イシュタルト・リゼンベルグ編

すべての始まり

「クラーク・ラムシード?」

 俺は、リゼンベルグ家が経営している銀行の頭取である叔父のディーン・ルクセルから借用書を取り上げて、目を通す。

「はい。借金を返すアテがあるようには見えず……財産の差し押さえ等を検討はしているのですが、なにぶん腕の良い職人ですから、いっそリゼンベルグ家が所有してしまうのも一つの方法かと」

 俺は、資料を眺める。クラーク・ラムシードは、帝都でも名高いプールポワンの職人だ。実際、彼の製品を俺も愛用しているが、魔防具としての性能はもちろん着心地が抜群に良い。

 彼の店を取り上げれば貸した金は戻ってくるだろうが、彼が失職してしまうことは望ましい結果ではない。

「ロバート・ラムシード?」

 俺は、クラークの家族構成の中に、最近見知った人間の名を見つけた。

「ああ、クラークの息子です。魔道学校でも神童と有名だそうで」

 ディーンはそつなく返答した。

「……そうか」

 俺は、数日前の出来事を思い出した。

 魔道学校の高等科で、魔力結晶を狙った強盗が立てこもる事件があった。

 治安維持部隊として、乗り込んだ俺を、びっくりするほど豪胆にサポートしてくれた中等科の学生がいた。維持部隊にいる魔導士より、的確に攻撃魔法を操り、補助魔法を駆使していた。

「ディーン、クラークの店をうちで経営するより、俺は、このロバートをうちで雇いたい」

「……しかし、彼は、まだ学生ですよ」

 俺はふっと笑う。

「既に魔術で飯を食っている魔導士より、腕が立つ。魔導士認定はまだであろうが、そんなものはうちで教育すればあの男なら、苦も無く魔導士になれるはずだ」

「わかりました。では、そのように準備をいたしましょう」

 ディーンは、全てを理解して、頭を下げた。



 ラムシード家に行くというので、俺も同行することにした。結果として、リゼンベルグ家がロバートを買うという形になるから、待遇的に問題ないことをきちんと伝えておく必要がある。別段、ただ働きを要求する訳ではない。少々高くつきはするものの、優秀な人材を確保するための契約金と思えば、許容範囲だ。

 ディーンらに案内されたラムシードの店は、思ったより小さく、借金を重ねたというわりに、生活の派手さなど全く感じさせない、堅実そうな店内だった。

 店内に入った俺は、クラークの隣に座った女性を見て魂を奪われた。

 輝く金髪。青い大きな瞳は、俺たちの突然の訪問に驚きの色を浮かべている。

 ロバートと似てはいるけれど圧倒的に線が細く、しなやかさを感じさせた。

 貴族の子女のようにドレスを着ているわけでも、艶やかな化粧を施しているわけでもない。しかし、少女の幼いあどけなさと、大人の色気が混在して、今、大きく咲き誇ろうとしているまさしく大輪の花であった。

 アリサ、と名乗ったロバートの姉は、最初こそ動揺の表情を浮かべたものの、その後は、ディーンらからの説明を淡々と受けていた。

「あの、もし、借金を返したら……ロバートを自由にはしてもらえるのですか?」

「え?」

 ディーンを始め、俺たちは、彼女の言葉に茫然とした。

「借金はいつか必ず返します。どうか、その時が来たら、弟に未来を選ぶ自由を残しておいていただけませんか?」

「アリサ……」

 彼女の言葉に、クラークが打ちのめされたように顔を俯かせる。

 ロバートは、十年に一度、もしくはそれ以上と言われる逸材だ。肉親として、未来に期待するところも大きかったのであろう。

「棒引きしてもいいと言っている借金を、わざわざ返したいというのか?」

 俺がそういうと、彼女はコクンと頷いた。

「父が作った借金は巨額です。すぐには返せません。棒引きしてもいいと仰っていただけるのであれば、期限を無期限にしていただくことは可能ですよね?」

「馬鹿じゃないのか? 普通に考えれば、店を差し押さえられるか、お前の身を売るという話になっても不思議はないのだぞ。侯爵家専属の魔導士として雇うというのは、ロバートの損になるものでもない」

 俺の言葉に、彼女はまっすぐに俺を見た。

「ロバート一人を犠牲にして、のうのうと生活する訳にはいきませんから」

「アリサ……すまぬ」

 クラークが首を振る。

「クラーク殿も、それでよろしいのでしょうか?」

 ディーンが口をはさんだ。

「……娘が望むように」

 クラークは弱々しく口にする。

「わかった。そういうことなら、俺が保証人になろう。借金の期限は切らぬ。ただし、借金を返すまでは、ロバートはリゼンベルグ家がもらい受けるし、利息もまけてはやらぬ。が、ロバートの職場環境は保障するそれで良いか?」

 俺の言葉に、ラムシードの父娘は、頷いた。

 思えば、それが全ての始まりだった。

 



 三年の月日が流れた。

 ロバートは優秀で、あっという間に魔導士認定をクリアし、我が家専属の魔導士となった。俺は、治安維持部隊から、近衛隊にうつり、ロバートも俺に従属する形で、配属されている。

 クラーク・ラムシードは、その後、勤勉に働いている。実際には膨らんだ利息を返しきれてはいないのだが、俺もディーンもそれ以上催促することはしていない。

 ディーンをはじめ、銀行の連中は、アリサに魅了され、借金を返済に銀行を訪れるのを楽しみにしているらしい。

「いや、もう、あれ程、不思議な女性はいませんね」

 ディーンはにこにこと俺に報告する。

「私たちを目の敵にする人間は山ほどおりますけども、あのように低姿勢でお金を返しに来るひとは少ないです」

「俺は、目の敵にされている気がするが」

 滅多と会う機会はないが、会うたびに、俺は不機嫌な彼女の顔しかお目にかかれない。

「イシュタルト様の場合、下心が透けて見えているのではありませんか」

 にやりと、ディーンは笑う。

「何を馬鹿な」

 言いながらも、ひやりとする。

 下心が全くない、とは言えない。いや、正直に言えば、俺は彼女の気を惹きたいと心底思っている。

 彼女は、リゼンベルグ侯爵家という地位も財産も興味がなく、俺の決して悪くはないらしい外見にも興味を示そうとはしない。

 彼女にとって俺は『弟を借金で買った男』であり、『金でなんでも自由にできると思っている人種』にみえるのだろう。

 そこまで嫌われているのに、俺は彼女に魅かれている。

 借金を理由にすれば、いとも簡単に彼女は手に入る。そうでなくても、俺が望みさえすれば彼女を愛妾にすることくらい、造作もないことだ。

 しかし、それはしたくなかった。彼女の身体ではなく心が欲しい。

 俺のそんな心を知っているのか、クラークは屋敷に注文を取りに来る時に絶対にアリサを連れて来ない。俺は、何度もロバートに会わせるから連れて来い、と言っているのに。

 自分になびかぬ身分違いの女など、忘れたほうが良いと思いながらも、ロバートの顔を見ると、どうしたって、彼女を忘れることが出来ない。

 俺は業を煮やして、自分がクラークの店に出向くことにした。

 店に行けば、間違いなく、彼女に会える。

 防具を扱う職人が軒を連ねている通りを馬で駆け抜けると、ちょうど軒下に干してあったリドの実を取り込んでいたアリサと目があった。

「やあ」と、にこやかに微笑むも、「……何か御用でございますか?」と、無愛想に切り返された。しかし、この反応は既に織り込み済みで、嬉しくはないが、ショックを受けるほどでもない。

「親父はいるか?」

 馬の背をなでながら俺は問いかけた。

「あいにく、留守です」

 不機嫌さを隠そうともせず、彼女はそう言った。

「馬を置かせてくれ、中で待たせてもらいたい」

 俺は馬を彼女に預け、店内へと入った。

「茶が欲しい」

 馬を繋いで帰ってきた彼女に、俺はそう言った。

「……わかりました」

 彼女は無表情のまま頭を下げ、火元に立った。

「お茶はまだか」

 沈黙に耐えられず、俺は思わず催促をする。

「お湯が沸くまでお待ちください」

 憮然とアリサはそう言った。

「なぜ、魔法を使わない?」

「――魔力がもったいないです」

「そうか」

 なるほど、と思う。

 魔力付与師というのは、派手さはないものの、かなり魔力を必要とする。特にクラークの製品は、高い防魔力を誇る。日々のこういった積み重ねがたいせつなのであろう。

「お待たせしました。」

 カップから芳醇なお茶の香りが立ち上る。態度はどうであれ、上客としてもてなされているのがわかり、少しホッとした。

「親父殿は、いつ戻られる?」

「防具屋へ注文品を届けに行っただけですから、間もなく戻るとは、思います」

 アリサはそれだけ言うと、席を外そうと軽く頭を下げた。

 俺は、思わず反射で彼女の腕をとった。

「暇だ。少し話をしよう、アリサ」

 俺の言葉に、不満げな顔を浮かべたものの、しぶしぶ彼女は俺の前の椅子に座った。

「仕立屋の娘のくせに、地味な服を着ているな」

 彼女の服装は白いシャツに黒いズボン。男装である。

 艶やかなドレス、とは言わぬが、せめて年頃の娘らしい格好が見たい、そう思うと思わずため息がでた。

「うちは、男性下着の専門店ですから……それに、派手な服を着る余裕は我が家にありません」

 ならば、素直に借金の棒引きを受け入れればよいのに、と思う。

「文句があるなら、俺じゃなくて、お前の親父に言え」

「言われなくても、そうしています」

 彼女は諦めたようにため息をついた。

「双子だというのに、お前はロバートと違って、愛想がないな」

 せめて、笑顔を向けてくれれば、優しい言葉もかけやすいのにと思う。

「有望な弟の将来を売り渡した姉ですから」

 自分を責めるように、彼女は呟く。

「言っておくが、ロバートの労働条件は悪くないぞ」

「承知しております」

 そう言いながら、彼女は露骨に俺から視線をそらした。

「よそ見をするな」

 俺は、思わず、彼女の顎に手をやる。こんなに嫌がられているのに、彼女のことを美しいと思う。

 我ながら、度し難い。どうにかして、彼女の瞳に、自分の姿を映したい。この時、俺はあることに気が付いた。

「気が変わった。親父に頼もうと思ったが、アリサ、お前にする」

「はい?」

 そうなのだ。彼女は職人だ。俺が客になればいい。客であれば、彼女も俺を無下にはできない。

「俺用のプールポワンを一枚、三日以内に作れ」

「ご冗談を」

 言ってから、三日は言い過ぎたか、とは思ったが、ここで引っ込めたくはなかった。

 我ながら、悪役めいているなとは思う。

「できないなら、滞っている利息を払え。」

「そんな」

 文句を言いたげな彼女の唇を思わず、唇で塞ぐ。拒絶の言葉は聞きたくなかった。

「利息を、身体で払ってくれてもいいぞ」

 本当に彼女が借金の為にそうすると言ったら、俺は嬉々として受け入れてしまうだろうな、と、つい自嘲する。

「満足できる出来だったら、三千Gに、たまっている利息の免除をしてやってもいい」

「お引き受けします」

 どさくさに紛れキスをしたことも彼女は受け流し、商談に入る。

 弟によく似て、切り替えが早い。しかも自制心が強い。

 そのクールさに俺は痺れた。採寸をされる間、彼女の体臭を身近に感じて、思わず酔いそうになる。

「また来る」

 顧客である以上、彼女は俺に来るなとは言わない。

 その微妙な関係性の変化に満足しながら、俺は店を後にした。

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