女戦士様と冒険 3
魔の森レキサクライ。
なぜ、この森が魔の森と呼ばれているか。それは、この森が人の世の理でなく、魔の理の支配する森だからである。
レキサクライの深部には異界への穴が開いているとか、世界の始まりの大樹が生えているとか、諸説はあるものの、確証は未だない。しかし、なぜかはわからないが、この森は普通の森に比べ、五大原素の影響が色濃く出ている。
動植物も同様で、妖魔、妖獣の類は、他地域の比するまでもなく多種多様で、魔道の材料である様々な資源も豊富である。
帝都アレイドから、徒歩で半日。そんな距離に広大かつ物騒な森が広がっているのだ。
「アリサ、大丈夫?」
早朝に出発した私たちが、森の入り口近くに着いたのは昼前ごろだった。
「ごめんなさい。少し疲れました」
私は、先を歩くリィナに正直にそう言った。
今日の私は、緑色の魔道ギルドから支給されているマントを羽織っている。ちなみに、黒は魔導士で、赤は魔術士。だから、緑色はようするにただの魔力付与の職人である。
こんなものをまとっていても何の自慢にもならないが、例えば魔力が暴走した事故などをおこしたとき、魔道ギルドの対応が、会員かそうでないかで差が付くのだ。万が一に備え、自分がギルド会員だと主張しておかねばならない。
「おぶってやろうか?」
「遠慮します」
面白げに私を見つめるレグルスの申し出を丁重にお断りして、私は息をついた。
何しろ、私は日がな一日お針子仕事の職人なのだ。運動不足なのは否めない。
しかし、自分が行きたいと言った以上、根性入れて歩かねば女が廃る。私は、気合を入れ直した。
「レグルス様は、本当にアリサに首ったけなのね」
ダリアがクスクスと私を見てそう言った。
ダリアはいたって軽装で、柔らかい皮鎧を着ているだけだ。装備している武具も、短剣にウィップ。身軽さが身上の軽戦士である。
「ダリアちゃんはよくわかっているね。肝心のアリサは、少しもわかってくれないけど」
ニヤニヤ笑いながらレグルスが答える。どっと疲れが増してきた。冗談でも勘弁してほしい。
「アリサって、本当にお姫様みたいに綺麗だものねえ」
リィナがうっとりと私を見てそう言った。
「……あの。疲労感が増すので、そういう冗談はやめてください」
「あら、冗談じゃないわよ? アリサって、肌が抜けるように白いし」
「毎日、針仕事で日光に当たってないだけです」
私は首を振った。リィナやダリアの健康的な小麦色の肌のほうがよほど綺麗だ。
私のようなもやしっ子のほうが綺麗という感覚は、間違っていると思う。
「そういえば、近衛隊が森の一部を封鎖していると聞きましたが」
私がそう言うと、レグルスが笑った。
「この前の掃討隊のキャンプ地だな。近いといえば近いが、コルジの木が多く生えているところより少し奥になると思う」
「レグルス様は、掃討隊に参加なさったと聞きましたが」
リィナが目をキラキラさせて、レグルスを見ている。本当に憧れているのだなあと思う。
リィナみたいな女性にそんな風に見つめられて、どうしてレグルスは平静でいられるのか不思議だ。女にモテすぎて、くるっと変な角度に感性が回転してしまっているのかもしれない。
「ああ、オレも皇太子と同じ天幕にいた」
「なるほど」
私は納得した。それで、イシュタルトの火球消滅現場を見たのか。
「それにしても、いつまで封鎖は続くのかな? ハッキリいって、アタイら、レキサクライで生計立てているからキツイよ」
「ま。おかしな事件があったからな。原因がつかめれば、すぐに封鎖は解かれると思うが」
仮にも皇太子の天幕が襲われたのだ。第三騎士隊のミスとやらが、どういうものかわからないが、本当の原因はもっと深いところにあるに違いない。
「そろそろ森に入る。気合を入れろ」
レグルスが皆に声をかける。こういうところはやはり名のある冒険者だ。
今回の私の小さな冒険には、ちょっと(というか、かなり)オーバースペックな戦士様ではあるが。
そもそも森の入り口にちょこっとだけ入るなんて、レグルスから見たら「お散歩」レベルなのだろう。
レキサクライに入ってから、小一時間ほど獣道のような細い道を辿った。森の中は薄暗く、ところどころ漏れてくる木漏れ日が網のような影を大地に落としている。天気がよく、入り口近いせいか、小鳥の囀りも聞こえて、思っていたより随分とのどかな雰囲気だった。
大地に少し岩肌が目立ち始め、小川のせせらぎが聞こえはじめると、大気の温度が下がり始めた。
肌の白い樹木が高く、高く、密集している。コルギの木の自生地だ。
見上げれば、青く澄んだ実がいくつも実っている。コルギの木は冬に実を実らせ、春にはその実を大地に落とす。今がまさに旬である。実は、どちらかといえば苦味が強く、冷気を結晶化したような冷たさがあるため、これを食す生物は、ほとんどいないらしい。
「キラービーの巣があるな。アリサ、わかるか?」
レグルスの言葉に私は木を仰ぎ見た。微かな羽音を頼りに目をやれば、巨大な蜂の巣が目に入る。
大きさは、二頭立ての馬車くらいある。そもそも、キラービー自体が、子りすほどの大きさなのだ。
「巣は高く売れる。蜂だけやれれば、一番いいが……できるか?」
「……全部燃やすなら、簡単ですけどね」
私は、首をひねった。虫に対して、使う魔術は、火の属性だ。それは間違いない。
魔道学校を中退しているので、完全マスターしているのは基礎魔術だけ。しかし、高度の魔術というのは応用技術なのだ。
要は、イメージである。イメージ力があれば基礎だけで大丈夫と先生も言っていた(ハズ)。
ブランクもあるので、魔力をどの程度注げばよいかも手探りだが、やれるだけやってみよう、と思う。
「やってみます」
私は、精神を集中する。周辺にあるキラービーの生体反応を感じながら、火の元素を集める。できるだけ、キラービーの姿を目で捕えて意識する。気配を感じながら、魔力を拡散していく。
「我。魔の理を持って命ずる。燃えよ」
私の力ある言葉が、頭上で破裂した。
バサバサバサッ!
頭の上から、大量に何かが降ってきた。
「うっそー!」
ダリアが声をあげた。私達四人は、大量に落下してくるものを、必死に避けた。
頭上から降ってくるものがなくなり、落ち着いてみれば、目に見えるコルギの木一体から、大量の蜂の死骸が落っこちてきたのだった。そこらじゅうがキラービーのじゅうたんのようになってしまっている。
どうやら、久しぶりの魔術で、際限なく範囲を拡大してしまったらしい。
私は、ぜいぜいと息をきらし、くらくらとめまいを感じた。
「アリサ。やりすぎだ」
レグルスが首を振る。
「しかし、さすがロバートの姉だな」
「弟なら、こんなヘマはしません」
私は、首を振った。
「……コルの実を、お願いします」
私は、それだけ言うと、大地に座り込んだ。
ダリアを中心にみんなが木に登って、コルの実を集めてきてくれた。私の背負い袋いっぱいに詰められたコルの実は、末端価格でたぶん我が家の一か月分の支払利息分くらいになるであろう。
私以外の三人は、キラービーの巣の一部を削り取り持って帰る準備をしている。本当は巣を全部持っていきたいところだが、馬車ほどもある巣は、さすがに運べない。後は、キラービーの死骸から、針を切り取って回収もする、とダリアを中心に作業しており、私は、ひとり、木の根元で座り込んでいた。
もともと運動不足で、ここに来るまで体力を消費していたが、必要以上に魔力まで消費して、心身ともにエネルギー切れである。
今回のキラービーの巣と針の総額はかなりな値段になるそうで、レグルスもただ働きにならずにすみ、私はホッとした。
それでも、何らかの形で礼はせねばならないとは思う。
まず、運動不足はなんとかせねば。
今回、魔術はへっぽこなりに使えることはわかったものの、体力の不足は明らかだ。魔術のほうは、実戦を踏めばなんとかなる(ハズ)。レキサクライで材料が集められるようになれば、防魔用品にも幅ができるというものだ。
私は、少しはみんなを手伝おうと思い、ずるずると周囲に散らばっているキラービーの死骸を集め始めた。
キラービーが絶滅したら、私のせいかもしれない。
ふと、そんなことを思ってしまう。
死骸を引きずりながら、ふらふら歩いていたら、小川のほとりに出た。
「げ」思わず、声が出る。
小さな小川の向こう側にも虫の残骸がみえた。
シャレにならん。
あまり派手なことをやると、近隣調査中の近衛隊に見つかってしまう。悪いことをしたわけではないが、我が弟は優秀な魔導士であるから、魔力の残滓を嗅ぎ取って私が森に入ったことがバレてしまう可能性まである。
あれ?
小川のむこうにも森が続いているが、その奥は、なだらかに下っている。
魔力の波動を感じた。
誰かいるのだろうか? しかし、波動は継続的に感じる。術をぶちかましている、という類とは違う感触だ。魔力付与と同じで、半永久的に、そこに縫い付けられているかのような感触。
単独行動はいけない、と思いつつも好奇心には勝てず、私は小川を飛び越え魔力の波動を追った。
なだらかに下った先は、唐突に崖になっていた。あまりの高さにめまいがする。
私は、とにかく高いところはダメなのだ。
谷の先には深い森が広がっている。おそるおそる腹ばいで下をのぞき込むと、眼下は白い岩肌がむき出しになって、大岩が見える。魔力の波動は、その岩から流れてくるようだ。
確かめたいのだが、眩暈と震えが止まらない。どう考えても無理だ。腹這いのまま、ずりずりと後退した。
歩幅二つ分くらいまで後退してから、ゆっくりと立ち上がろうと身体を戻した時、不意に、強い風が吹いた。
「ひっ」
風そのものは、身体が倒れるほどではなかったはずだが、高所の恐怖におびえていた私は、思わず躓いて、持ってきたキラービーの死骸を谷底に投げ捨ててしまった。
一瞬の静寂の後、グオンと、空気が歪む音が響いた。
間違いなく、強い魔力が弾けた。強い瘴気とともに、硬い羽音が谷の底から駆け上ってくるのが聞こえ、私は後ろも見ずに逃げ出した。
人生で一番、走りに走ったが、小川を飛び越えたころには、私は強い瘴気に包まれた。
目や肌がひりひり痛い。息が苦しい。
ガシッ!
激しい音とともに、走っている自分の目の前に、石槍が突き刺さった。
追い詰められた私は、逃げるのをやめて振り返る。
「ガーゴイル?」
石の羽を羽ばたかせ、石槍を構えた生きた三体の石像が、冷たい目で私を捉えている。
コルギの大木を背に、私は完全に追い詰められた。
「アリサ!」
石像の石槍が私の心臓を貫こうとした時、私の身体は横抱きにされてそのまま大地を転がった。
「怪我はないか?」
レグルスの大きな胸に抱かれたまま、そう問われ、私はコクコクと頷いた。
「できたら、援護しろ」
そう言って、私を背にかばい、腰に下げた剣を抜いた。三体の石像は、重い羽音を立て、上下に移動しながら距離を詰める。
「アリサ! レグルス様!」
リィナが抜刀しながら走ってきた。
「リィナ、アリサを頼む。ダリア、近衛隊に応援を頼む――まだ、来る!」
見れば、三体の後ろから、黒いいくつかの影が見える。
ガーゴイルは、それほど強いわけではない。ないが、疲れを知らない。完全に破壊されない限り、彼奴等は闘争心を失わないのだ。しかも、多勢に無勢では、いくらレグルスでもキツイ。
「待ってて!」
ダリアが、駆け足で走っていく。
「アリサ、私の後ろへ」
リィナが、飛んできた石槍を、大剣で振り落した。
ガーゴイルは石。つまりは土の元素が強い。私はそばにあったコルジの大木に手を当て、集中する。集めた樹木の元素をツタのイメージに構成する。
「我。魔の理を持って命ずる。絡めとれ!」
私の言葉を受けて、緑の蔦がのたうつようにガーゴイルを絡めていく。
「はぁーっ」
気合とともに、レグルスの剣技がさく裂し、ガーゴイルが粉砕した。しかし、蔦に絡まり、動きを大幅に封じられながらも、小川の向こうから次から次へと、ガーゴイルの行進が続き、重い石の羽音が響いてくる。
しばらくの間、いたちごっこが続いた。
このままじゃ、いつかヤラレル。
私は、首を振った。なんとかしなくては。
たぶん、あの崖の下にあるのは、召喚用の魔法陣だ。なんらかの原因でスイッチが入り、ガーゴイルを召喚し続けているのだ。
召喚系は苦手なのに!
私は、ガーゴイル召喚の紋様を思い出す。紋様を私の魔力でひっくり返し、描き直せば、召喚は止まる。
ただし、魔法陣を描いた人間より魔力が上回らなければ、意味はない。
近衛隊が来て、本職の魔導士が来れば、確実に魔法陣は閉じられるだろう。それまで、時間稼ぎの魔術を唱え続けるのも、決して間違っているとは言えない。むしろ、一発勝負に掛け、私が敗れたら、レグルスもリィナも、魔術の援助なしで近衛隊がくるまで耐えなければならない。
私のすぐ目の前で、傷だらけになりながら、リィナが剣を振るっている。レグルスの気合いと、石を粉砕する音が響いている。
ふたりとも、限界だ。
私は、ダメもとで勝負に掛けた。
足元から続く、大地をたどり、先ほど感じた魔力の波動を意識で追う。ずっと、ずっと遠い、深い谷の奥へ。
「虚は実に。実は虚に。光は闇に。闇は光に。我、魔の理を持って命ずる。反転せよ!」
強いプレッシャーが私にぶつけられ、身体がぐらりと揺れた。大地が鳴動し、天が揺らいだように感じた。
「姉さん!」
「アリサ!」
消えゆく意識の中で、ロバートとイシュタルトの呼ぶ声を聴いたような気がした。
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