皇太子さまとお散歩 3
夜会の会場は騒然としていた。
すでに、襲撃のパニックは去ったものの、もはや夜会に興じる雰囲気ではない。
勝手な退出が禁じられ、別室での聞き取り調査がすんだものから、順次帰されるらしい。
私は近衛隊と一緒に庭園の調査をすることになった。
庭園は静寂を取り戻したものの、ハイドラの毒液によって焼け解けた木々の臭いが漂っている。
魔道の波動を見逃さないため、魔道灯はつけずに、松明とランタンを使用する。
テラスの側に作られた本部で、レヌーダさんが庭園の地図を広げて指示を出している。
私は近くのベンチに腰掛けていた。波動は感じないものの、肌がざらつく。瘴気は消えたはずなのに、淀んだ空気が重苦しい。
「どうした? アリサ」
イシュタルトが私の顔を覗きこんできた。
「いえ。なんだか、嫌な感じが残っていて。はっきりした波動などを感じる訳ではないのですが」
「瘴気に当たったのか? それとも魔力の使い過ぎか……何ならお前は中で休むか?」
「いえ。大丈夫です」
私は首を振った。何と言っても、日当一万Gである。それに見合った仕事をしなければいけない。するとバサリと、白い大きなシャツをイシュタルトが私に投げてよこした。
「アリサ、それを着ろ」
たぶん、燕尾服の下に着ていたものだろう。どう考えても、男性の中でも長身なイシュタルトの服は、でかすぎる。
「あの、寒いわけでは……」と、私が言いかけると、「目の毒だ」と、ぼそりと言われた。
真紅のドレスの上に男物のシャツって、変、とは思いつつ、確かに胸元バックリ、肩丸出しでは、恥ずかしい。
袖を折り曲げ、シャツを羽織る。丈が長く、太ももの半分まである。服からほのかに自分のものでない香りを感じ、少しドキドキする。まるで、イシュタルトに抱きしめられているような感覚だ。
「アリサ、なんだよ、その無粋な服は」
ボタンをはめている私に、レグルスは不満そうにそう言った。
「イシュタルト様からお借りしました……冷えますし」
「オレだって、おまえのセクシードレスで癒されたい」
レグルスは私の真横に座った。座ってもいいが、近い。何も肩が触れ合うほど近くに座ることはないだろうと思う。
「レグルス様は、ドレスを見ると癒されるのですか?」
私がそう言うと、まるで残念なものを見るようにレグルスは私を見る。
「ドレスじゃなくて、ドレス姿のアリサだろうが。でっかいアリサのおっぱいが――」
「庭園内を巡回するよ、アリサ」
レグルスの言葉は、ロバートに遮られた。
「……恋愛事情に口は出さないと言ったはずなのに」とレグルスがブツブツと呟いている。
「たぶん、召喚術を使ったと思うから……どこかに残滓が残っているかもしれない」
「わかった」
私が頷くと、ランタンを手にしたアステリオンがやってきた。
「うわ。これはまた、随分と見せつけるなあ」
私の姿を上から下まで眺め、面白そうにアステリオンが笑った。
「まあ、これだけ男が多いと、所有権誇示したくなるのはわかるが」
ロバートと打ち合わせをしていたイシュタルトの肩をアステリオンがポンと叩く。イシュタルトは無視をしていたが、レグルスが何故だか嫌そうな顔をした。
「失礼ながら、殿下。所有権はまだ確定していません」
「へえ。そうなんだ。じゃあ、俺もその争いに参加しようかな」
ニヤリとアステリオンはそう笑って、私の手をとって立ち上がるのを手助けしてくれた。レグルスがじろりとそれを見た。
「何の話ですか?」
私の問いに、アステリオンは噴き出した。
「え? わからないの? 本当に、面白い子だねえ」
「殿下、ご冗談はお止めください」
ロバートが小さく首を振った。
「僕の胃に、穴が開きます」
「ロバートの胃が、そんなにデリケートとは知らなかった」
面白そうにアステリオンが笑い、レグルスが頷いている。
「アリサ、まだ違和感はあるか?」
話の流れを全く気にも留めず、イシュタルトが私に話しかけた。
「気がまぎれるとそうでもないのですが。まだ少し、肌がざらつくような感触があります」
「ロバートは、何か感じるか?」
「うーん。そうですねえ、少し、空気が淀んでいるような気もします。僕は、アリサに比べると鈍いですから」
ロバートは首をすくめた。
「行くぞ。アリサ、気分が悪いようなら早めに言え。レグルス、お前はどうする?」
「聞くまでもないだろう。アリサがいるのだから」
出来の悪い子を放置できないということだろうか。レグルスは当たり前のように、私の横に立った。
それを見て、イシュタルトはほんの少しだけ眉を寄せたが無言で灯りを持ったまま先導する。
「術者は、ハイドラを呼び逃げしたみたいだけど……」
私はロバートに話しかけた。いろいろと疑問が頭に渦巻く。
「召喚したものを支配しなければ、ただのお騒がせよね?」
「……ただの、というには、抵抗があるけど、そうだね」
召喚術を使用して、ハイドラを呼んでも、ハイドラを術者の支配下におかないのであれば、ハイドラは自身の意志で勝手に動くだけである。私たちに向かってきたのは、単純に目の前に「餌」となる人間がいたというだけのことだ。
「刺客がいる以上、単純な陽動とは思えないが、何か他に目的があったのかもしれない可能性はある」
イシュタルトは眉をよせる。
巌となったハイドラに近づくと、彼奴が通って折れた木々の葉に、ぬめぬめとした体液が残っていて、ランタンの光に鈍く反射している。体液は血液や唾液と違って焼け溶かすようなことはないが、皮膚がただれる可能性がある。ほぼ一昼夜すぎれば、無毒化すると言われているが、現在、触れるのは危険だ。
私たちは、彼奴の通り道を避け、ハイドラを見上げる。
「……これ、どうするの?」
「たぶん、このまま召喚返しすると思う」
ロバートはふうっとため息をついた。
「アリサも手伝うことになると思うけど」
「げっ」
ハイドラは石化しているものの、まだ生きている。生きているうちであれば、術者以外でも元の場所へ返せるのだ。ただし、すごく面倒である。これだけ大きなモンスターをお片付けするのは、非常に手間も費用もかかるし、術がいつ解けないとも限らない。早めに元の場所にお帰り頂くのが一番良いのだ。
なにぶんデカいだけに、出現場所、すなわち魔法陣があったであろう場所は、簡単に特定できた。その周辺はなにもなくなっている。木々も、石も、魔法陣の描かれたはずの円の中に、何もないのだ。
瘴気は消えている。しかし、肌が刺すように痛い。何かが不安定になっている。
「ねえ、一つ聞きたいのだけど」
私は、魔法陣の跡地を指さした。
「ここ、何かありましたか? 意図的にここで陣を張ったとかいうことは?」
「どういう意味だ?」
レグルスが首を傾げる。
「この辺りの魔道のバランスが崩れている気がします」
私が説明すると、アステリオンは渋い顔をした。
「ここには、建国の時に城とともに作られた石像の一つがあった」
「え?」
「眼光部分に蛍石を埋め込まれた霊獣ガルーダだ。レキサクライの浸食を防ぐための聖なる石像だと、建国史には書いてある」
「初耳です」
ロバートがそう言うと、アステリオンが首をすくめた。「皇族しか知らない秘密だからな」言いながら、跡地を手持ちの明かりでくまなく観察する。
木の葉一枚落ちていない。不自然に何もない空間に、どこか歪んだ感触。そして……。
「残滓が僅かに残っている」
私は、目を閉じた。間違いなく、先ほど感じたものだ。そして、レキサクライで感じたものと同じだ。
「アリサ、映せそう?」
ロバートの言葉に私は首を傾げる。感じるのは得意だが……いかんせん、私は攻撃魔術以外、自信がない。
「どうかな。ロバートのほうが適任のような気がするけど」
「何をする?」
アステリオンが訝しげに私を見た。
「術者の姿を残滓の光で構成します。場が不安定なので、上手くいかないかもしれませんが」
「魔力の波動を感じるのは、僕よりアリサのほうが得意だ。残滓の欠片は、アリサのほうが多く集められると思う」
「……あまり、期待しないでよ?」
私はそう言いながら、呪文を詠唱する。
「塵は巌に。雫は海に。我、魔の理を持って命ずる。鏡となれ!」
キラキラと魔力の欠片が闇の中で煌めいた。鋭い眼が見える。どこかで見たことのある目だと思ったとたんに、パシンと画像は霧散した。
「ごめんなさい」
あまりの不甲斐なさに申し訳ない気持ちになった。しかし、見えないことはあっても、あんなふうに霧散するって珍しい。
「いや、僕がアリサ以上にできたとは思えないから」
ロバートはそう言って、私を慰めてくれる。
「手がかりにはなりませんでしたね……」
私は肩を落とした。
「たぶん、結社ミザールだな」
レグルスが苦い顔でそう言った。
「何それ?」
私が聞くと、ロバートは声を潜めた。
「よくは知らないが、レキサクライの奥にあったという王国の子孫たちの組織らしい」
「昔からあったの?」
「そうだな。しかし、彼奴等が動き始めたのは殿下が皇太子と発表されてからだな」
イシュタルトは眉を寄せた。
「俺は、異国の血を引いている。奴らはそれが気に食わないのさ」
アステリオンは緋色の髪を指さした。
「そんなの、皇后さまがお輿入れの時からわかっていることなのでは?」
「アリサ、本当の理由はそんなことじゃない。もっと、現実的な政権争いだ」
イシュタルトが苦い顔をした。まあ、そうだろうとは思う。
「それなら、心当たりもあるのでは?」
「ないこともない。ただし、こんな大それた魔術を仕掛けるとなると、あまり現実的じゃない輩も噛んでいるかもしれない」
アステリオンが首を振った。
「結社ミザールがめざすのは、レキサクライの王国の再興らしいからな」
「その王国、本当にあったものなの?」
「さあ? 大切なのは、子孫たちが信じているってことだと思うよ」
ロバートが、首をすくめる。
「アステリオン殿下が、カーラ公女でも娶れば、話は変わると思うが」
イシュタルトが顔をしかめる。カーラ公女って、さっきイシュタルトに色目を使った人だよ……ね?
「残念ながら、従妹殿は、お前しか見えてない」
くすくすと、アステリオンが笑うと、イシュタルトが静かに睨み付けている。
「正直、従妹殿は、空気を読まなさすぎる。俺の好みは別としても、皇妃には向いていないな」
「難しいのですね」
私がそう言うと、アステリオンは苦笑した。
「そ。難しいよ。アリサちゃん、かわいそうで孤独な俺を癒してくれる?」
「は?」
私は首を傾げた。
なんか、周りの空気が二度ほど下がった。
イシュタルトとレグルスの動きが止まり、私の顔をじっとみている。なんだか、息が苦しい。
「殿下。お願いだから、そういう冗談はやめてください」
ロバートが苦しげにそう呟いた。
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