運命の日 3

  ムスファリン公爵の屋敷は、アレイドの郊外にある。

 とくに商家もない場所だけあって、夜道を歩いているようなものはほとんどいない。

 俺は、ムスファリン家の近くにあるエリ川の川岸へと向かった。

 このあたりは、アレイドの市内を流れるエリ川もかなり川幅が広がっており、河川敷は、林のように木が生い茂っている。馬を隠すにはちょうど良い。

 馬を木につないで屋敷へと向かおうとしたとき、馬蹄の音に気が付いた。

 身を潜めて様子を見ていると、馬を引いた男がこちらにやってきた。

「ロバート?」

「……間に合いましたか」

 ふうっと、ロバートは息をついて、馬を木につないだ。

「魔導士が何人もいるのです。イシュタルト様おひとりで、どうするおつもりですか?」

 もっともな言葉に、俺は首をすくめる。

「……手伝ってくれるか?」

 俺の言葉に、ロバートは苦笑したようだった。

「やめてください、といったら、やめていただけますか?」

「それは、無理だ」

 それができるならば、今、ここにいない。

 ロバートは、首をすくめた。

「僕はリゼンベルグ家の専属の魔導士です。イシュタルト様が、行くのであれば、ついていきます――でも、僕は、いちおう、お止めしますよ。姉の為に、あなたが命を張る理由は、あなたにしかないのですから」

「相変わらず、キツイことをいう男だな」

 ロバートの言うとおり、俺の想いは一方通行だ。アリサは助けを求めているかもしれないが、俺を待っているわけではない。

「それでも、俺は命を張るさ」

 自分の気持ちに嘘をつくのは嫌だった。

「姉は……幸せものです」

 ふうっとロバートは息をついた。

「でも、その言葉は、僕じゃなくて、本人の前できちんと言ってやってくださいよ。そうでないと、姉は気が付きませんから」

「行くぞ」

 俺は苦笑いをロバートに返し、公爵家の屋敷へと向かう。

 ムスファリン家の敷地はとてつもなく広い。

 俺たちは、使用人たちが使用する裏門へと回った。

 門は木の扉が閉められていた。

 まだ、就寝時間には早い。門の向こうに見える屋敷の窓からは明かりが洩れている。

 使用人の誰かが、井戸から水を汲み上げている水音がした。

「どうしますか?」

 ロバートが俺の顔を見る。

「魔術は使うな。俺がやろう」

 俺は、門から張り巡らされた石塀に手をかける。大人の男の背より高いが、石で組まれた塀は、登れなくはない。

 音を立てぬように、塀をよじ登り、中の様子を見る。

 明かりがもれてきてはいるものの、塀の周りは暗く闇が溜っているようになっていた。

 人影はない。

 視界の先に、井戸があり、その向こうに、勝手口と思われる屋敷の扉があった。

 俺は、出来るだけ音を立てぬよう塀を乗り越えた。

 カサリ。

 下ばえの草が音を立てたが、気が付くものはいないようだった。

 俺は足音をしのばせ、門の位置まで移動した。木戸の扉は、横木をさすだけの簡単なかんぬきで閉じられていた。

 俺は、そっと鍵を外し、扉を開いてロバートを招き入れる。

 鍵を元の状態に戻して、俺たちは、明かりをさけ、暗闇に身を潜めた。

 ムスファリン公爵家は、大きな本宅の他に、離れがふたつある。

 ロバートは、瞼を閉じて、意識を集中した。

 風もなく、月もない夜だ。天には散らばったように星が輝いている。

 ロバートがふっと目を開いて、離れの一つを指さした。

 俺たちは、明かりを縫うようにさけ、離れへと近づいた。

 非常に大きな建物であるが、窓らしいものがみあたらず、闇の中で黒々とそびえたっている。本宅とは通路でつながっているようだ。

 侵入口を捜してぐるりとまわると、薄明りがみえた。

 見張りの兵が二人。彼らの後ろに、扉があった。武装は皮鎧をしている程度。それほどの重装備ではない。

 魔術の詠唱をしようとするロバートを制して、俺はひとり、奴らに接近した。

「やあ」

 俺は闇の中から、すぅっと、兵たちの前に笑顔で歩み寄った。

 兵が言葉を発する前に、俺はひとりの腹に肘を入れ、剣を抜こうとしたもうひとりの腕をとってぐるりと背負い投げた。

「ひっ」

 背を大地に打ち付けた衝撃で、小さく声をあげた男ののどに、剣の切っ先をあてる。

「静かにしろ。大人しくしていれば、殺しはせぬ」

 俺の脅しに、兵士はコクコクと頷いた。

 闇に潜んでいたロバートが現れ、兵にさるぐつわをかまし、腕と足をそれぞれ縄で縛る。

 腹に打ち込んだ兵の方は、気絶していたが、同じようにした。

「この中で、非常に大きな魔力が働いています」

 ロバートが声を潜めながらそう言った。

 俺は頷いて、扉に耳を当てた。

 何人かの人間が話をしている声が聞こえたが、気配は遠い。

 俺はそっと扉を開いた。

 通路がまっすぐに伸びている。石造りの武骨な床と壁に、等間隔に掛けられたろうそくのあかりがゆれていた。

 暗くはない。しかし、明るくもない。人影は見当たらない。

 俺は、足跡をしのばせ、通路へと入った。入ってすぐの左手に、扉があり、そこから魔道灯の灯りが洩れてきていて、十人近い人の気配がした。おそらく、見張りの兵たちの控室になっているのだろう。

 ロバートが囁くような声で詠唱を始める。

「我、魔の理を持って命ずる、眠れ」

 呪文が完成すると、ざわついていた部屋がシンと静まり返った。

 俺は、ロバートとともに通路の先へと急いだ。

 通路は突き当りで折れ曲がり、小さな石造りの部屋に出た。ろうそくのあかりが等間隔にともされており、奥には大きな扉が見えた。

 扉の横に、大きな石像がある。

 石の弓を構えた、巨大な男の石像だ。

「イシュタルト様ッ」

 ロバートが声を発するのと、俺が剣を抜くのはほぼ同時だった。

 ギュンっと音がして、石像が弓を引き、俺とロバートの間を矢が割っていった。

「ゴーレムです!」

 ロバートが叫ぶ。石像は、弓を投げ捨て、ぎしぎしと音を立てながら、剣を構えた。

 石像は俺との間合いを詰め、重い剣を振り回した。

 繰り出される剣を、ギリギリまでひきつけて、回避しながら、自分の剣が魔力の輝きを帯びるのを待つ。

 ロバートの魔術が完成し、俺は光る刀身を思いっきり、石像の胴にたたきこんだ。

 グワッ

 大きな音を立て、石が裂けた。

「頭をっ!」

 ロバートの声に弾かれ、俺は、石像の頭部に剣を叩きつけた。

 ピシッと頭部にひび割れが出来たかと思うと、ざあっと音がして、石が砂に変わっていく。

 固い石の床に、砂が広がっていった。

「アリサの波動!」

 ロバートが声をあげた。

 大きな扉の向こうから、アリサの魔力のにおいがした。

「アリサ! そこにいるのか?」

  俺は声を張り上げた。

「イシュタルト様?!」

  少しかすれてはいるが、間違いなく、アリサの声が扉の向こうから聞こえた。

「今、ここを開ける!」

  ロバートが扉に手を当てながら、詠唱を始める。

  幾重にも魔術で扉が封じられているらしく、さすがのロバートも手間取った。

「秘されたものを白日に。我、魔の理を持って命ずる。開放せよ」

  ロバートの呪文が完成し、扉が鈍く発光した。

  ギィッと、重い音を立て、ようやく扉が動いた。

「アリサ!」

  薄い暗がりに、アリサがいた。俺とロバートの姿を見て、泣き笑いのような顔を浮かべた。

  彼女の背に、黒いドロドロとしたものが迫っているのが見える。

  みれば、部屋全体の床一面にじりじりと満ちるように広がり続けていた。

  よくわからないが、これが、たぶん、ミザールの欲している魔王だと確信した。

「ダメ……」

  泣きそうな声で、アリサが呟く。

「我。魔の理を持って命ずる。燃えよ!」

  アリサは黒い液体に向きなおり、呪文を唱えた。

  アリサの言葉とともに、液体が発火した。

「いやあっ!」

 アリサが絶叫する。何が起こっているのかわからない。

「アリサ!」

  俺は、アリサに駆け寄り、彼女を背にかばった。

「私から離れて!」

  悲痛な声でアリサは叫ぶ。明らかに様子がおかしい。

 俺は剣を抜く。

 刀身はまだ、光を帯びている。アリサの火を飲み込んだ液体は、俺たちに向かって降りかかってきた。

 ザッ!

 俺の剣に切り裂かれるように液体は、二つに弾かれ、再び床にみちていくソレに吸収されていく。

「アリサ……反転させる。波動を合わせて」

 ロバートが叫んだ。俺は、剣で液体を威嚇する様にアリサの前に立った。

「虚は実に。実は虚に。光は闇に。闇は光に。我、魔の理を持って命ずる。反転せよ」

  ロバートの呪文が紡がれる。ラムシードの二人の魔力が重なり合って、膨れ上がった。

「いやあっ! 行きたくないっ!」

  アリサが泣き叫ぶ。魔法陣に吸い込まれていく液体が彼女の左腕を絡めとり引きずっていくのが俺にはわかった。

「アリサ!」

  俺は思わずアリサを抱き留めた。剣を持たぬ左腕で必死に抱きしめる。

「アリサを連れていくことは、許しはしない」

  俺は魔法陣に向かって剣を突き立てた。

  何かが絶叫するような声が聞こえた。

「アリサ」

  俺の呼び声に応えるように、アリサの青い瞳に、俺の姿が映る。

「イシュタルト様……」

 アリサは一度だけ俺の名を呼び、俺の腕の中で意識を失った。

「終わりましたね」

 ロバートがほっとしたように、息をついた。



 あの日から、三週間が過ぎた。

 明日は、ラムシードの双子と一緒に、クラーク・ラムシードに会いに行く予定だ。

 そんな折、レグルスがふらりとアリサの見舞いに訪れた。

 ロバートが事情を話していたのであろう。レグルスは俺とアリサの婚約の話を聞いても驚きはしなかった。

「すまなかったな」

 俺は、レグルスを玄関まで見送り、そう言った。

「……結果として、出し抜くことになった」

 俺の言葉に、レグルスは首をすくめた。

 紫の瞳は、意外にもサバサバしていた。

「もともと、お前が本気なら、オレには手が出せん。そうだろう?」

 そう言いながらレグルスは、俺の肩にポンと手を置いた。

「ロバートから話を聞いた時、アリサが無理やりお前のものにされるのなら、連れて逃げてやろうかと思ったが……今日、アリサに会って、そうではないことがわかった。ま、未練がないわけじゃないがね」

 皇太子や皇帝のはからいで、俺とアリサは婚約することになった。

 俺はもちろん、最初からアリサ以外の女を娶る気はなかったが、アリサを断れない立場に追い込んでしまったのは事実で、そのことに負い目がないかといえば、嘘になる。

「しかし、公爵家に乗り込む前に一声かけてくれれば、手を貸してやったのに」

 ニヤリと、レグルスが口の端を上げる。

「……時間が、惜しかった」

 実際のところ、無茶をして乗り込まなかったら、アリサがどうなっていたかわからない。

 俺の言葉に、レグルスは首をすくめた。

「ま。女嫌いの侯爵様もようやく、身を固める覚悟をなさったンだ。オレは潔く、身を引くさ」

「お前も、いい加減、職についたらどうだ? 最高騎士の称号が泣くぞ」

 レグルスは、それこそ貴族の家からの婿養子の話から、騎士隊の勧誘など、引く手あまたと聞く。

 その気になれば、皇帝直属の騎士にだってなれるであろう。

「……オレは、政治は好かん。ま。そのせいで、人生で一番イイ女をお前にかっさらわれた気がするけどな」

 レグルスは首をすくめた。

 先ほど、アリサの見舞いをしたときも、レグルスは『良き友人』の立ち位置で、終始にこやかにアリサと話していた。俺が、彼の立場なら、とても真似ができない芸当だ。

 ある意味で、損な男だ、と思う。

「……結婚式は、出てくれるよな?」

 俺の言葉に、レグルスは苦笑した。

「嫌みか?」

「それもあるな」

 ニヤリ、と俺が笑うと、レグルスは俺に背を向けた。

「考えておく――せいぜい、オレに嫁さんをさらわれない様に気をつけな」

「心しておくよ」

 俺の言葉に、満足したのか片手を上げて、レグルスは去っていった。

「損な性格ですねえ」

 いつの間にか、俺の隣にロバートが立っていた。

 レグルスの姿は、もう見えない。

「……そうだな。あいつが本気になったら、アリサが俺を選ぶかどうか疑問だ」

 俺は思わず苦笑する。もともと、アリサは、俺の持つ地位も名誉も財力も興味がない。俺のアドバンテージなどほぼないに等しい。

「違いますよ、イシュタルト様のことです」

 ロバートが、呆れたようにそう言った。

「命を張って姉を救ったのはイシュタルト様です。レグルス様に遠慮することは何もないですよ」

「遠慮をしているわけじゃない」

 俺が苦笑すると、ロバートはフウっと息を吐き、少し残念なものを見るような目で、俺を見た。

「姉はね、自分で気が付いてなかっただけで、イシュタルト様をとっくに選んでいましたよ」

 そうでなければ、僕は協力しません、そう言ってロバートは笑う。

 アリサが救い出せたのも、ロバートが一緒に来てくれたからだ。俺一人では、敵わなかった。

「そうだといいがな」

「将来の義理の兄上は、もっとご自身に自信を持ったほうがよろしいかと」

 くすくすと、ロバートが笑う。

 既に皇太子直属になって、俺と主従ではなくなったせいか、ロバートの言動は、前にもまして遠慮がない。

「……そうか。ロバートが、義理の弟になるのか」

 今さら気が付いた事実に、俺は苦笑した。

「怖い弟ができるな」

「それは、おたがいさまです」

 俺は、軽くロバートの肩を叩き、部屋へと入った。

「今日は、飲みたい気分だ。付き合え、ロバート」

「イシュタルト様は謹慎中じゃないですか?」

「謹慎中だから、仕事が入る予定もない」

 俺がそういうと、ロバートは苦笑した。

「それは、一理ありますね」

 俺たちは笑った。

 美味い酒が飲めそうな気がした。


 了

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勇者さまの「プールポワン」、承ります! 秋月忍 @kotatumuri-akituki

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