皇太子さまとお散歩 1

車止めで、馬車を降りると、紳士淑女が談笑しながら、開け放たれた宮殿へと吸い込まれていく。吹き抜けになった広いホールをぬけ、緋色のじゅうたんが引かれていて、足から柔らかな感触が伝わってきた。

「行くぞ」

 イシュタルトに声をかけられ、私は履きなれないヒールのある靴に戸惑いながら、姿勢を正す。柄にもなく緊張に顔がこわばった。

「会場に入ったら、まず、皇族に挨拶をして回る。そのあと、『散歩』と称して、庭園を一周する予定だ」

「はい」

 私は、夜会に社交に来たわけではない。魔道ギルドの依頼という名の命令を受けて仕事で来ているのだ。とはいえ、今回、エスコートという名目で私の保護者にさせられたイシュタルトには、侯爵様として大事な社交もあるだろう。恥をかかせないように気をつけねばならない。

 それにしても。フレイの技術は素晴らしく、今日の私は、自分で言うのもなんだが、高貴なお姫様のようだ。金の髪は丁寧に結い上げられている。はおった白いボレロは、贅沢で美しいオーガンジー。布ごしに透けて見える丸出しの肩は、念入りにクリームを塗られ、すべすべになっている。

胸元には、小さいが美しく煌めくトパーズのアクセサリー。馬子にも衣裳とはよく言ったものだと、自分でも思う。

私の傍らに立つイシュタルトは、オーソドックスな燕尾服だ。焦げ茶色の髪に、黒い服を着ているのにもかかわらず、相変わらず、とても目を引く。私のような付け焼刃な令嬢とは違い、本物のキラキラした紳士だ。ただでさえ無駄に美形なのに、正装したイシュタルトの姿は、直視すると心臓が止まりそうで、私はつい俯き加減になる。

「アリサ、腕をとれ」

「は、はい」

 私は、遠慮がちにイシュタルトの腕をとった。硬い筋肉の感触にドキリとする。

 まるで、乙女の夢のようなシチュエーションに酔いそうになりながら、私は大広間へと入っていった。

 すると、ざわりと、場の空気が動いたのがわかる。予想はしていたが、イシュタルトが女性を伴って広間に入ったことで、好奇と嫉妬の両方の視線が大量に私に降ってきた。注目を浴びるのが苦手な私は、それだけで逃げたくなる。魔力付与師の私には、あまりにも場違いな舞台だ。魔導士になったとはいえ、性格や適性が、突然変わるものでもない。

 明るい魔道灯に照らし出された広間には着飾った紳士淑女が集い語らっており、奥の方では楽団が音楽を奏でていた。壁際には豪華な料理も用意されていた。何もかもが別世界である。

「陛下。本日はお招きいただきありがとうございます」

 イシュタルトに連れられて皇族席へやってきた私は、イシュタルトと共に慣れないしぐさで頭を下げた。

一段高く作られた玉座に、一段と豪奢な衣装をまとった男が座っている。年齢は四十くらい。昔、似姿で見たより老けてはいるが、クラバーナ帝国の皇帝その人であることは、私にもすぐにわかった。なんといっても、目が怖いくらいに鋭い。

「女連れとは珍しいな、イシュタルト」

 親しげに皇帝は笑った。先ほどの鋭かった目が優しげに変わり、好奇の色を浮かんでいる。

「ラムシードの双子の片割れです。この度、彼女も魔導士になったので、ぜひ陛下にお目に掛けたいと思いまして」

「アリサ・ラムシードと申します」

 イシュタルトに促され、震える声で名前を名乗る。

感情の起伏が人より小さい私であるが、さすがに相手が皇帝陛下となると身体がこわばった。

「なるほど。テオドーラに似ているな」

 皇帝の口から母の名がこぼれ出たのを聞いて、私は思わず目を見開いた。

「……母を、ご存じなので?」

「知らぬ方がおかしい。ワシだって、剣を持って戦った時期があったのだから」

「失礼いたしました。母が、まさか陛下と面識があるなどと思ってもおりませんでしたので」

 私は、慌てて頭を下げた。そういえば皇帝陛下は、その昔、軍の先頭に立って果敢に戦ったという剣豪である。プールポワンの職人であった母と、まったく縁がないわけではないのかもしれない。

「こんなお美しい方とお知り合いでは、他の女性に目が向かなくても無理はありませんね」

 皇帝陛下の隣に座っていた、エレガントな白いドレスをまとった美しい女性が、くすりと笑った。この辺りではあまりいない緋色の髪をしている。遠方から嫁いできたという皇后に違いない。

「まったくだ。しかし、これで、イシュタルトが頑なであった謎が解けた」

 面白そうに皇帝が笑う。見上げれば、イシュタルトの顔が朱に染まっている。

 なんか、皇帝陛下にすごい誤解をされているみたいだけど、良いのだろうか?

 でも、サリーナの言うようにイシュタルトがロバートと噂になるよりは、私のほうが外聞的にはマシかもしれない。

「これでやっとリゼンベルグ家も安泰ね。お式はいつなの?」

 にこやかに皇后がそう言った。

 お式? なんのことだろう?

「い、いえ。残念ながら、まだ、そのようなことは」

 イシュタルトが慌ててそう言った。顔が真っ赤だ。

 皇帝はキョトンとしている私とイシュタルトの顔を見比べ、豪快に笑った。

「のんきにしておると、横からかっさらわれるぞ。特に、わしの息子は、美女が大好物だ」

「陛下」

 皇后は眉をよせて皇帝の名を呼ぶ。

「そんな風に苛めたらイシュタルトが気の毒ですわ」

 私は、会話に加わわらずに沈黙を通す。

 皇帝と皇后の息子というのは、当然、この国の皇太子のことだ。下手なことを言ったら、不敬罪になってしまう。

「父上、勝手に私の悪い噂をばら撒かないでください」

 背後から声がして、振り返ると、緋色の髪の青年が立っていた。顔は皇帝によく似ていて、目が鋭い。端正と言えなくもない顔立ち。白地に金の刺繍の施された正装を見にまとっている。年齢はイシュタルトと同じくらいか。

 冷静に見て、誰が見ても二枚目というわけではないが、『皇太子』という肩書があれば、寄ってくる女性は少なくなさそうだ。

「やあ。イシュタルト。顔が真っ赤だな」

「アステリオン殿下」

 イシュタルトは一礼すると、さりげなく私の腰を引き寄せるように抱いた。保護者行動の範囲内なのだろうが、近くなったイシュタルトとの距離に胸がドキリとする。

「アリサ、こちらは、アステリオン皇太子殿下だ。殿下、彼女はロバートの姉の」

「アリサ・ラムシードです。弟がお世話になっております」

 営業スマイルを浮かべて、頭を下げる。エレーナに流し目をくれてやれと言われた気がするが、どうやったらいいものかわからない。

「エレーナから、イシュタルトが絶世の美女を連れてくると聞いていたが、ロバートの姉とはな」

 皇太子はそう言って、私を見る。

 絶世の美女? エレーナはなんという誇大広告をうってくれたのだろう。

「……ご期待に添えず、申し訳ありません」

 ここは素直に謝るところだと、頭を下げると、皇太子は面白そうに私を見た。

「何故、君が謝るの?」

「え? だって、誇大広告で、がっかりなさったのではありませんか?」

 私がそういうと、皇太子はイシュタルトのほうを見てニヤニヤと笑った。

「面白いな。この子。ちょっと貸せ」

「貸しません」

 イシュタルトはそう言うと、「では」と皇帝たちに頭を下げ、私の腰を抱いたまま、立ち去ろうとする。どうしたらよいかわからず、頭をペコリと下げ、イシュタルトに引っ張られるままについていく。

 皇太子の側にいなくてもいいのかな?

 ふと、そう思うが、かといって、二人きりにされても困る。どうしようと思ってついていくと、とても美しい令嬢と目があった。彼女は私を上から下まで見ると、イシュタルトに向かって艶然と微笑んだ。

「こんにちは。イシュタルト」

「ご機嫌麗しくて何よりです、カーラ様」

 イシュタルトは無表情のまま挨拶する。

「アリサ、こちらは、カーラ公女。アステリオン殿下の従妹でいらっしゃる」

「アリサ・ラムシードです。お初にお目にかかります」

 たぶん、皇帝の弟のサルガス公爵の娘だったような気がする。間違っていたら困るので、深い会話はせず、ひたすら頭を下げるのみだ。

 しかし、このお嬢様は、私のことには興味がないらしい。挨拶は完全にスルーされた。

「ねえ、イシュタルト。今日こそは、私と踊って下さるわよね」

 にっこりと公女様は色っぽく微笑む。秋波をおくるという現場を間近で初めて見た。私は思わずイシュタルトから身体を離そうとしたが、かえって引き寄せられる。伸ばされた手に力が込められていて、思うように動けない。

「申し訳ありませんが、今日は誰とも踊る予定はありませんので」

 あまりに素っ気ない言葉に、私は驚いた。こんなイシュタルトは初めて見たと思う。イシュタルトは言葉と形だけは丁寧に頭を下げて、彼女をまさしくスルーした。背中で、公女がものすごい目で私を睨んでいるのが見なくてもわかる。

「あの、大丈夫なのですか?」

 私は小さな声で、イシュタルトに訊ねる。公女様をあんなに素っ気なく扱って良いものとは思えない。

「何のことだ?」

 質問の意味がわからないというように、私を見る。

「えっと。踊らなくてよかったのですか?」

 もっとも、イシュタルトが彼女とダンスに行ってしまったらどうしたらよいかプランがあるわけではない。

「アリサがいなくても、もともと俺は誰とも踊らない」

 そういえば、サリーナは、男色の噂が立つほど、夜会では女性を寄せ付けないと言っていた。ダンスがそれほどまでに嫌いなのだろうか。

「アリサと躍るなら話は別だ」

 突然、耳元でイシュタルトはそう囁いた。声が甘い。腰を引き寄せられているので、耳にイシュタルトの息を感じる。

 逃げようのない体勢で、私は顔に熱が集まるのを意識し下を向いた。誰も聞いていないのに、どうしてこんなに甘い言葉を吐くのだろう。

「わ、私は踊れません」

 庶民の私にお貴族様の社交ダンスが踊れるわけがない。魔道学校時代に、特別授業で数回ステップを練習したことはあるけれど、私の人生で必要とされるとは考えたこともなかった。

「それならば、気にするな」

 イシュタルトはそう言って、開放された庭園のほうへと足を向ける。

 先ほどのカーラ公女ほどではないにしろ、四方八方のお嬢様から嫉妬の視線、紳士の方々からは、好奇の視線が私に突き刺さってきた。

「イシュタルト、アリサ」

 聞きなれた声にそちらをみると、エレーナだった。美しい黒いドレスをまとっている。傍らには、彼女によく似た青年が立っていた。

「エレーナ様」

 私は慌てて頭を下げる。イシュタルトも丁寧に挨拶をした。

 相手に安心したのか、ようやく腰から手を離してくれた。私は、激しく動く鼓動を平常に戻そうと努める。

「アリサ、エレーナの弟君のルクスフィート公爵だ。ルクスフィート様、こちらロバートの姉の」

「アリサ・ラムシードです」

 私が名乗ると、ルクスフィートは柔らかく微笑んだ。甘い感じのする優しい顔立ちをしている。

「噂は姉から聞いているよ。噂通り、とても美しい人だね」

「ありがとうございます」

 どう答えたらよいかわからず、私は頭を下げる。

「どう? 何か感じる?」

 エレーナに聞かれて、私は苦笑する。

「魔力は感じませんが、嫉妬に満ちたお嬢様方の殺気を全身に感じます」

 くすり、とエレーナが笑った。

「イシュタルトがそれだけベッタリだものね」

「でも、イシュタルトもずいぶん男から睨まれているから仕方ないよ」

 ルクスフィートの言葉に、私はイシュタルトの顔を見上げた。

「俺から離れたら、たぶん、アリサは囲まれる」

「囲みたいから、離れろよ」

 不意に、後ろから声をかけられた。

「美女を一人占めはいかん」

 アステリオンだった。にこやかに笑いながら、私の片手をとる。

 文脈的に、美女というのは、どうやら私のことらしい。

「……そういうことを言うから、殿下は女癖が悪いと言われるのですよ」

 ルクスフィートがため息をついたが、アステリオンは気にしていないようだった。

「俺と踊ろう、アリサ」

 優美なしぐさで私の手の甲に口付ける。

「無理です!」

 思わず私はそう言って、手を引っ込めた。

 言ってから、さすがに不敬にあたると思い、慌てて頭を下げる。

「申し訳ありません。私、ダンスなんて踊ったことがありませんから」

 ニヤっとアステリオンは笑った。

「じゃあ、ふたりで庭園を散歩しよう」

「え?」

 イシュタルトは険しい顔をして、何も言わない。戸惑う私に、アステリオンは一瞬だけ真顔になった。

「虎穴に要らずんば虎児を得ず、だろ?」

 つまり。アステリオンは、積極的に囮になると言っているのだ。

 女と二人きりで庭園にいれば、敵がもしいるとしたら狙ってくるということなのだろう。

 そうだとすれば、断るわけにはいかない。私は気を引き締めた。

「殿下、散歩だけですよ?」

 苦い顔でイシュタルトがそう言った。

「アリサ、くれぐれも気をつけろ」

 イシュタルトは言いながら、私の身体を引き寄せ、耳元で「外にはロバートがいる。心配するな」と囁いた。

 どうやら、壁に耳あり、ということなのだろうか。

 コクリと、私が頷くと、イシュタルトは、そのまま私の耳に唇を落とした。

 囁いたのを誤魔化すためだとは思うが、これだけ高貴な人々の前で、堂々と耳にキスをされ、私は真っ赤になった。

 それなのに、当のイシュタルトは、平然とした顔をしている。

「……イシュタルト、お前な」

 アステリオンが呆れた声を出した。

「お前はもっと、女にクールな男だと思っていたが、間違いだったようだ」

「一人に限定しているだけ、殿下よりマトモじゃない?」

 エレーナがそう言って、くすっと笑った。

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