1-6
◇◇◇
旅支度を終え、就寝の準備をしていた時のことです。
コンコン、と部屋のドアを叩く音がしました。
「おやすみの挨拶に来たんだけど、いいかな?」
お姉さんの声です。
私が入室の許可を出すと、お姉さんがドアを開けて入ってきました。
あのクラーケン騒ぎの後、両親は驚きつつもお姉さんの力量を信じたようで、お姉さんは暖かく迎え入れられました。具体的に言うと、お姉さんは私の家で夕飯を食べ、一泊することになりました。
「どう? 今日はしっかり眠れそう? 明日からの旅に備えてよく眠らなきゃね。あ、ベッドに寝転んだままでいいのよ」
ベッドから出て迎えようとする私を制止して、お姉さんはベッドの脇の椅子に座ります。そして布団を被せてくれました。
「そういえば今更ですが、お姉さんのことはなんて呼んだらいいですか? ”本の魔女”さん?」
「んー、普通に名前で『キャロル』がいいかな。”本の魔女”とかちょっと仰々しい気もするし」
「分かりました。では、『キャロルさん』とお呼びします」
「”さん”はつけなくていいのに」
「年上の人には敬称をつけるべきと両親から教わってますので。ところで」
私は気になることを尋ねてみようと思いました。キャロルさんが騎士勲章を見せてきた時からずっと気になっていたことです。
「キャロルさんは本当に”本の魔女”さんなんですか? それとも騎士さんなのですか?」
「どっちも正解だよ。ただ、”本の魔女”が本職かな。でも”本の魔女”であることを信じてくれる人は少ないから、他の人の信用を得るために騎士っていう地位も持っているのよ」
「伝説にもなっている存在なのに、意外と世知辛いんですね」
「まぁね。実際に貴方も”本の魔女”だと言って信じてくれなかったでしょ?」
「今でもちょっと怪しいと思っていますが」
そっかー、と笑いながらキャロルさんは私の頭を撫でてくれます。子供扱いは嫌ですが、頭を撫でられるのはそう悪い気がしません。でも頭を撫でられて心地よくなっているのを知られるのはあまり好きではありません。私は難しい年頃なのです。
そこで私は、キャロルさんが意識を私の表情などに向けないように別の質問をすることにしました。
「気になってたのですが、キャロルさんは魔眼保持者ではないのですか?」
「うん、そうだよ。だからユエちゃんの力を借りたいと思ったんだしね。他に魔眼保持者だった人なら知ってるけどね」
「あれ? それならその人に頼めばよかったのでは?」
「んー、その人は結構前に亡くなっちゃったんだ」
そう言ったとき、お姉さんの表情は変わらず笑顔でしたが、魔力の色が悲しんでいるような色に変わったのが分かりました。
「悪いことをしたな」と思い、すぐに謝ります。
「えっと、辛いことを思い出させちゃったみたいで、すみません」
「え? いや、あー、そっか。魔眼持ちのユエちゃんにはお見通しか。そういえば『ママ』に対しても、どんなに隠そうと思ってもダメだったな……」
キャロルさんはバツが悪そうに小さく笑います。
一方で私は、たまにこういう人の感情を読んだ行動をしてしまって驚かれることがあるので、「またやってしまった」と後悔しました。
お互い、ちょっと気まずい空気が流れます。私はその空気がむず痒くて、キャロルさんに問いかけました。
「『ママ』ってキャロルさんのお母さんのことですか?」
「うん。母親代わりの人で、そして”大いなる魔女”だった人。彼女も魔眼保持者だったんだよ」
「えっ!? ”大いなる魔女”ママのことだったんですか! しかも私と同じ魔眼持ちだなんて……!」
大いなる魔女”ママ”は、「魔女と三人の弟子」の物語で三人の弟子を従える、とても凄い魔女さんです。この王国を作った第一人者でもあるので、「建国の母」とも呼ばれます。
「そうだよ。彼女には、返しきれない程の恩と優しさをもらってね。良い思い出もたくさん貰った」
キャロルさんは昔を懐かしむように言います。きっと、実際に思い出を思い返しているのでしょう。彼女の魔力の色は、とても暖かい色になっています。
「かつての冒険の記録を本に著したのは、ママや他の弟子たちとの思い出を残すためでもあるんだよ。記憶だけだと、どうしても少しずつ色褪せていってしまうから」
「なるほど。記憶を薄れさせないために本を書いたのですか。それは素敵な話です」
キャロルさんのそうした考えのおかげで、私たち読者も「魔女と三人の弟子」の物語を楽しむことができますし、素晴らしい試みだと思います。
「それと、今回魔術の不具合を直したいのも、ママにもらった素晴らしい思い出があるから。彼女から受けた恩を少しでも返したいから、ママが作ったこの国が困ってたら助けたいんだ」
「なるほど。そういうことなら、ぜひ協力したいです!」
「ありがと。……さて、そろそろ私は用意してもらった寝床に戻ろうかな。ユエちゃんが眠るの邪魔しちゃ悪いしね」
「分かりました」
おやすみなさい、と互いに言葉を交わすとキャロルさんは部屋を出ていきました。
明日からの旅路に思いを馳せながら目を瞑ると、驚くほどすんなりと眠りにつきました。
多分、変わったことが沢山起きて、疲れていたのだと思います。
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