女戦士様と冒険 4
「アリサ……アリサ」
遠くで、私を呼ぶ声がする。
柔らかい、父とよく似た懐かしい声。
夢うつつで瞼をあけると、ロバートが私を覗きこんでいた。
「……ロバート」
弟の名を呼びながら、私は、なぜ、ロバートがそばにいるのだろう、と思った。
「あっ」
覚醒とともに、頭の中で時が巻き戻る。慌てて身を起こそうとした。
「ぐっ」
頭がグラグラして、誰かが側頭部をゴンゴン叩いているかのような頭痛に襲われ、激しい吐き気をもよおした。
「アリサ」
差し出された桶に、顔を突っ込む私の背を、優しい女性の手が撫でてくれる。
「無理しないで。もう、大丈夫だから」
リィナだった。彼女は私の肩を支えながら、背をずっとさすってくれた。
「本当に無事でよかったよ。心臓が止まるかと思った」
吐き気がおさまると、ロバートがそう言いながら濡れたハンカチを渡してくれた。
私は、ハンカチで口元を拭くと、ようやくあたりを見回した。
日が傾きかけていて、火が起こされていた。場所はよくわからないが、天幕のようなものが張られている。どうやら、近衛隊の野営地のようだ。地面に敷かれた柔らかな布の上に、私は寝かされていたようだ。私の傍らには、リィナとダリア。そしてロバートが心配そうな顔で座っている。三人とも防具はつけていないところをみると、ここの安全は保障されているらしい。
「薬湯だよ。飲んで」
ロバートが、差し出してくれた水筒に口をつける。スーッとした清涼感が全身に広がった。
「……落ち着いた?」
こくり、と頷くと、ロバートがホッとした笑みを浮かべた。
「リィナもダリアも怪我はなかった? レグルス様は?」
吐き気はおさまったものの、にぶい頭痛は残っていたが、私は急にいろいろと気になり始めた。
「大丈夫よ。みんな無事」
リィナがそういうと、ダリアがそっと席を外していった。
「アリサが倒れてすぐ、近衛隊の応援が来てくれたの」
「……そう」
私はロバートを見上げた。
「召喚の魔法陣はロバートが閉じてくれたの?」
「何言っているの? アリサが自分でやったでしょうが。得体のしれない魔法陣に、真っ向勝負するなんて」
ロバートが呆れて私を見た。
「いろいろ言いたいことがありすぎて、怒る気力がなくなったよ、僕は」
ふーっとロバートがため息をついた。
そうだろうなあと思う。そもそもレキサクライに私が来たことだけでも、怒られそうなのに。
「アリサ」
人の気配に振り返ると、ダリアがレグルスとイシュタルトを連れてきたようだった。
二人とも顔が怖い。怒られることの心当たりが満載で身が縮む。
「初めてのレキサクライで、単独行動するってアホか!」
最初に、レグルスから大きな雷が落ちた。当然の怒りである。
「……申し訳ありません」
私は心から謝罪する。私の軽率な行動で、みんなが酷い目にあった。
レグルスがいなければ、間違いなく私は死んでいただろう。もちろん私は自業自得ってやつだが、リィナやダリアを巻き添えにしていたかもしれない。
「あの……お怪我はありませんでしたでしょうか?」
私は、恐る恐るレグルスを見上げた。本当に申し訳ないのと、自分が情けないので胸がいっぱいになる。
「いや……オレは大丈夫だが、その……」
見上げた紫の瞳に私の姿が映ったが、突然、視線をそらされた。
怒っている。
そう思った。まあ、当然と言えば当然だ。
「そのへんでいいか、レグルス」
冷たい、とても冷たいイシュタルトの声がした。
「アリサ、言いたいことはいろいろあるが、まずは、何があったか教えてもらおう」
イシュタルトの目が怖い。レグルスの比ではなかった。
ちょっとだけ魔術が使える女が、思い付きでレキサクライにのこのこやってきて。護衛をおきざりにして一人でフラフラ出歩き、とどめに魔法陣をうっかり発動させた。結果、護衛を危険にさらし、近衛隊の応援を呼ぶはめになったのだ。
帝国の軍人のお偉いさまである彼としては、逮捕したいくらいマヌケだと思っているのだろう。
「キラービーの死骸を集めていたら、魔力の波動を感じたんです」
私はシュンとしながら、説明を始めた。
「それほど大きなものでもなかったけど、ずっと継続的で。どこかに縫い付けられているようなそんな波動を、谷底から感じました」
ゆっくり、言い残しのないように説明する。これは事情聴取だから。せめて、これ以上迷惑をかけないように正確に伝えなければ、と思う。
「崖の上から少しだけ覗いたのですが、魔力が下の大岩のほうから感じるだけで、魔法陣などは目視できませんでした……私は高いところが苦手で……」
「アリサは、昔から高いところダメだよね。よく、崖の下を覗く気になったねえ」
ロバートが口をはさむ。
「自分でも、なぜそんなことをしようとしたのかよくわからないけど。たぶん、単なる好奇心だったとは思います。非常に心苦しいですけど」
私は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「それで、恐くなって、戻ろうと思った時に躓いて。持っていたキラービーを谷底に投げちゃったんです」
そう。たぶん、あれが、スイッチ。キラービーそのものなのか、それに残っていた私の魔力の残滓か。それはわからないけど。
「そうしたら、突然、瘴気とガーゴイルが現れました。」
私はそう言って、目を閉じた。
「……僕が来るまで、待とうとは思わなかったの?」
ポツリ、とロバートが言った。魔法陣の話をしているのだと分かった。
「ガーゴイルは強くないけど、どんどんおかわりが来てて、あのまま小技を繰り返していたら、リィナもレグルス様も限界になってしまうと思ったの」
私は私のほうに投げかけられたリィナとレグルスの視線に耐えられず、下を向いた。
「本当は、待つのが一番よかったのだとは思う。でも、自分がやらなくてはと、思い込んでしまって」
「アリサは、召喚術苦手だったからねえ。真っ向から反転させなくても、手管はいくらでもあったのに」
「……ごめんなさい」
私は肩を落とした。
「だいたいのことはわかった」
イシュタルトは事務的にそう言った。
「明日は、現場に付き合ってもらおう。今日はここで休め。そちらのご婦人方も、ごゆっくりなさってください」
リィナとダリアにだけ、イシュタルトは笑みを向ける。
「レグルス、手を貸せ。少し確認したいことがある」
忙しそうに、イシュタルトは私と視線を合わせようとせずに出ていった。
それを見送り、ロバートはふーっとため息をついた。
「アリサ、結果として良かったとはいえ、どうしてレグルスといっしょに森へ来たの?」
「それは……」
弟のあなたにバラされると思ったから、とは言い難く。私は口をつぐむ。
「あのひと、アリサに下心があるの、知っているだろ?」
ロバートが責めるようにそう言う。
「あの、私たちがそうしてほしいって横から騒いじゃったんです」
リィナが申し訳なさそうに口をはさんだ。
「そうそう。アリサは、ずーっと断っていたわ」
ダリアも口を添える。
二人のやさしさに、私は胸がいっぱいになる。でも、最後に決めたのは私だ。責任は私にある。
「……アリサにもいろいろ事情はあるだろうけどさ、僕の身にもなってよ」
ロバートは首を振った。
「アリサたちを見つけてから、イシュタルト様の機嫌が悪くてしょうがない」
「ごめんね、近衛隊の仕事増やしちゃって。」
私がそう言うと、「あー、もう」とロバートが頭を掻いた。
「……そうだよな。アリサは、そうだよな」
ブツブツとロバートはそう言って、仕事があるからと天幕を出ていった。
「アリサの周りって、美形だらけなのね」
ぼそり、と、ダリアが呟いた。
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