火球 消滅

三日後。

俺は馬を走らせ、ラムシードの店に訪れた。

「やあ」

 店の外に出迎えに出てくれたアリサに、笑いかけると、ぎこちない笑顔でアリサが微笑む。

「いらっしゃいませ。馬をお預かりいたします」

馬の手綱をひくアリサの様子に疲労がにじみ出ている。

「――疲れているな?」

 俺がその顔を覗きこむと、アリサは苦い顔で頷いた。

「三日間、ろくに寝ておりませんので」

 アリサはそう言って、プールポワンをテーブルの上に載せた。

「よろしければ、ご試着を」

「無理をさせたな……赤か」

 生気のないアリサに、俺は首を振った。いくらなんでも、三日は無茶過ぎた。また彼女に嫌われる要素を増やしてしまった。我ながら、度し難い愚かさだ。

 思わず、唇をかみしめて、プールポワンに手を伸ばす。滑らかな肌触り。縫い目の一つ一つに、彼女の仕事へのこだわりを感じさせる出来栄えだ。無茶な仕事にも関わらず、丁寧に誠心誠意こなしてくれたことが伝わってくる。

「お嫌いでしたでしょうか?」

 暗めの赤で滑らかに起毛したその布は、俺の好みだ。

「いや、いい色だ。鎧の下で隠れてしまうのが惜しいくらいだ」

 俺は服を手に取って、袖を通す。

「父の腕には、まだ及びませんが、魔力付与そのものは、問題ないかと」

 アリサの声が緊張に震えている。

「動かしてみて、キツイ場所などございませんか?」

 すっと、彼女の手が胸元のボタンに伸びて、思わずドキリとした。

「いや。問題はなさそうだ」

「着心地はいかがですか?」

「悪くない」

 思った以上の仕上がりだ。クラークの話では、アリサはまだ一人前と認められないという話だったが、そんなことはない。これなら、十分に客を満足させることが出来るレベルである。

「あの――どうでしょうか? お代はお約束通りいただけましょうか?」

 アリサが怯えながら、話を切り出す。

「ああ。約束通り、未払い分の利息もなくすように銀行に話しておく」

 俺は小切手を切って、アリサに渡した。

「本当ですか! ありがとうございます!」

 不意に、アリサが俺に飛びついてきて、頬にキスをした。

 俺の胸が早鐘を打つ。彼女の顔に興奮のいろが浮かび、自分が何をしたのか理解していないようだった。

「お前……」

 俺は頬に手を当てたまま、アリサに目を向ける。

「嬉しいのは分かるが――依頼人に誰彼かまわずキスするのは若い娘として問題だぞ」

 その言葉で我に返ったのか、アリサは真っ赤になって、「すみませんでした」と謝罪する。

 思えば、それは、アリサと俺の関係が少しずつ変化を始めた瞬間だった。



 魔物の掃討が始まり、俺たち近衛隊は皇太子の護衛をしながら、レキサクライに入った。

 それほど強いモンスターは発見されていないが、例年通り、数多くの植物モンスターの生息が確認された。

「ロバート、何している?」

 自由時間とはいえ、レキサクライの深部での単独行動は、いかにロバートといえど危険である。

 俺が声をかけると、ロバートは、気まり悪そうに頭を掻いた。よくみると、大木に穴をあけ、樹液を集めている。

「フィナの樹液か……」

 その樹液は、美容効果が高く、貴族の女たちに人気がある。

「エレーナか?」

 からかいをこめて、そういうと、ロバートは首を振った。

「違います。姉にです。姉は、下手すると化粧もしませんから」

 それはそうかもしれない。アリサの着飾った姿を、想像出来ない。もっとも、着飾ってなどいなくても、アリサは充分に美しいのであるが。

「アリサだって、恋をする年頃なのに、借金のことばかり頭にあって、オシャレもしない。親父は何にも言わないし」

 ブツブツとロバートはそう言った。

 恋をする年頃。その言葉に俺の胸がチクリと痛んだ。

「アリサには、そういう相手がいるのか?」

「さあ? 僕は半年ほどアリサとはあっていませんから、イシュタルト様のほうがご存じなのでは?」

 ニヤリ、とロバートは笑う。

 ロバートは、俺のアリサへの気持ちを知っている。知っていて、気が付かぬふりをしているのだ。

「この前、会ったときは、相変わらず男装をしていた」

 俺がはぐらかすようにそう答えると、ロバートはため息をついた。

「アリサは、もともと、自分が着飾るという発想がないのです。父が、職人の心得を幼いころから叩き込んだせいかもしれませんが」

「お前の母のテオドーラは、随分、浮名を流したらしいから、クラーク殿は心配なのではないか?」

 ロバートは肩をすくめた。

「そんな心配するくらいなら、借金などしません。普通に考えたら、借金のかたにアリサは売られてしまいますよ。父は、仕事のこと以外はアホです」

 酷い言いようである。父であるクラークへの評価はアリサよりロバートの方が辛辣だ。

「もっとも、姉が母のように積極的に注文を取りに行くようになったら、借金はすぐ返せるかもしれませんけどね」

 ロバートは俺の顔を見て、意味ありげに笑う。

「どういう意味だ?」

「姉の為に、借金を肩代わりしようとする酔狂な金持ちはいるのではないか、という意味です」

 フィナの樹液を入れた瓶に蓋をしながらロバートはそう言った。

「もちろん、僕はそんなことは望んではおりませんけどね。姉には愛がある結婚をしてほしいですから」

 ロバートの言葉は、苦々しく、俺の中に響く。

「愛ね……」

 俺は首を振った。

「ロバートは、ロマンティストだな」

 俺の言葉に、ロバートは苦笑した。

「恋愛結婚は、平民の唯一の特権です。イシュタルト様のように、ご身分の高い方は、そういう訳にもいきませんでしょう。姉のことは置いておいて、イシュタルト様はご自身の事を少しお考えくださいね」

 ロバートは、婉曲に、アリサを忘れて、俺の身分に釣りあう女と結婚しろと言っているのだ。

 アリサのことを置いておいて、自分の縁談が考えられれば苦労はしない……そう言いたい自分を抑え、俺は、思わず空を仰いだ。



 

「ハーピーの襲撃だっ!」

 夜間になって。皇太子の天幕は、就寝時間に入っていた。

 もちろん、警戒を怠っていたわけではない。

 就寝時間に入る天幕を取り囲むように、警備体制は敷かれていたはずであった。

 ハーピーの羽の風を切る音を間近に感じながら、俺は、剣と弓を取り、皇太子の天幕に駆けつける。

 鎧を身にまとう時間などない。アリサの作ったプールポワンだけが頼りだ。

「アステリオン殿下!」

 ハーピーは空を飛ぶ。野外に作られた天幕には当然、屋根はない。つまり頭上は、ほぼ無防備だ。

「射手をアステリオン殿下の天幕に集結させろっ!」

 俺は叫びながら、指示を出し、自分も飛んでくるハーピーに向かって、矢を放つ。

 魔法の明かりが、大きく天を照らした。ロバートだ。

 ハーピーの影が空を覆うのが確認できた。どこから湧いたのか。これほどの群れを、なぜ、今の今まで、誰も気が付かなかったのか。疑問はつきないが、空から降ってくる火球が、天幕を焼く。

「イシュタルト! 俺は大丈夫だ。それより、火を消させろ!」

 皇太子が、火球をよけながら剣を振るう。不意を突かれたことをのぞけば、ハーピーはそれほど強いモンスターではない。それよりも、地上に降ってくる火球で火事が起こって火にまかれることも注意せねばならない。

 ハーピーたちは、高度を下げてきた。

 俺は、皇太子を背にする形で、剣を構える。高い位置にいればこそ、対応に困る相手であるが、剣で相手にできるなら、苦もない。高度を落としたハーピーの羽を、飛び上がって、切りつけ、飛行が乱れたところを叩き落とす。

「イシュタルト様っ!」

 ロバートの声に気が付くと、目の前に火球の流れ弾があった。

 避けられないというわけではないが、俺が避けると、皇太子に当たる可能性がある。

 そして、俺の目の前には、その瞬間の俺の隙を狙うハーピーの姿があった。

「イシュタルト!」

 皇太子の声が飛ぶ。

 ままよ

 俺は、剣を構えた。火球の一つ、当たったところで、死にはしない。

 そう覚悟を決め、着弾に備えた。

 火球が、俺の胸にめがけて、流れてきて……そして、弾かれたように消えた。

「え?」

 一瞬、俺は何が起こったのか、わからなかった。わからないまま、ハーピーを叩き斬る。

「火球が……消滅、したよな?」

 戦闘のさなかだというのに、皇太子が驚きの声をあげる。

 その瞬間を見たハーピーたちも、驚愕の表情を浮かべ、撤退を始めた。

「逃げるものは、追うな! それより、火を消せ!」

 俺は指示を飛ばしながら、火球があたったはずのプールポワンの表面をそっと撫でた。

 そこには、焦げ跡ひとつ残っていなかった。

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