口コミのご依頼 4

「レグルスとつきあっているのか?」

 レグルスが帰った後、椅子に腰かけたイシュタルトが不機嫌そうに口を開いた。

「いえ。今日、初めてお会いしました」

 私の言葉に、イシュタルトが眉を寄せる。

「あーゆー男が好みか?」

「は?」

 私は、茶を入れながら思わず聞き返す。なぜそういう話になるのかわからない。

「俺の注文を受けた時は、もっと仏頂面だった」

 イシュタルトは駄々をこねる子供のように口をとがらせた。机の上に置かれた指をイライラしたように動かしている。

「私はもともと無愛想です」

 応えながら、お茶をイシュタルトに差し出す。

「それに、イシュタルト様の注文は、無茶ぶりでした」

 出来上がったプールポワンを手にしながら、私はそう言った。

「ひよっこの私に初めての仕事を、三日で、と言われたのですから」

「それは、認めるが……」

 若干、反省したように視線を落とし、イシュタルトはお茶を口にした。

「……キスは、俺よりあいつの方が上手かったのか?」

「はい?」

 私の中で、何かが沸騰した。

「な、何の話ですか!」

「ずいぶんと好意的な対応だったから」

 私は頭が痛くなる。

「お二人が、なにかと張り合う仲だというのは理解しましたが、私を巻き込むのはやめてください!」

 バンッと机をたたきながら、私は抗議した。

「キスの仕方がどっちのほうが上かなんて、知りません。そんなこと、考えられるほど、余裕のある女に見えるのですか?」

 悔しいのか、哀しいのか、よくわからない。

 もちろん、レグルスにしてもイシュタルトにしても、「私、あの人とキスしたわ」と言えば、自慢になるような相手である。気まぐれにキスしたところで、女から文句など言われたことないに違いない。

「どちらも、私が同意した上でのキスではないですから」

 涙が出てきた。言えば言うほど、惨めな気持ちになってきた。

「……悪かった」

 イシュタルトは、びっくりしたように私を見て、そう言った。

……泣くつもりはなかったのに。

「申し訳ありません。取り乱しました」

 私は、涙を拭いて、完成したプールポワンを机の上に並べた。

 冷静になろう。と、私は思った。感情的になって、イシュタルトと言い争ったところで、何の得にもならない。

 イシュタルトとレグルスの間のいざこざに、私が付き合う必要はどこにもない。

「それに明日には、レグルス様は私のことなど覚えていませんよ」

 彼はたぶん、私がイシュタルトの愛人だと勘違いしてからかっただけだ。そうでないとしても、男性の下着の仕立屋が女だったから、面白がっていただけに違いない。

「あの方は、女性に不自由していないでしょうから」

 あなたといっしょで。最後の言葉は言わずに飲み込む。

「……そんなことはない」

 イシュタルトは、闇色の瞳を私に向けた。

 真摯な眼差しにドキリとする。この視線は苦手だ。心臓が騒ぐ。頭が何か勘違いしそうになる。

「アリサは、自分に価値がないかのように思っている。お前は鏡を見たことはないのか」

 意味がわからないことを言われ、私は首を傾げた。

「では、ロバートが、女性に人気があるというのは、気が付いていないのか?」

「それは知っています。ロバートは昔からモテました。あの子は愛想が良いですから」

 学生時代からロバートはモテた。私は随分、ロバートに取り入りたい女の子たちに、厄介ごとを頼まれたものだ。

「双子だろう? お前はかなりモテたとロバートが言っていたぞ」

 イシュタルトは私から視線を外さず、そう言った。

「そんなことはありません。男性とおつきあいなんてしたことはありませんから」

 なんでこんな事を話さなくてはいけないのか。

「それは、ロバートが盾になっていたからだろう?」

 イシュタルトがイライラしたように、私をみている。

「百歩譲って、そうだとしても。イシュタルト様がなにをおっしゃりたいのか、全く理解できません」

「あいつは、お前を諦めないって言っているのだが」

「まさか。でも、仮にそうだとしても、私には拒否権とかなさそうですし」

 私は憂鬱に答えた。

「嫌じゃないのか?」

「そういう問題ではありません。ワイバーン殺しのレグルス様相手では、逃げようがありませんし、それに、お仕事をお断りできる立場でもありませんから」

「アリサは、なぜそこまで自分を安売りする?」

「客観的にみて、妥当な立ち位置ですよ。それに、借金のかたに女郎小屋に売られるくらいなら、レグルス様に弄ばれるくらいなんともない」

「俺が、いつアリサを女郎小屋に売ると言った?!」

 私の言葉を遮り、イシュタルトが叫んだ。完全に怒っている。目が怖い。

「でも。利息を体で払えとおっしゃいました」

 声が震える。イシュタルトを責めるつもりはないのに。なぜ、こんなことを言わせるのだ。

「他の男に身体を売れと言った覚えはない」

 ぶすっとイシュタルトはふくれっ面をしたまま、真っ赤になった。

 どういうことか、意味がわからない。

「とにかく、借金を気にするあまりに、好きでもない男に抱かれるのはやめろ」

 イシュタルトは、咳払いをしながらそう言った。

「俺は、もともと、ロバートをうちに雇った時点で、借金は帳消しにしても良いと思っていたのだから」

「それは……」

 ロバートには話していないことであるが、三年前、リゼンベルグ家がお抱え魔導士としてロバートを引き抜いた時。借金を帳消しにするという話があった。

 それを、おバカなことにお断りしたのは私だ。借金を返しさえすれば、ロバートの意志で好きな道を生きていけるという選択肢を無くしたくなかったから。借金の額の大きさと、世間をあまりに知らなかった無知ゆえの発想だった。

 そう。バカなのは私だ。でも。後悔はしていない。

「今思えば、俺が先に会ったのが、アリサじゃなく、ロバートでよかったと思っている」

 イシュタルトは、新しいプールポワンを指で撫でた。

「……どういう意味ですか?」

「魔導士は、アリサでも良かった。アリサはロバートほどではないが、優秀だったと聞いている」

「私に、お屋敷勤めは無理です」

 私が苦笑いを浮かべると、イシュタルトは首を振った。

「そうじゃない。アリサに先に会っていたら、俺は……」

 イシュタルトは私をじっと見つめている。その瞳がほんの少し苦しげで。胸が騒いでとまらず、私は視線をそらした。

「どっちにしろ、酷い男には違いない、か」

 自嘲めいた言葉を吐いて、イシュタルトはため息をついた。

「着てもいいか?」

 苦笑いを浮かべながら、イシュタルトが私を見た。

「袖を通して頂けるのですか?」

「ああ」

 イシュタルトは浮かない顔のまま、上着を脱いだ。そして思い出したように顔を上げた。

「レグルスの注文価格は、一万Gと言ったな。俺のとはどう違う?」

「どこも違いません」

 私はそう言いながら、イシュタルトの試着を手伝った。

「俺のは、一枚九千Gと言っていたが」

 安いことに何故こだわるのか。もう、そのライバル魂はお腹いっぱいである。勘弁してほしい。

「同じですよ。ただ、迷惑料を上乗せしただけです。それくらいは許されると思いますが」

「なるほど」

 イシュタルトは、納得したように頷いた。

「着心地はいかがですか?」

「悪くない」

 私は、作ったばかりのトートバックに二枚のプールポワンを入れた。

「この袋は、サービスしておきますね。お代は、一万八千Gになります」

「わかった」

 イシュタルトは小切手を取り出した。

「俺も迷惑料を込みにしたら、キスをしても構わないか?」

 さぐるような目で、イシュタルトは私を覗きこんだ。

「私のキスは、売り物ではありません」

 ドキリとしながらも、私がそう答えると、イシュタルトは怒ったように口をとがらせる。

「当たり前だ。簡単に売られては困る」

 言いながら、私の手を取った。闇色の瞳が私を捕えている。

 胸の高鳴りを感じながらも、必死で冷静になろうと私は感情を抑え込んだ。

「お金を払ってまでキスをしたいというほど、お相手に不自由しているとは思えません」

 そう。イシュタルトは、相手に不自由しているわけではない。彼は、レグルスと張り合うために私をダシにしているだけだ。もしくは、私をからかって遊んでいるのだ。まともに相手をしてはいけない。

「イシュタルト様とは末永いお付き合いをさせていただきたいと、この前も申し上げました。そう思っているのは、私だけなのでしょうか」

「そうか。そうだな」

 イシュタルトは微笑んで、まるで貴族の令嬢にするかのように、私の手に唇を落とした。その柔らかな感触に、電撃のような痺れを全身に感じると同時に、顔が熱くなるのを自覚した。

「アリサに、嫌われたくはない」

 そう言いながら、イシュタルトは小切手に金額をかきこむ。

「あの……。千G多いのですが?」

 数字を見ながら、私がそう指摘すると、イシュタルトは悲しげに首を振った。

「――俺も暴言吐いて強引にキスしたからな。俺としては、遊びでもからかいでもなかったが、確かに紳士的ではなかった。それに、今日もアリサを泣かせた」

「あれは……」

 気にしないでください、と言おうとしたら、唇に指を押し当てられた。

「俺は、ただでさえアリサに嫌われている。たまには、格好をつけさせろ」

 小切手を私に押し付け、イシュタルトはプールポワンを大事そうに抱えた。

「レグルスが来るのは十日後だったな」

 ぼそり、と、私に確認する。

「へ? は、はい」

 頷く私に、「手配はしておく」と謎の言葉を吐き、イシュタルトは肩を叩いた。

「あの……イシュタルト様」

 私は、扉を開いて出ていこうとするイシュタルトに声をかけた。

「私……別に嫌ってません。少し、苦手なのは事実ですけど」

「上客になれるように、頑張るよ」

 満面に笑みをたたえて、イシュタルトは帰っていった。

 その笑顔が頭に張り付いて、私はしばらく立ち尽くしていた。


「で。なーんで、お前がここにいる?」

 呆れたように、レグルスが、ロバートを見た。

「主が、休暇をくれましてね。ここ、僕の実家なんですよねー」

 ロバートが面白そうに笑う。

 ロバートとレグルスは知り合いらしい。

 あれから、十日後。

 なぜか突然、朝からロバートが家に帰ってきた。

 そして、よくわからないけど、私と一緒に店番をしてくれている。

 昼過ぎにやってきたレグルスは、ロバートの顔をみて、明らかにげんなりしたようだった。

「レグルス様、ご注文の品ですが」

 私は、完成した青いプールポワンを差し出した。

「袖を通していただけますか?」

「ああ」

 レグルスの試着を私が手伝っていると、ロバートがすぐそばにやってきた。

「どうかした?」

 私がロバートに聞くと、「なんでもない」と、ニコニコと笑った。

 レグルスの顔が一瞬ムッとしたように見えた。

「きついところなど、ございませんか?」

「いや、とてもいい。君の魔力の香りも心地いい」

「は?」

 そーいえば、このひと、魔力の匂いがどうとか、この前も言ってたな。

 魔力には、確かに個性はある。当然、無味無臭なので、強弱で表現する人のほうが圧倒的に多いのだけど。

 一芸に秀でた人は、感覚がふつーと違うに違いない。

「それにアリサの瞳と同じ、この色も気に入った」

「あ、ありがとうございます」

 歯が浮くような言葉をよく言うなあと私が呆れていると、「僕も同じ色の瞳だよ、レグルス様」と、ニコニコとロバートが口をはさんだ。

「僕と、アリサは双子だから」

 まるで念を押すかのように、ロバートはそう言った。

「……イシュタルトの野郎め」

 ブツブツと悪態をついて、レグルスは金貨で一万Gを払ってくれた。

「言っておきますが、姉を泣かすような真似をしたら、僕が許しません」

 ロバートは私がお金を受け取ると、すっと、レグルスと私の間に割って入った。

 なるほど。

 つまり、イシュタルトはわざわざ、私とレグルスのことを心配してロバートを寄越したのだ。

 ちょっとばかり、心配しすぎな気もするけど……。

「ロバート、レグルス様は、私を相手するほど暇じゃないと思うから」

 一応、失礼があってはいけないので、ロバートをたしなめる。

「アリサ、オレは、マジなんだけど」

 傷ついたような顔をして、レグルスは私の手を握ろうとしたが、ロバートがすばやく割って入った。

「ロバート、お前、ここで遊んでいられるほど、ヒマなのか?」

「今日は、実家で休養するのが僕の仕事なので」

「そんなに主人想いとは知らなかった」

 呆れたようにレグルスがそういうと、ロバートは首を振った。

「違いますよ。姉想いなんです。あ、シスコンと言われても平気ですよ」

 レグルスとロバートの話についていけず、私はポカンとしていた。

「わかったよ。今日は、もう退散する」

 レグルスは面倒くさそうにそう言った。

「姉と交際したければ、僕を通してくださいね」

 いつからそういうことになったのか知らないが、ロバートはニコニコしながらそう言った。

「レグルス様、また来るかしら?」

 レグルスが去っていった後、私は首を傾げた。

「来るよ。あのひと懲りない人だから。何かされたらアリサも、遠慮なく魔術でもぶっ放してやりなよ。大丈夫。ちょっとやそっとじゃ、死なないから」

 ロバートが天使のような笑顔で、そう言った。

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