勇者さまの「プールポワン」、承ります!

秋月忍

アリサ・ラムシード編

保証人様のご依頼 1

 その日。彼は職人街に颯爽と馬で乗り付け、無駄に爽やかなキラキラ光線を撒き散らしながら、うちの店にやってきた。

 イシュタルト・リゼンベルグというその男は、若くしてこの国の近衛隊の副長に就任しており、軍の中でも精鋭と呼ばれている部類の人種である。しかも、帝国きっての侯爵家の御曹司で、学識も高いと評判だ。背は高く、焦げ茶色の髪は短いがさらりとしていて艶やかな光沢を放っている。端正で精悍な顔つき。瞳は、深い闇色である。

 このあたりは、防具を扱う職人が軒を連ねており、通りにはたくさんの冒険者たちが闊歩しているから、大抵の人間は埋没する。が、とにかくこの男は目立つ。色彩的にはそれほど派手さはないのにもかかわらず、人目を引く。

 通りを通っている女性の視線を一身に集め、その男は、ちょうど軒下に干してあったリドの実を取り込んでいた私に「やあ」と、実に親しげに声をかけてきた。

「……何か御用でございますか?」

  私は言葉だけは丁寧に、そう問うた。

「親父はいるか?」

 うちは店先に馬をつなぐ場所などない。彼は馬の背をなでながらそう言った。

「あいにく、留守です」

 帰れ! と言外ににじませた私の言葉を、彼は無視した。

「馬を置かせてくれ、中で待たせてもらいたい」

 うちの店のようなせまい家に馬で来るな! と思う。しかし、口には出さず、私は馬を引き、店の裏側にある狭い住居区間のこれまた狭い猫の額ほどの庭に、馬をつないだ。

 店の扉をくぐると、イシュタルトは勝手に椅子に座りこんでいた。

「茶が欲しい」

 どこまでも、勝手な男である。

「……わかりました」

 私は頭を下げ、火元に立った。

メンドクサイ、と思ったが、彼に逆らうことは許されない。

 イシュタルト・リゼンベルグは、いささか常軌を逸した金銭感覚の我が父が積み上げた借金の保証人である。

父は腕の良い仕立て職人であるが、『魔道具』コレクターである。こと仕立てに関する『魔道具』を見つけると、値段など全く気にすることなく、手に入れてしまうのだ。しかも、父のそういう酔狂なところは取り扱う商人たちもよく知っていて、頼みもしないのに、新製品の情報を父の耳に入れてくれる。

 母が生きていたころは、それでも父は我慢していたらしい。

 しかし、五年前に母が他界すると、その寂しさもあってか、歯止めが利かなくなったようだ。

 ようだ、というのは、私は当時まだ十五歳で、しかも、魔道学校の課題で頭がいっぱいだった。ゆえに『最近、父ちゃんは変なものをよく買っている』くらいの認識しかなかった。

 今思えば、私も、私の双子の弟も、家に増えていく「変なもの」に対して、もっと興味を持つべきだったと思う。

そして、三年前のある日。

 やんごとなきリゼンベルグ侯爵家の経営する『銀行』のえらいさんが、たくさんゼロのついた借用証明書をもって、我が家に現れた。

 彼らはとても紳士的で、刃物や暴力を振るったりしたわけではない。むしろ、店や住むところを奪われても仕方のなかった状態だったのに、借金の返済期限の無期限にすることを提案してくれた。

 ただし、条件があった。

 当時、魔道学校で首席だった私の双子の弟ロバートを、リゼンベルグ家の所有物とすること。

 所有といっても、別段、慰み者にするとかそう言う意味ではなく、いわば「青田買い」である。

 高等科に奨学生として進む予定だったロバートの将来は、宮廷魔導士や、魔道ギルドの研究員など、輝かしい未来が約束されていた。

 しかし、あくまでも『未来』の話だ。借金は高額で、未来まで待ってはくれない。

 否、はなかった。

 父と私は、愛しのロバートの未来を売り渡した。ロバートはリゼンベルグ家のお抱え魔導士になった。

 リゼンベルグ家は名門中の名門。見ようによっては、悪い話ではないとはいえ、酷い話だ。

 とはいえ。それで、安穏とした日常が手に入ったわけではなかった。

 リゼンベルグ家は、自ら保証人となって借金の期限をなくしてはくれた。だが、ロバートの勤労条件は保証してもらえる代わりに、借金の残金と、膨れ上がっていく利息はそのままという契約となった。

 私は学校をやめ、父の店を手伝うことにした。

 うちは、帝都アレイドの片隅にある小さな仕立屋で、専門は防魔用の男性下着専門店だ。

 楔帷子の下に着る肌着、プールポワンが主力商品である。

 帝都のお金持ちサマがたの社交界のオシャレ男子は、普段着として着用したりもするらしいが、うちのは、戦闘用に特化したものである。たかが下着であるが、ひと針ひと針、魔力を付与してある代物だ。分厚いキルティングを魔道針でほどこして、魔力が縫い込んだうちの肌着は、ちょっとしたモンスターの攻撃を跳ね返すことが出来るのだ。

「お茶はまだか」

 イシュタルトが沈黙に飽きたように口を開いた。

「お湯が沸くまでお待ちください」

 私はかまどの火を調整しながらそう言った。

「なぜ、魔法を使わない?」

「――魔力がもったいないです」

 昨今は、魔道具を使えばお湯を沸かすのも造作がないことである。

 だが、数ある魔道具を有する我が家には、料理用の魔道具はひとつもない。魔道具は、少なからず、魔力を消費する。

 うちの仕事は、ちびちびと魔力を付与する仕事であるから、魔物を倒したりするような派手な攻撃魔法は全く必要ないが、私も父も、そんじょそこらの魔導士より魔力保有量は大きい。が、たとえひとより大きくても、生活の為に無駄な魔力を消費したくないのだ。

「そうか」

 納得したように、イシュタルトは頷いた。

 私は、一応、客用に用意してある我が家の中では高級なほうのお茶を丁寧に入れた。

 この男は好きではないが、保証人様のご機嫌が悪くなっては困るのである。

「お待たせしました。」

 イシュタルトはカップから立ち上る芳醇なお茶の香りに目を細め、満足そうに口にした。

「親父殿は、いつ戻られる?」

「防具屋へ注文品を届けに行っただけですから、間もなく戻るとは、思います」

 正直、親父の腕は帝都でも指折りで、名指しで注文してくれるテーラーメイドだけで店は通常なら、成り立つはずなのだ。

 防具屋の注文に応じて作る、いわゆる「既製品」に、手を出さなければならないのは、うちが借金苦だからである。

 私は、先ほど入り口に置いたままのリドの実を取りに戻ろうとしたところを、イシュタルトに腕をつかまれた。

「暇だ。少し話をしよう、アリサ」

 嫌だと言いたかったが、相手は保証人様である。

 私は、イシュタルトの前の椅子に腰かけた。

「仕立屋の娘のくせに、地味な服を着ているな」

 じろじろと人の服を見ながら、イシュタルトはため息をついた。

 確かに、私の服は女性服の流行からは程遠いどころか、完璧な男装である。白いシャツに黒っぽいズボン。うちの父の服と大差ない。

「うちは、男性下着の専門店ですから」

 店に来るのは、ほぼ男。しかも戦闘服を求めるような輩である。男に媚を売るような恰好をしていたら、それこそ貞操の危機である。

「それに、派手な服を着る余裕は我が家にありません」

 だから、借金を取り立てようとしても無駄だから待ってくださいと思う。ちなみに、現在月々の利息も一万Gほど滞っている。

 が、イシュタルトは、まったく気にしていないようだった。

「文句があるなら、俺じゃなくて、お前の親父に言え」

「言われなくても、そうしています」

 私は、ため息をついた。保証人様のおっしゃる通りだ。

 腕だけは尊敬できるものの、あの浪費癖が治らない限り、私の未来はないかもしれない。

「双子だというのに、お前はロバートと違って、愛想がないな」

「……有望な弟の将来を売り渡した姉ですから」

「言っておくが、ロバートの労働条件は悪くないぞ」

「承知しております」

 そう言いながら、早く父親が帰ってきてくれないかと、窓に目を向ける。

「よそ見をするな」

 イシュタルトは、不機嫌そうに私の顎に手をやって、私の顔を正面に向けた。思いっきり力を入れられて、顔が痛い。

 深い闇色の瞳が私を真正面から捉えている。

 息がかかりそうな近距離で、ガン見され、私はびくりとした。

 気に入らない保証人様ではあるが、類まれなる美形である。認めたくはないが、胸がドキリとした。

「気が変わった」

 突然、私の顔から手を放すと、イシュタルトはそう言った。

「親父に頼もうと思ったが、アリサ、お前にする」

「はい?」

 突然のことに私はキョトンとイシュタルトを見た。

「俺用のプールポワンを一枚、三日以内に作れ」

「ご冗談を」

 うちは魔力を付与した「肌着」の専門店だ。普通に仕立屋と違い、材料も特殊だし、時間もかかるのが当たり前で。

 まして、私はまだ『ひよっこ』職人なのだ。リゼンベルグ家の御曹司様の肌着を縫う立場ではない。

「できないなら、滞っている利息を払え」

「そんな」

 横暴な、と言おうとしたら、唇を唇でふさがれた。

「利息を、身体で払ってくれてもいいぞ」

 イシュタルトは、にやりと口の端を上げて笑った。

 私は、思わず睨み付けた。いくら保証人様とはいえ、身をささげる気は毛頭ない。

「満足できる出来だったら、三千Gに、たまっている利息の免除をしてやってもいい」

 利息を足せば、一万三千Gの計算だ。既製品の値段は四千G。日付が差し迫っているにしろ、好条件には違いない。

「お引き受けします」

 どさくさに紛れて、キスをされたこともこの際、水に流そう。うまくいけば、父だけでなく私にも客がつくようになるし、そうなれば、借金を返す日も近くなるかもしれない。

 私はメジャーを手に取った。

「それでは、採寸するので、上着を脱いでください」

「……もっと、色っぽい声で言えないものかね」

 イシュタルトはブツブツ言いながら、上着を脱いだ。

 下着用のシャツのうえからも、胸襟が鍛え上げられているのがわかる。

「お召しになるのは、いつですか?」

「出来たらすぐだな。近いうちに魔物の掃討を行う予定だ」

 それならば、防魔だけでなく、防寒機能も必要だなと思った。

「……今後はもう少し、早くご注文されることをお勧めします」

 私がそういうと、「また来る」とそう言って、上着を羽織り、イシュタルトは帰っていった。

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