますが、今の私には悪い人には見えませんでした。
だって、結果を見ればクラーケンさんの為にわざわざ回り道をして、私の成長を手助けしようとしてくれたわけですから。
彼女はなんだかんだ言って、優しくて良い人なんだと思います。
「さぁ、今度こそ回り道をせずに破片探しにいくわよ、使い魔ちゃん」
「使い魔じゃないですってばー!」
……使い魔扱いは辞めてくれませんけど。
そうして、再び破片探しを進めることになるのでした。
◇◇◇
杖の核の破片を探して進む私達。
度々目を閉じると、破片の在り処を示す黒い光に徐々に近づいているのが感じられました。
その道中、私は気になることをアヤカさんに聞いてみました。
「あの、どうしてアヤカさんは魔王になったんですか?」
「ん? あぁ、それは私がこの世界の人間達と上手く馴染めない”はぐれ者”だったからよ」
「”はぐれ者”? それは一体……?」
「私ね、別の世界からやってきたの。この世界の魔術とは違う技術で栄えてた世界。そこの『ニホン』って国に住んでたの」
「別の世界……」
一瞬、冗談かと思いましたが、アヤカさんは極めて真面目に言っているようでした。
その表情は、どこか遠くにあるものを、或いは遠い過去を懐かしんでいるようでした。
「『別の世界に行きたい』と願ってこの世界にやって来たのはいいものの、元の世界に戻ることは出来なかった。だから、この世界で生き抜くために必死に足掻いた。足掻いて足掻いて――そうしてお姉ちゃんやレイ、そして大いなる魔女”ママ”に出会ったの」
その言葉は、しみじみと語られました。
私は黙って耳を傾け、アヤカさんはゆっくりと話を続けます。
「でもね、どうしてもこの世界の人間とは馴染めなかった。別に仲良くできなかったという意味ではなくてね、この世界での寿命に大きな隔たりがあったの」
「寿命……? アヤカさんは私達と寿命が違うのですか?」
「うん。元々の世界が違うせいか、私はこの世界で年を取らないの。ついでに多分同じ理由で精霊魔術も効きにくくて、この世界での身体能力も馬鹿みたいに強靭なの」
「なるほど。身体能力が凄いから、杖を鈍器にしても魔界を統治できたんですね」
「そういうこと。それで、私は年を取らないから加齢による寿命はない。だけど、この世界の人間はどんどん老いて、やがては亡くなってしまう……」
何か悲しいことを思い出したのか、アヤカさんの表情に陰りが見えました。
「せっかく仲良くなった人が居ても、その人が老いて死ぬのを目の当たりにしなくてはならなくなる。それが嫌で、辛くて仕方なかった」
「アヤカさん……」
実際に経験してないので分かりませんが、仲の良い人に先立たれるのは非常に辛いのではないでしょうか。それも、何度もそういう人の死に立ち会ったとしたら……。
「それで逃げ場所を探したんだ。そこで見つけたのが、魔界という居場所。魔物も寿命はあるけど、この世界の人間よりは寿命が長いからね。それに魔物も人間とは馴染めない生物だったから、”はぐれ者”同士、気が合う部分もあったわけ」
「それで魔界に住むようになるのは分かるんですけど、そこから更に魔王になったのが良く分からないです」
「そこはほら、丁度魔界が荒れていた時期でもあったし、いい感じに統治して、魔王になったの。できるもんならトップ狙いたかったし」
「『いい感じ』って、そんな簡単なものじゃあないでしょうに……。それに『トップを狙いたかった』って、そんな理由で魔王になったんですか」
打って変わって、ケロッとした表情で言い切るアヤカさんに、私は思わず呆れてしまいます。
「んー。じゃあ、もうちょっと真面目な理由を話そうか?」
「はい」
「魔物が人間にちょっかい出したりすると、魔物と人間、どっちにとっても良くないことが起きちゃうでしょ。だから私がなるべく魔物を制御して、人間と魔物のトラブルを減らそうって思ってね」
「凄いちゃんとした理由、あるじゃないですか!」
真面目な方の理由だけ言ってくれれば素直に感激できたものを……。2つ並べられると、どっちの理由が大きな比重を占めてるか分かりませんからね。
アヤカさんのことですから、「トップを狙いたかった」の理由が一番の理由でもおかしくない気がするので困ります。
さっきの話の内容に関して、ふと気づいたことがあったのでアヤカさんに聞いてみました。
「――もしかして私を使い魔扱いしてるのも、『情が移ると先立たれた時に辛い思いをするから』っていう理由からですか?」
「……はぁ!? 私は子供が嫌いだし、からかいやすそうな奴だから、からかって遊んでるだけだし! 気持ち悪い想像しないでくれる!?」
「本当ですかねー。あと、もう充分情移ってないですか? 回り道してくれたり、身の上話を赤裸々に話してくれたり、かなり優しくしてくれてませんか?」
「使い魔に情なんて移ってないですー! あぁ、もう、そのニヤニヤ顔やめろっての!」
なるほど、アヤカさんはこうやって弄ればいいんですね。良い事を学びました。
頬が緩むのを抑えられないまましばらく過ごしましたが、そこで本来の役割を思い出して一度目を閉じます。
黒い光はかなり強く見えるようになっているのを感じました。
杖の核の破片まで、あともう少しです。
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