魔導士認定と枕 2

その日の午後。

「じゃあ、俺は出かけてくるから」

 いそいそと、父が御用聞きに出かけていき、私はぽつんと一人残された。

 防魔枕の試作品の計画を立てていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。

「保証人様だ……」

 私は、立ち上がって、外へ向かう。馬はうちの店の前で止まり、扉を開けると、今日も無駄にキラキラしたイシュタルトが立っており、「アリサ」と親しげに私の名を呼んで微笑んだ。

 その優しい微笑みに、少なからずドキリとしながら、ご近所様に目を配る。

 相変わらず、イシュタルトはご近所の女性の注目をあびており、私はジーナにいろいろ話したことを後悔した。これでまた、数日間、ご近所様は話題に事欠かないであろう。

「いらっしゃいませ。どうぞ、お入りください」

 馬を預かると、私は裏につなぎに行く。どうして、毎回、馬で来るのだろう。そんなに忙しいのなら、お屋敷にこっちから届けに行くというのに。

「お茶をお入れしますね」

 完成品を渡せば終わりなのだが、お得意様でもあるし、大事な保証人様でもあるので、私はイシュタルトに椅子をすすめた。

「クラーク殿は?」

 イシュタルトは、パーティションで区切られた工房の奥に目をやりながら、そう言った。

「今出かけております。父に御用ですか?」

「いや、そうではないが。アリサ一人で、不用心ではないのか?」

 私は火元でお湯を沸かしながら、首を傾げる。

「昼間ですし、大丈夫ですよ」

 いつものことなのにと思いながら、前にイシュタルトが注文品を受け取りに来た時のことを思い出した。

 なるほど。そういえば、あの時は、貞操の危機であった。レグルスがどこまで本気かはわからなかったけど。

「レグルス様のような無体なことをされる方は、他におられませんから」

 苦笑交じりで、私はお茶を注ぐ。

「そういえば、レキサクライはどうなりました?」

 イシュタルトは眉をよせた。

「調査は終わりそうなのだが。犯人像はつかめない」

「そうですか」

 魔道ギルドと帝国軍が総力を挙げているのに、成果が上がらないって、大変だなあと思う。

 私は、そっとイシュタルトの前にお茶を出し、プールポワンを手に取る。

「アリサは、いつも男装だな」

 ポツリ、とイシュタルトが私を見て呟く。

「男性下着専門屋で、胸の谷間が見えるようなドレスを着るリスクを考えられたことは?」

 私はむすっと言い返す。もっとも、男装の一番の理由は金銭面なのだが。

「そ、そうだな。そうかもしれん」

 イシュタルトは顔を赤らめた。何を想像したのだろう。私と目が合うと、慌てて視線をそらされた。

「しかし……たまには、女の格好を見てみたい」

 いつにない甘い声で言われてドキリとする。

「――からかわないでください」

 私は、息を整える。ちょっとした言葉にいちいち反応してしまう自分が口惜しい。イシュタルトが無駄に美形なのがいけない。さりげない言葉が、口説き文句に聞こえてしまう。

 そして、人を射るような闇色の瞳に私が映るたびに、私の心が何か勘違いを始めてしまうのだ。

 完成したプールポワンをテーブルに並べて、平静を装う。

「からかっているわけではないのだが」

 イシュタルトはそう言いながら、私の右手に手をのせた。

 硬い暖かな感触に、私は動揺する。

「ドレスを着ても、中身は私ですから。残念ながら可愛くはなりません」

 イシュタルトを見ないように、私は手を引こうとする。

「アリサ、俺は」

 引こうとした手をギュッと抑えられた。呼吸が止まりそうになった。

 顔が熱い。真っ赤になっているのが自分でもわかる。

 ドンドンドン

 自分の心臓の音かと思ったら、誰かが店のドアを乱暴にノックしていた。

「は、はい。どうぞ」

 私が返事をすると、イシュタルトの手が離れた。

 私は急いで、真っ赤な顔を隠すように、慌てて扉のノブに手をかけた。

「いらっしゃ――げっ」

 私は、扉を開くなり、慌てて飛退き、そのまま反対側の壁に張り付いた。

 長い栗色の髪。ブラウンの瞳に私の姿が映る。

「久しぶりだね、アリサ・ラムシード。私の愛しい天使」

 彼の名は、ジュドー・アゼル。記憶から抹消したい美形ナンバーワン。私のファーストキスを奪った男だった。



 ジュドー・アゼルは、部屋を見回し、イシュタルトの姿を認めると不機嫌そうな顔をした。

「これはこれは、リゼンベルグ副長殿。このような場所でお会いするとは奇遇ですね」

 厭味ったらしい口調で、ジュドーがそう言うと、イシュタルトは露骨に顔をしかめた。

「俺は、ここの客だ。ジュドー殿こそ、こちらには、どのようなご用件で?」 

「私は、アリサに用がありましてね。そちらのご用件がすんでからで結構ですので」

 相も変わらず、ジュドーのねちっこい口調に寒気がする。ジュドー・アゼルは確か、男爵家出身だ。イシュタルトと面識があっても不思議はない。そして、今のやり取りを見る限り、仲良しとは言い難い関係のようだ。レグルスとイシュタルトの関係より、はっきりとした嫌悪感をともなった関係が見て取れる。

 私は、じりじりとイシュタルトの側に移動した。

「な、何の御用で?」

 私は、自分がかなり挙動不審になっているのを自覚しつつ、そう聞いた。

「い、イシュタルト様は、ち、父を待っていらっしゃるの。用があるなら、仰ってください」

 言外に、行かないでくれとイシュタルトに訴えながら、私はそう言った。

「ふむ。相変わらず、アリサは照れ屋ですね。まあ、いいでしょう。貴女の居場所がわかったのですから」

 その発言に恐怖する。意味ありげに微笑まれ、私は寒気がした。

「魔道ギルドからの伝言です。アリサ・ラムシード、魔導士認定の面接に三日後、出頭せよ。出頭せねば罰金を課することもあるので心せよ、とのことです」

「りょ、了解です。」

 どうやら、ジュドー・アゼルは、魔道ギルドの関係者のようだ。記憶によれば学業は優秀な生徒だったようだから、不思議ではない。

「ご、ご苦労様でした」

 私は頭を下げ、お帰り頂こうと思ったのだが、彼はするすると私のほうへと、距離を詰めてきた。

「アリサ、あれから四年――貴女のことを忘れた日はなかった」

 何かに酔っているとしか思えない口調で、ジュドーはそう言った。

 昔から、こいつはそうだった。常に自分に酔いしれている。こっちの言っていることなど、聞きもしない。

「忘れていただいて、全然構わないのですけれど?」

 イシュタルトがさりげなく、私とジュドーの間に割って入ってくれた。

「貴女も、もう大人。そう照れずともよろしいのですよ。さあ、私の胸に飛び込みなさい。共に再会の喜びを分かち合いましょう」

「照れてませんし、飛び込みません」

 私はきっぱりそう言ったのに、ジュドーは少しも聞いていない。しかもイシュタルトがいるのに、気にしてもいない。

「今日のところは、私も公務で来ておりますので、それほどハメも外せませんけれどね」

 今日のところ? ぞくっとしながら、私は必死で考えを巡らせる。

「あ、アゼル様」

 私はそばにいたイシュタルトに抱き付いた。イシュタルトの身体が一瞬、ビクンと震えたが、必死でしがみついた。

 今、ここで牽制しておかなければ、この男はまた来る。イシュタルトには非常に申し訳ないと思ったが、それだけは、勘弁してほしかった。

「わ、私、身も心もイシュタルト様に捧げておりますので、どうか私のことはお忘れになって下さい」

「アリサ、嘘はいけないよ? それはどういうことだい?」

 イシュタルトは私とジュドーを見比べた。そして、しがみついたままの私の髪をそっと手で撫でる。闇色の瞳が、無言で私に頷いた。

「ジュドー殿、教えてやる。こういうことだ」

 イシュタルトは、私の身体をそのまま抱き寄せ、唇を重ねた。激しく奪うように唇を吸われ、私はくらくらした。

 私の芝居に付き合ってくれるのはいいが、イシュタルトの抱擁はきつく、唇もなかなか離してくれない。息が苦しい。

「むぅ――」

 ジュドーは、顔をしかめた。

「こんな茶番で、私が諦めると思わないでほしいね……今日は、帰るが」

 イシュタルトに抱きしめられ、顔はよく見えないが、憎々しげに捨て台詞を残してジュドーは出ていった。

 扉が乱暴に締められると、私は激しい脱力感を感じ、しばらくイシュタルトの大きな胸に抱かれたままでいた。

「アリサ、大丈夫か?」

 イシュタルトの優しい声で、我に帰る。

「あ、ありがとうございました」

 私は、慌てて、イシュタルトから離れた。

「その、申し訳ありません」

「ジュドー・アゼルと、どういう関係だ?」

「よくわかりません」

 私は首を振った。

「魔道学校の先輩なのですが、ある日突然、無理やりキスをされて。そのあと追っかけまわされました。周りの女の子からは、あんな美形に追っかけられるなら素敵ね、とか言われましたが……ロバートがいなかったら、私、学校生活が出来なかったと思います」

「そういえば、ロバートが、アリサは学生時代にストーカー被害にあったと言っていたな」

「すみません。私、考えなしにイシュタルト様を巻き込んでしまって」

 アゼル家は、リゼンベルグ家よりかなり格下とはいえ、いらぬ火種を投下してしまったかもしれない。

「気にするな。俺は嬉しかったから」

 イシュタルトはそう言って、私の手を取った。

「アリサに、思いっきりキスもできたしな」

 にっこり微笑まれて。私は足の爪まで真っ赤に茹であがる。

 そんな私を優しく見つめ、イシュタルトの唇が私の手に降ってきた。

「困ったことがあったら、いつでも言え。遠慮するなよ」

 私は、頼ってはいけないと思いつつも、つい、こくんと頷いた。

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