侯爵令嬢のご依頼 6

 翌日。

 焦げ茶色の乗馬服を身にまとい、颯爽と馬に乗って、エレーナはリゼンベルグ家にやってきた。

 仮にも皇族のご令嬢とは思えぬ身軽さで、護衛もいないようだ。いたとしても、目に見える場所に付き添ってはいない。

「キャー。可愛い。アリサさん、お人形さんみたいよ」

 玄関のホールに出迎えた私の手を握りしめ、エレーナは目をキラキラさせた。

 今日の私は、詰襟タイプの淡い黄色のドレスだ。二十歳の女が着るには、少々可愛らしすぎるデザインで、フリルがいっぱいあしらわれている。フレイが、ぜひにというので、恥を忍んで着た。十代ならいいけどさすがにどうよ、と思ったが、フレイが目を輝かせて喜んでくれたので、脱ぐに脱げなくなってしまった。

 髪もおろしたままなので、さらに幼く見えるのかもしれない。

「わお。私、貴女みたいな姉妹が欲しいわ」

 キャッとはしゃぎながら、くすくすと笑う。何をそんなに気に入ってくれたのかよくわからないが、エレーナのような素敵な女性にそう言われると、素直に嬉しい。

「それなら、ルクスフィート様とアリサさんが結婚すれば、そうなるのでは?」

 一緒に出迎えていたサリーナがニコニコ笑いながらそう言う。隣に立っていたイシュタルトが妹の冗談に眉をひそめた。

「……そんな恐れ多い冗談はやめてください」

 私は、ふーっと息をつく。ルクスフィートは、エレーナの弟で、現皇帝の従姉の子供にあたる。現在は、財務系の書記官をしていたはずで、魔導士にはなっていないが、魔術士としても相当優秀だそうだ。

 冗談にしたって、あり得ない話である。そんなことを考えるだけで、首が飛びそうな気がする。

「エレーナ様、お茶をご用意しますので、こちらへ」

 執事のラクセルが、応接室へ案内する。

 ごく自然に、ロバートはエレーナの手を取って、エスコートした。

 あれ? と思う。普通、こういう場合、家主のイシュタルトがエスコートするのではないだろうか。もっとも、私は、貴族社会に疎いから、間違っているのかもしれないけど。それに。ロバートのエレーナを見る瞳の優しさに驚いた。

 私がものを言いたげにイシュタルトを見ると、私にだけ聞こえるように「さすがに、お前みたいな義姉が欲しいとは言えないだろう?」と、ぼそりと呟いた。

 私は、静かに驚愕する。

 エレーナは、私より五つくらい年上だ。姉妹アピールの真意はロバートですか?

 とってもいいひとだし、才媛だ。年上だけど、私には反対する理由は何もない。

 ただ、義姉と呼ばれると私のほうが年下だけに、ちょっと抵抗があるかも……。

「……そういう関係なのですか?」

こっそりと、イシュタルトに訊ねる。

「どこまでの関係なのかは知らん。魔導士試験の同期で気が合うということしか俺は聞いていない」

 私は、ロバートとエレーナの後姿を見ながらため息をつく。とても似合っている。そういえば、ロバートは昔から自分をしっかり持った女性が好みだった。颯爽としたエレーナは、まさに理想の女性に違いない。

 エレーナのことが好きだとすれば、サリーナが言ったように貴族のご令嬢がたと色恋話がないのも納得だ。姉が言うのもなんだが、ロバートは、一途な男なのだ。

 ロバートが積極的になれないのだとすれば、身分差と借金。それとリゼンベルグ家との契約のせいに違いない。 

「仮に、ロバートがエレーナ様との未来を考えた場合、私がロバートの代わりに、リゼンベルグ家の雇われ魔導士になるってことは可能ですか?」

「え?」

 唐突な私の質問に、イシュタルトは驚愕した顔で私を見た。

「あ、いえ。すみません。借金をきちんと返す方が筋ですね。忘れてください」

 イシュタルトが驚くのも無理はない。私は苦笑いを浮かべた。私とロバートでは、実力が違いすぎる。お話にならない。

 借金を返して、ロバートの意志で未来を決めてもらう。そして、ロバートが侯爵家の雇われ魔導士を辞めたいのであれば、リゼンベルグ家は新しく優秀な魔導士を雇うべきだ。私はそのつもりで、借金の棒引きを断ったのだから。

 私は自分勝手な物言いに恥ずかしくなって、慌てて応接室へと向かった。


「私は表側の魔導士の総括をする予定なの。適宜、指示は出すので、よろしくね」

 エレーナはロバートとイシュタルトを交えながら、夜会の警備の打ち合わせをテキパキとしていく。

 イシュタルトは、警備担当ではなく当日は『参加者』であるが、私の保護者として、どう動けばよいかを考えてくれているようだ。この年になって、保護者同伴でなければ出来ないお仕事というのも情けない気はする……。

「……それで、私はどのような格好で行くのがよろしいでしょうか?」

「そうねえ」

 話がひと段落した段階で、私は、エレーナに質問した。

「とにかくセクシーなほうが良いわ」

 エレーナの言葉に、イシュタルトの顔が曇る。

「だって、私のはとこ、女好きですもの。出来れば、アリサさんの側にいてもらいたいし」

 言われた意味がわからず、きょとんとする。

「わからない? 皇太子がもう一度狙われるとしたら、敵の魔力の波動を知っている、貴女の側にいるのが一番安全なの」

「エレーナ……アリサはその、男を軽くいなせるタイプじゃない」

 イシュタルトが顔をしかめてそう言う。

「あら。でも、そのためにアリサさんのそばに、あなたがいるのでしょ? 違うの?」

 イシュタルトの顔が険しい。それにしても、この会話、前提条件が変だ。

「あの。どうして私がセクシードレスを着ると皇太子さまが寄ってくる前提になっているのでしょうか? 私、色仕掛けをしろと言われても、どうしたらよいかわからないのですが」

 私の素朴な疑問に、エレーナがなぜかため息をついた。

「あなたが流し目一つくれてやれば、たいていの男は寄ってくるわよ。そういう経験ないの?」

 残念ながらそんな経験はございません。そもそも、流し目なんてしたこともない。

「まったく。最近の男はヘタレばっかりなのかしら」

 エレーナがイシュタルトのほうを向いて、ため息をついた。

「エレーナ。それは違います。姉が極度に鈍いのです」

 ロバートが、慌てて口をはさむ。どういう意味だ。

「ロバート。もうやめろ。アリサのことは、俺が責任を持つから」

 苦々しい顔でイシュタルトが会話を断ち切った。

「……それで、ドレスはどうしましょう?」

 サリーナが口をはさんだ。

「とりあえず今あるものをみせて。場合によっては、私のドレスを貸してあげる。安心して。アリサが着飾るのは『経費』だから」

 ニコニコっとエレーナが笑う。

「皇太子がわけのわからない女とどこかにしけこんだりしたら、警備のしようがないもの」

 なんだか、女癖が相当悪い皇太子らしい。私はこの国の未来に不安を感じた。


 お茶が終わると、エレーナとサリーナ、それからフレイがクローゼットのドレスを片っ端から私に着せ始めた。

 私は嫌だと言ったが、結局、初日にフレイが薦めてくれた、超大胆な真紅のチューブトップドレスを着せられた。試しに、と、髪を軽く結い上げられる。

 胸の谷間の中心部にシャーリングがあり、しかも胸の上の一部が見えているので、胸がこぼれ落ちそうなデザインだ。鎖骨も肩も丸見え状態だし、裸でいるような気分になる。しかも胸の締め付けだけで着ているなんて不安でしょうがない。

「あのー。さすがに、恥ずかしすぎるのですが」

 私はエレーナに抗議をした。

「そう? じゃあ、男どもに感想を聞きましょうか?」

「そう言う問題では」

 私の言葉を無視して、エレーナは扉を開けて、廊下で待機していたロバートとイシュタルトを招き入れる。

 男二人が、息をのむのがわかった。

「エレーナ、ちょっと、やりすぎじゃない?」

 ロバートが顔をひきつらせている。

 イシュタルトは私の胸元を見た途端、顔を赤らめて、慌てて目をそらす。

 あまりに露骨なその様子に、恥ずかしくなって、両腕で胸元を隠した。

「うーん。そうねえ。ボレロくらいはおったほうが良さそうね。エスコートしながら鼻血出されても困るし」

 エレーナはニヤッとイシュタルトを見て笑う。

「安心したわ。兄上は、健全な男だったのねー」

 恥ずかしくて隠れたくなっている私の横で、サリーナは嬉しそうに頷いていた。

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