ラムシードの仕立屋
三週間ぶりに、私は実家に帰ることになった。
リゼンベルグ家の馬車に乗せられていて、ロバートとイシュタルトが一緒だ。
心なしかイシュタルトの顔が緊張している。
そう。父は、まだ、ロバートが皇太子直属の魔導士になったことを知らない。
つまり。私が入れ替わりリゼンベルグ家に仕えることになったことも、皇帝から婚約するように命じられていることも、まだ、知らされていない。
とは、いえ。
父がリゼンベルグ家で看病されている私を完全に放置していたわけではなく、時間があるごとにリゼンベルグ家を訪問して、見舞いにはきてくれていた。
父が言うには、防魔枕の売れ行きが快調すぎて、本業に手が付かないくらい発注がはいっているらしい。
その割に、私にすぐ帰ってこいとは、一言も言わないのが不思議ではあった。
「イシュタルト様、どうしたのですか?」
「……今回のことを、どう説明したらいいか悩んでいる」
イシュタルトの顔が険しい。どうやら父がどう思うかと気に病んでいるようだ。
「……面倒なら借金のかたにアリサを貰うって言ってしまえば、父は何も言えませんよ」
「俺は、人買いではない」
ロバートの言葉に、イシュタルトは顔をしかめる。
「父は、アホですが、イシュタルト様を人買いだなんて言いませんよ」
私がそう言うと、「無理やり言う事をきかせたと思われたくない」と、ブツブツ呟いた。
「無理やりかどうかなんて、アリサの顔を見れば、わかりますよ。イシュタルト様の中で、うちの父はどれだけバカ親なんですか?」
呆れたロバートに、イシュタルトはふーっと溜息をついた。
「クラーク殿は、テオドーラ殿にそっくりなアリサを溺愛している。俺は、プールポワンを発注するたびに、アリサに会いたいと言っていたのに、一度だって屋敷に連れて来なかった」
「……それは、私が面倒で行きたがらなかっただけですよ」
ボソッと、私が告白をする。
「そうだったのか? 俺は、そんなにアリサに嫌われていたのか?」
恨めしそうな目で私を見るイシュタルト。ごめんなさい。でも、本当に面倒だったのだから仕方ない。そもそも、なんで私に会いたいのか意味がわかってなかったし。
「問題は、店の人手のほうです」
私はそう指摘する。私が抜ければ人手が足りなくなる。借金を帳消しにしてもらうことになっているから、今までのように既製品などに手を出さなくてもいいが、『皇室御用達』になってしまって、父の仕事は倍増しているのだ。
「アリサクラスの弟子なんて、そう簡単に見つからないだろうなあ」
ロバートがため息をつく。
「せめて、仕入れとかの雑用係が欲しいところだわ」
どうすべきか結論が出ないまま、私たちは家に着いた。
例によって、馬車なんかを横付けにすれば、ご近所様の注目の的であるが、この際、仕方ない。
トントン、とドアをノックすると、「はあい」となぜか若い女性の声がした。
事態が呑み込めず、絶句したままの私の前に、扉を開けて現れたのは、可愛らしいエプロンをつけたリィナだった。
「キャー、アリサ! 元気になったのね!」
嬉しそうにリィナが私に抱き付いてきた。
「ありごとう。心配かけてごめんね」
私はそう言いながら、なぜ、リィナが私を迎えてくれたのだろう、と疑問に思った。
「イシュタルト様も、ロバートさんもお元気そうで。どうぞおはいりください」
二人に気が付くと、リィナはそう言って、店内へ案内する……って。なんで?
「リィナ、お客さんかい?」
いつになく甘かったるい声で、ひょいっと奥から顔をのぞかせた父は、私たちを見て固まった。顔が青ざめている。
「……アリサ、帰るなら帰ると言ってくれ」
どこか慌てふためいた感じの父。明らかに挙動不審である。リィナは、何事もないように慣れた手つきで私たちにお茶を用意し始めた。
「父よ。一つ聞いて良いかな」
私は恐る恐る口にする。
「な、なんだ、アリサ」
こくり、と息をのむ、父。
「まさかとは思うけど……娘の友達に手を出したりは、していないよね?」
「……」
沈黙が訪れて。
私と、ロバートは顔を見合わせた。
「あ、違うの、誤解よ、アリサ」
リィナの言葉にホッとすると
「私が、押しかけちゃったの」
リィナが真っ赤になって疑惑にとどめを刺した。
「リィナ、ちょっと待って。話を整理してほしいのだけど」
私がそう言うと、父は困ったように首を振った。
「アリサが留守の間、リィナさんが雑用を手伝いに来てくれて……その……」
「父さん、さすがに、それはないよ。いくら相手が成人していたって、年齢差的には犯罪だぞ」
ロバートが呆れた声で、そう言った。
「違うわ。クラークさんは、ずっと紳士だったのよ? 私のほうが我慢できなくって」
可愛らしい顔で、大胆発言するリィナに、父はすまないと頭を下げた。
「その……リィナさんは若いし、一時の気の迷いだろうとは思うのだが……その、なんというか彼女が望むならきちんと責任をとるつもりだ」
責任って、何を言っているのだ。若い女の子にちょっと言い寄られて、いい年をして浮き足立っているようだ。
「リィナ、一度、冷静になったほうが良いわ。リィナなら、もっとカッコイイ素敵な男性がいくらでもいると思うの」
私は、父を無視して、リィナの手を取った。
「ごめんね、アリサ。びっくりしたでしょ。でも私、本当にクラークさんに夢中なの。他の男の人なんて、もう考えられないわ」
「どっちかっていえば、リィナなら、年齢的にロバートでしょ?」
「……姉さん。落ち着いて」
ロバートが私の肩に手をのせる。
「クラーク殿、それならば、アリサは俺が貰っても構わないな」
混乱している私たちを横目で見ながら、イシュタルトがさらりと、そう言った。
「い、イシュタルト様、今、なんと?」
父の目に驚愕が浮かぶ。
「アリサを俺の嫁にもらうことになった」
それこそ、猫の子を貰うような気楽さで、イシュタルトはそう言った。
「愛妾ということですか?」
さすがに父は顔をしかめる。娘を妾にと言われて、はいそうですかというほど、父は鬼畜ではない。
「馬鹿なことを言うな。嫁といったら、妻に決まっている」
「……アリサを侯爵妃にと、おっしゃいますので?」
あまりのことに、父は後ずさる。
そりゃあそうだ。リィナは、といえば、夢を見るような目で手を握り合わせて私を見ている。
「借金は、義父への結婚祝いとして帳消ししておく」
「は、はい!」
父は固まったまま返事を返した。
イシュタルトは、借金を父のお祝いのために取り消すことができて満足そうに笑った。
真面目なイシュタルトは、借金を取り消すと決めてからずっと、私を金で買ったような後ろめたさを感じていたらしい。
「じゃあ、父さん、これ、婚約式の招待状というか、召喚状かな。立会人は陛下だから」
ロバートが蜜蝋の押された封書を取り出し、父は大パニックだ。
「それから、僕は、皇太子様の直属になったから、僕の代わりにアリサがリゼンベルグ家に住み込むことになった。待遇は使用人じゃなくて、婚約者だけどね」
「こ、皇太子直属……」
驚きの連続で、父は疲れ果てたように、座り込んだ。
いや、驚いたのはお互い様だけど。
「じゃあ、私、アリサの結婚式にはお義母さんとして、出席させてね!」
リィナが嬉しそうに笑顔を見せると、父が顔を真っ赤にした。
その後。リィナと父の結婚式は身内だけでひっそりと行った。もちろんリィナの衣装は私が作ったものだ。
防魔枕は、順調に売り上げを伸ばし、私はリゼンベルグ家の魔導士の仕事をしながら、内職として枕カバーを縫い続けている。
アステリオンが婚約するという噂があって、私も、私の婚約者も、そして弟も忙しい。それに伴った事件がきっかけで、ロバートが新しい人生を踏み出すのだが、それはまた別の話である。
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