運命の日 2

魔道ギルドの受付にはいると、若い女性が出迎えた。

 俺とライラックの顔を見て、少しだけ緊張した顔を見せたが、ロバートの姿に愛想のよい笑いを浮かべた。

 ロバートは、魔導士としてはエリート中のエリートで、しかも端正な顔をしている。愛想もあり人当たりの良いロバートは魔道ギルド内でも評判がよく、女性の間で人気も高いらしい。

「姉さんは、どこに?」

 ロバートに聞かれて、受付嬢は首を傾げた。

「アリサ・ラムシードさんは、アルコル様に結界石を返しに来られましたが、こちらを通らずに帰られたようです」

「どういうことだ?」

 俺の問いに、受付嬢は「よくあることですよ」と、微笑んだ。

「研究塔の方へ行かれましたので、あちらの門からお帰りになられたのではないかと。結界石は、すでにアルコル様が貴重品倉庫のほうにしまわれていますから」

「アルコル殿とお会いできますか?」

 いくぶん、ロバートの顔が青い。目に緊張のいろが浮かんでいる。

「アルコル様は、魔法陣の調査ということで外出なさいました――今日は、もうお戻りにならないようです」

 受付嬢はのんびりとそう答えた。ロバートは大きく息を吸い、唇をかむ。

「研究塔のほうに、回りましょう」

 ロバートがそう言った。

「ライラック様、すみませんが、うちの実家にひとをやってアリサが帰っているかどうか確認してもらってもよろしいですか?」

「わかった。すぐに手配しよう」

 ライラックにラムシード家への確認を任せて、ロバートと俺は研究塔の入口へとやってきた。

 研究塔のすぐそばには、大型の物資を運び入れるための搬入口がある。搬入用の門には、人を管理するというより、主として品物の出入りを管理するため、門番が置かれている。

「アリサは、目立ちます。裏から帰ったなら、門番が必ず覚えています」

 なんでも、表の受付は女性だが、裏の門番は男性が担当することになっているらしい。

 門はいつも開いているわけではなく、門番が開閉することになっていて、門番と顔をあわせずに帰ることは不可能なのだそうだ。

 俺はロバートに先導され、門番のところへと急いだ。

 門番は、三十代前半の男だった。

「近衛隊副長のイシュタルトだが、ここをアリサ・ラムシードが通ったかどうか確認したいのだが」

 単刀直入に切り出すと、男は首を傾げた。

「ラムシードさん? いや、見ていませんよ」

 男はそう言った。特に嘘などついている様子はない。

「姉をご存じですか?」

 ロバートの問いに、男は面白そうに笑った。

「彼女を一度見て、忘れるようなら、男じゃありませんよ。最近はますます別嬪になりましたし」

 否定することではない。顔見知りなら話も楽だ。楽だが、なんとなく面白くはなかった。

「今日、こちらを通られた方はいらっしゃいますか?」

 ロバートは、緊張した口調で訊ねた。

「……レニキシード様の馬車が通っただけですね」

「レニキシード様?」

 ロバートの顔が険しい。

「それは、いつですか?」

「つい先ほどですよ。なんでもレキサクライにあった、モニカの陣を作っていた魔道具の解析が済んだらしくて。早急に実験に入るというお話でした。もちろん、許可証もお持ちでしたよ。ああ、魔道ギルドの馬車を借用していかれましたが、そちらの許可書ももちろんありました」

 開発や解析する魔道具の移動には、許可証がいる。研究部門の総括をしているレニキシードといえども、例外ではない。そして、魔道ギルドは、研究用に馬車を保有している。これは会員ならば使用料さえ払えば借りることは簡単だ。

 ロバートが眉をしかめた。

「許可証は、どなたのサインが?」

「アルコル様のサインがありましたけど?」

 不思議そうに門番は答えた。

 



 ロバートは、門番との話が終わると、ライラックに頼んで、レニキシードの部屋への入室許可を取った。

 レニキシードの研究室は、研究塔の中でもかなり大きな部屋だ。レニキシードの専門は『召喚』であるから、陣を研究するのにスペースがいるらしい。

「ロックがかかっている……」

 ロバートが扉の前で呟いた。

 もちろん、部屋の主が不在なのだ。鍵がかかっていても不思議はないが、研究室の鍵は物理的なもので、長クラスの人間の許可があれば、その鍵を開けることは可能ということになっている。

 しかし、今のロバートの言葉は、鍵穴に入れて回した鍵はカチャリと音を立てた後の言葉であるから、『魔術』がかかっていると言う意味なのだろう。

「秘されたものを白日に。我、魔の理を持って命ずる。開放せよ」

 ロバートは迷いなく、呪文を唱えた。

 扉が光を帯びて発光し、ゆっくりと元に戻ると、ロバートは扉に手をかけた。

 不意に、嫌な感触が背中を走り、俺はロバートを突き飛ばすように、扉の後ろへと押しやって剣を抜いた。

 ぐおん、と魔力が弾け、部屋から瘴気が噴き出す。

 暗い部屋に、禍々しい淡い光を放つ魔法陣が見え、石槍が俺の耳元を掠め跳ぶ。

「ガーゴイルだ!」

 俺は、石の羽を窮屈そうに羽ばたかせながら、魔法陣から次々とガーゴイルが飛び出してくる。

 ガーゴイル自体は、それほど強くはない。俺は、確実に彼奴等の石の身体に剣を叩きつけながら破壊して、部屋を観察する。

 人影はどこにもない。

「イシュタルト様、まだ、部屋に入らないでください。たぶん、二重構造です」

 ロバートが部屋に入ろうとした俺を制止して、扉の後ろで呪文の詠唱に入る。

 おそらく、泥棒避けというのにはかなり物騒なこの仕掛けのほかに、まだからくりが用意されているということであろう。

「虚は実に。実は虚に。光は闇に。闇は光に。我、魔の理を持って命ずる。反転せよ!」

 ロバートの言葉とともに、魔法陣を描いていた光がぐるりと形を変えて、消えていき、大気が正常に戻っていく。

 ロバートは大きく息をつき、瞳を閉じた。

 おそらく、魔力の波動を捜しているのであろう。

「見つけた」

 ロバートは大きく息を吸った。

「我、魔の理を持って命ずる。水よ、炎を剋せ」

 ざあっと、部屋の机におかれた水差しから水が吹きあがり、床に舞い落ちるように紋様を描いた。

 ジュワッと、水が吹きあがるような音を立てながら、紋様が発光し……消えた。

「終わりました」

 ロバートはそう言って、息をついた。

「完全に、クロですね。この部屋に人が押し入ることを前提として、術を仕掛けています」

言いながら、ロバートは悔しそうに唇をかんだ。

部屋に入り、魔道の灯りを灯す。人影どころか、書類一つ残ってはいない。

「気が付きませんでした。庭園でアリサが映した、あの鋭い目……間違いなく、レニキシードです」

「では、レニキシードが夜会の?」

 俺は、ゾクリとした。

 アリサは、どこからも魔道ギルドから帰った様子がない。

 レニキシードは、馬車で、搬入用の門から出たという。

「レニキシードなら、ハイドラを召喚することなどたやすいことです」

 ロバートは静かに首を振った。

「イシュタルト様!」

 廊下を、大慌てで誰かが走ってきた。

 ライラックだった。

「ラムシード家に確認しました。アリサ君は帰っておりません」

 ライラックの言葉に、ロバートは自分を落ち着かせるように大きく息を吐きながら瞳を閉じた。

「間違いないでしょう。アリサ……姉は、結社ミザールに拉致されました」

 俺は唇をかんだ。口の中に血の味が広がる。

「至急、カペラと連絡を取れ。俺は隊長に報告をするために、一度、宮殿に戻る」

 焦るな、と、自分に言い聞かせながら、俺は後をロバートに任せ、ひとり魔道ギルドを出た。




「アルコルは、ずっとマークしていたのに……」

 エレーナが悔しそうに呟く。

 俺たちは、皇帝の執務室に集められた。まだ、はっきりと何かが起こったわけではないが、国家の大事になりかねない。皇太子であるアステリオンの判断だ。

「それで。アルコルと、レニキシードの行方はつかめたのか?」

「いえ。ふたりとも家には、帰っておりません」

 レヌーダの報告に、皇帝は眉をひそめた。

「カペラ、アルコルがミザールの人間だと知っていたのか?」

 報告書の束を指ではじく。ギルドの副長であるアルコルが、結社ミザールに所属していたというのは、由々しき事態である。

「はっきりと確信があったわけではありません。昨日の夜会も、アルコルはずっと私とともにおりました。特におかしな言動があったわけではないのです。ただ、レキサクライの研究に非常に熱心であったことくらいで」

 カペラは苦虫をかみつぶすような顔で答えた。

「レニキシードはどちらかといえば、人嫌いで有名でしたから、まさか結社ミザールに属しているとは誰も思わず、ほぼノーマークでした。思えば、レニキシードの専門は召喚術。レキサクライでの皇太子殿下襲撃も、彼なら実行可能でした」

 エレーナが言い添える。

 基本、実行犯はレニキシードだったのだろう。

 彼の『人づきあいの悪さ』も、秘密裏に事をおこすためには必要なことであった。

「しかし、奴らはどこへ消えた?」

 トントンというノックの音がした。

 俺は、扉のそばへと移動し、誰何した。

「ジュドー・アゼルのことでご報告が」

 兵士の声に俺は、少しだけ扉を開け「聞こう」と応えた。アゼルには、現在、監視が付けてある。

「ジュドーの屋敷に、魔道ギルドの紋章の入った馬車が来まして、すぐに、アゼル卿の馬車が屋敷を出立。後をつけましたところ、ムスファリン公の屋敷へと入りました」

「……ムスファリン公」

 第二の魔法陣破壊の実行犯がジュドー・アゼルである以上、レニキシードと無縁であるとは思えない。

 魔道ギルドの馬車で、ムスファリン公の屋敷へと直接出向いては、目立ちすぎる。

 ジュドー・アゼルは、身分は低くとも一応男爵家であり、しかも商売をしているから、公爵家に馬車でおもむいたとしても、それほど違和感はない。

「どうした? イシュタルト」

 レヌーダが俺の顔を見て、訊ねた。

 俺は、姿勢を正す。

「ジュドー・アゼルに動きがありました」

 俺は、兵士から聞いた報告を繰り返す。

「ムスファリンか」

 皇帝は大きく息をついた。

「従兄殿の屋敷とは、一番厄介なところへ……」

「……公爵様相手ですと、余程の証拠がないと乗り込めません」

 アステリオンとレヌーダが渋い顔をした。

「まず、ワシの名でムスファリンを呼び出そう。話をとりあえず聞かねばなるまい」

「しかし、それでは間に合わない可能性はないですか?」

 俺は、つい、そう口にする。

「ムスファリン公が時間稼ぎしている間に、奴らが魔王召喚の儀式をしない保証はありません」

 アリサをさらった以上、奴らは本気である。魔王を召喚するのにどれほどの時間を有するのかは知らないが、呼ばれてしまってからでは遅いのだ。さらに、アリサの身の安全のことを考えると、ゾッとした。具体的にどんな儀式をするのかは知らないが、アリサが無事でいられるわけはない。

「イシュタルト、焦るな。まず、容疑を固めよう」

 レヌーダが俺をいなすようにそう言った。

「では、呼び出し状は、私が公爵家へとお持ちいたします」

「イシュタルト、それは」

 レヌーダが眉をつり上げた。

「使者は、エレーナ、お前が行け」

「陛下?」

 皇帝は、ニヤリと笑った。

「エレーナなら、護衛を何人か引き連れていても、ムスファリンも文句は言うまい。同じ人数で出向くにしろ、形式的には、そのほうが穏便な使者にみえる」

「御意のままに」

 エレーナは、頷いた。

 方針は決まった。前進した、と見てもいい。

 しかし、公文書の体裁を整えるのに、時間がかかる。

 正式な皇帝の使者というからには、使者としての形式が必要だ。

 その形式が守られていれば、ムスファリン公は断れない。

 俺は、ふと、窓の外を見る。

 日は、既に落ちている。今から大急ぎで準備しても、ムスファリン公の屋敷につくのは、夜もかなりふけてのことだろう。

 アリサの身が心配だった。

 使者としてムスファリンの屋敷に乗り込んだときに、捜せ、と暗に皇帝は言っているのだ。

 もちろん、表だって、そう命ずることはできない。そして、それがたぶん、政治的にもギリギリな妥協点であることは、理解できる。

 しかし、間に合うのだろうか。間に合うことを祈るしかないのか?

「……というわけだ。わかったな、イシュタルト」

 レヌーダの話に俺は頷く。頷き、退出して、近衛隊の詰所へと戻る。エレーナの護衛としてついていくなら、近衛隊の軍服も儀礼用の正装にせねばならない。

「おそらく、アリサを傷つけるようなことはしないと思います。なんといっても大切な依代ですから」

 後ろからついてきたロバートが、自分自身に言い聞かせるように、そう言った。

「間にあうと思うか?」

 ぼそり、と呟いた言葉に、ロバートは明らかに動揺した。

「無茶はなさらないでください。一時の感情で動いて良いことではありません」

 ロバートは大きく息を吐き、感情を押し殺してそう告げた。

 俺は、空を仰いだ。

 星が煌めく。アリサがムスファリンの屋敷に入って、かなりの時間がたっている。

 心が決まった。

「ロバート、後は頼む」

「イシュタルト様?」

 俺は、厩舎へと足を向けた。

 アリサを失うくらいなら、近衛隊の副長の座も、侯爵の地位も要らない。俺は、軍服を脱ぎ捨てた。

「イシュタルト様っ!」

 悲鳴のようなロバートの声が背中に聞こえたが、俺は馬に飛び乗って、闇の中へと走り出した。

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