運命の日 1

  魔法陣の要が再び破壊された。

  魔導士たちの調査が終わり、ロバート達がアステリオンの執務室に戻ってきた。

  早朝の事件ということもあり、目撃者等はほぼいなかった。魔法陣以外の被害は見当たらない。

  部屋に集められたメンバーは、近衛隊の隊長、レヌーダと、副長の俺、そして魔導士たち。

  基本、『親皇太子派』の人物ばかりだ。

  もちろん、魔法陣の破壊は国の大事であるから、派閥争いなどしている暇はない。ないが、その派閥争いがおそらく原因なのだから、犯人探しも出来るだけ信用のおける人間で固めなければならない。

  魔導士たちの報告によれば、二つ目の魔法陣を破壊したのは、ジュドー・アゼルだと言う。

  俺は、早朝、アリサとともに出会った時の奴の目を思い出す。

 ラムシードの店で、見せつけるようにアリサとキスをして以来、奴は俺を射殺すような視線で睨んでいたが、今朝の奴の目は、憎しみ以上に暗い陰りがあった気がした。

「ジュドー・アゼル男爵か。手配するのは簡単だが……」

 報告を受けたアステリオンが顔を曇らせた。

「泳がせますか?」

 レヌーダが問いかける。

「アレは、それほど、反皇太子というわけではなかったと思うけど」

 エレーナが首を傾げた。

「……アレを反皇太子派に追い込んだのは、俺かもしれません」

 昨晩。皇帝の前で必要以上にアリサを抱き寄せて奴を挑発した。

 アリサから手を引かせたかった。しかし、そのことで奴が道を踏み外すことまでは計算していなかった。

「どういう意味かね?」

 カペラが、不思議そうに首を傾げる。

「ジュドー・アゼルの想い人を強奪し、さらに皇太子に差し出そうとした、俺への反感です」

「あれをどう見たら、俺に差し出そうとしているように見えるかねえ?」

 アステリオンが苦笑を浮かべた。多少、俺の行動は逸脱したかもしれないが、一応、そういうシナリオだったのだから、間違っているともいえないだろう。

「えっと。私のことでしょうか?」

「強奪もなにも、アリサはアゼルのものになどに、なったことはないのですが」

 不安げなアリサを庇うように、ロバートがそう口をはさむ。

「今朝、アリサとジュドーに会った。アリサを『毒婦』と言っていた。たぶん、反皇太子派の誰かに、いろいろ吹き込まれたのだろう――それも、昨晩から今朝までの短い間に」

 俺は、奴の言葉を思い出す。憎しみと嫌悪。そして、落胆。ジュドー・アゼルも、普通に考えれば、アリサが毒婦などになれるわけがないことぐらいわかるはずだ。しかし、奴は、俺への嫉妬と憎悪から、全てを見失ってしまったのだろう。

「まあ。自分の想い人が、どんな女かわかってないなんて、サイテーだわ……こんなに鈍そうな女の子が、どうやって男を手玉に取っているように見えるのかしら」

 エレーナが、首を振る。その通りだが、今、それを指摘しても意味はないだろう。

「ジュドー・アゼルは、おそらく昨晩の犯人とは違います。残った残滓は別物でしたし」

 アリサが遠慮がちに口をはさむ。

「とりあえず、アゼル男爵に接触したものがいないかどうか、聞き込み調査が必要だな」

 アステリオンは、ふーっとため息をついた。少なくとも。アゼルの単独犯ではありえない。

「叔父貴か、従兄か。ま、俺を目の敵にしているのは、そのあたりだろうが、魔法陣云々っていうと、やっぱり結社ミザールか」

「アステリオン殿下を害そうというのは、失礼ながら、動機がわからなくもないのですが、魔道バランスを崩して、何のメリットがあるのか、私には理由が見当たらないのですが」

 アリサが不思議そうな顔をした。健全なアリサの思考には、犯人の意図が理解しがたいものなのに違いない。

「今より、巨大な魔術を使用可能になるだろう」

 カペラが渋い顔をした。

「魔力というのは、個人の才能に左右される。しかし、土地によって、多少の影響がある。過去の大魔導士達はみな、レキサクライの深部で実験を繰り返したという記述がある」

「巨大な魔術って、なんでしょう?」

「結社ミザールが欲する魔術の究極は、わかりやすく言えば、魔王の召喚だよ」

 ロバートが首をすくめた。

「まさか……そんなことして、誰が得をするの?」

 素直なその反応は、合理的なアリサらしいな、と思う。

「損得じゃない。少なくとも、普通の人間には理解不能な『理屈』があるから、面倒をおこすのだ」

 全ての人間がアリサのように考えられれば良いのに、と、思わずため息が出る。

「ミザールに属していたとしても、そこまで思いつめている人間は僅かだと思う。それに思いつめたとしても、実際に魔法陣を破壊できる人間は、そう何人もいないはずだ」

「そうね。少なくとも、ハイドラを召喚できる人間は、そんなに多くないでしょ。ギルド内で、心当たりは?」

 俺の言葉を受け、エレーナがそう言った。

「難しいですね。ハイドラを使役したわけではないので、魔力保有量が、Aクラスなら、召喚は可能だとは思います。ただし、魔導士や魔術士に限らず、魔力付与師だって、カウントしない訳にはいけませんから、相当な人数になると思われます」

 カペラはそう言って、苦い顔でアリサを見た。

「長い間、魔力付与師の登録だった方が、超一流の攻撃魔術を使用できるという『実例』を、みせつけられたばかりですし」

「アリサは特別だと思うけどね」

 ロバートは苦笑した。

「アリサは、魔道学校では魔力付与能力より、攻撃魔術のほうが得意だったから」

「召喚術が苦手だと言う『成績』が残っていたのに、モニカの陣を反転させるし、アリサくんには謎が多すぎます」カペラはため息をつきながらそう言った。

「まあ、アリサの話はともかくとして、だ。カペラ、とりあえず、魔力保有量Aクラスの名簿を用意しろ。レヌーダはジュドー・アゼルを調査。イシュタルト、お前は賊の侵入経路を探れ。エレーナ、お前は『ハイドラのお片付け』だ」

 アステリオンは、まとめて指示を出す。こういった人の割り振りはとてもうまい。人を使う事にかけては、天珷の才があり、やはり父親とよく似ている。

「ラムシードの双子をお借りするわよ、イシュタルト」

「ロバートはともかく、アリサはカペラの指揮下だ。了解をとる相手が違う」

 エレーナの言葉に、俺は首をすくめた。

「私は構いませんよ。必要な人間は、いくらでも指名してください」

「では、あとは魔術士の長のライラックを借りるわ」

 言ってから、ニコリとエレーナが笑う。ライラックは、魔道学校の教師だったこともある、誠実な男だ。

「さて」

 魔導士たちが退出したのち、アステリオンは顔をしかめた。

 残っているのは、俺と、レヌーダだけだ。

 ここからは更に内密の話になる。

「従兄殿が私兵を雇っているという噂があるというのは本当か?」

「確証はまだとれておりませんが、馬や武具を購入しているのは間違いございません」

 レヌーダが顔をしかめる。

「昨日の夜会は、欠席していたようだし」

 ふうっとアステリオンはため息をついた。

「皇室主催の夜会に欠席するとなると、俺どころか、親父にすら反旗を翻したかもしれんな」

「結社ミザールとのつながっていると仮定すると、その可能性もあります」

 レヌーダが渋い顔で肯定する。

「正直、アリサくんではありませんが、魔道バランスを崩すなど、正気の沙汰ではありません。ミザールがそこまで行動に出たということは、政治的な後ろ盾がある可能性があります」

「レキサクライ王国の復活、ね」

 アステリオンが呆れたようにそう言った。

「まさか、本気で魔王召喚など、するでしょうか?」

 俺は否定しきれない嫌な予感に満たされる。

「普通の人間には理解できない『理屈』がある、と言ったのはお前だろう?」

 アステリオンは眉をしかめた。

「実際に、魔法陣は破壊された。奴らはすでに、俺たちには理解できない『理屈』で動いている」

「ムスファリン公は、どこまで関与しているのでしょう?」

「それを調べるのは、イシュタルト、お前の仕事だ」

 俺は、姿勢を正し、敬礼で返す。

 トントン

 ドアをノックする音がした。

「殿下、カペラ様がおいでになりました」

 衛兵の声がした。

「入るように言ってくれ」

 アステリオンが答えると、書類を手にしたカペラが入ってきた。

「仕事が早いな、カペラ」

「昨年の魔力量測定記録リストです。Aクラス以上の人間は、二百人ほどです」

「少ない、というべきか、多いと言うべきか」

 レヌーダが顔を歪めた。

「二百人、全員、昨日の行動を調べるのは、ちょっとした手間だな」

 アステリオンは、受け取った書類をパチンと指ではじいた。

「なあ、カペラ、そもそも奴らの欲する『魔王』ってどんな奴だ?」

 アステリオンの質問に、カペラは苦い顔をした。

「詳しくは存じませんが。レキサクライ王国を束ねたのは女王アダーラだったと思います」

「美人かね?」

 冗談めかしたアステリオンの言葉に、カペラは顎に手を当て、考え込んだ。

「どうした? カペラ」

 カペラは、首を振った。

「文献によれば、おそらく召喚には贄が必要だったはずです」

「贄?」

 俺は、何故だか嫌な予感がした。

「美しく、魔力溢れた女性を依代に女神は舞い降りる……そんな記述があったと思います」

「依代ねえ……」

 アステリオンは首を振る。

「魔法陣を破壊した以上、何をやっても不思議はありませんね」

 俺の言葉に、他の三人は顔をしかめた。

「Sクラスの女性は、何人くらいになる?」

 アステリオンは受け取ったリストを指で追う。

「四十人くらいでしょうか」

 カペラが気真面目に答えた。

「顔の美醜は、好みにもよりますので、全員にとりあえず護衛をつけますか?」

 レヌーダがアステリオンの顔を見る。アステリオンの顔が思案に沈んだ。

「アリサだ」

 俺は、その可能性に背筋がゾクリとして、思わず口にした。

 アリサは敵の使用した魔法陣を反転させるという派手なパフォーマンスをかましている。

 少なくとも、魔力に関して敵に強烈なアピールをしたも同然だ。

 容姿もアリサは、間違いなく、社交界でも十本の指に入る美しさだ。

「とりあえず、全員に護衛をつけよう――イシュタルト」

 アステリオンはそう言って、俺を見た。

「早急にアリサの身を、お前が確保しておけ。仕事はアリサと一緒でもできるだろう?」

「殿下」

 俺はびっくりしてアステリオンの顔を見る。それは、あまりにも公私混同ではないだろうか?

「お前の言うとおり、アリサは、ターゲットの最有力候補だと思う。お前の傍に置いておくのが一番安全だろうし、しかも、仕事もさせられる」

 にやりと、アステリオンは笑った。

「アリサ君は、敵の魔力の波動を知っている。お前と一緒に行動していても、何ら不思議はない」

 レヌーダが頷いた。

「お前の士気も上がるだろ? 急いで行け」

 アステリオンは、俺を追い出すようにそう言った。



 中庭に出ると、既にハイドラの姿はなく、魔導士たちの仕事は終わっていた。

 テラスのそばで地図を広げながら、ロバートがエレーナたちと話をしているのが見えた。

 アリサの姿はない。

 ハイドラの姿がなくなったとはいえ、庭園はまだ荒れたままだ。兵たちが、侵入者の痕跡をみつけようとはいつくばるように調査を続けており、せわしない。

「イシュタルト様」

 ロバートが俺に気が付いた。

「アリサは?」

「アリサは、結界用の石を返しに、魔道ギルドへ行きました」

 ロバートは、宮殿の地図上の魔法陣の要があった場所をさしながらそう答えた。

「魔道ギルドか」

「あら、イシュタルト、アリサに何か用?」

 エレーナが面白そうに、俺を見る。

「アリサは、ミザールに標的にされる可能性があるらしい。しばらく俺の手元に置いておくことになった」

「アリサが?」

 ロバートがびっくりしたように目を見開く。

「ロバート、お前は、エレーナについていろ。エレーナも標的にされる可能性がある」

「標的って?」

「魔王召喚の贄は、魔力あふれる美女、ということだそうだ」

 俺の言葉に、ロバートの顔色が変わる。

「マズイかもしれません……魔道ギルドの中に、結社ミザールが入り込んでいるのは間違いないのですから」

「本当か?」

 そういえば、先日、ロバートから『魔道ギルドの大物が釣れるかもしれない』と聞かされていた。

「確証がないから、私もカペラも手が出せなかった相手よ。すぐに、魔道ギルドへ行ったほうがいいわ、ライラック、イシュタルトを案内してあげて」

「承知いたしました」

 ライラックが丁寧に頭を下げる。

「ロバート、私は大丈夫だから、イシュタルトについていって」

「しかし、エレーナ」

 戸惑うロバートに、エレーナは微笑んだ。

「私には、ルクスフィートも、『影』もついている。それに私は、相手の顔を知っているわ」

「相手とは?」

 エレーナが首を振った。

「何かあったら教えるわ……それまでは言えない。それくらいの大物よ」

 胸騒ぎがした。

 俺は、ライラックとロバートを伴い、魔道ギルドへと急いだ。

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