保証人様のご依頼 3

 魔道具である針に糸を通して、ひたすら念を込めて縫い続ける。魔力を付与しながら縫うので、目が疲れるとか肩がこるなどというレベルではない。じわじわと力が確実に吸い取られていく作業である。

 半日くらい作業に没頭したら、知らない間に気絶をしていた。

 父は、それに気が付いていたが、無理に起こしはしなかった。

 もっとも、起こされたところで、完全な魔力切れでひと針も縫えなかったであろう。

 それから少し作業しては、気絶するというようなことを繰り返し、二晩を越えたあたりでようやくにプールポワンは仕上げ段階に入った。

 ちなみに縫い糸を火の属性が高いエンの木の実などで染め上げてつくれば、着用時の体感温度が暖かなものになるのだが、春が間近なこの季節にそこまでの防寒は必要ないし、なにより時間もなかった。

「魔力の付与は、おまえ、天才的だな――縫製そのものは、もう少しだが」

 父は、胸元に楓の葉の刺繍を入れ始めた私に、そう言った。楓の葉は、我が仕立屋のロゴのようなものだ。胸元に入れることによって、魔力強化と、宣伝も兼ねていて、全てのうちの製品に入れている。

「でも、まあ、そこそこの及第点の出来なんじゃないか?」

「……依頼人様が、そう思って下さればいいけど」

 せめて、未払い利息の半額免除くらいはしてもらいたい。

 乙女の睡眠時間を削って作っているのだ。肌はボロボロだし、目の下にはたぶんクマができている。

 そういえば、作業を始めてから、風呂にも入っていない。

「刺繍が終わったら、飯食って、風呂入って少し寝ろ。ボタンは俺がつけておいてやる」

「でも――」

「その状態だと、仕上げのアイロンかけたら気絶するぞ。だいたい、イシュタルト様が受け取りにみえた時に、そんな面で応対するのは失礼だ」

「父が応対すれば、いいのでは?」

 私がそう言うと、父は首を振った。

「はじめて、お前を指名してくれた客だぞ。最後まで自分で応対しろ」

「なるほど」

 私は納得した。いろいろ気に入らない経緯ではあったが、職人としての栄誉ある初仕事なのだ。

 その結果を良くも悪くも、私は受け止めなければならない。

「しかし、イシュタルト様にも困ったものだ。俺だって、三日で作るのは無謀な行為だ」

 苦笑しながら、父は、私の為にスープを温めるべく、火元に立った。

「ま。俺に頼むなら、そこまで無茶は言わないだろうがな」

「私への、嫌がらせですか?」

「うーむ。たぶん、おまえが使えるかどうか、試したかったのだろうよ」

「はあ。スパルタですね」

 私は首を振った。あの保証人様に日々仕えている弟のロバートの苦労がしのばれる。

「イシュタルト様は目立つ。店に来て下さるだけでうちの店の宣伝になるからな。失礼のないように」

 いや、あの人、目立ちすぎだって。それに店の宣伝になっているとは、とても思えない噂がたっているし。

 父が保証人様のお屋敷に出向いて商品のやり取りをしたほうが、ご近所の平和のためだと思う。

 なかなか世間の噂というのは、思ったように宣伝にはならないものだ。

 疲労困憊で刺繍の針を刺し終えると、香り立つシチューの匂いに、私の腹がグゥと鳴った。



 ぴかぴかの魔道起動のアイロンを使って、最後の仕上げを終えると、すでに三日目の昼すぎになっていた。

 父は、仕入れに出かけてしまったので、私ひとりだ。

 初めての依頼人様に失礼があってはいけないので、けだるい身体を無理やり動かし、姿見を見ながら身支度を整え始めた。

 昨日、風呂に入って少し寝たので、目の下のクマはうすくなっているが、青い目は自分でわかるほど生気がない。

 唇の色も、頬の色も疲労感満載である。

 生気あふれてピチピチ状態だったら、かえって嘘くさいけど。

 そう思ったが、少しだけ化粧をして、誤魔化した。服はいつもと同じ白いシャツと黒いズボンだが、プレスのきいたものに着替えた。

 無造作に縛り上げていた金髪を梳り、どうしたものかと思案していたら、馬蹄の音に気が付いた。

 私は、慌てて表に出た。

「やあ」

 私の顔を見て、イシュタルトは破顔した。

 無駄に爽やかな笑顔に、疲労気味の神経がイラッとしたが、当社比一・五倍程度の営業スマイルを私は返した。

「いらっしゃいませ。馬をお預かりいたします」

 なぜ馬なんかで来るんだと思いつつ、私は馬を預かった。

 近所の視線があちらこちらから注がれている気がして、さらに疲労感が増した。

「――疲れているな?」

 店に戻ってくると、入り口で立ったまま待っていたイシュタルトが、心配げに私の顔を覗きこんだ。

「三日間、ろくに寝ておりませんので」

 私は、そう言って、仕上がったプールポワンをテーブルの上に載せた。

「……よろしければ、ご試着を」

「無理をさせたな……赤か」

 イシュタルトは上着を脱ぎながら、すまなそうに、そう言った。

 暗めの赤で滑らかに起毛したその布は、やや落ち着きすぎた色だったかもしれない。

「お嫌いでしたでしょうか?」

 恐る恐る私は尋ねた。色の指定くらいしてもらえば良かったと、そう思う。

「いや、いい色だ。鎧の下で隠れてしまうのが惜しいくらいだ」

 満足そうなイシュタルトの言葉にホッとする。

「父の腕には、まだ及びませんが、魔力付与そのものは、問題ないかと」

 言いながら、ひやひやしながら、袖を通しているイシュタルトを見つめた。

「動かしてみて、キツイ場所などございませんか?」

 胸元のボタンを手伝いながら、そう問いかける。

「いや……問題はなさそうだ」

 あちこち手を上下させて、イシュタルトはそう言った。

「着心地はいかがですか?」

「悪くない」

 私は、イシュタルトの顔を仰ぎ見た。

 暗めの赤の服は彼によく似あい、我ながら惚れ惚れする出来栄えであった。

「あの――」

 私は、恐る恐る切り出した。

「どうでしょうか? お代はお約束通りいただけましょうか?」

「ああ」

 イシュタルトはそう言って、上着のポケットから小切手を出した。

 まごうことなき三千Gとかかれた金額のそれに、丁寧にサインをし、私に差し出した。

「約束通り、未払い分の利息もなくすように銀行に話しておく」

「本当ですか! ありがとうございます!」

 私はあまりのうれしさに、飛びついて、イシュタルトの頬にキスをした。

 恋愛感情とかとは無縁の、狂喜のあまりに我を失った反射行動のようなものだ。

 初めての仕事が、きちんと認めてもらえたのが最高に嬉しかった。

「お前……」

 イシュタルトは頬に手を当てたまま、私の顔を見た。幾分、顔が赤い。

「嬉しいのは分かるが――依頼人に誰彼かまわずキスするのは若い娘として問題だぞ」

 さすがにその言葉で我に返り、「すみませんでした」と謝罪する。

イシュタルトは、照れたように顔をそむけて、「俺にだけなら構わん」と呟いた。

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