ジュドー・アゼル

 アリサが偶然発見した魔法陣は、ギルドのみならず、政治的にも大問題となった。

 第一に、ハーピーの襲来が単純な護衛のミスというよりは、意図的なものであったという事実。そして、それに、過去の遺物と思われる魔法陣に手を加えた、かなり魔力の高い人間が絡んでいるということが、確実となり、魔道ギルドはかなり慎重に調査を行っている。

 ロバートの話では、その魔法陣を真正面から反転させたアリサについて、ギルド幹部が関心をもってしまい、アリサの意志とは無関係に魔導士への認定が着々と進んでいるらしい。

「アリサが、魔導士ね……」

 ロバートの報告を聞きながら、俺は自室のソファで紅茶のカップに手を伸ばす。

「アリサ自身は、不本意でしょうが、イシュタルト様には朗報でしょう?」

 ロバートがニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「どういう意味だ?」

 ロバートが持って来たギルドの報告書を受けとり、俺はそれを机の傍らに置く。

「魔導士になれば、ギルドから割の良い仕事が回ってきます。借金をお返しするのも今より、簡単になります」

「俺、というより、ラムシード家にとっての朗報だろう?」

 俺がそう言うと、ロバートは「そうですね」とくすりと笑った。

「そうですね。公の場で、姉が活躍すれば、姉も良縁に巡り合えるでしょうし」

「良縁?」

 俺が首を傾げると、ロバートはニヤリと笑った。

「魔導士になれば、アリサは平民でも貴族に嫁げるようになります。姉は僕が言うのもなんですが、愛想がないことをのぞけば、美人の部類に入ると思いますから」

「なにが言いたい?」

「姉の気持ちはともかく、悪いことではないなあという、僕の感想です」

 ロバートはニヤニヤとそう言って、部屋を出て行く。

 アイツも、人が悪い。

 素直にアリサが、リゼンベルグ家の嫁になることができるようになりましたね、と、言えば良いことを、ロバートはそうは言わない。言わない理由は、アリサにその気がないことを知っているからだ。

 そして、ロバートの言うとおり、魔導士になれば公の場に出る機会は嫌でも増える。アリサの容姿は、人目を引く。着飾って、ドレスをまとった日には、求婚者に不自由することはないだろう。

 要は、ロバートは俺の尻を叩いているつもりなのだ。アリサが人前に出る前に、なんとかしろと言っているのだ。

 それにしたって、思いっきり、警戒されて、苦手だと言われているのに、どうすればいいんだ。

 以前ほど露骨に嫌な顔をされることはなくなった。しかし、それだけだ。

 アリサは、俺の地位も金も興味がない。身分差がなくなったから嫁に来いといって、簡単に来るわけがない。

 むしろ、俺がアリサを借金で買おうとしていると思って、軽蔑するに違いない。

 俺は首を振って、報告書に手を伸ばした。


 アリサとの約束の日。

 俺は近衛隊の訓練の空き時間を使って、ラムシードの店に馬で向かう。

 アリサは、屋敷に届けると言うが、それでは俺はアリサに会えない。プールポワンそのものも大切であるが、アリサに会うための大切な口実である。

馬を止めると、扉を開いてアリサが迎え入れてくれた。

「いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」

 柔らかい笑顔にドキリとする。きっとアリサは、その破壊力に気が付いていないだろう。

「お茶をお入れしますね」

 にこやかにそういって、椅子をすすめてくれた。

 ついこの前までの、嫌そうな感じではなく、上得意さまになって、俺も少しは彼女に受け入れてもらえたらしい。

「クラーク殿は?」

 工房に、クラークの姿が見えない。狭い空間にアリサと二人きりということを俺は急に意識した。

「今出かけております。父に御用ですか?」

「いや、そうではないが。アリサ一人で、不用心ではないのか?」

 アリサは首を傾げる。

「昼間ですし、大丈夫ですよ」

 何を言っているのだろう、と言わんばかりのアリサである。もちろん、親子二人だけの家族経営だ。それがあたりまえなのだろうが、一度意識してしまうと、とまらなくなってしまった。

「レグルス様のような無体なことをされる方は、他におられませんから。そういえば、レキサクライはどうなりました?」

 アリサは苦笑して、話題を変えた。

「調査は終わりそうなのだが。犯人像がつかめない」

「そうですか」

 アリサは俺の前に、お茶を出しプールポワンを手に取った。

 アリサの美しい金髪がさらりと揺れた。

「アリサは、いつも男装だな」

 男物を着ていてもはっきりとわかる豊かな胸と、くびれた腰。俺はついアリサの身体を視線でなぞった。

「男性下着専門屋で、胸の谷間が見えるようなドレスを着るリスクを考えられたことは?」

 アリサは、そんな俺に気が付いたのか、ムッとしてそう答えた。

「そ、そうだな。そうかもしれん。しかし……たまには、女の格好を見てみたい」

 顔に熱が集まるのを意識しながら俺はそう言った。

「――からかわないでください」

 アリサは俺の言葉を軽くいなして、完成したプールポワンをテーブルに並べた。

「からかっているわけではないのだが」

 俺は、アリサの柔らかな手の上に自分の手を重ねた。ほんの少しアリサの頬が紅潮する。

「ドレスを着ても、中身は私ですから……可愛くはなりません」

 アリサはそう言って、手を引こうとする。

「アリサ、俺は……」

 どういえば、彼女に軽蔑されずに、俺の想いが伝えられるのだろう?

 俺は、逃げようとする彼女の手をギュッとにぎりしめた。


ドンドンドン


 誰かが店のドアを乱暴にノックした。

「は、はい。どうぞ」

 客が来てしまっては、どうしようもない。商売を邪魔する男とは思われたくなかった。俺は、そっと彼女の手を離した。アリサは慌てて扉のノブに手をかけた。

「いらっしゃ――げっ」

 扉を開くなり、慌てて飛退き、アリサは、そのまま反対側の壁に張り付いた。

 長い栗色の髪。ブラウンの瞳に記憶がある。確かジュドー・アゼル。男爵ではあるものの、資産家で、魔道ギルドでも魔導士としてかなりの地位を築いている。

 俺は、嫌なことを思い出した。こいつが、無類の金髪好きという噂だ。

「久しぶりだね、アリサ・ラムシード。私の愛しい天使」

ジュドー・アゼルは、部屋を見回し、俺の姿を認めると不機嫌そうな顔をした。

「これはこれは、リゼンベルグ副長殿。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」

 厭味ったらしい口調。家格では、問題にならないくらい俺の方が上であるが、ジュドーは資産家であり魔導士としての才能も認められていて、文官として将来を有望視されてもいる。

 だが、俺はどうしてもこの男が好きになれない。奴の方も、俺の事を気に入らないようだ。

「俺は、ここの客だ。ジュドー殿こそ、こちらには、どのようなご用件で?」 

「私は、アリサに用がありましてね。そちらのご用件がすんでからで結構ですので」

 ジュドーの顔を見るアリサの顔が、青ざめている。こんなアリサの顔は見たことがなかった。助けを求めるように、アリサが俺の傍へとすり寄ってくる。

「な、何の御用で?」

 怯えた、震える声だ。ここまでアリサが怯えているのに、ジュドーはそれに気が付いていないようだ。

「い、イシュタルト様は、ち、父を待っていらっしゃるの。用があるなら、仰ってください」

 行かないで、とアリサの声が聞こえたような気がした。

「ふむ。相変わらず、アリサは照れ屋ですね。まあ、いいでしょう。貴女の居場所がわかったのですから。魔道ギルドからの伝言です。アリサ・ラムシード、魔導士認定の面接に三日後、出頭せよ。出頭せねば、罰金を課することもあるので、心せよ、とのことです」

 どこをどう見たら、アリサが照れているようにみえるのだろう。こいつは、本当に、アホかと思った。

「りょ、了解です。ご、ご苦労様でした」

 アリサが頭を下げると、奴はするするとアリサに近づいていく。

「アリサ、あれから四年――貴女のことを忘れた日はなかった」

 何かに酔っているとしか思えない口調だ。俺がいるのに、気にした様子もなく口説き始める。

「忘れていただいて、全然構わないのですけれど?」

 アリサのはっきりとした拒絶の言葉を聞いて、俺は奴とアリサの間を割った。

「貴女も、もう大人。そう照れずともよろしいのですよ。さあ、私の胸に飛び込みなさい。共に再会の喜びを分かち合いましょう」

「照れてませんし、飛び込みません」

 俺は、頭が痛くなる。俺も結構強引で、あきらめの悪い男だと思うが、ここまで拒絶されたら、さすがに引くし、落ち込む。こいつは、鉄のメンタルなのだろうか? ある意味、尊敬に値するかもしれない。

「……まあ、今日のところは、私も公務で来ておりますので、それほどハメも外せませんけれどね」

「あ、アゼル様」

 アリサは不意に俺に抱き付いてきた。柔らかいアリサの身体の感触にドキリとした。

「わ、私、身も心もイシュタルト様に捧げておりますので、どうか私のことはお忘れになって下さい」

「アリサ、嘘はいけないよ? それはどういうことだい?」

 俺は私とジュドーを見比べた。必死のアリサの髪をゆっくりと撫でる。

 うれしかった。アリサが俺を頼ってくれて、たとえその場しのぎの嘘にしても、俺を求めてくれた。

 俺は、アリサに頷いた。

「ジュドー殿、教えてやる。こういうことだ」

 俺はアリサの身体をそのまま抱き寄せ、唇を重ねた。

 軽く合わせるだけのつもりだったが、アリサが抵抗しないことが嬉しくて、激しく彼女を抱きしめて深くキスをした。

「むぅ――こんな茶番で、私が諦めると思わないでほしいね……今日は、帰るが」

 憎々しげに捨て台詞を残してジュドーは出ていった。すごい目で睨まれたが、そんなことに気を向ける余裕は俺にはなく、アリサの身体の感触を感じている高揚感の方がはるかに勝っていた。

 扉が乱暴に締められても、しばらくアリサは、俺の中に抱かれていた。よほど怖かったようだ。

「アリサ、大丈夫か?」

「あ、ありがとうございました。その、申し訳ありません」

 アリサが慌てて俺から離れていく。正直に言えば、少し残念だった。

「ジュドー・アゼルと、どういう関係だ?」

「よくわかりません」

 アリサは、首を振りながら、学生時代にジュドーに追いかけられたと話した。

 ジュドーの金髪好きはそのころから始まっていたのだろうか。

 それとも、アリサを忘れられないで、金髪にこだわり続けていたのだろうか。その辺はジュドーに確かめねばわからないが、そんなことを追及する気にはなれないな、と、ぼんやりと思う。

「すみません。私、考えなしにイシュタルト様を巻き込んでしまって」

「気にするな……俺は嬉しかったから」

 比較論にすぎないのかもしれないが、一応、優良物件でもあるジュドーより、俺を選んでくれただけで嬉しかった。

「アリサに、思いっきりキスもできたしな」

 真っ赤になったアリサが、とても愛らしくて思わず手の甲にキスをする。

「困ったことがあったら、いつでも言え。遠慮するなよ」

 コクンとアリサが頷いた。

 彼女の目に俺が映ったことが何よりうれしかった。

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