夜会準備 1
アリサが、今日から屋敷にいる。
そう思うだけで、落ち着かない。
銀行の収支の報告に来た叔父のディーンは、アリサが来るという話を聞いた途端、ニヤリとした口元を隠そうともせず、何事かを親父に囁いて帰っていった。
母は、張り切って自分の若いころのドレスを使用人たちに引っ張り出させたらしい。
家中が、いつもと違う雰囲気に包まれている。
使用人であるロバートの姉を『アゼルからかくまう』という理由だけで俺が彼女を呼んだとは、誰も思っていない。いや、きちんと説明はしたが、誰も「それだけ」の理由だとは信じてはいない。
母は、俺が止めなければ彼女の部屋を俺の隣の部屋にしようとしていたし、侍女が、俺のベッドのシーツを突然、新調するなど妙に浮き足立っている。
正直に言えば、この時期、俺はとても忙しい。しかも、例のレキサクライでの皇太子襲撃事件の犯人が未だに判明しておらず、のんきに家族で飯を食っている暇はない、のだが。
俺は浮き立つ気持ちで食堂のテーブルについた。
借金の棒引きを蹴飛ばしたという彼女の逸話をうちの両親はロバートが来た当初から気にいっており、折に触れてはロバートや、ディーンにアリサのことを聞きほじっている。
「ロバートの双子のお姉さんってことは、相当、美人なのよね?」
妹のサリーナが好奇心を隠せない、というように俺の顔を見た。
「……見た目はともかく、姉は変人ですよ」
ロバートが横から口をはさむ。アリサは普通の女性ではない、というのは同感である。
「お見えになりました」
執事のラクセルがそう告げると、侍女に連れられた薄い水色のドレスをまとったアリサの姿が見えた。
金の髪は丁寧に結い上げられ、化粧を施したアリサの美しさは想像以上だった。
目が離せないほど美しく、胸が高鳴る。
ロバートがすっと立ち上がり、足が止まっているアリサに手を差し伸べた。
「オズワルト様、姉のアリサです」
ロバートはアリサを、父に紹介する。
「アリサ・ラムシードです。この度は、私事でご迷惑をおかけ致しまして申し訳ありません」
アリサの姿を満足そうにみつめ、父は微笑んだ。
「ロバートから話は聞いているよ。噂に違わぬ、美しいお嬢さんだね」
「本当に。どんなご令嬢よりもお美しいわ」
母は興奮気味だ。
「あの……素敵なドレスをお借りできて、夢のようです」
アリサは、戸惑ったような顔で、頭を下げた。
「僕も、姉の女装は久しぶりに見ました。イシュタルト様は、アリサの女装、初めてですよね?」
「あ、ああ」
ロバートに突然振られて、俺はようやく頷く。社交界で、美辞麗句を使うことは日常茶飯事にもかかわらず、言葉が一つも出てこない。
アリサの瞳に吸い寄せられたように、俺は見つめ続けた。
「妹のサリーナよ。いつも兄がお世話になっているそうね」
サリーナが、沈黙した俺の横で彼女に笑いかけた。
「お世話をかけているのは私のほうですし……」
戸惑いを隠せないままアリサは席につき、食事が運ばれてきた。
やがて。
「あの。私のお部屋、もっと狭くて大丈夫ですけど」
アリサが、突然、言いにくそうに口を開いた。
「あら。何か不足がありましたかしら?」
母が驚いた顔でアリサを見る。
「不足じゃなくて、その……私、居候みたいなものですし、仕事しますから、あんな素敵な部屋を汚してしまったらたいへんです」
「あの部屋が一番使わない部屋なのよ?」
「で、でも……住み込みの使用人さんのお部屋の片隅でいいのですけれど」
「それは使用人の迷惑になる。お前の持ってきた仕事道具は多すぎる」
俺の言葉に、アリサは言葉に詰まったようだ。
「もし、どうしてもと言うなら、イシュタルトの部屋の隣に空き部屋が一つあるのだけど」
くすくすと嬉しそうに母が笑った。笑ってはいるが、目が本気だ。
「母上。いい加減にしてください」
俺は咳払いをしながら、慌てて母を制した。
「しかし、まだ先日の襲撃した犯人の目星すらついておりませんが」
俺は、首を振る。
ここは、アステリオン皇太子の執務室である。
週末には皇室主催の大規模な夜会が開かれることになっている。警備体制について、事細かな打ち合わせが必要だ。
「だから、だよ。敵さんも、チャンスだろ? 逆に襲撃させてやれよ」
面白そうにアステリオン皇太子は口を歪めた。深いソファに腰を下ろし、白の絵図面をはらりと広げる。
「……取り返しのつかない事態にならなければいいのですが」
近衛隊の隊長のレヌーダが首を振った。絵図面に警備兵の位置を記入を続ける。
「この前は、不意打ちだった。今度は、不意を打たれるつもりはない」
皇太子はそういって、大きく伸びをする。
「しかしまあ、皇位が欲しけりゃ、直接言えって感じだよ。くれてやるのに」
「……簡単にくれてやって、どうするのですか?」
レヌーダが呆れたような目でアステリオンをにらむ。
「おおかた、叔父貴か従兄だ。継承権的には問題ないさ」
「殿下!」
レヌーダが声を荒げた。
本気ではないにしろ、アステリオンは皇位に執着がない。
もちろん、課せられた責任を果たさぬような人間ではないし、そのために必要な知識も持っているが、権力をそれほど欲してはいないのだ。
「先の襲撃では、魔術が使われております。もっと複雑な背景があるのではないでしょうか?」
俺の言葉に、面倒そうにアステリオンはため息をついた。
「それについて、魔道ギルドはなんと?」
「歯切れはよくありませんね。ロバートが言うには、大物釣りになる可能性もでてきたそうです」
俺は魔道ギルドがよこした召喚術に関しての調査資料を彼に渡した。
「そういえば、召喚の魔法陣を反転させたのは、ロバートの姉だったな」
資料を見ながら、ふっとアステリオンがそう口にした。
「魔導士になったと聞いたが……どんな女だ?」
ニヤリ、と笑いを浮かべながら、皇太子は俺の顔を見た。
「私利私欲のない女です。ロバートと同じで、まっすぐな目をしています」
俺の言葉に頷きつつも、レヌーダが面白そうに笑いを浮かべた。
「とにかく美しい女性ですよ。着飾って微笑めば、たちまち社交界の華となりましょう」
「ほう」
皇太子の目に好奇のいろが浮かんだ。
「もっとも、職人気質な女性ですから、積極的に社交界に出てきたりはしないでしょうね」
にやっとレヌーダが俺の方を見て笑った。レキサクライの一件で、レヌーダには俺の気持ちがバレている。
「まあ、お会いになればわかりますよ。もっとも、うかつに手を出そうものなら、忠臣をふたり、確実に失うことになることだけ、覚えておかれた方が良いかと」
「ふたり?」
「はい。ふたりです」
アステリオンはレヌーダの言葉に首をすくめた。
「ふうん」
そういって、俺の顔をちらりと見た。
「会ってみたいな。夜会に呼ぼう」
「……ご冗談を」
俺はつい、反射でそう口にしてから、慌てて真顔を作った。
「彼女はある男につきまとわれていて、社交デビューどころではありません」
「そういえば、ロバートが何か言っていたな」
レヌーダがニヤニヤ笑いながら俺を見る。ロバートはアゼルの動向を探るために、レヌーダの力も借りていたらしいから、彼は当然、現状を把握している。
「おまえが、手におえぬ相手というわけではないのだろう?」
「そうですが。理由もなく全力で戦うわけにも参りません」
ロバートにとって、アリサは姉である。
しかし、俺にとアリサの関係は、未だ『友人』ですらない。もっとも、『友人』になりたいと思ったことは一度もないが。
プールポワンの職人と、その客。借金の貸し手と借り手。
そこに積極的に政治的な圧力をかける明確な理由はない。
アゼルは爵位こそ男爵であるが、資産家であり、魔導士としての地位も高い。人脈もないわけではない。
「理由がない?」
アステリオンは面白そうに俺の顔を見た。しかし、にやついたまま何も言わない。
「彼女の話はどうでもよいではありませんか」
こほん、と咳払いをして、俺は首を振った。
「サルガス公爵は、カーラ公女と殿下が婚約すれば、政敵から除外できますよ」
サルガス公爵は、皇太子の叔父にあたる。権力欲の強い男だ。皇帝には、弟が一人、姉、妹が一人ずつ存在する。
現在、皇太子の政敵とされているのは、皇帝の姉の息子、つまり皇太子の従兄である、ムスファリンと、皇帝の弟のサルガス公爵であるが、サルガス公は、娘のカーラを溺愛している。
「バーカ。従妹殿が俺に嫁いでくるわけないだろーが。お前も厄介払いしたいからって、ムチャ言うな」
そう。カーラは、面倒なことに、俺に夢中らしい。もっとも、俺が少しでもなびくそぶりでもしたら、興味をなくすような気はしなくもない。
近衛隊の副長として、そして侯爵として、公女に対する最低限の挨拶はしているものの、彼女の露骨な秋波に応えたことは一度もないのにもかかわらず、彼女は執拗に俺につきまとう。
幼いころから、手に入れられぬものなどなかったカーラは、意地になっているのではないかと俺は思う。
「どうでしょう? 冷静になれば、侯爵妃より、皇妃のほうが良いという計算はしそうな方ですが」
レヌーダが首をすくめた。
「俺は、計算高い女は好きだが、周りが見えん女は嫌いだ。それに、誇り高い女は好きだが、他人を見下す女はもっと嫌いでね」
アステリオンはそう言って首を振る。
「あっちが是非に、というのであれば、政治的に考えなくもないが。悪いが、俺から歩み寄るのは御免こうむりたいね」
「ちなみに、具体的に気になる令嬢はおいでなのですか?」
俺はため息をつきながら、そう聞いた。
アステリオンは『女たらし』と陰で言われているだけあって、女性の扱いが上手い。いつも玉の輿志願の令嬢達をやんわりとかわし、ふわふわとしている。
「そうだなあ、さしあたって、そのロバートの姉に会ってみたいね」
俺は、反射でアステリオンの顔をにらみつけた。
ニヤリ、とアステリオンは俺の顔を見て笑った。
「おーこわ。イシュタルト、お前、ホント、正直だな」
「……殿下、それくらいに」
レヌーダが呆れた顔で、口をはさんだ。
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