保証人様のご依頼 2
「三日で、お前がイシュタルト様の肌着を作るだと?!」
帰ってきた我が父、クラーク・ラムシードは目を丸くした。やや、くすんだ色の金髪をバリボリとかきあげ、眉間にしわを寄せる。職人としては、まだまだ若手にはいる年齢ではある。
「三千Gに借金の未払い利息を免除とまで言われたら、断れません」
父の借金の利息はひと月に三万Gほどで、現在、一万G近く滞納している。お優しい銀行様なので、借金が単利でよかったとしみじみ思うが、利息を返すだけで精いっぱいで、いつになったら元金返納ができるか、めどが立たない。
大嫌いな保証人様ではあるが、返すあてのない借金を銀行が待ってくれているのは、ひとえに、リゼンベルグ家のおかげなのだ。
利息を身体で払えと言われたが、本来はとっくに売り飛ばされていても文句の言えない立場ではある。
「それはそうだが……イシュタルト様は、いろいろご注文の多い顧客だからな……」
よりによって、と、親父は頭を抱える。
「布地によって肌荒れはするし、金属アレルギーもある。一番厄介なのは、魔力感知能力が高くて、違う人間が針を刺したら間違いなく気が付いてしまうくらい優秀なところだな」
「……と、いうことは?」
「俺が手を貸すことが出来ない、ということだ」
つまり。麗しの保証人様は、人の魔力の波動にひどく鼻が利くらしい。魔力というものは無味無臭のものなのだが、もちろん人によって個性がある。それはつきつめれば、生命体がもつ五大原素の比率に起因するものだ。それは例えば『火』にかかわる魔法が得意とか、不得意という次元の話にもつながってくる。
私と父の魔力の波動は親子だけに非常に似通ってはいるものの、やはり違うものだ。
厄介なことに、彼はその違いを嗅ぎ分ける能力があるらしい。
「とりあえず、出来るところは俺も手伝う。お前はまず、アッカスの店へ行って、布を選んで来い。裏地はかならず柔らかい木綿だ。表はともかく、裏地の値段はケチるなよ」
私は素直に頷いた。
「俺は、その間に型紙をおこしておいてやる。急げ」
私は、その言葉に追い立てられるように、外へ出た。
帝都アレイド要するクラバーナ帝国は、フレイ大陸のほぼ西側に位置する大国だ。
魔の森レキサクライを背にしており、強力な軍事力でもって、治安を維持している。魔の森レキサクライは、まさに魔の領域だが、魔法にかかせない様々な材料があふれており、帝都アレイドは一獲千金を夢見る冒険者たちが集まってくる。
したがって、武具防具に関する職人や店も多い。もちろん、うちもその一つである。武具や防具の職人街は、歓楽街からも近く、荒くれどもが通りを闊歩している。
この時間なら、暗くなる前に、帰れるかもしれない。
仕入れ先のアッカスの布地屋は、町を流れる小さな川の向こう岸にある生活雑貨を取り扱う方の職人街にあって、そこそこに距離がある。
「やあ、アリサ」
ようやく橋にたどりついたところで、防具屋のドラ息子に声をかけられた。相変わらず、馴れ馴れしい。
金髪に碧い瞳。女にしたいくらいの線の細い顔立ちで、絵本に出てくる王子様のような美形であるが、頭の中はとても残念で、女のことしか興味がない。店が彼に代替わりしたら、取引を止めようと思っているのは内緒である。
「あら、こんにちは、フィリップ。」
苦手な男ではあるが、なんといってもお得意様であるので、営業スマイルでお応えする。
「どこへ行くの?」
「布地の仕入れ」
それだけ言って、歩み去ろうとした。
「つれないなあ。せっかく会ったのだから、なにか食べに行こうよ」
「悪いけど、急ぎの仕事なの」
そうでなくても、フィリップと飯を食べに行く気はない。
「それって、馬で乗り付けたお貴族様のご依頼かい?」
なんだか皮肉めいた口調で、フィリップが私に追いすがる。
「……よく知っているわね」
「さっきから、そのあたりで噂になっているよ。馬でやってきたお貴族様が君と親しげに話していたって」
なんじゃそりゃ、と思う。あれのどこが、親しげな会話なのだろう。
私は保証人様と親しかったことは一度もない――無理やりキスはされたけど。
「すごい美形のお貴族様らしいじゃないか。近所の娘っ子たちが騒いでいる」
ふーん。と、私は納得した。フィリップは、自分以外の男が騒がれるのが気に入らないのだ。
だから、イシュタルトがどんな人間か探っているのだろう。
「この不景気に、仕事を恵んで下さっただけよ」
私は歩を速めた。時間が惜しいのに、フィリップはしつこくついてきた。
「僕は心配なんだ。アリサが、貴族の玩具にされるかもしれないだろ?」
本当に心配そうな顔でフィリップはそう言った。
私は思わず苦笑する。
玩具も何も。我が家の生殺与奪権を、保証人様は握っている。
保証人様の気が変わって、「借金を今すぐ耳揃えて返せ」とのたまえば、我が家は破産。私はたぶん女郎小屋行きだ。
「ご心配、感謝するわ」
それでも一応、感謝の意をしめしておく。なんといっても、フィリップは大事な取引先の息子なのだ。
橋を越えると、生活雑貨を取り扱う職人街に入り、辻を歩く人たちが一変する。このあたりを歩く人は、日々、平和な日常を営む人たちで、街を歩く女子供の数も多くなる。
「それじゃあ、私はここで」
アッカス布地店の側で、私はフィリップに頭を下げた。
「アリサ、今度、飯でも……」
背中にかけられたフィリップの言葉を聞こえなかったふりをして、私は布地店の戸をくぐった。
「こんにちは」
声をかけて、店内を見渡す。
直射日光は生地が痛むため、日中の太陽光の入る方角に窓はなく、明かりは、反対側のほうからじゅうぶんに入るようになっている仕組みだが、冬のこの時期は午後になると若干、部屋がうす暗い。
壁に据え付けられた大きな棚に、いくつもの生地が皺にならぬように丸められ、一見、無造作に積み上げられていた。
他に客はなく、店の奥のカウンターの長くて広いテーブルの向こうで、髭面のアッカスさんがいねむりをしていた。
私は、いつものように、布地の吟味を始めた。
素材、織り方によって、変わる肌触りを確認しながら、色や柄なども含めて慎重に選んでいく。
特に、父に言われたように、裏地には、心を砕いた。プールポワンはあくまで肌着である。鎖帷子、いわゆるチェインメイルの下に着用することが前提であるから、着心地の良さが優先される服なのだ。
「アッカスさん、アッカスさん」
私は、選んだ生地をカウンターへ運び、熟睡中の店主に声をかけた。
「おや? やあ、ラムシードのお嬢さん」
アッカスは、まるで寝てなどいなかったかのように、にっこり笑って、顎鬚をなでた。
「この生地と、こっち生地をください」
「おや、ずいぶん高級な布を選んでくれたね」
アッカスはうれしそうに布をなでた。
「肌が弱いお客様なの」
私がそう言うと、アッカスは得心がいったらしく深く頷いた。
「これはずいぶん肌触りが良いと評判なのさ。アリサちゃんにも認めてもらえて嬉しいよ」
「とても良い買い物が出来て、私も嬉しいわ」
社交辞令でなく、私はそう言って微笑んだ。アッカス布地店は、お貴族のご令嬢が社交界で着るような華やかな布は置いていないが、とても肌触りにこだわった布が多い。
「また、いいものが入ったら、ぜひ買っとくれ」
「ええ。ありがとう、アッカスさん」
私は、買った生地をもってきた布袋にいれて、店を出た。
店に入ってかなりの時間が過ぎていたから、さすがにフィリップはいなくなっていた。
これなら、日暮れ前までに家に帰ることが出来そうだ。
私は、速足で、橋を越えた。
「あら、アリサ」
橋を越えて間もない路地で、聞きなれた女性の声に呼び止められた。
雑貨店の娘で、噂好きのジーンである。私と同世代であるが、とても色っぽい女性だ。
「こんにちは。ジーン」
無愛想が服を着て歩いているかのような私ではあるが、ご近所の女性には失礼のないように気をつけている。
なにぶん、我が家は『男性下着の専門店』で、『戦闘服』に特化している商売をしているせいで、私は女性と接する機会が非常に少ない。これでも、お友達は欲しいのである。
「今日、美形のお貴族様がアリサの家に来たって聞いたけど?」
「ええ。うちのお客様なの」
「アリサと仲がよさそうだったって、噂よ」
私は首をひねった。イシュタルトが無駄に美形なために、噂に尾ひれがついている。
明日には、私が身分違いの恋の炎に身を焦がしている設定になっているかもしれない。
「ただのお客様よ」
私はきっぱりとそう言った。
「そう? アリサを狙っている男どもが、戦々恐々となっているみたいよ」
くすくすと、ジーンが笑った。
私を狙う男?
よもやそんなモノ好きがいるとはとても思えない。まあ、仕事人間の私をからかって遊びたい輩のことであろう。
「ごめんね、ジーン。今日は仕事が入っているの」
私は、あいさつもそこそこに、まだ話したりなさそうなジーンと別れた。
仕事場に戻ると、父がたらいに水を張って待っていた。
買ってきた生地を地なおしするのである。
地なおしというのは、布の折り目をそろえるための作業で、生地の種類によって一律ではないものの、生地を一度、水にさらしたのち、乾かして、丁寧にアイロンをかけるのだ。
水に布を落としていく作業を父に任せ、私はアイロンの準備をしようとした。
「アリサ、魔道起動のアイロン、使ってみるか?」
「何? それ」
通常の作業は、まず、炭火をおこし、アイロンストーブという鉄の容器に火のついた炭を入れる。その鉄の天板に重い魔道具の鉄のコテを置いて、熱を入れていき、鉄ごてが熱くなったら、布地のしわを伸ばしつつ、生地そのものに私の魔力を付与していくのだ。
「その三段目のコンテナ、あけてみな」
私は父に言われたとおりの場所に、ピカピカの魔道起動のアイロンを見つけた。
「これで魔力付与、できるの?」
魔道起動アイロンというのは、魔力を消費することで熱をいれることができるもので、それ程珍しいものではない。
むしろ炭を使うアイロンのほうが前時代的で、一般的ではない。
ただ、魔力を付与する魔道具と魔道起動の魔道具は同じ魔道具という呼び名であっても、性質は全く違う。
「もちろん。ただし、通常のアイロンの三倍くらい疲れるな」
「え?」
「でも、仕上がりは二倍くらい綺麗にできる」
「……」
なんて微妙な。仕上がりが二倍綺麗でも、三倍疲れるって、どうよ。
「……父よ」
私は、やけくそになって聞いてみた。
「この道具、あまり使ってないよね? いくらで買ったの?」
「うーん。さすがに三倍疲れると締め切りとか考えるとキツイからねー。金額? 忘れたけど、確か、五十万Gくらいしたかなー」
ごじゅうまん。
父の借金は二百万G近くある。ということは、このアイロンはその四分の一として立派な一角を担っている代物ではないか!
「使わないなら、売ってしまいなさい!」
思わず、怒りが爆発してしまう。
「でも、仕上げは二倍綺麗だし。しかも、たぶん、これ、限定品でもう売ってないんだよね」
父は、手放す気は全くないらしい。未練たっぷりの顔で、アイロンを見つめている。もっとも、この手の製品は、買ってくれるひとも少ないという問題もあり、売りさばいても半値もつかない可能性まである。
私は、ピカピカの魔道起動のアイロンを見つめた。あまりのピカピカ加減に、むらむらと憎しみが込み上げる。
金額分の仕事をしてもらおうじゃないか!
「わかった。これを使う」
私は、アイロンの準備をはじめた。
アイロン作業は通常の三倍の疲労感はあったが、作業効率は1.5倍ほどあがった。
いつもなら、一定時間たつと冷えてしまう鉄ごてを熱する待ち時間が全くなく、熱ムラのないアイロン作業の仕上がりが、美しいのも事実であった。
さすが、五十万。
私は、軽く疲労しながら、父のコレクションに初めて感動を覚えた。
「ほぉ。まんべんなく魔力が載っていて、いいじゃないか」
父親がアイロンのかけ終わった生地を見て、褒めてくれた。
金銭面では尊敬することのできない父ではあるが、職人として父に褒められることはとても嬉しい。
「俺のほうは、もう少しかかりそうだ。飯食って、少し休め」
父は魔力付与の必要がない、布地にはさむ中綿の準備と生地の裁断をしてくれている。
「でも――」
「三日で仕上げると約束したのだろう?」
確かにその通りだ。期日は守らなければならない。
私は、仮眠をとることにした。
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